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2025-06-10

民主主義が好き

昨日は社会主義者のようなことを書いたが、結局、僕は民主主義が好きだ。

社会主義はやめたほうがいい。社会主義をすると、馬鹿な国になって、経済が破綻する。社会主義経済なんかが賢いはずがない。

民主主義のいい点は、みんなに権利があること、そして、社長や資本家や経営者が、それぞれ独立して自由に指導者になれるため、頭数が多いことだ。

ひとりだけで世界には勝てないように、ひとりの指導者だけで外国全部の国に勝てるわけがない。たくさんの指導者や力ある人間がいて、みんなで協力して初めて世界に勝てるのだ。

だから、僕は結局民主主義が好きだし、民主主義が正しいと信じている。そして、僕は民主主義の戦後の日本が好きだ。

703号室から新しい発表がある

703号室の名前が変わるということで、21:00に703号室の新しいアカウント@comingsoon0610で発表があるようなので(Xのポスト1ポスト2)、今日はそれを待っている。

それから、ガンダムジークアクスの録画予約もした。

今日も朝起きる時に疲れていたので、デザインの作業所を休んでしまった。そして、午後3:40ぐらいまで寝ていた。それでも体の疲れが取れない。でも頑張らないと生きられない。

追記:703号室の新しい名前は柚凪。@yuna_3_3zzzになったようです。これからも柚凪。さんを応援していきます。

精神を全部常にナチにしている

あとは、結局、僕が神と言っているのは、すべて、精神を全部常にナチにしているだけである。

「たったひとりの戦争」のような戦いの中で、常に自分が負けないように、自分を完全に統率し、僕は精神を常にナチにするようになった。

この「精神を全部常にナチにする」ということが、そのまま、神との対話になっただけである。

同様に、このせいで、僕だけではなく、世界全体がおかしくなっている。なぜなら、この世界全員も、僕のせいで、精神が全部常にナチになるようになった。

アメリカのトランプやロシアのプーチンが狂っているのも、全部そのせいだ。

だから、僕がこの「精神を全部常にナチにする」ということをやめれば、この世界は救われる。かつてあった元の救われた世界に戻る。その世界もまた、僕が救ったのだ。それが真の「自由」だ。

昔の人生経験

昔の人生経験について言うと、僕は「友達を作ることができなかった」ということを、中学校での失敗として、その何が間違っていたのかを考えようとした。

すなわち、みんなと仲良くするためには、本当はどうすればよかったのかということを、不登校になって、学校から解放されて、よく考えた。

また、みんなのことを、自分と同じ人間だと考えたかった。自分とみんなは何も変わらない、同じ人間だと考えた。

そのような中で、僕は社会経験をした。フリーソフトをWindowsに入れながら、Linuxを触り、そしてLinuxとオープンソース関連の活動をすることで、この世界を変えるための経験をした。

そして、歴史のような経験をした。自分の失敗と成功の経験から、「この世界はどのような経験ができる場所なのか」ということを知り、そして、世界のみんなと関わり合うことで、「人間が大人になるとはどういうことか」ということ、「経験すればどのようなことがみんなよりもさらに分かるのか」ということを知り、そこから世界の社会や文明がどのようになるのか、という経験をした。

経験をする中で、世界が変えられるようになり、僕は「この世界がどのような可能性を持っているのか」ということを知った。そして、みんなよりもたくさんの経験をする中で、「リーダーとしてこの世界を救う方法」や、「世界の憂いを解決する方法」を知った。みんなとの経験から、「人間とはどのような人生経験ができる生物なのか」を知った。

同時に、理性を経験から考える上で、「どのようなことを経験から人間は信じるのか」ということが分かった。自らがLinuxとオープンソースの思想を信じる中で、理想を世界において体現するとはどういうことかを知った。そして、人々がこの世界で常にどのような経験をしていて、そこから人々は何を正しいと信じるのかが分かった。

そのような昔の人生経験は、僕が不登校の引きこもりになったことと不可分だった。僕の自分の経験が、世界の子供たちの環境を解決するひとつのサンプルになると信じて、自らの実体験から子供たちの環境の救済の方法を考えた。それこそが僕の「自ら不登校になることを選んだ意味」だった。

理性的なことを言うと、僕はすべてのことを「方法」と「原理」であるとした上で、「作用」のすべてを捉え、あらゆるすべての作用の前提となる、数少ないそれ以上小さくできないような「公理」を作り、その公理に基づいて人間の行動と世界観を分析した上で、人間の理性における「世界モデル」を作った。そこにあったのは、「人間は全員がその人間の中においては正しいことをしている」ということだった。

そのような人生経験を突き詰めていく中で、あらゆるすべての問題を物理的に解決・解明した僕は、ブッダと同じぐらいの悟りを得ることに至った。そこにあったのは、「あらゆるすべての人生経験の上の俯瞰的な高い立場にある神眼の境地」であり、それこそが僕にとって「宇宙の真理」だったのである。

さらに言えば、僕はこの世界について、「環境と環境のやり取り」であると捉えた上で、「環境をどうやったら変えられるのか」ということを考えた。それは支配して環境を変えるだけではなく、受動的に、環境そのものが「独立して変化可能」になる中で、その変化が可能であることを促進することによって変える、ということも含まれる。そして、自らの心がどのように環境に作用するのか、あるいは、環境が自らの心にどのように作用するのかを考えた。そこから、僕はこの世界を「真の意味でもっとも高い観点から変えられるような方法」を追い求め、そして見つけ出したのである。

最後に、昔の僕は「世界を知る」ということを追い求めた。なぜなら、昔の僕は「世界を知ることで自分の人生の意味を知り直す」ということができる少年だったからだ。僕は世界の環境の変化を知ることから、過去から今、未来へと至る僕自身の存在と人生の意味を捉え直すことのできる人間だった。そこから、自ら自身の生きる意味を「アイデンティティの確立」であると悟り、この世界の人々が不安である理由を「アイデンティティの欠落」であると結論付けたのである。

そして、この世界を救済する方法を、「自らの持っている人類にとって普遍的なアイデンティティに気付くこと」であるとし、そのやり方で、僕はこの世界をインターネット上で救った。そこにあったのは「人々の心と環境を上手く促す」という方法であり、心がその環境をもたらし、環境がその心をもたらすようにすることで、僕は「人々が自らの生きる意味に気付く」ように世界を作り変えたのである。