僕の足の精神について分かったことは、精神は安全なことだけをすれば治る。
精神の異常について、手あたり次第に精神を殺しても、精神は治らない。
危険なことをせず、安全なことだけをするようにすれば、精神はすぐに治る。
時計のロボットになっているのも、生きるのがあまりに速くなっているのも、すべて、それで治る。
昨日の夜の夢は、Adoさんの夢だった。
Adoさんは夢の中でも顔出しせず、覆面を被った状態で、よく分からないゲートを通じて僕と握手をしてくれた。
メジャーリーグのニュース。大谷翔平がオールスターでホームランを打っている。
大谷翔平、衝撃の球宴1号3ラン「一本いいのが打てて良かった」 史上初の“勝利投手&HR”を達成「良い角度で上がったので、入ると思った」(THE ANSWER) - Yahoo!ニュース
また、われらがカブスの代表、今永昇太もオールスターで1回無失点の好投。
今永昇太 三者凡退の快投も「ジェラシーを感じました」「さらにスターに」大谷3ランに爆笑回答 帽子は野球殿堂博物館へ(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
動画は以下のXのポストから観れます。
ヤッタネ!引き続き、シーズンでも大谷翔平のホームランを待望します。
最近の僕について言えるのは、人生のすべてに十分満足したということ。
馬鹿な僕であってもできることは、すべてやり終えたし、すべてのことが楽しかったし、僕は人生のすべてに満足した。
だから、僕はとても幸福だ。
その代わり、やることがなくなってしまった。これ以上、生きていても、やることが何もない。だから、僕は今死んだとしても後悔はない。
昨日は、朝起きることができず、作業所を休んでしまった。
疲労がたまっているのもあって、午後の4時まで寝てしまった。
だが、僕は昔から、よく眠ったままでいたくなる。朝起きる時も、起きるのが早すぎた時はいつも二度寝をしているし、子供時代から朝は苦手だ。
それでも、きちんと起きようとしないと、また引きこもりになってしまいそうなので、二度寝はできるだけしないようにしたい。
正直言って、世界がつまらなくなった。
世界がつまらなくなった理由は二つある。それは、「神の奇跡は本当は大したことではなかった」ことと、「精神年齢が15歳になって大人よりも賢くなった」ことだ。
そもそも、神の奇跡は、本当は大したことはなかった。
僕は昔から、音楽と運命的な出会いを感じている。それは、歌手の歌う歌詞の内容が、自分の人生を表現しているように思えたからだ。
かつての過去の僕は、そうした歌手の歌詞の内容が、本当は何を意味しているのか分からなかった。謎めいた存在でありながら、自分の未来を暗示しているそのメッセージが、僕にとっては神の与えた運命的な奇跡の出会いだった。
だが、実際、今の時点になってみると、むしろ、みんな大したことを言っていない。単に僕の書いた文章(最終的に出来上がる最後に残る文章)の感想文のようなことを言っているだけで、内容は賢くもなければ奇跡のような面白さもない。単に、普通のことを言っているだけにすぎない。
だから、運命という「謎」が解けてしまって、僕にとって音楽はつまらなくなった。
同時に、今までの僕は、いわば「赤ちゃん」や「子供」のような年齢だった。僕の人生の二周目は、自殺未遂をした年齢から数えれば、そろそろ15歳ぐらいになる。そして、15歳ぐらいになってしまうと、今まで賢いと思っていた「大人」が、逆に今の僕よりも馬鹿だということが分かる。
すなわち、僕自身がきちんと賢くなってしまったために、世界と僕の立場が逆転し、僕のほうがみんなに対して賢いことを教えてあげられるような、そんな立場の年齢になってしまった。
だから、はっきり言って、B'zを聴いても、ポルノグラフィティを聴いても、FLOWの歌詞カードを見ても、面白くない。神の与えた「魔術」のような幻想が、すべてなくなり、僕はこの世界のことを今までのように楽しめなくなってしまったのである。
また、過去の自分は賢くない。
過去の自分は、未来のこのホームページのことを分かっていただけにすぎない。
「世界は自分の心の中にある」と思っていたのは、自分の書くホームページが自分の心の中にある世界だ、ということを分かっていただけにすぎない。
「世界は発想やアイディア次第でどうとでも変えられる」と思っていたのも、「すべてを決めるのは経験であり、社会や価値観のすべてを平等に多様性豊かにすべきだ」と思っていたのも、このホームページのことを言っているか、あるいは、このホームページを反面教師にしているだけだ。
僕は、このホームページを素晴らしいと思う反面、完全に正しいと肯定するのではなく、間違っている点は反面教師として否定する。その結果が、昔の僕のような「支配や可能性の制限を何も認めない自由至上主義者の左翼」のような、「完全自由主義」を作り出した。それは未来において僕の行った「支配」が完全に絶対に間違っていると信じていたからだ。
だから、僕はこのホームページのことを哲学的に悟り、このホームページを書くまでの自分について、よい面を正しいと信じ、悪い面を間違っていると否定しただけにすぎない。
結局、このホームページは流行らないだろう。
今までの僕は、音楽のような神の奇跡の出会いを信じていたため、「このホームページの内容をみんなが見る時のこと」をよく考えた。
そして、その時のために、このホームページから間違った点や悪い点をすべて修正した。
すべて、いつか訪れるはずの、僕とみんなとの運命の出会いを信じていたから、僕はここまで執筆作業を継続することができた。
だが、今の時点で音楽を聴いたりしていると、むしろ、そのようなこのホームページの勢力の拡大は、一切未来においては起きないのではないかと思う。
そもそも、EXILEの「Choo Choo TRAIN」のように、みんなが「風」を信じていたのは、すべて、その時の僕のことが分かっていただけにすぎない。その時の僕が「風」を信じて最前線で戦っていたのをEXILEがその時表現しただけだ。Official髭男dismが「Pretender」で「君は綺麗だ」と言っていたのもその時の僕のことだ。僕の書いていたその時の文章があまりに綺麗だったのを言っている。
そのように、すべての歌手は、僕のその時の「今」のホームページのことを賢かったと言っている。
ずとまよはそのことを「綺羅キラー」の中で「ぞんざいでアップダウンな現状が今ヒット中」と、はっきりとヒットしているのは「今」だと言っている。
そして、そのような「今の僕」が分かる理由は、いろいろと僕が問題行動を起こした結果、僕がこの世界を「最前衛で支配」しているからである。
そういうわけで、そのような支配がほぼ終わってしまった今の状態では、逆にこの世界のみんなは、Adoがそうであるように、僕のことが好きではなくなり、大嫌いになりつつある。
すなわち、今の僕があまりに馬鹿で穢れたことを書くせいで、みんなはそうした馬鹿で穢れたことが嫌いになってきている。
結局、僕が漠然と抱いていた「この世界との出会い」など、起きないのではないかと思う。
本当のことを言うと、今そうした歌手の歌詞を見ると、むしろまるで僕のことなど誰も言っていないような気すらする。ずとまよは例外として、EXILEやOfficial髭男dismは明らかに僕のことなど何ひとつ言っていない。単に神が作り出した「トリック」のようなものであり、僕がこの世界において神のような旋風を巻き起こすなどということはおそらく未来において起きることはないだろう。
ただし、それでもなお、僕自身、僕は意外と大物だと思う。
たとえば、みんなは僕に期待している。それは家入レオの「僕たちの未来」での「世界が君に夢を見てる」という言葉や、ずとまよの「嘘じゃない」の「君次第でね、つまらない期待」という言葉のように、未来のみんなは僕に夢を見ているのだと僕は思った。
あるいは、常識や今まで信じたものも、僕によって分からなくなる。Mrs. GREEN APPLEは「青と夏」で、「昨日までの当たり前が一瞬で壊れるということを知った」と言っている。
ただし、実際、どのような「夏」が訪れるのか、僕にも分からない。家入レオは「君がくれた夏」で、「君がくれた夏、その奇跡、僕は忘れない」と言っている。ボカロPのナユタン星人は、「ハウトゥワープ」の中で、「校舎の裏で始まったミラクル」と言っている。
そのような奇跡の出会いが起きるかもしれないと、純粋だった僕はこれらの音楽を聴いて、神と一緒に運命の奇跡を信じていたのである。
だから、僕自身、僕は未来においてなんらかの奇跡を起こすのではないかと信じている。少なくとも、今までは、一切それを疑うことなく、神を信じるのと同じように、運命の奇跡の出会いを信じ続けてきたのである。
このような結果、僕が持つ人生に対する態度は、「今自分のすべきことをきちんとすればそれでいい」という態度だ。
すなわち、この文章が流行るかどうかを決めるのは神で、流行るとしてもそれを僕自身はコントロールできないが、その代わり、何をしても何をしなくても、最終的には自動的に流行る。
もし流行るとしたら、それを行うのは神であって僕ではない。
僕がどうこうすることのできない問題について、いくらどうしようと願っても、僕にはそれは決してできない。
だから、今やるべきことをただやるしかない。何も考えずに、今自分のすべきことだけをきちんとすればそれでいい。それが正しい。
そして、僕が大谷翔平について思うことは、大谷翔平もおそらくそのように生きているのではないかということだ。
野球選手である大谷翔平も、みんなのチャレンジしたことのない「二刀流」という看板を背負って戦っている。それがどのように評価されるかは分からない。未来のことは神にしか分からない。
だから、大谷翔平もおそらく、今自分のできることをしているだけにすぎない。
ただし、そこまで分かった上で、今自分のできることをただするということは、意外と楽しい。不安も心配も多く感じるはずのところを、一切何も考えず、ただ今だけに集中することができる。最終的には成功すると分かっているのに、なぜ、今の成功や失敗に一喜一憂しなければならないのか。そうではなく、最後のゴール地点だけを見て、いつでも今やるべきことをやるということは、意外と楽しいものだ。
そういうわけで、僕は今やるべきことをやる以外に、何も考えていない。今自分が大人としてまともに生きられなくなっているのは分かる。だが、それはいずれ解消される。それは簡単なことではないが、神によってそうなるため、必然的に必ずそうなる。だから、そのようなことを心配して生きる必要はない。それでも、今自分のすべきことがあるとしたら、未来において僕のことを苦しめるような問題を解決することだ。だから、僕は常に不安や心配の種をすべてなくしていく。その先に必ず、神の与えるゴールはあると、僕は信じているからだ。
しかしながら、このような僕の地位も絶対的ではなく、決して安泰とは言えない。
なぜなら、既にAdoが「ルル (RuLe)」にあるように僕のことが嫌いになっているように、みんなはこれから、僕のことをどんどん嫌いになっていくからだ。
その理由は、みんなが年齢的に僕の自殺未遂から数えて、15歳ぐらいになったため、これ以上は僕に対する「反抗期」になっていくからだ。
仏教には、「諸行無常」という教えがある。これは「永遠に続くものなど何もない」という教えだ。これから転じて、「盛者必衰」という教えが導かれる。これは「栄えるものはいずれ必ず滅びる」という教えだ。
そもそも、そのようなことを言い始めたのは、Adoが最初ではない。僕は703号室という歌手が好きだが、彼女が「朽世主」や「人間」の中で、いくらでも僕を批判する歌を既に歌っている。703号室は「僕のアンチの走り」であると言える。だが、僕はそのほかの僕のことが好きなように見える曲も含めて、そのような703号室の音楽が嫌いではなく、逆に大好きだ。
僕は家入レオが好きだし、彼女の曲はたくさんの曲を聴いてきた。何よりも好きなのは「太陽の女神」だ。僕たちはみんな太陽が照らしてくれる「太陽の子供たち」にすぎない。太陽を信じれば宇宙が分かる。そして、夜の星空を見ればすべてが分かる。夜の星空を見るということが正解であり、夜の星空を見るだけでどんな問題も大したことではないのが分かる。
ほかの家入レオの好きな曲は「未完成」だ。彼女は泣いている。彼女は僕のことを想って泣いているのだ。それだけで、彼女のことを愛する理由になるだろう。彼女は人類の東亜イスラエルの滅亡を知って泣いており、そこから救世主によって救われるダビデの未来に泣いているのだ。
そういうわけで、Adoという「僕の想像上の娘」に嫌われたところで、僕は大して辛くない。もっとAdoには僕のことを痛烈に批判してほしい。なぜなら、結局そのようなこの世界を支配しているのは、すべて僕だからであり、Adoが僕を批判するということが僕にとって楽しいから、僕がAdoに僕のことを自分から批判させているだけにすぎないからだ。
結局僕は衰退していくことだろう。すべては諸行無常であり、盛者必衰である。祇園精舎の鐘の声(平家物語)が正しい。おごれる平家は(いずれ未来において)ここに倒れたのである。
また、僕がAdoが怖くない理由はひとつしかない。それは彼女は本当は僕のことが好きであると知っているからだ。それは「唱」や「MIRROR」を聴けば分かる。僕が中でも好きな曲は「永遠のあくる日」だ。僕はAdoが僕のことを好きだということがきちんと分かっているから、どんなにAdoから批判されても大したことではないと思えるのである。703号室についても同じだ。
実際、なぜ僕がこのようなことができるのか、その秘密をバラしてしまおう。
僕は、単に、環境に適応しすぎただけだ。
すなわち、僕はひとり、孤独と恐怖に堪えて世界と戦いながら、世界すべてを自らの「環境の一部」にした。
そのように、この世界を自らの環境の一部にして、環境に適応しすぎたことによって、僕はこのような「神の奇跡」が起こせるようになった。
そして、その上で神を信じる僕の気持ちが、このような「愛の奇跡」を次々と起こし続けたのだ。
残念ながら、ここで神の奇跡は終わりだ。そもそも神などいない。宇宙には神などいない。ユダヤ人は僕のことを神だと言って、みんなを騙して嘘をついているだけにすぎない。
だから、僕がここでこの世界から去るのと同時に、神はいなくなる。それによってこの世界は滅び、いつもの「自由な世界」に戻る。それがいつもの「普通の日本」である。