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2024-01-08

デザインの学校に行きたい

今日は朝起きるのが本当に辛くて、デザインの作業所を休んでしまった。

さっき風呂に入りながら考えていたのは、デザインの学校に入りたいということ。

今まで7年間、障害者福祉施設でデザインの仕事をしてきて、Adobe Illustratorで紙面デザインをやってきた。

それはとても楽しかった。7年間の勉強で、デザインの仕事が一通りできるようになった。

だが、後悔があるとしたら、僕は絵が描けなかった。

Adobe Illustratorを使った、写真のレイアウトと飾りつけはできるようになったが、絵は素材サイトに頼るばかりで、全然絵が描けるようにならなかった。

だから、僕は絵やイラストが描けるようになりたい。

そのために、家でイラストの練習をしようと思ったが、家では続かない。どうすれば上手い絵が描けるのか、自分ひとりでは分からなかった。

だから、デザインの学校に通いたいなあと、さっき風呂に入りながら思った。

プログラミングとか大学とか音楽とか、ほかにもしたいことはたくさんあった。だが、それらはある程度自分で頑張ればできるのが分かった。

特にプログラミングについては、学校に入らなくても、本を読んだりネットを見たり自分でインストールとか設定をすればできる。

僕にはプログラミングをしたいという夢はない。そもそも僕は商用のIT業界がそんなに好きじゃない。僕が好きなのはあくまでオープンソースだ。

だから、どちらかというと、今やっているデザインの仕事の経験を活かして、デザイナーになるための勉強がしたいと思った。

僕は大学には本格的には行かなかった(本当は放送大学で少しだけ授業を受けた)ため、お金はまだ残っている。

だが、ひとつ懸念材料なのは、本当にデザインの学校に入れるかどうかだ。

デザインの学校にも入学試験はあるだろうし、絵が全然上手くない僕はデザインの学校の入学試験に合格できるか分からない。

もしかしたら、今通っているピアノや英会話の教室のように、隔週で通うことができるような絵の教室やアートスクールに入ったほうが、あまり環境が変わらなくていいかもしれない。

ただし、ひとつ夢を追いかけるとしたら、それはおそらく僕にとってはデザインだし、僕はX(旧ツイッター)でもYouTubeでもイラストやMVのアニメを見るのが大好きだし、デザインの仕事を7年間もやってきた経験もあるし、デザインの夢は正しい夢だと思っている。

もしかしたら、今の僕のAdobe Illustratorの経験は、デザインの学校でもし仲間ができたとしたら、その時に活かせるかもしれないし、デザイン以外にも僕の知っていることはたくさんあるから、それをみんなに教えられるかもしれないし、あるいは僕の今書いているこのホームページを読んでくれるような友達ができるかもしれない。今のデザインの職場は障害者福祉施設で、同僚はみんないい人間だが、そのような親友はできなかった。

何が言いたいかと言えば、僕の「夢」を何に決めるかという問題であり、僕は結局このままデザイナーになる夢を選ぶのが最適ではないかと思う。

僕ももう35歳だから、そろそろきちんと頑張らないと、何にもなれないまま、何もできないままで人生を終えることになってしまう。それは僕は望みではない。本当は、僕は既にできたこともたくさんあるが、本当にきちんとできたことはあまりない。ピアノもプロ並みに弾けないし、未だに英会話もきちんと話せない。だから、今後のステップアップを頑張りたいと思う。

精神を治す方法

精神を治す方法は、辛い時に体を動かすことだ。

辛い時に、体を動かさず、そのままにしたほうが、精神は治ると普通は考える。

だが、実際はそうではない。精神が辛い時がまさに治る時であり、その治るタイミングで体を動かすことで、精神は初めて治る。

それから、昔の引きこもり時代に戻ろうとするな。そうではなく、きちんとした正常な大人になろうとせよ。

きちんとしたまともな人間は、普通世界を見て「自分の顔」が見える。それが見えないということは狂っているということであり、その原因となっているのは僕の場合昔の引きこもり時代だ。

だから、昔の引きこもりに戻ろうとすればするほど狂う。

自分の顔を見るために、世界そのものの見え方を変える、あるいは世界そのものを殺すしかない。「世界を殺す」という方法は狂っているように見えて正しい。なぜなら、自分が狂っているということは自分の世界が狂っているということであり、それは世界そのものが狂っているということだ。だから、狂った世界を殺し続けることは、精神を治す上で何も間違っていないのだ。

僕の夢はWabokuさんのようになること

僕の夢は、ずとまよのアニメーション作家であるWabokuさんのようになることだ。

ずとまよとは、「ずっと真夜中でいいのに。」という名前の歌手のことで、ボーカルはACAねさん。そして、Wabokuさんはそのずとまよの「秒針を噛む」などのMV(Music Video)でアニメーションを担当されているアニメーション作家だ。

僕も、Wabokuさんのようなアニメーション作家になって、ずとまよのMVのアニメーションを制作してみたい。

だが、今の僕のデザインスキルでは、それは不可能だ。僕は絵やイラストのスキルが低すぎる。みんなと比べても馬鹿だから、まずはずとまよのファンアートをXで投稿することぐらいから目指さないといけないだろう。

もっとデザインのスキルがほしい。もっと絵やイラストが上手くなりたい。

僕はかつての「Linuxカーネルの開発者になりたい」という夢はもう諦める。そもそもLinuxカーネルは賢くない。Linuxカーネルの開発者はほとんどがデバイスドライバの開発者であり、コア部分はリーナス・トーバルズほか本当のベテランがやっている。それができたところで、何も賢くない。オープンソースは金儲けもできないし、難しいだけで賢いことは何もしていない。