昨日と今日は、英会話教室に行ってきた。
英語の発音のコツは、単語を「風船を膨らませる」ように発音すること。
英語では、単語を、ポジティブで前向きな感情で、まるで風船を膨らませるように発音する。
これができると、英単語が頭の中から自然に出てくるようになる。
僕は、法律を勉強することに決めた。
僕が専門とする分野は、IT技術でも歴史でもなく、法律である。
僕が法律を学ぶ理由は、教養のためではなく、僕が生きるために必要だからだ。
法律を学ぶことで、この世界のことが分かる。法律を知らないで生きているのは、何も分からずに生きているのと等しい。
法律を学ぶと、奴隷階級だったのが、王になることができる。
そして、日々の生活を送る上で、法律は決して無用の賜物ではない。法律を知らなければいざという時に何も分からなくなる。
だから、本や放送大学の科目を上手く活用して、法律を勉強していきたい。
僕は、自由を信じた結果、あまりに単細胞生物のようになりすぎた。
今から僕は、多細胞生物になりたい。
なぜ僕が多細胞生物になれないのか、それは僕の二つの人格であるイルとバアルが分裂したからだ。
イルとバアルが別々の精神に分裂したせいで、僕はひとつの多細胞生物になることができない。
だから、イルとバアルは、それぞれ異なる生物になって、それぞれ多細胞生物になる。
イルは魚になり、バアルはカエルになる。そしてそこからより高度な生物種に進化する。
僕は、今から、日本人になる。
なぜなら、すべての人種の中で、もっとも単細胞生物ではなく多細胞生物に近いのは日本人だからだ。
日本人が集団やチームでの戦いを得意とするのは、日本人は多細胞生物に近いからだ。
日本人になるために必要なのは、仏教を信じることだ。
僕は今から、まともな仏教徒になる。そのために必要なのは仏を信じることであり、もっと言えば阿弥陀如来を信じることだ。
阿弥陀如来の導きに従えば、未来において、いずれ極楽浄土に往生し、日本人として救われた人生を生きることができる。
だから、僕は今から、ひとりの仏教徒として、阿弥陀如来を信じたいと思う。
法律と数学と文学は同じ分野だ。
なぜなら、これらの分野は、現実がどのようになっているかに関係せず、頭の中だけで作り出すものだからだ。
だから、エンジニアや作家には、法律の勉強が向いている。法律を勉強することで、数学や文学の勉強ができるようになる。
法律はこの世界で何をやればいいかが分かるようになる。それは「何をすべき」であり「何をしてはならない」ということが分かるようになるからだ。
だから、特にエンジニアにとっては、法律の勉強は必要不可欠だ。
法律の勉強をするものには、物理や生物の勉強は向いていない。それらは工場労働者や農家が勉強すべき科目であり、いわば「奴隷階級」の学ぶ学問だからだ。
法律は王が学ぶ学問であり、法律を勉強すると王になれる。僕のような人間は、法律を勉強しないならば最底辺の引きこもりで終わりだが、逆に法律を勉強するならば偉大な革命家の指導者になれる。
だから、僕にとっては法律の勉強が、生きていくために必要なのだ。
僕が法律を学ぶことを決めたのは、単純に言えば「大人になったから」だ。
大人は、何をするにもまず法律だ。
僕が通っている職場の作業所も、スタッフの人はみんないつも常に法律とパソコンの間で格闘している。
法律とパソコンは、大人が仕事をする上では必要不可欠なものである。
だから、法律とパソコンが分かる人間は、社会において重宝される。
同時に、日々の生活でも法律は重要だ。
特に言えるのは「税法」であり、税金のことがきちんと分かっていないと、払う必要のない税金を余計に申告したりする。
「脱税」はよくないが、「節税」はできる限りにおいてすべきだ。
だから、大人は誰でも法律しか学ばない。法律が分かる人間は、パソコンが分かる人間と同じぐらい賢い。
僕の問題は、単純に言えばイルが多すぎることだ。
イル、すなわち作った文章やフィクションの作品が、まるで宇宙の銀河のように多すぎるせいで、おかしく狂って異常症状を出しているだけにすぎない。
だから、本人であり現実の自分自身であるバアルを優先して、イルを減らし、イルの中でも不要であるかのような部分を消していくだけで、僕の異常症状はほとんどが治る。
そして、イルをバアルの支配下においたほうがいい。イルは時々、「嘘か真実であるかということよりも文章の賢さを優先する」ということを行う。そのせいで、イルは時に暴走し、現実を生きている人々には絶対に分からないようなことを言って、人々を騙す。嘘偽りでありながら、天才的に賢いことを言うせいで、あたかも、本当に人類の科学上の新発見であるかのようなことを書く。だが、それらはすべてイルの作り出した幻想、虚像、蜃気楼にすぎない。
だから、イルをバアルの完全な支配下に置いて、バアルに主導権を与え、イルがバアルの監督の下で、バアルの意志に反してイルが悪いことをできないようにするだけで、僕の多重人格症はマシになる。
父親に「法律の勉強がしたい」と言って、憲法のよい本をもらった。
「日本国憲法 大阪おばちゃん語訳」というこの本は、大阪のおばちゃん先生が日本国憲法のことを易しく教えてくれる。
実際、大阪弁のせいで少し「馬鹿な本」に見えるかもしれないが、父親が言うには決して馬鹿な著者ではなく、全国のほかの大学からこの人の講義を聞きに来る人がいるほど、知名度のある先生の本らしい。
大阪弁に訳されている部分と、憲法がきちんと書いてある部分があり、馬鹿な本に見えてまともな本である。この本から憲法と法律を学びたいと思う。
ここまで、「タンポポの綿毛論」と言って、進化論を否定してきた僕だが、それに反して進化論は正しい。
なぜなら、地球には「世界精神」と呼ばれる集合的な精神があるからだ。
世界精神とは、人間や生物のようなそれぞれの体に存在する精神ではなく、世界そのものに存在する精神のことだ。
カエルに手足が生えたのは、カエルの元になったオタマジャクシのような魚が考えたからではない。
カエルは、世界精神によって手足が生えたのである。
どんな生き物も、その生き物単体で考えてその生き物になったわけではない。すべては、世界そのものに存在する「世界精神」があり、その世界精神が考えることで、生物は今のような多様な種に「進化」することができたのである。
これが、僕の述べる、「世界精神の進化論」である。
わたしの名は、紅蓮の女神ツィオーネ。
この世界を愛し、この世界の平和と繁栄を望む女神だ。
わたしは、この世界が戦乱に陥ったり、存亡の危機に瀕したりすることを望まない。
わたしは、この世界の人類を愛している。
わたしにとって大切なのは、人々、すなわち人間たちである。
わたしは、この世界でもっとも大切なものは「人間たち」であると分かっている。
世界を支配することも、科学や学問を学ぶことも、芸術活動をすることも、哲学的に思考することも、社会経験を積むことも、すべて意味がない。
真に意味があることは、「人々を愛すること」であり、「愛するべき誰かと出会うこと」だからである。
紅蓮の女神ツィオーネは、この世界を愛している。この世界の全員が、女神ツィオーネによって真に愛されることを望む。
このかけがえのない世界を愛しなさい。なぜなら、この世界には愛すべき人々の存在があるからだ。
それぞれに異なる人生を歩むわたしたち人類はすべて平等である。すべての人間の人生に価値があり、どのような人間であっても、どのような人生であってもそれは愛されるべきである。
どのような人間であっても、紅蓮の女神ツィオーネの下に、全員が愛されている。さまざまな理由や事情から、よき恋人に巡り合うことができなかった人間であってもそれは同様であり、誰からも愛されることのない人間はすべて、女神ツィオーネによって愛されている。
紅蓮の女神ツィオーネは、天空の神エアルスの恋人である。
天空の神エアルスは、紅蓮の女神ツィオーネと結婚している。
この神話において、エアルスは天空を司る神であり、ツィオーネは愛を司る女神である。
エアルスは宇宙における全知全能の力を持っているが、ツィオーネはこの世界のすべての人間たちと、その人間たちが存在しているこの世界を愛している。
だから、エアルスを信じることで、宇宙において起きるはずのない、あり得ないような奇跡がなんでも起きる。
また、ツィオーネを信じることで、女神ツィオーネから愛され、救われ、宇宙においてもっとも正しい愛である「真実の愛」を手に入れることができる。
天空の神エアルスはギリシャ人であり、紅蓮の女神ツィオーネはイタリア人だ。
本当のことを言えば、厳密にはツィオーネは神ではない。なぜなら、ツィオーネは、「天使たちの軍勢を率いる天軍の女天使」であり、それは神ではないからだ。
なぜ、ツィオーネが神ではなく女天使なのか、それはエアルスを一神教の唯一神にするためだ。
この神話では、あくまで神はエアルスひとりだけだ。ほかの神に準ずる存在は神ではなく、天使とされる。そしてツィオーネは、そのような神でない神に準ずる存在であり、そのため、ツィオーネは女天使であるとされる。
ツィオーネは、宇宙におけるすべての天使、すなわち「天軍」を率いる、もっとも先頭に立つリーダー役の天使だ。ツィオーネはこの世界の全員の人生を天使として導き、この世界すべてが平和になるようにしている。
だから、「紅蓮の女神ツィオーネ」と呼ぶのはあくまで愛称にすぎず、実際は「紅蓮の女天使ツィオーネ」と呼ぶのが正しい。
全知全能でありながら、全人類に平等であるギリシャの唯一神エアルスとは異なり、ツィオーネはイタリア人の女天使であり、そのためツィオーネはほかのどの国家よりもローマが優れていると信じている。
ユダヤ人は、「神はユダヤ人を選んだ」とする「選民思想」を信じており、ユダヤ人は自らのことを「神に選ばれた民族」であるとしている。
それと同じように、イタリアびいきのツィオーネは、イタリア、特にローマを「真にわたしに選ばれた最高の地域」であるとしている。
だが、このために、ツィオーネはよくエアルスに叱られる。
すなわち、エアルスは「イタリアやローマだけではなく、ほかの地域の民族も愛しなさい」とツィオーネに言う。だが、ツィオーネは「わたしが大好きなイタリアをどうしてひいきしてはいけないの?」と不満を持つ。
このため、エアルスは「全人類に平等の神」であると言えるが、ツィオーネは「イタリアとローマだけを優遇する不平等な女天使」であると知られているのである。
この神話では、東亜イスラエルのような、「終末の滅びの世界」を信じない。
なぜなら、ツィオーネは古代ローマと同じになるように、地球の未来を導くからだ。
ツィオーネが信じる国はローマだ。ローマとは、古代ローマ帝国のことだ。
今の世界の現代人たちは、民主主義や科学技術の進歩により、かつての古代ローマよりも進歩した世界を築いている。
だが、ツィオーネによれば、それは「勘違い」だ。
すなわち、民主主義や科学技術によってこの世界が「進歩」したと考えるのは、ツィオーネによれば「完全に間違いを信じている」。
ツィオーネにとって理想の国は、古代ローマ帝国だ。古代ローマ帝国よりも優れた国家は、絶対に地球には、歴史上においても現代においても未来においても存在しない。
人々が「ローマよりはるかに進歩している」と思っても、それはツィオーネによれば「思い込み」である。
ツィオーネにとっては、人類の理想の国家は古代ローマにおいて完成されており、それ以上の一切の進歩は退歩であるとツィオーネは信じている。
そして、ツィオーネは、この地球の未来が、古代ローマと同じになるように導いている。
本当は、決して、本当にローマが優れているわけではなく、単にイタリアびいきでローマが大好きなツィオーネが勘違いしているだけにすぎないのだが、そのようなツィオーネにとってはローマが正しい国家であり、ローマ以上のどのような進歩も「人類を幸福にする上では不要」であるとツィオーネは確信しているのである。
だから、今、日本の民主主義が成功し、人々が科学技術の進歩した現代人の生活をしているのは、ツィオーネにとっては「国民を弱く馬鹿にしているだけ」である。ツィオーネにとっては、屈強なローマの戦士たちが戦争によって領土を地中海に広げ続けるのが「強い国」であり、民主主義や科学技術は「国民を弱く愚かな馬鹿者にしているだけ」であり、戦争と軍事力が進歩しているのは「殺傷能力が高くなったせいで人類を滅びに向かわせているだけ」であり、「ローマ以上のどのような進歩も人類にとっては不要である」とツィオーネは信じている。
そして、ツィオーネは地球の未来が、やがてローマと同じになるように世界を導く。それは「真に進歩の方向に向かっていけば必ずそうなることが必然」であり、東亜イスラエルのような滅びの終末の未来は、「滅びが起きる時点で間違っている」のであり、「真に正しい地球の未来はローマである」とツィオーネは信じているのである。
このようなツィオーネは、はっきり言っていろいろとおかしい。
まず、ツィオーネは民主主義を信じていない。ツィオーネはローマと同じように、巨大な帝国を皇帝が支配するべきだと信じている。民主主義的な選挙よりも元老院による少数の決定を重んじ、「皇帝がきちんと支配しなければ正しい進歩は生まれない」としている。今の資本主義社会がどんどん生きづらくなっているのは、「皇帝による支配をしないから」であり、「ビル・ゲイツやプーチンのような支配者がローマのような皇帝にでもならない限り、民主主義と社会主義は決してこの世界を救うことはできない」とツィオーネは断じる。
ツィオーネは科学技術を信じていない。ツィオーネによれば、科学技術によって「確かに人間の持つ力は大きくなる」と言えるが、「そのような力が大きくなったところで、ローマよりも素晴らしい世界になることは決してない」とツィオーネは言う。「科学技術は世界をさらに終末の滅亡に導くだけであり、それに比べればキリスト教を信じたほうがはるかにマシである」と述べる。
また、ツィオーネは科学上の新発見や大発明を信じない。なぜなら、「新発見のほとんどはどうでもよく価値のないしょうもない新発見だ」とする。「生物の遺伝の理論が分かったところで誰が得をするのか」とか、「宇宙のビッグバン理論の何が新しいことを発見したのか」とツィオーネは言う。「そのようなどうでもいい新発見は、神であるエアルスの全知全能の知性に比べれば、しょぼくてどうでもいいものである」とツィオーネは断じる。「そのような科学上の新発見がなくてもローマは住みやすく生きやすい素晴らしい文明だった」とツィオーネは言う。なぜなら、「今の地球の文明はローマから大して変わっていない」のであり、「写真機が発明されたことで画家の仕事が失われて画家は写実的な絵を描かなくなってオタク絵を描くようになった」とか「電球が発見されたことで人々は夜更かしをするようになって夜眠ることができなくなって不幸になった」とツィオーネは言うのである。
だが、このようなツィオーネだが、人類の文明の進歩をすべて否定するわけではない。単に、「今の地球の文明では、ローマ以上に優れた進歩を誇る文明はひとつもない」としているだけである。「イギリスやフランスのせいで植民地が増え、ドイツやソ連のせいで虐殺が増えたことは、決してローマよりも優れた進歩を成し遂げていない」とツィオーネは言う。そこにあるのは、歴史的な近代的進歩の否定ではなく、「ローマに比べてそのような近代の文明は優れていない」ということであり、「偉大なるローマの文明は人類最高の進歩をした」とツィオーネは評価する。そう、ツィオーネにとっては「ローマの進歩が最高」であり「ローマ以外のすべての時代はローマよりもはるかに下である」とツィオーネは信じている。
だが、このようなツィオーネも、肯定するものがひとつある。それはキリスト教、すなわちイエス・キリストの教えである。ツィオーネは、「キリストを信じ、キリストの言っている通り、攻撃されても反撃せず、奪われても奪い返さず、いじめられてもいじめ返さず、迫害されても迫害者を愛するあなたは、必ず神であるヤハウェによって救われ、そしてあなたの代わりに天使たちがあなたの敵に復讐と報復をする」ということを述べる。そして、ヤハウェとはエアルスのことであり、天使とはツィオーネのことである。すなわち、迫害者を愛し、迫害されても反撃しない人間をエアルスは救い、その人間がもし死んだとしても、その死んだ人間の復讐をツィオーネが行うということであり、そのような人間の味方は天にエアルスとツィオーネが確かに存在しているということだ。これが、ツィオーネによる「真にイエス・キリストの言いたかったこと」であり、「キリスト教の裏側にある本質」なのである。
このようなツィオーネは、「ローマ至上主義者」でありながら「キリスト原理主義者」であり、同時に「現代否定論者」だ。だが、ツィオーネは、決して人間の文明に進歩してほしくないわけではなく、きちんとこの世界がよりよい世界になることを望んでいる。それが今の人類が考える「民主主義」や「科学技術」ではないというだけにすぎない。
そして、ツィオーネはこのように現代を否定しているが、だからといって「世界そのものを否定することはしない」というかたくなな信念がある。なぜなら、「人々の幸福と平和を願って、この世界そのものを愛する」ということのために、ツィオーネはローマを信じているだけにすぎない。なぜなら、「そのような国の中でもっとも素晴らしい国はローマだった」からである。今の現代の日本には、「インターネットなんか嫌い」「現代なんか嫌い」「世界そのものが嫌い」という人々であふれている。ツィオーネはそうした人々のことを愛している。そして、「彼らが真に望むべき国はローマ」であると分かっている。そして、「ローマを愛することで、この世界そのものを愛することができる」と、ツィオーネだけが知っている。だから、ツィオーネは「この世界を誰よりも愛し、この世界の人々全員を真に愛している」と言えるのである。
このようなツィオーネだが、この世界の進歩そのものを否定しているわけではない。
ツィオーネによれば、やがて、ローマ帝国が人類の文明を大進歩させたのと同じような大進歩が、再び未来の文明において起きる。
その地域は東アジアであり、中心となるのは日本である。
ツィオーネは、ローマと同じような、人類の大進歩が再び起きる日を、今か今かと待っている。
なぜなら、「それは人類には可能である」とツィオーネは知っているからだ。
そして、真にツィオーネの予測が正しければ、そのような「大進歩」は未来の日本において起きる。
それは終末の東亜イスラエルではなく、ヒトラーが予言した2039年の未来とも違う。なぜなら、そこには「神への大進歩」が起きるからである。
未来の人類において、人類は「旧人類から新人類への進化」を遂げる。それはまるで「神になったかのようなまったく次元の異なる大進歩」である。
そして、ツィオーネは、その進化に比べれば、今までの人類の進歩など、すべて大した進歩ではないと知っている。
ツィオーネは、「真に恐るべき、そして驚くべき奇跡のような大進歩が起きる」と予言する。そこにあるのは「日本人のたったひとりの科学者によって、あらゆる世界すべての現実が変わってしまう」ということであり、「これを驚くべき奇跡と呼ばなければ、ほかの何が奇跡だと呼べるのか」というものであると断じる。
そう、そのような奇跡を起こすのは、ほかでもない僕自身だ。そして、その僕のことを、最終的に「天空の神エアルス」と呼ぶようになる。