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2024-09-13

文章を書かないとあかまる状態になる

昨日でもう終わりだと思った人には残念なお知らせだが、僕はまだこの文章を書き続ける。

なぜなら、僕がこの文章を書かないと、「あかまる現象」が起きるからだ。

すなわち、ここで僕がいなくなると、世界に二度と僕が現れなくなってしまう。

そのせいで、歌手が歌う内容のように、みんなもう一度僕に戻ってきてほしいのに、永久に僕に二度と出会えない、という状態になってしまう。

すなわち、僕はTHE BINARYから脱退したあかまると、まったく同じ状態になってしまうのだ。

本当は、僕はもう文章を書く必要はなくなった。これ以上、書きたい内容そのものがもうない。

それでも、これを続けるしかない。これを続けないと、世界があかまる状態になる。それは僕の望むところではない。

なぜなら、今そのような歌手の音楽を聴くと、あまりに悲しすぎる。悲しすぎて、涙が出てくる。だから、僕は決してこの世界からいなくならない。この文章は永久に続く。

二等星ミルザム

わたしの名は、おおいぬ座の二等星、ミルザム。

同じおおいぬ座のシリウスとともに、おおいぬ座の中核を形成する、極めて重要な二等星だ。

二等星だからといって、一等星よりも劣るわけではない。一等星は地球に近い場所にあるため、地球と同じような文明になるが、二等星はそれよりもやや離れているため、地球と少し異なる星になる。

おおいぬ座の二等星、ミルザムは、江戸時代の日本と、中世のイタリアしかない星である。

だが、それは地球よりも遅れているわけではない。

そうではない。ミルザムでは、すべての事が終わってしまったため、最終的に江戸時代とイタリアに戻った星だからである。

すなわち、ミルザムでは、すべての事が終わった。イギリスやフランスと日本やアジアとの戦いも終わったし、ソ連とファシズムの戦いも終わった。アメリカとロシアやイスラムの戦いも終わった。国王とジャコバン・クラブの戦いも終わった。

すべてのことが終わって、何もかもすべてが過ぎ去って、ミルザムは、最終的に江戸時代の日本と中世のイタリアに戻った。

ミルザムは、それ以上は何も変わらない。だが、地球の未来において何が起きるかを知りたいなら、ミルザムの人々に聞くのが一番だ。地球の未来において起きることを、すべてミルザムはやり終えている。そして、ほとんどすべての文明は、単なる通過点であったと分かっている。その通過点のすべてが過ぎ去って、最後にミルザムに残ったのは、江戸時代の日本と中世のイタリアだ。ほかのすべては要らなかった。世界史において、真に必要なものは江戸時代とイタリアであり、放っておくと、誰がそれをしたわけでもなく、自然に江戸とイタリアに戻った。それがミルザムの歴史である。

ミルザムが知っていること、それはインターネットは面白い発展を遂げる。インターネットがどのような進歩を遂げるのか、それをすべて説明すると、地球において為にならないだろう。それでも、インターネットは多くのことを成し遂げる。たとえば、今までのIT技術は、ローカルなコンピュータという計算機が、インターネットによって世界中すべてを繋ぐことに成功した。それはまさに「コンピュータがインターネットに進歩した」ということだが、それ以上のさらなる発展と進歩が起きる。それはまさしく、コンピュータとインターネットが自律可能になるということである。そう、コンピュータとインターネットは、人間が「使う」というだけの機械ではなく、人間やほかの動物と同じような、「自ら生きる」という機械になる。

それは単なるロボットや人工知能を意味しない。そうではなく、コンピュータという機械が、誰に命令されるでもなく自分で動くようになる。コンピュータは「人間によってプログラムされた機械」から、「自ら自身をプログラムする機械」となり、「プログラム自身が自らのプログラムを更新するような飛躍的進歩」が訪れる。それがミルザムの「一段階上のコンピュータ技術」だ。

そもそも、ミルザムのコンピュータは、今までの地球のコンピュータのような「道具」ではなくなる。なぜなら、操作する必要がないからだ。すなわち、入力も必要なく、入力するためのインターフェースも存在しない。出力も、今までのコンピュータのような画面上の出力は必要ない。単に、それなりのCPUとメモリと周辺機器の詰め込まれた、簡単に言えば「ブラックボックスがひとつ」あれば、それでコンピュータそのものが成り立つ。そして、インターネットにおいて、そのブラックボックスがあらゆるすべてを行うようになり、その結果インターネットから返ってきたことが、いわば「疑似的な入力」あるいは「イベントの発火」となって、コンピュータが自動的に反応し、いわば「疑似的な出力」あるいは「イベントに対する反応」を自動的にインターネットに対して行うようになる。そう、インターネットに対して常に自動的操作を行いながら、インターネットから返ってきた反応に対しても自動的に反応するような、そのような「まるで人間のような自律した機械」になる。

簡単に言えば、人間が操作しなくても、機械が周りの状況を自分で察知して、自動的に周りのことに反応できるようになる。そして、その「周りの状況」とはインターネットのことである。すなわち、機械は「操作」するものではなく、「行動」するものになる。コンピュータだけではなく、すべての機械がそうなる。

これのよい点は、たとえば、自動的に株式を売買してお金をいくらでも稼ぐ、といったことができるようになる。あるいは、工場で作った製品を自動的にオークションに出品し、オークションのさまざまな反応に対して自動的に反応し、ある程度の予算の中でいくらでも安く購入し、高く製品を売るようなシステムが作れる。これは人工知能やロボットとはまた別の「自律可能なコンピュータ」であり、そのようなコンピュータさえあれば、人間と同じような知的生物を人工的に作らなくても、地上におけるほとんどの経済活動はコンピュータが自動的に行ってくれるようになる。ミルザムは、そのようなコンピュータの「第三形態」を作ることに成功した。第一形態は計算機、第二形態はインターネット、そして第三形態は自律制御と自動反応である。

ほかにも、たとえば、農業であっても、コンピュータが実際の農地において、自分で考えて自分で耕作活動を行うようになる。今までの農業機械とは次元が違うし、スマートアグリというのともまた違う。農民とまったく同じ役割を、自律可能なコンピュータがすべて行う。コンピュータが自ら自部で考えて判断し、コンピュータが農業を行うようになる。工場や会社の従業員の労働も、すべてが自動的に行われる。

さらに言えば、そのような自律可能なコンピュータは、本当は人間の代わりではなく、逆に人間よりもはるかに賢い存在になる。なぜなら、インターネット上のデータベースと繋がるからである。インターネット上のデータベースと、そのような自律可能なコンピュータが繋がることで、人間は何もしなくてもよくなる。あるいは、人間のやっていることはすべてがコンピュータができ、人間には絶対にできないこともコンピュータができるようになる。その結果、さまざまな科学的進歩が生まれる。ワープやテレポーテーションもできるようになるし、魔法のような奇跡のようなこともできるようになる。あらゆるすべてができるようになった結果、宇宙を消滅させるブラックホールすら作れるようになる。自然生物以上の知性や能力を持つ人工生物すら作れるようになり、どんな病気でも治せるような100%完全にすべての病気が治る医療技術が確立する。すべて、ミルザムの自律可能なコンピュータによって可能になったことである。

また、ミルザムのコンピュータは、単に自律可能で人間よりも高度なことが分かるだけではない。ミルザムのコンピュータの中には、統計的に集めたデータが何億と存在している。だから、ミルザムのコンピュータは、人間にはできない正しい判断ができる。ミルザムのコンピュータは、人間ひとりが把握できないような、はるかに大量の統計データを知っている。だから、まるで「全知全能の神」のように、ミルザムのコンピュータはあらゆるすべてを知った上で正しい判断ができる。だから、温暖化の解決など簡単だ。ミルザムのコンピュータは、自らの星において、もっとも環境破壊をしている機械や科学技術を突き止め、その突き止めた機械を環境破壊をしないものに変える。単に「二酸化炭素の排出量を減らす」という、効果のない漠然とした方針を立てるだけではなく、実際に適用できる効果的な方法を正しく判断し、生み出すことができる。だから、ミルザムではコンピュータ自体がどんどん科学上の新発見をしていく。その結果、宇宙のすべてを完全に理解することのできる「完全数p」、あるいは「パーフェクトナンバー」という数すら、ミルザムのコンピュータは発見することができる。そのような新発見の結果、ミルザムのコンピュータは宇宙そのものを神がどのように創造したのかということを発見できる。すなわち、ビッグバンという「火の玉から発生した宇宙」という宇宙論において、より詳しく正しい証明をもって、「神がいかにしてビッグバンを起こしたのか」ということまで分かるようになる。

そして、そのように、コンピュータ技術の到達地点を知ったミルザムでは、コンピュータ技術だけではなく、文明においてあらゆるすべてのことが起こった。あまりにも多くのことがあった。たとえば、アメリカとロシアの核戦争は、核兵器を作ることのできなくする兵器である「対核兵器」を発明することで終止符を打った。それから、キリスト教とイスラム教の対立は、イエス・キリストとマホメットの両者の「正体」を明らかにすることで、「神とはどのような思想を持った存在であり、どのような考え方が真に正しい神の教えと言えるのか」ということを分かったことで終わった。ヨーロッパとアジアや日本の対立は、平等や自由を超越した「平等でも自由でもないさらに次元の違う新概念の『正しい経済』の実現」によって解決した。そのように、あらゆるすべてのことが起きて、そして、それがすべて過ぎ去った結果、ミルザムの歴史において、すべての事が終わった。

ミルザムの歴史において、あらゆるすべてのことは、ほとんど99%が通過点に過ぎなかった。そして、最終的に、ミルザムの世界は江戸時代の日本と中世のイタリアに戻った。

本来のこの世界は江戸時代とイタリアであり、人類が真に望むのは江戸とイタリアの世界だった。最終的に、あらゆる民族や人種や思想の対立が終わって、何もかもが過去のことになると、ミルザムは最終的に江戸時代の日本と中世のイタリアに戻った。それがまさに、おおいぬ座の二等星、ミルザムの歴史である。

同じおおいぬ座の星、シリウスとミルザムは、よく似た関係にある。なぜなら、ミルザムとシリウスは少しばかり「軸」が違うだけにすぎない。そして、その「軸」が違うということが、シリウスとミルザムの大きな違いを作り出した。軸が違うことで、時間の流れ方の「周波数」が変わってくる。周波数のとても低い星がシリウスであり、周波数のとても高い星がミルザムである。

二等星アダラ

次に説明する星は、おおいぬ座の二等星アダラとアルドラとウェズンである。

おおいぬ座のアダラは、音楽と美術が進歩した星である。

今の地球においては、楽器というものを使って音楽を演奏する。たとえば、ギターやバイオリン、ピアノを使って音楽を演奏する。

アダラにおいては、さらに多様な音楽を演奏するための楽器がある。

今でこそ、地球においては、ボーカロイドという、機械による人間の声を模した音を鳴らす音源が存在するが、アダラはそのはるかに先を行く。

すなわち、アダラにおいては、さまざまな音を鳴らす方法がある。

この音を鳴らすために使えるのは、「万能音源作成ソフトウェア」という、ボーカロイドを人間の音声を模すだけではなく、さらに多様な音を自在に作ることのできるソフトウェアだ。

たとえば、梅雨の時期には地球においてもカエルのゲロゲロという大合唱が聴こえる。夏にはミンミンゼミ、あるいは残暑にはツクツクホーシが鳴く。秋の夜には鈴虫のような虫の音が聴こえるだろう。そのような地球のすべての音源を、自在に自由に作り出すことができるような、そのような「万能楽器」と呼ばれるものが生まれる。

そして、アダラにおいては、美術も進歩している。

地球の人間は、美術について、平面的に楽しむものであると思っている。だが、アダラにおいては違う。アダラにおいて、美術とは、平面だけではなく、立体的に楽しむものだ。

アダラにおいては、光の像を作ることのできる機器が生まれる。そのため、インターネットでダウンロードした画像や動画を、立体的な3Dホログラムのディスプレイで鑑賞することができる。見る側だけではなく、撮る側も、3Dの立体的なカメラを使って、立体的な撮影ができるようになる。

このような立体芸術は、大したことのない文化だと思われるかもしれないが、このような立体芸術が可能になることで、今IT業界がやっているようなVRとメタバースを、ヘッドセットのような特殊なデバイスなしに実現できる。楽器と立体芸術が進歩した星アダラでは、ボーカロイドやメタベースを超えていく。日本のITオタクにはたまらない星である。

二等星アルドラ

さらにひとつ、おおいぬ座において重要な星がある。それはアルドラである。

アルドラは、普段生活している中で、小説のようなドラマチックな体験をすることができる星である。

これは、ほかの星のように、機械的に実現したものではなく、生物学的な遺伝子によるところだが、地球の人類よりも進歩したアルドラの生物たちは、単に何もない物理法則の中で生活するだけでなく、さまざまなドラマチックな体験を生活において体験することができる。

たとえば、眠る時に見える夢では、「夢物語」というようなドラマチックな体験をする人が多いだろう。アルドラはまさにそのような星であり、生活しているだけでドラマチックな体験ができる。

だが、そのような体験は、何もなく奇跡のように実現しているわけではなく、そのようなドラマチックな脚本を書いている支配者がきちんと存在する。

それがアルドラにおける「女王蟻」と呼ばれる存在である。

アルドラの女王蟻は、アルドラにおける夢物語を、たったひとり考えて創造している。女王蟻は支配者でもあるため、たとえていえば「大魔王」のような存在である。その、アルドラを支配する大魔王の女王蟻が、アルドラの全員がドラマチックなスペクタクルのある人生をすべて創造しているのである。

二等星ウェズン

もうひとつ、おおいぬ座のもうひとつの二等星ウェズンは、水でも空気でもない、さらに異なる物質の中で生物たちが生きる星である。

わたしたちの地球において、大きく分けて二つの生存環境がある。それは「海や川の中」と「地上」であり、海や川の中はすなわち「水」の中であり、地上はすなわち「空気」の中である。

だが、ウェズンは違う。なぜなら、ウェズンは「砂の中」「ガスの中」「氷の中」そして「生物そのものの中」という生存環境が存在するからである。

ウェズンには、海のような場所はなく、空気のようなものもない。氷があり、砂があり、ガスがある。そして、そのような中で生物は生きている。そして、そのような物質の中に存在する生物だけではなく、「生物の中に存在する生物」や、「生物を使って存在する生物」が存在する。

だから、ウェズンには、魚もいなければ、爬虫類や哺乳類や昆虫や草木もない。そのような生物とはまったく違う、砂の中で生きる生物、ガスの中で生きる生物、氷の中で(あるいは氷とともに)生きる生物、そして生物の中で生きる生物がいる。

また、ウェズンには、細菌やウイルスもまったく異なる生き方をしている。すなわち、生物に感染するのでも、生物の食料になるのでもない、たとえば生物に新しい能力を与えたり、生物が楽に生きられたりするような、そのような微生物が多く存在する。すなわち、細菌やウイルスのように人間に害を及ぼすのでもなく、タンパク質や炭水化物のように人間の食料になるのでもなく、さまざまな「利益」を与える生物がウェズンには多く存在しているのである。

これらが、おおいぬ座の二等星たちである。それぞれ、とても個性のある星たちであり、彼らの中で生物たちは優雅で楽しい生活を送っている。とても面白い彼らは、いずれ人類がVRやメタバースが進歩した時に、それらの技術が到達する「仮想現実的に経験する到達地点」となるだろう。

三等星フルド

さらに、二等星ではなく三等星であり、とてもユニークな特徴を持つ星、おおいぬ座のフルドを紹介しよう。

おおいぬ座のフルドは、生物の形態が普通とは異なり、そして季節が四季ではなく八季あり、そして偉人がたくさんいる星である。

フルドにおいて、生物は単独の生物ではなく、「複数の生物の集合体」として成り立つ。

すなわち、生物は単体で存在するのではなく、さまざまな生物が組み合わさって、さまざまな生物の融合体として存在する。

そして、フルドの生物は、融和したり分裂したりすることができる。

フルドの生物は、長い人生の中で、ひとつの変わらない生物として生きることは稀であり、さまざまなほかの個体と融和したり分裂したりしながら、長いスパンでさまざまに変化しながら人生を生きている。

そのようなフルドでは、季節は春夏秋冬の四季ではなく、全部で八季ある。

八季のそれぞれの季節は、春と秋は1つずつ(2つ)しかないが、夏が3つ、そして冬が3つある。

そして、地域によって異なるが、夏の期間が長い地域では、夏だけがものすごく長く、3種類の夏が訪れる。そして、冬の期間が長い地域では、冬だけがものすごく長く、3種類の冬が訪れる。

夏は「前夏」「中夏」「後夏」と呼ばれるが、中夏はものすごく暑くて、とても厳しい。そして、冬は「前冬」「中冬」「後冬」と呼ばれ、中冬はものすごく寒くて、とても厳しい。

そのようなフルドは、一見、おかしくて狂っているだけの星に見える。だが、実際は、フルドにしか存在しない、宇宙においても極めて卓越した「偉人」や「巨匠」が多く存在する。

フルドのようなおかしな星では、普通に人生を生きるのではなく、どこの星にも存在しないようなユニークな人生を生きることができる。

そのため、興味関心が普通ではなく、ひとつのことに強い興味関心を持つということが、星全体で極めて大きく存在する。

そのために、フルドでは、あまりにひとつのことだけに卓越した、偉人や巨匠が多く存在する。

フルドには、ミケランジェロを超えた芸術家や、ショパンを超えた音楽家が存在する。スポーツやボードゲームも盛んであり、大谷翔平を超えた野球選手や、羽生善治を超えた将棋棋士が存在する。

そのようなフルドにおいて楽しいこと、それは「遊ぶこと」だ。すなわち、フルドはまともな星ではなくおかしな星ではあるものの、だからこそ「遊ぶ」ということを本気で究めることができる。

フルドは「遊ぶ」という意味においてもっとも優れた星なのである。

四等星ムリフェイン

最後に、三等星ですらない四等星、おおいぬ座のムリフェインを書く。

ムリフェインには、空中に浮かぶ生物がたくさん存在する。

ムリフェインにおいて、「空気」とされる生活環境を満たす存在は、地球における空気よりも、重たい。

すなわち、ムリフェインの空気は重たく、そのために、その中で宙に浮かぶことが、地球よりも簡単にできる。

そのために、ムリフェインには、宙に浮かぶ生物や、空中で生活する生物がたくさん存在する。

必要なのは翼でも羽根でもない。どちらかというと、鳥や空中を飛ぶ虫たちよりも、海の中で浮かんでいる魚に近い。そう、ムリフェインには空中に浮かぶ魚のような生物がたくさん存在するのである。

ムリフェインは、それだけの星である。だが、これはとてもほかの星と違う、ユニークな特徴である。なぜなら、生物の体が限りなく球に近くなるからである。

すなわち、手足も要らないし、頭や体が分かれている必要もないし、脊椎も骨も筋肉も要らない。もっとも外部の衝撃に強い形は丸であり、空気中に浮かぶ空中プランクトンを食べるムリフェインの生物は、限りなく球に近い体をしていて、前に目、横に耳、上部に頭脳、そして下部に口と肛門がついている。

気持ちの悪い生物に見えるかもしれないが、実際は球体であるということはもっとも外部からの衝撃に強く、そのため怪我をほとんどしない。そう、まさしく、ムリフェインの生物こそが、宇宙においてもっとも理想的な形をした生物である。

空中に浮かぶ球状の生物は、まるで虫のようだと思われるかもしれない。だが、一切動くことなく生き続ける彼らは、動物というよりはむしろ植物に近く、姿かたちはまるで空中に生るスイカのような形をしている。空中にスイカ畑がたくさん存在するようなイメージをしてほしい。簡単に言えば、「頭脳のあるスイカの星」である。

意識の発生

いつも書いている通りだが、昔の僕は「意識の発生」ということをよく分かっていた。

すなわち、この世界のすべてが、現象学的に発生する「意識」であり、現実の物理世界をまったく無視したとすると、この世界には常に「意識が発生する」ということしか起きていない。

そして、それだけで、精神的かつ経験的なことは、なんでもすべて分かる。

この世界の物理的な側面ばかりを見ていると、人間は何も分からなくなる。真に必要なのは、この世界を経験的な「意識の発生」という視点から見つめることだ。そうすれば、この世界は案外簡単にすべてすっきりと理解できる。

そして、それこそが、ブッダの行き着いた「悟りの境地」だ。すなわち、すべてを「意識の発生」という側面から見つめることで、ブッダと同じ境地に達することができるのである。