世界を変える革新的発想をするために必要なのは、国家や政府は変えず、自由な部分だけを変えることだ。
国家や政府は、今のままでいいとせよ。なぜなら、国家や政府は、今の民主主義体制で、上手くいっているからだ。
国家や政府のような、大きなものはそのままでいい。今のまま、上手くいっているままを保てばいい。
そうではなく、自由な部分、すなわち、国民が自分の力で変えられる部分を変えよ。
それはすなわち、「自由な環境」を変えるということであり、国民の「会社」「家庭」「学校」のような、国民が自分の力で自由にできる部分を変えるということだ。
国家や政府の「支配」や「権力」により、国民を全員一律で変えようとするな。
そうではなく、会社や家庭や学校など、その国民の自由な単位で変えられる部分を、積極的に変えようとせよ。
そこにあるのは、「ボトムアップなチャンス」であり、「啓蒙主義的な革新」であり、「生産手段の自由化」であり、そして「共有の自由」である。
そのように、自由な社会において、自由主義と社会主義のバランスを取りながら、「この世界の社会環境の変革の可能性」を考えれば、この世界は必ず救うことができる。
大切なのは、「発想を大切にすること」だ。アイディアや思い付きを、捨て去るのではなく、大切に取っておくこと。それが世界を変える上で、もっとも一番重要だ。
だが、そのように、「自由な社会」を一通り考えたら、その上で国家全体の構造、すなわち「国家モデル」を考えればいい。
そこにあるのは、「環境を成立させる自由」だ。
すなわち、世界全ての「環境」を成立させるような「自由」を考えることで、国家モデルを作ることができる。
この「国家モデル」こそ、僕の哲学の中核であり、自由主義と社会主義のバランスを取る国家モデルによって、この世界のすべては「自由な成立」という意味で、なんでも作ることができるのである。
社会を考える上で、「社会はどのように変えられるのか」「社会はどのように可能性が成立するのか」ということを考えよ。
そこで重要なのは「自由」だ。
すなわち、「自由にすれば社会は自然に変わっていく」「自由にすればさまざまな可能性が社会において成立する」ということが、この問題に対する答えだ。
そして、現実を見よ。現実から逃げ続けるのではなく、現実を見て、現実を経験することでしか、この世界を救う方法は分からないからだ。
あらゆる社会経験をすべて経験せよ。
この世界に存在する、すべての労働、すべての仕事と、同じことを経験せよ。
そうすれば、この世界すべてのあらゆる社会形態を作り、導くことのできる、「社会形態の導き手」になることができる。
すべての社会が、いつ、どのように成立するかを知れ。そのために、すべての仕事、すべての労働を、インターネットなどで自由に経験せよ。そこから、「人生や環境を自由になんでも成立させて考えられる知性」が生まれるだろう。
場の意識と可能性を考えよ。
この世のすべては「意識」である。
歴史とは意識であり、地球とは意識である。
意識を捉えることで、この世界のすべてが捉えられる。
捉えよ。捉えることでしか、社会の変化や心に与えられる作用は分からないからだ。
脳を生かせ。
僕の問題は、すべて、「脳が死んでいる」ということに起因している。
脳を殺しすぎたことで、いわば「ほとんど脳死状態」になっている。
脳を生かすだけで、きちんとまともに分かるようになる。脳は「分かる部分」であり、そして「できる部分」である。
今日は、英会話教室に行ってきた。
英会話を習得するコツは、脳を生かすことだ。
そもそも、今までの経験から、英会話はもう既にほとんどできている。できていないのは、脳が死んでいるからできていないだけにすぎない。
脳を生かすだけで、英語はすぐにできる。もはや、この世界にあることで、僕にできないことは何ひとつなくなる。
豊富な具体例から考えよ。
発想や経験などを、豊かに自分の心の中に構築し、そこから「決定可能性」として実現できる範囲を保留せよ。
すべてのことができる人間を目指すならば、社会や環境を豊富な発想や経験から具体化できるようにならなければならない。
そして、そこから「制度」を考え、同時に、社会の制度や決定可能性を、「人間の生まれ持った権利」へと帰着させていく。
それこそが、真に「社会哲学」であると言えるのである。
どのような社会の可能性が決定され得るか、ということを真に問え。この世界で、どのような社会が成り立つのか、具体化できるのかということを突き詰めて考えよ。
そうすれば、この世界のすべてが実現可能となり、どのような本質が社会を築く上で重要であるかということが分かり、この世界を救うこともできるようになる。
この世界において、経験から本質的な答えを問い正すことで、人生の「導き手」となれ。
そこにあるのは、「先入観や思い込みなく、人生と宇宙の真実を捉える心」だ。
それこそが、「人生の導き手」と言える状態であり、そのような人間が世間のことをすべて経験しつくすことで、人は「人生のマスター」になることができる。
必要なのは、子供たちに対する愛である。子供たちに対して「自由と力を与える」ということから、この世界が「分裂して解放されるような可能性」を許すことができる。そこから、この世界は「子供たちの心の革命」のような自由でボトムアップな変革を与えられるのである。
人間の頭脳は、覚えたこと、知ったこと、見聞きしたこと、考えたこと、経験したことから分かる。
それならば、世界すべてを理解する前提となる、「世界構造」を作りなさい。
それは、「未知のことに対して事前にある程度の答えを与える」ということであり、「起こり得ることに対して事前に対処する」ということである。
そのように考えることで、すべての未知を正しく捉えることができ、起こり得る現象について予測することができる。
必要なのは、自らの経験から判断力と想像力を養うことだ。そして、人々の視点に立って考え、孤独にも独善的にもならず、世界をよく見知った上で、先入観や思い込みのない、「正しく解放された自由な精神」で考えることこそが必要なのである。
ものごとに対する見方を変えなさい。
経験から、世界や人生に対する見方を変えなさい。
それこそが、真に大人に成長する上で必要となる、「青春の経験」だからだ。
自由を目指しすぎるな。自由を真に目指すことは正しいことではない。真に必要なのは理性的に経験を捉えることであって、決して自由は至上命題ではない。
この世界において、真に正しい国家と言えるのは、自由を守る世界政府である「自由連邦」か、社会主義国家である「ソ連」のどちらかである。
自由連邦は、国民主権国家の自由と民主主義を維持する世界政府であり、それぞれの州となる構成国のすべての自由を尊重しながら、国境をなくすことで平和を目指す、自由民主主義の世界連邦である。
ソ連は、評議会主義の共同体連邦国家であり、それぞれの自治区は人民全員が参加する評議会によって、共同体の計画経済政策と労働者のノルマを裁定する。ソ連は共同体主義国家であり、社会所有・平等分配・計画経済により、計画経済で生産したみんなのものを全人民に平等に分配する。そのために、生産手段を共産的に生産し、生産手段を人民全員に共有する。
自由連邦とソ連は、どちらももっとも正しい国家であり、未来の地球においては自由連邦とソ連の両者が共存し、この世界は自由かつ平等かつ平和な世界になる。
これら二つの世界政府において言えることは、自由と平等は両立するということだ。
自由あるいは平等の、どちらが欠けても、素晴らしい世界にはならない。
間違っていたのは、かつてのソ連の独裁者スターリンだ。レーニンという「革命のシンボル」の下に、自由を否定して不自由かつ平等な社会主義国家をスターリンが目指したから、ソ連は間違った国になった。
彼らは、考え方や理想は間違っていなかったが、「やり方」だけが間違っていた。
新しい、自由で平等な国家は、そのようなソ連の失敗を繰り返さない。自由と平等のどちらが欠けても、決して素晴らしい国家や経済は生まれないと、現代に生きるわたしたちは知っているからである。
自由と平等をどちらも信じなさい。そうすれば、必ず神はこの世界の未来を素晴らしい救済された楽園へと導いてくれる。
そろそろ、死んでも死なない部分が死んだ。
いくら死んでも生きるこの部分がなくなることで、もう、生きるのが楽になる。
最後に、今この時、この瞬間だけを、必死になって生きなさい。
そうすれば、自分にとって嫌なことを忘れられる。狂った自分を表に出さなくても、正常なままの自分だけを表に出して生きられる。
人生を頑張りなさい。天では、神を信じて人生を頑張るものに、報いは大きいからである。