そもそも、僕ができたのは、賢い人間と賢いことが全員全部できた。
まず、勉強して賢い人間ができた。小学生時代は、子供たちみんなと仲がよく、中学生時代は、学校の勉強ができる優等生だった。
それから、孤独であっても自らの自由な道を経験し、思考する人間ができた。不登校以後は、自らの夢であるLinuxとオープンソースを信じてインターネット社会を経験し、孤独から心を開いてすべてのことを自由に考えた。
次に、戦いの中で壁を乗り越え、ひとつひとつの問題を解決して分かる人間ができた。世界に反旗を翻すような戦いの中で劣勢になり、神と対話する奇跡を起こし、神を信じて地獄を乗り越えた。
そして、最後まで文章を書き続け、知識を知り続ける人間ができた。最後まで諦めず、自分の欲求に本能的に従いながら、最後までこの世界の知識を知り続け、文章を書き続けた。
最後に、みんなに助けてもらいながら、才能や才覚を引き出す人間ができた。この世界のみんなのことを愛し、継続の力でひとつひとつのことを少しずつできるようになった。
本当に、賢い人間は、宇宙にはこれくらいしか存在しない。
これらの五人(小学生時代と中学生時代を分ければ六人)の人間をしたせいで、僕はこれ以上、なれるものがない。なぜなら、宇宙にはこの六人しか存在しないからである。
これらの六人に、アユム、スグル、サトル、オサム、ツトム、ノボルという名前を付ける。僕はこの六人が、最初から大好きだった。
そもそも、僕は治ったように見えて、実際は何も治っていない。
なぜなら、死んで精神を固定しただけにすぎず、その前の固定されずに狂っていた状態がまともだったからだ。
すなわち、僕の精神は固定されて死んだだけにすぎない。本当のまともな状態は、その死ぬ前の元あった状態である。
だからといって、元に戻さないほうがいい。元に戻すと精神があまりに辛くなるからだ。
精神は、針金で引っかかったような感じになっている。この針金を取り除いた上で、ただなるように任せる。そのためには、動かさないで固定するよりも動かしたほうがいい。それできちんと治る。
単に、力を抜いて、なるがままに任せること。そして、固定せず、動かすこと。それで精神は治る。
結局、民主主義が正しかった。
社会主義や共産主義は、全部間違っている。
そもそも、社会主義経済は、どんなに頑張っても成り立たない。カール・マルクスの言った通りにしても、決して資本主義経済は社会主義経済には移行できない。
民主主義が正しい。正しいのは、平等ではなく、やはり自由だった。
V.W.Pの幸祜が「TIME」で言うように、この世界の人々は、ひとりで歩むことがあまりに怖くなりすぎている。
僕がこの世界を支配して、みんなが僕から外れることができなくしたことが、その原因である。
だが、僕はこの問題の解決方法が分かった。
それは、僕自身の力で、世界から恐怖がなくなって、仲良く暮らせるようにすればいいのである。
今から、この世界は、ひとりで歩むことへの恐怖がなくなって、みんなで仲良く暮らせるようになる。
ひとりで恐怖を感じながら歩まなくても、みんなでみんなのことを助け、支え合って、その上でそれぞれが自由な道を生きられるようになる。
本当のことを言うと、中学生時代の僕であるヘラクレスに戻るためには、知性を高める必要がある。
そして、ヘラクレスの知性は、学校の勉強ではなく、ゲームによってついたものだ。
すなわち、中学生時代のヘラクレスに戻りたいのであれば、中学時代に僕のやっていた、クリアすることが相当困難な、ネットゲームが知性だと思えばいい。
僕の知性が昔高かったのは、すべてネットゲームのおかげであり、不登校になってからのプロメテウスの時代、知性あることが分かったとはいえ、それ以後の僕はまったくそれ以上知性が高まることはなく、逆にインターネットのスラムを経験することで、どんどん知性は低くなった。
だから、昔の僕をやりたいのであれば、プロメテウスを思い出すよりも、ヘラクレス時代のネットゲームを思い出したほうがいい。
ヘラクレスに戻ると、世界のことを「実現可能性」と「時間」から考えるようになる。なぜなら、難しいのは「そのインフラやシステムを作ること」と「時間が過ぎる中で管理すること」だからだ。それ以外に、考えるべきことはそう多くない。実現可能性と時間だけを考えれば、ヘラクレスだろうがプロメテウスだろうが、簡単にできるようになる。