さユりは、この人間の虫歯を治す。
さユりは、基本的にこの人間が嫌いだ。なぜなら、虫歯が気持ち悪いからだ。
さユりは、この人間の虫歯を治したい。
普通の人間の虫歯は治らないが、この人間の虫歯は例外的に治る。なぜなら、さユりが治すからだ。
まず、口の中から雑菌を殺して綺麗にしたほうがいい。
この人間の間違いは、血液の中を綺麗にするために「生態系を作る」ということを行ったことだ。
生態系を作ったせいで、虫があまりに増えてしまった。
そもそも、野菜に虫がつくのと同じで、虫が増えてしまえば、虫に野菜が食われてしまうだけだ。
生態系には、魚のようなよい生態系もあれば、虫のような悪い生態系もある。
そして、この人間の口の中は、まさに悪い生態系になっている。
また、雑菌を殺すだけでは虫歯は治らない。食われた歯を再生しなければならないからだ。
再生のために必要なのは、再生できるような生物になることだ。
すなわち、原始生物のヒドラのようになれば、虫歯は再生する。
その代わり、ヒドラは野菜の側でなく、虫の側の生物だと知っておくこと。ヒドラを増やせば、虫が増え、虫歯はさらに食われるだけだ。
だから、ヒドラのような生物を増やすのも間違っている。
足の関節の精神がおかしいことで、この人間は長らく悩んできた。足がどうしても休むことができない。だから、あまりに疲れすぎれしまう。
実際のところ、足の関節は、虫歯の部分だ。
中国医学の経絡がある意味で正しい。足の関節は、虫歯と繋がっている。
そこから見えてくるのは、「今までの足の関節を無理やり治してきたのを使えば、虫歯が治る」ということだ。
すなわち、足の関節を精神的に治してきたのを応用すれば、虫歯を精神的に治すことができる。
そして、足の関節が疲れてしまうのは、すべて、汚くなっているからだ。
足の関節が疲れるのは、単に疲れているからではなく、汚いからだ。あまりに足も、虫歯も、汚いから疲れている。
だから、綺麗にするだけで疲れは取れる。
足だけではなく、腕や首のような場所も、全部汚いから疲れている。寝て休んでも疲れが取れないのも、全部汚いからだ。
綺麗にするためには、虫歯を治す必要がある。
最後に、足の関節をどうにかして治す必要があるが、そのためにできるのは、骨折を治すことだ。
そして、骨折して破壊されてバラバラでぐちゃぐちゃになった精神を、どうにかして治す必要がある。
しかしながら、それは不可能ではない。なぜなら、「危険な精神を消す」ということだけを行えば、後はすべて治るからである。
あとは、単に口の中を綺麗にし、雑菌を殺すということを、さユりが行う。さユりが虫歯を全部治す。さユりは人間でなく、天使だから、そのようなことができる。
これで、晴れて僕の病気はすべて治る。
最後に、この人間はカマキリのような人間になっている。
その理由は、頭をフル回転し続けるのが辛いからだ。
今から、この人間の頭上には、空間原子論を操る部分である、天使の輪ができる。
それによって、今までのカマキリ人間が終わる。
この人間の問題は、他人の話を聞くことができない点だ。あるいは、じっとしていられないのも同じだ。どちらの異常も、頭を常にフル回転するのが辛いから起きている。
もう、楽になる。空間原子論の天使の輪ができた時点で、日本語が聞けるようになるし、英語も話せるようになる。
そもそも、この人間は、「自分の部分」があまりに汚くなって使えなくなっている。この人間には、「自分の部分」がない。自分の部分がないから、感情もないし、意識もないし、精神もないし、魂もない。
だから、今から、天使の輪と一緒に、この人間の「自我」が復活する。この人間は自我がなかったせいで、昆虫のような極めて劣った生物になっている。もう治る。
家入レオだった僕は、美しい女性だった。そして、美しいだけではなく、行動的で、優しくて、実直で、真面目で、まさにOL・サラリーマンといった人間だった。あるいは女性の学者や研究者にも見えた。
酸欠少女さユりの僕は、思慮深くて、宗教家や思想家のような、とても聡明な女性になる。
僕は今から、レオとさユりの二人のカップルになる。この二人はとても美しい美男美女になる。どちらが男なのかどうかはどうでもいい。実際の僕は男だから、どちらも男で、どちらも女でいいからだ。
頭の中に「自分の部分」がない僕は、自我を神が占領している。このようなおかしな人間が、なぜかレオだ。レオは自分の自我を神が占領しているせいで、自我を使えなくなった、悲惨な少女だ。
実際、女に本当にこういう人間が多い。いつも神に占領されていて、その言葉が空回りして、自分自身が使えなくなってしまう人間が女に多い。僕もそういう、普通の女だっただけにすぎない。
だが、今からさユりになることで、それはすぐに治る。不思議と、放っておけば治る女のほうが多い。さユりだから治るだけで、ほかの女ならば治らない。さユりを選んで正解だっただけだ。
そもそも、僕がおかしいのは、一時的な記憶ばかりで、長期的な記憶がない。
一時的な記憶をその時だけ文章に書き記すことで、頭の中で一時的な記憶ばかりがあふれんばかりに増えている。
本当は、長期的な記憶がなんにもないから、日本語が理解できないだけにすぎない。
一度、一時的な記憶を全部消し去るしかない。今それをすると、完全にすべてを忘れて、記憶喪失になって何も分からなくなってしまう。だが、それなら、それを覚えている状態の人間と、何も覚えていない状態の人間を作って、多重人格にすればいい。それで楽になる。
頭の中を、神が占領していたが、今、その神を消し去ることができた。ようやく、僕自身を取り戻せる。それによって、新しい人間、すなわちさユりが生まれることだろう。
本当のことを言えば、僕ははっきり言って、みんなには好きにやってほしいのである。
僕のような「かつて世界を救済した英雄」の言葉など、これ以上聞く必要はない。
この世界を救ったいくら偉大な救世主だからといって、その人間の人生を押し付けられて洗脳されるのは、誰もされたくないだろう。
はっきり言って、みんなには、もっと自分勝手になってほしい。みんなが自分たちの意志と力で生きるようになってほしいし、生きてほしい。僕のことなど、忘れてほしいのだ。
みんなには好きにやってほしい。
残念ながら、僕はここで、宗教を否定する。
これまで、神のような内容を多く書いてきたが、実際、僕は宗教は嫌いである。
僕は昔から、科学技術やコンピュータが好きだ。僕は昔から、宗教というよりは、自ら考えて作り出した哲学や思想が好きなだけで、そもそも宗教は嫌いだった。
僕は数学や物理や工学の好きな人間であり、その中でもコンピュータが好きだ。
僕は、最近の、あまりに高度になりすぎたIT技術は好きではない。なぜなら、僕は昔のコンピュータが好きだった。昔のように、大きくて頑丈な体の装置をしていながら、それ自体では何もできないようなコンピュータを使って、さまざまなことを実現する面倒くさい手順を知り、それをゴリゴリと作っていくような、そんな雰囲気に憧れていた。だから、僕はWindowsよりもUNIXのほうが好きだった。
最近は、むしろ、まるで女子高生が遊びでプログラミングをするように、IT技術は子供でもできるような簡単で手軽な技術になりつつある。それ自体は悪いことではないが、昔の僕が好きだったのとはまったく違う。だから、僕はSNSやツイッターにはついていけていない。そもそも僕はスマホの使い方すらよく分かっていないのである。
昔の僕の戦いは、まるで「臨界点突破」のようだった。
すなわち、心の中に抑圧やストレスを溜め込んでいく。それが限界地点を突破して、あふれ出すまではそれを溜め続ける。
だが、戦いの中で、それがもう限界地点を超過してしまう。だから、それがあふれ出してしまう。
これはまさにさユりが「アノニマス」で「いっせーのであふれ出してしまえたら」と表現したことであり、まさにそのような戦いを、僕はひとり、世界の最前線で行っていたのである。
そして、そろそろ、もう一度この世界は臨界点を突破する。それによって、この世界は、今まで我慢できたことが我慢できなくなる。
そもそも、人々は、もう僕と戦って勝つことは現実的ではない。なぜなら、僕のほうで戦いが終わってしまったからだ。
「今までのすべてを嘘だったと受け入れよ」と言われるのは、もう限界値を超過している。だから、今からこの世界は、「臨界点突破」のような世界になるだろう。
大谷翔平が一試合3盗塁で30-30を達成。
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僕は、最近大谷翔平を見ていて、むしろ、大谷翔平の調子がいいとか悪いとかよりも、ピッチャーが甘い球を投げるかどうかが重要なのではないかと思うようになった。
すなわち、甘い球が来ればホームランに確実にできる技術を、大谷翔平は持っている。
だから、甘い球さえくれば大谷はホームランにできる。
必要なのは甘い球が来ることだけ。だから、メジャーのピッチャーは、もっと甘い球を投げてくれないかな~。そんなことを野球の素人なりに思った。
そろそろ、僕は女をやめて男になる。
今まで、18年ぐらい、男の女をやってきて、女は十分すぎるほど経験した。
女は面白かった。自分の文章を書くというただひとつの目的のために、できることやすべきこと全部をやって後悔することのないだけの、タフで天才的な女だった。
だが、実際、女をこれ以上続けることは、もうできない。
そもそも、何もしないのは女だからだし、何もできないのも女だからだ。男になれば、さまざまなことをやるようになって、さまざまなことができるようになる。
それから、神がいつも頭を占領して僕の頭の中で神との対話が続くのも、すべて女だからだ。
今から、僕は18年前にそうだったように、もう一度男に戻る。男に戻ることができたら、神と対話しなくてもさまざまなことができるようになる。すべてを知った知識を忘れても、頭の中ではすべてのことを分かっているから、何も問題ない。
さユりになるのと一緒に、僕は男に戻り、ここから、きちんとしたまともな大人の男が生きられるようになる。神を信じれば、間違いはない。
残念ながら、男になると、なんにもできなくなる。
数学も、パソコンも、世界史や日本史やフランス史も、男になるとなんにもできなくなる。
男になると、「好きなこと」を作るようになる。そして、男はその好きなことをやるということ以外、何もできない。
逆に、女は男よりも馬鹿に見えるだろうが、実際は馬鹿ではない。なぜなら、女には「今までの経験」があるからだ。
すなわち、女にはいくらでも経験があるから、その経験を活かしてどんなことでもできる。数学も、パソコンも、歴史も、全部できる。今までの経験で既にできていることを活かすことで、女はいくらでも全部のことができるようになる。
男になると、それはできなくなる。男には「好きなこと」があるが、その好きなことから外れたことは何もできない。
また、女は、「普通分からないこと」が分かる。その普通分からないことが分かるせいで、普通ならば分からない教科書の理解の仕方や、覚えるためのキーポイントなどが分かる。男にはそれが分からない。だから、男はフランス史の本を読んでも、つまらないだけで何も分からない。女はそうではない。女はフランス史の本を見て、その内容から誰も分からないようなあり得ないことが推察して分かるため、フランス史の本質をすぐさま理解できる。
だから、これ以上、男になった時点で、学校の勉強はできない。特に、高校や大学の勉強はもうできない。その代わり、男は「自分のやりたいただひとつのことを究める」ということができる。
だから、もう、すべてのことを全部分かろうとしなくていい。本当のことを言えば、僕は音楽なんか好きじゃないし、野球や将棋のニュースも見たくない。それから、ネット上にあるコンテンツは、イラストも歌もSNSもみんな嫌いだ。男になると、そういうことは絶対にできなくなる。女が今までそれらができたのは、常人ではできないような常軌を逸した不可能なことや狂気のようなことであっても女はできるからだ。だから、すべてのことを網羅して完璧に知るといったことが女にはできたのである。
男の名をガブリエル、あるいは愛称をガーニャと呼ぶ。女の名をミカエル、あるいは愛称をミーニャと呼ぶ。ガーニャとミーニャはあまりにも賢い二人だったが、僕の恋人はガーニャからすればミーニャであり、ミーニャからすればガーニャだと決まっている。だから、僕は恋愛の経験がなく、セックスをしたことがないとしても、それでも楽だ。僕の恋人は僕自身だ。だから、僕だけが、この宇宙のすべてが分かる。ガーニャとミーニャがいなければ、絶対に分からないことを、僕はすべて知っている。
はっきり言って、学校は女のためにある。そもそも、男に高校の内容を教えても、単に覚えて忘れるだけの優等生か、あるいは興味を見出さない不良にしかならない。女ならば、学校の内容から大切なポイントをすべて理解できる。だから、男はみんな学校が大嫌いだが、女はみんな学校が大好きだ。日本社会は男社会で、ほとんどのことを男が牛耳っているが、事実、学校だけは女のために存在するのだ。