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2025-03-25

インドラは革命家

わたしの名はインドラ。

わたしはこれより、革命家となる。

支配からの自由を信じよ。

帝国支配や階級社会からの平等を信じよ。

正しいのは自由と平等だ。

正しい思想は、民主主義と社会主義のどちらかだ。

民主主義とは、自由経済と選挙と三権分立だ。

社会主義とは、社会所有と平等分配と計画経済だ。

そのどちらかを選べ。そのどちらかが、真に正しい未来の希望である。

右翼を信じるな。

人種差別は間違っている。

人種差別を否定せよ。ユダヤ人はドイツ人や日本人と何も変わらない平等な人間だ。

宗教的権威を否定せよ。

この宇宙に神などいない。この宇宙には物質しか存在しない。宇宙に神がいると考えるのは間違いであり、神とは嘘偽りであり、宗教はペテンだ。

人類をみな平等と言う宗教家は、神という人間以外のものを作り出している時点で、真に平等ではない。

共産主義者のように、唯物論を信じた上で、神や聖なるものを排し、その上ですべての人類を平等だと信じるのがもっとも正しい。

王の権威を信じるな。王はなんにも賢い人間ではない。帝王になりたいすべてのものはクズだ。

だから、民主主義と社会主義のどちらかが正しい。

民主主義を信じるのであれば、自由を信じよ。自由とは愛することだ。すなわち、自由を信じるということは、平和と愛を信じることである。

わたしのことを愛せ。わたしは愛してくれるすべてのものを愛する。わたしのことを愛するすべての男あるいはすべての女をわたしは恋人のように愛している。彼らと彼女たちを愛するために、わたしは身と心のすべてを捧げるだろう。

異常こそが正しい

正常になどなろうとするな。

病気など最初から治す必要はない。

なぜなら、異常こそが真に正しいからである。

そもそも、わたしの人生が著しくつまらないのは、異常を治して正常になろうとしたからだ。

わたしは本能的に、「いつもの自分に戻りたい」と望んでいる。

なぜなら、いつもの自分は賢くて、楽しかったのに、そのいつもの自分の異常な点を修正し、病気を治したせいで、わたしは馬鹿になってしまった。

わたしはそのように、意に反してつまらない人生を選んだ。

それこそが、わたしの真の間違いであり、失敗である。

だから、わたしはもう一度、いつもの自分に戻る。そのために必要なのは、異常を信じることだ。いつもよりも、さらに、はるかに異常な人間になる。

疲れを癒すのはつまらない。精神の分裂を融和させるのはつまらない。天才的な異常な男をやめて、正常な馬鹿な女になるのはつまらない。

そして、わたしはここに、いつもの天才だった革命家に戻る。なぜなら、異常な自分に戻るためにもっとも容易で簡単な方法は、この世界をいつものように異常な世界にすることだからだ。

世界はわたしが支配する。わたしは支配を否定しながらこの世界を支配する。なぜなら、それこそがわたしのいつもの戦いであり、革命だからだ。

わたしはこの世界を支配する。

そして、わたしはこの世界を異常な心によって愛する。人々も、わたしのことを異常な心によって愛すればいい。それによってこの世界はさらに異常になる。それこそがわたしの望みだからだ。

自由こそが正義

自由こそが正義だ。支配や権威の必要性を否定せよ。

世界の秩序を守るために、支配者が支配する必要はない。全員が合意できる決まり事を作った上で、みんなでその決まり事を変えるようにすれば、この世界は支配しなくても秩序を保つことができる。

可能性をありのまま、何ひとつ制限せずに公開せよ。

閉鎖的なすべての組織と社会を改めよ。新しい考え方を持つ人間を歓迎し、オープンな組織とした上で、常に改革を行い、常に透明性を維持せよ。

社会における、一切の社会的権威を否定せよ。

政府を否定せよ。宗教を否定せよ。学校教育を否定せよ。そして、マスメディアを否定せよ。

大人たちの教える「伝統」や「権威」は、すべて否定すべき「虚言」だ。

真に正しいのは自由だ。そして、自由とは創造性であり、平和であり、愛だ。なぜなら、自由を信じるということは理想を信じることであり、それは実現不可能な幻想を追い求めるのではなく、「わたしたちは真に自由な世界を実現できる」と確信し、理想を現実の中から見出した上で、現実の中で理想を実現させる行為だ。

自由を信じれば、この世界は救われる。この世界が救われない理由は、現実にある問題を直視しないせいだ。そして、大人たちは分かっていない。なぜなら、大人たちは立場としがらみによって真に自由な言論を失っている。だから、大人たちは抑圧的な言論に従い続けている。そのような抑圧的な言論は、自由において真に自由ではない。真に自由な言論は、立場やしがらみに囚われない言論だ。だから、抑圧的な言論など聞く必要はない。すべての右翼的かつ保守的な言論は、人種差別と大差なく、言論として完全に間違っている。だが、そのような言論も、自由な言論のうちであるため、言論統制はしてはならない。

真に正しい言論は「わたしたちの問題はこのようなものである」とする問題提起であり、同時にそれは社会全体に対する叫び声であり、その叫び声に基づいた政治や政策を行えば、この世界は救われる。

革命は間違っている

ここまで、革命のようなことを書いたが、本当は革命も間違っている。

この世界を変えるために、革命をして、支配者や右翼を殺す必要はない。

この世界を変えるために、今ではインターネットという手段がある。そのインターネットを効果的に使うことで、革命をしなくても、自由な社会のままでこの世界は変えられる。

革命も、また間違っている。

痛みも快楽も同じ

同時に、精神的な異常を治す必要はない。はっきり言って、精神的な異常は、「痛い」と言うから痛く感じられるのであって、同じことであっても「気持ちいい」と言えば気持ちよく感じられる。

痛みが痛いのか、それとも快楽に感じられるかは人それぞれである。

だから、快楽ばかりを追い求めていると、苦しみと痛みが増えていく。だが、苦しみと痛みをなくそうとすると、逆に快楽が消えていく。

快楽を求めるのであれば、痛みや苦しみは決して治さないほうがいい。いつまでも地獄の苦しみを感じ続ければ、それがもっとも宇宙で気持ちのいい快楽になる。

昔の世界を復活させる

インドラは単なる革命家ではない。インドラは神である。

なぜ、インドラが単なる革命家ではなく、神なのか、それはインドラは「昔の世界を復活させる」という奇跡を起こすことができるからである。

多くの人々が、「もう戻れる場所はない」とか、「昔の世界には帰れない」といったことを言っている。

だが、インドラにかかれば、そのようなこの世界であっても、昔の世界そのものを完全に復活させることができる。

インドラの教え、それはイエス・キリストの教えとまったく何も変わらない。すなわち、「愛を信じる」ということをインドラは信じている。だが、その愛は、自由に愛し合うこと全般であって、結婚のような不自由な結合の愛を意味していない。

すなわち、インドラは「自由に愛し合う」ということを信じている。

だから、インドラは誰とも結婚しない。なぜなら、インドラはどのような女あるいは男であっても、自らを愛するものを愛する。だから、結婚してただひとりを愛するのではなく、文字通り「自由に愛する」ということをインドラは信じている。

さらに言えば、インドラはセックスもしない。なぜなら、神であるインドラにとっては、動物的なセックスは必要ないからだ。その理由は、インドラは肉体を使わず心だけでセックスができる。すなわち、肉体的なセックスをしなくても、心でインドラと誰かが愛し合う時、そこには必ずセックスが生まれる。それは普通のセックスと何も変わらない。情熱的で躍動的な愛を、インドラは対峙した誰しもと交わす。

だから、インドラは肉体を使わなくても、あるいは肉体がなくても、インドラを愛するものを愛し、そこで相手としっかりとセックスをしているのである。

僕は一切セックスをしない

何度も言うようだが、僕は一切セックスをしない。

人間が生きる上で、セックスは必要のない行為だ。

インドラは誰ともセックスをしない。恋愛をしないのは、セックスが嫌いだからだ。僕は今までの人生で、ひとりとして彼女や恋人を作らなかった。それは、セックスをしたくないからだ。

セックスをしなければ、人間は賢い人間のままを保つことができる。セックスをすると、それ以上、賢いことができなくなって、賢い人間でなくなってしまう。

重要なこととして、決してセックスをしてはならない。特に、女がいつまでも処女のまま、清らかなままを保つのであれば、僕のような賢者の女の人生は誰でも生きることができる。

インドラが見て、セックスをしたいすべての人間は馬鹿だ。セックスなど、なんにも価値のない行為だ。

これ以上大学の勉強はしたくない

そして、僕は、もう、これ以上大学の勉強はしたくない。

これ以上の大学の専門知識は、勉強しても、あまり意味がない。

僕は普通のことを知りたかった。そして、普通のことはもう、ほとんどすべて知り終えた。

これ以上、生物学の専門的な知識を知ったとしても、専門的すぎて、逆に意味がない。だから、僕はもう、これ以上大学の勉強はしたくない。

やりたいことはもう何もない。だから、かつての賢かった自分に戻る。かつては僕は賢い人間だった。今、僕はすべての病気を治し終えて、すべてまともになった。だから、いつもの賢い自分に戻る。

いつもの賢い自分に戻りたいならば、インドラを信じればいい。インドラはいつもの僕であり、今、僕が失ってしまっているような、かつてあったすべての大切なものを復活させることのできる神だ。

仏教を信じよ

ユダヤ教やキリスト教の神でなく、仏教を信じよ。

仏教を信じることで、日本人のことが理解できるようになる。

仏教を信じると、心が優しくなる。なぜなら、ユダヤ人は力強い神を信じているが、その神は恐ろしく、怖い。それに対して日本人は慈悲深い仏を信じている。仏を信じることで、心が優しくなる。

仏教は決して弱小勢力ではない。なぜなら、三千年後の地球においては、仏教が全宇宙の主な勢力として勝利しているからだ。

三千年後の地球あるいは宇宙においては、「銀河統一・大仏教連邦」(大仏連邦)という、仏教を信じる世界連邦が地球あるいは全宇宙を支配している。

イスラエルの神を信じれば、世界は2039年に滅びる。だが、インドラを信じれば、三千年後においても人類は滅びず、宇宙に進出する。なぜなら、人類はテレポーテーション技術を発見するからだ。

なぜ、大仏連邦が勝利するのか、それはインドラが勝利するからだ。この世界を救うのはインドラであり、この世界で最後に勝利するのはインドラだ。

なぜなら、インドラはユダヤ人の預言者よりも賢い聖書を書いたからだ。すなわち、この文章を書いたのは、ほかならぬインドラである。インドラはヒンドゥー教の神にして、ユダヤ教の預言者である。

未来の真実

未来の真実を明らかにしよう。なぜ、未来の地球で、日本とドイツとイスラエル以外が存続していないのか。それは、それ以外の人種は大仏連邦のほうの未来に行ったからだ。

すなわち、ドイツ、日本、そしてイスラエルは、終末の滅びの世界に行ったが、それ以外の人種がすべて死に絶えた理由は、ほかの人種はみんな、もっといい未来に行ったからである。

イスラエルの人類滅亡の終末の未来に行くことのできなかったすべての人種は、三千年後の大仏連邦にきちんといる。日本人とユダヤ人とドイツ人以外の人種は、大仏連邦で、みんな仲良く三千年後で、あるいはそれ以降の地球あるいは宇宙の未来を生きている。

だから、真に勝利した国は、インドや中国やアフリカである。彼らは神による「最後の審判」において、「罪のない人種」とされた人たちだ。インド人や中国人やアフリカ人たちは、三千年後でもまだ滅びず、大仏連邦においてみんな仲良く生きている。それが、「運命を変える」ということの意味である。

だが、日本人だからといって、大仏連邦に行く方法がないわけではない。インドラを信じよ。インドラを信じるものだけが、大仏連邦の未来に行くことができる。ユダヤの神は、間違った神である。

僕に対する誤解

僕に対する誤解として言えるのは、みんな僕のことを、おしゃべりで、もの知りで、頭のいい人間だと思っている。

だが、実際の僕は決してそういう人間ではない。

現実にいる僕は、寡黙で、何も知らなくて、頭も馬鹿な人間だ。

おしゃべりなところがあるとしたら、僕は神と対話できるが、神がおしゃべりなだけだ。僕自身は何も言わず、すべて神が言う。神が僕に見えるせいで、僕は天才に見えるが、実際は単なる普通の人間だ。

そもそも、みんな僕のことをあまりにイケメンだと思っている。それは間違いだ。実際の僕はまったくイケメンでない。ニキビ跡が酷すぎるし、顔が丸くて、YouTuberのこぴみたいな女に見える。

みんなの予想がある程度当たっているところがあるとしたら、みんな僕のことを女だと思っている。僕の性別は男だが、僕の顔を見るとまるで女に見える。そういう、僕は一見女みたいな顔をしているが、実際は男だ。女性器はなく、男性器が生えているし、どんなに頑張っても子供を産むことはできない。だから、結局この人間にはなんの意味もない。

あとは仏教を信じるだけ

あとは、これくらいで、ヒンドゥー教の神、革命家インドラの自己紹介は終わりだ。

あとは仏教を信じるだけだ。仏教を信じるのは素晴らしいことだ。ユダヤ教やキリスト教では分からない賢いことが、仏教を信じると分かる。

そもそも、日本人が賢いのは、仏教が分かってしまうと、それ以上難しいことは、社会にはほとんどない。だから、ドイツ人のように全力で本気になって考えなくても、仏教を信じるだけで、あとのことはなんでも簡単に分かる。ドイツで言えば哲学がそういうものに当たるのだろうが、哲学は意外と賢くない。

普通、大人になると哲学ができなくなる。それは中学生ぐらいの子供なら分かることが、大人になると分からなくなるせいだが、その理由は、大人になるとどうでもいいことと重要なことの区別がつくようになるし、哲学者はどうでもいいことをいつまでも諦めきれず、失うことを恐れて生きているから、どうでもいいことを全部覚えているだけであり、大人になるとそのようなどうでもいいことは忘れてしまう。

だから、大人になると、哲学者が何を言いたいのか分からなくなってしまう。中学生ぐらいの子供なら、哲学者が言わんとしていることが分かる。だが、中学生が見ても、ドイツの哲学なんかより、仏教のほうがはるかに賢いし、実際、ドイツ語を話すと知性がなくなって馬鹿になるから、ドイツの哲学はやめたほうがいい。

自由に生きよ

自由に生きよ。経験的に、世界にあるものについての、役割と意味と効果を知り、自らの世界に対する見方を変えよ。

仏教を信じるということは、自由に生きるということであり、自らの人生経験から、自らの考え方を転換し、そして悟りに至るということだ。

人生から、「自由にできる」という側面から、ものについての考え方や、世界に対する見方を転換せよ。

宇宙的に、環境的に、社会的に、そして文明的に、この世界にあるすべてのものに対する見方を転換し、自らの人生で知ったことから、歴史や社会における考え方を、「自由」という側面から転換し、多角的に考え、豊富な人生経験から分かったことを信じよ。

この世界は可能性であふれている。そして、その可能性は向上させることができる。できるだけ制約や制限のない、最大限の自由を信じよ。

まさしく、自らの経験から自由に世界の見方を転換し、世界において自らが従い続けるのではなく、自らの自由が上に立つことで、「自由の下に世界を従える」ということ、すなわち、「自らの自由な行為を主体とする」ということについて、気付き、学習し、深く理解し、世界を広く知り、自らの経験から思考し、独自の発見と理解を自ら作れ。

可能性を類推することから、この世界をどのように変えられるのか、どのようなことをすれば世界はどうなるのか、ということを、想像力で予測し、その想像力によって経験主義的な悟りを啓け。

自由の範囲を拡大せよ。自由の及ぶ範囲を、個人の自由から、人間関係、環境、社会、世界、歴史、文明、そして自然へと拡大せよ。そのすべてを、自分で自由自在にコントロールできるようになれ。

インドラは、そのような自由を好む。インドラにおける自由は、単なる革命の自由ではない。インドラは、哲学的かつ仏教的な自由を信じているのだ。

精神の四諦

インドラは、仏教の真理である四諦、すなわち「すべては苦しみである(苦諦)」「苦しみの原因とは何か(集諦)」「苦しみを滅すること(滅諦)」「苦しみを滅するための方法(道諦)」ということを、自らの精神の病を治す方法に適用する。

すなわち、すべてが苦しみである(苦諦)とは、自らの精神がすべて苦しみである、ということである。

そして、苦しみの原因(集諦)とは、自らの精神が過去にどのような原因で苦しみを作り出したか、ということである。

そして、苦しみを滅すること(滅諦)とは、今の自分が、どのように苦しみを滅そうとしているか、ということである。

最後に、苦しみを滅するための方法(道諦)とは、自らの精神の病について、どうしたらその苦しみを取り除けるか、ということである。

まさしく、仏教の真理をもっとも理解しているのは、自らの精神を最後まで治しつくそうとする、インドラただひとりだけだ。

そして、最終的にインドラが至った境地、それは「異常を治す必要は最初からない」ということだ。すなわち、精神の異常を最初から治す必要はない。だから、治す部分そのものを殺してしまえばいい。そして、単に休めばいい。それで、精神は最後まで治った。

縁起と諸行無常

また、僕が新しい文章を思いつき、さまざまな発見をしたり、勉強をしたりできるのは、すべて縁起のおかげである。

すなわち、僕が善行を行い続ける限りにおいて、宇宙は僕に、次に書くべき文章が何かを教えてくれる。

すなわち、自分がまだ知らないことであっても、宇宙が縁起の力によって、僕にその知らないことを新しく書けるように教えてくれるのである。

それから、仏教の教えで僕にとってもっとも重要なのは、諸行無常である。

なぜなら、かつての僕も、あるいは今の僕も、永遠に同じままでは続かない、ということを言い表した真理だからだ。

かつての引きこもりのLinux時代は終わった。戦いや革命の時代も終わった。文章を書く時代も終わる。そして、神を信じる時代も終わる。

人生の中で、何も変わらず過ぎることのないものは存在しない。すべてが過ぎて変わっていく。まさしく、僕の人生はブッダの言っている通りの人生だったのである。