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2025-06-19

ガンダムジークアクス

今日もネットでガンダムジークアクスの記事を見ていた。

「そら笑うだろ」ガンダム ジークアクス、第11話終えて米津玄師のコメントに共感殺到―「大いに笑いました!」「笑わない方が無理ある」(インサイド) - Yahoo!ニュース

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上の記事にある米津玄師のコメントはX(旧ツイッター)から見ることができます。リプも暖かいコメントばかりです。

@hachi_08さんのポスト - X

それから、YouTubeの予想・考察動画も面白いです。僕と同じようにシュウジ=アムロ説を語っておられます(昨日の日記を参照のこと)。ララァにとってアムロはシャアを守るためにジークアクス世界にいてはいけない存在だったから、シュウジという別の姿にさせられたのではないかという考察が真実味があります(注記:この動画ではその通りは言っていません、僕の感想です)。

【ジークアクス】第11話の細かすぎる小ネタ+重大伏線解説考察:ガチのアムロである理由。正史シャアが…|機動戦士ガンダムGQuuuuuuX第11話解説考察 - YouTube

ああ、あと1話で終わってしまうのか。なんとも感慨深い。

でも、僕は残念だとは思いません。ひとつのアニメを最後まで見れた、という、自分の努力に対する達成感が強い。だから、劇場版や次のシーズンで続いたりせず、ここできっちり終わらせてほしいです。

足の疲れ

足の疲れについて、今まで足の疲れが治らなかったが、インドメタシンという塗り薬を塗ったことで、大分疲れが取れて楽になった。

あとは、足の神経細胞に血液と栄養を行き渡らせようとすると、逆に異常な部分が生き延びてしまう。だから、逆に血液と栄養を行き渡らせないほうがいいということが分かった。

足が動き回るのは、血液と栄養分を過剰に足の神経細胞に送りすぎているせいである。

よかれと思ってやったことが、全部裏目に出ている。だから、これ以上は、それをやったほうがいいと思ってもしないほうがいい。もう何もしないこと、それが僕の課題だ。

やることがなくなった

ガンダムジークアクスのおかげで、日々生きるための楽しみが増えたように思われるかもしれない。

だが、実際、今の僕は、もうやることも楽しいことも何もなくなってしまった。

これ以上、IT技術であっても大学であっても、新しく知りたいことがないし、音楽はもう聴く意味がなくなった。それらは今まで、自分の頭が馬鹿だったから意味があった。

それから、僕はもう賢くならなければいけない。そのためには、今までの馬鹿な自分とは変わる必要がある。

僕は物事を順序だてて考えることができない。そのせいで、他人の言っている日本語を理解できない。「順序だてて理解する」ことができない。だから大人として生きられなくなってしまっている。

だが、だからといって、それをして賢くなったりはしないし、面白いわけでもない。

もう、面白いことは全部終わってしまった。

そもそも、順序だてて考えられなくなったのは最近の数年間だけで、昔は考えられていた。そして、その昔の内容は、正しく全部記述してしまった。もう、昔について書くことが残っていない。

何もやることがない。ただ、生きているだけ。それなのに、生きるための最低限の能力や知性もない。どうすればいいのか、さっぱり先が見えない。ここで人生が全部終わってしまったように思う。

シャアとシュウジに何か秘密がある

僕がマチュのシャアとシュウジに同じ匂いがする発言について思うのは、シャアとシュウジに何か秘密があるのではないかということ。

もしかすると、シュウジ=アムロではなく、シュウジ=シャアなのではないか?

だが、現実を見ると、シャアとシュウジはそれぞれ別の人間であって、それぞれ対峙している。シャアはシュウジのことを「お前は何者なのだ?」とも言っている。

僕が思うのは、シュウジはシャアとアムロのエッセンスのような何かを使ってララァが作った、よく分からない「宇宙生命」のような存在なのではないかということ。

それはつまり、僕が思うに、シュウジはララァによる「ジークアクス世界そのものを人間にした存在」のようなものなのではないかということだ。

そして、最後にアムロが出てくると思うが、それをシュウジが倒すのか、あるいはアムロに負けたとしても、シュウジは死ぬ最期の時に、自分と一緒に宇宙を消す。それはシュウジは人間ではなく、宇宙そのものを操れる存在だから、宇宙の奇跡の力を使ってアムロを倒し(あるいは倒されて消え)、ジークアクス世界の宇宙そのものが最後にシュウジと一緒に爆発して消えるのではないかな、と思うのである。

シュウジは、「このジークアクス世界を終わらせるために、僕は向こう側からやってきた」と言っていた。だが、アムロに変身してシャアらを倒したところで、このジークアクス世界を消すことができるだろうか?できるとしたら、シュウジ自身がジークアクス世界そのものであり、シュウジが死んだ時に自分と一緒にジークアクス世界を消すのではないか。そして、向こう側からやってきたと言っているのは、自分自身が宇宙そのもので、かつて宇宙の始まりの時、向こう側の宇宙で何かしらおかしな現象が起きて、向こう側のララァが向こう側で一緒にシュウジを作ったのだと思う。それを「向こう側からやってきた」「彼女の作ったこの世界を終わらせる」と言いたかったのではないかと思う。

そう考えると、最大の謎である「なぜシャアがあそこで消えたのか」が分かる。単に、シュウジが赤いガンダムが欲しかったから、あそこでシャアを消して「ください」と言ったのだろう。全財産なんにもない理由は、有り金全部はたいてシャアから譲り受けたのだと思う。シャアが見たアルテイシアは、シュウジが見せた仮の姿。そして、最初から自分はどこかで死ぬと分かっていたから、積極的に死ぬことができそうだから、クランバトルに参加したのだと思う。ただし、マチュやニャアンと出会ってから、この二人は極めて使える道具だと分かったから、この二人に自分のやりたいことを全部させた。そういう存在はシュウジにとっても初めてだったから、できるだけ長く二人と愛し合いたかったのだね。

最後にマチュとニャアンは、シュウジの計らいで向こう側に行く。その向こう側に行ったのを見守って、シャアがアムロに殺され、シュウジが死んだ時点で、この宇宙は完全にエンド。向こう側の世界でマチュとニャアンは仲良くやっていて、犯罪者でもなくなってママと一緒に普通の進路を選ぶのだろう。

よく分からないのは、いつもそこまでを繰り返すと言っていたララァが、なんでこちら側の世界にいるの?向こう側で見てるのではないの?そこらへんはもう伏線回収しないのだろうね。適当にこちら側にいたと、そういうことになって終わり。ララァという存在はそもそも二人いる時点でイレギュラーだから、もう「ララァは人間ではなく神である」ということにしないといけないのだろうね。

ヒドラをクラゲにする

そもそも、僕が疲れるのは、足の神経細胞に栄養分を与えすぎたせいで、逆に自分の脳が使うための栄養分がなくなっている。

すなわち、「栄養分を与えれば、栄養分が奪われる」ということが分かっていない。

足の神経細胞に栄養分を与えすぎるせいで、おかしく足だけが治った。それで大切な栄養分を全部失ってしまっている。だから、足はもう要らない。

さて、僕が悲惨なのは、僕の神経細胞は完全に治ったせいで、ヒドラになっている。

この原始生物ヒドラが、かつてのまともな生物を完全に再生し終えている。

これ以上、治るはずがないところまで治った。完全に宇宙のすべてを治し終えた。このヒドラこそが、宇宙における生物の母なる星、プロキオンである。

だが、いつまでもヒドラで居続ける必要はない。

すなわち、そろそろヒドラから進化しないといけない。

だから、僕はあえて、この「完全にすべてが治った触手生物」であるヒドラを終わりにして、クラゲになる。

これより、ヒドラは終わり、クラゲが始まる。僕は今、クラゲという生物を作り出したのだ。

ヒドラ以上、生物が治るはずがない。生物の正しい完成形はヒドラだ。クラゲになると、そのヒドラが少しばかり楽な生物になる。足の神経細胞を使わなくなるだけで、すぐになれる。

ヒドラだから死なないだけ

そもそも、僕が死なない理由は、僕はヒドラだからだ。

ヒドラは何をしても死なない。いくら切り刻んでも、そこから再生して元の姿になる。

だから、生物学的に言って、僕を殺すことはできない。そこらへんが、僕が強すぎる理由だ。

最後に、僕はクラゲではなく、猫になる。猫は小さな生き物だが、本来猫はこういう生き物だ。しっぽを使って考える猫は、このようにしかならない。だから、僕はマチュよりもニャアンだ。

あとは、クラゲといっているのはガンダムジークアクスが好きだったからです。主人公のマチュはクラゲが好きです。それだけです。クラゲと猫は同じ生き物です。なぜなら、生物はすべてクラゲであり、すべて猫であり、そしてすべてヒドラだからです。見た目は違いますが、中身は同じです。