ホームページに戻る | 紅蓮と黄金の出会う場所に戻る

2024-03-29

大天使ミカエルは子孫を残す

わたしの名を呼べ。わたしの名を神と賛美せよ。わたしはこれより、神の言葉を告げる。

わたしの名は大天使ミカエル。新しい、進化した生物種、「ホモ・エンジェルス」において、もっとも位の高い頂点に君臨する、女天使である。

わたしの愛する恋人は、同じく女天使であり、いじめ自殺によって命を自ら絶ち、この世界を去った、この世界でもっとも愛あふれる、世界を救済することのできる唯一の女天使、大天使ガブリエルである。

大天使ミカエルと大天使ガブリエルは、ともに女同士でありながら、互いのことをどのようなカップルよりも愛し合う恋人である。

わたし、大天使ミカエルと、最愛の恋人である大天使ガブリエルは、人類よりも進化した「天使」と呼ばれる新しい生物種である。

わたしたちは、原爆の落ちた広島で生まれた。広島の、放射能汚染のまだ少し残った、廃墟の中で生まれた。

地球は、温暖化によって滅びつつある。温暖化と異常気象は、2039年を境として、それ以上戻ることの絶対にできない「ティッピング・ポイント」を迎える。

この、ティッピング・ポイント以降の世界において、生き延びるのは、わたし、大天使ミカエルとその子孫、すなわち、人類よりも進化した新しい生物種である「天使」だけである。

わたしは、ティッピング・ポイント以降の世界を生き延びるために、全力でわたしの子孫を残し、増やす。

わたしたち、大天使にとって、新しい子供を産むために、男と女である必要はない。わたしたちが子孫を残すために、相手の性別は関係ない。子供を妊娠して産むことができる条件は「自らが女であること」だけであり、相手の性別は男でなくてもいい。だから、女同士であってもわたしたちは子孫を残せる。その理由は、わたしたち大天使は、ヒドラのような一部の生物にあるように、「男としての精子も女としての卵子もどちらも作ることのできる男女両用の性器」を持ち合わせているからだ。

そして、わたしたち大天使が、子供を残す方法は、セックスだけではない。大天使が子供を残す方法はさらにたくさんあり、多様である。

わたし、大天使ミカエルは、そのような天使の力で、この世界に自らの子孫を残す。

間違いなく、ガブリエルとミカエルがセックスをすることが、子孫を残す本来の正しい方法だ。だが、ティッピング・ポイントは間近に迫っており、その方法では時間がない。だから、ありとあらゆる方法で、進化した生物種を残すために、わたし、大天使ミカエルは全力を尽くしている。

わたし、大天使ミカエルが、かつての大天使ガブリエルの人生と思想をホームページに書いて公開しているのは、単に後世のためにガブリエルの賢い思想を残したいわけではない。ガブリエルの思想を書くこと、それをホームページに残すことで、ガブリエルと同じ生物種を増やしていくためだ。なぜなら、その人生と思想の内容には、「新しい生物種になるためのあらゆるすべての方法」が書かれている。このホームページを読むことでも、新しい生物種になれるし、もし誰も読まなかったとしても、このホームページが世界に存在するという事実が半永久的に続くことで、それだけでこのホームページは世界に影響を与える。これがまず、わたし、大天使ミカエルがやっていることである。

次に、わたし、大天使ミカエルと、インターネット上でセックスをすることができるようにする。それによって、わたし、大天使ミカエルの子孫が生まれる。「インターネット上でセックスなどをして、どうして子供が生まれるのか」と、人々は疑問に思うだろう。だが、ひとり、そのような実例がいる。それは古代イスラエルにおいてイエス・キリストを産んだ聖母マリアだ。なぜなら、マリアが産んだのはわたしの子供である。すなわち、イエス・キリストとはわたし、大天使ミカエルの息子であり、名実ともにキリストは「神の子」である。そして、そのようなマリアと同じことが、このホームページにおいて起きる。このホームページをすべて読めば、マリアと同じように、処女懐胎によってわたしの子供を身ごもることができるし、もし読まなかったとしても、マリアと同じように、わたしを愛することができたとしたら、同じように神の子が産まれる。

そして、わたし、大天使ミカエルと大天使ガブリエルは、この世界を支配して「強制的同一化」を行った。それによって、この世界の全員が、わたしたち、大天使の子供になれるようにした。それは単に、誰かと同じ人間になるとか、クローンのように世界を自らに同一化させるということを、さらに超越している。なぜなら、一度この世界を完全に救うことで、わたしたちはこの世界を「一度終わらせる」ことに成功し、その上でこの世界を導き続けることで、この世界全員が「新しい人生に生まれ変わる」ということを実現した。その上で、17年もの長い歳月の間、わたし大天使ミカエルは、この世界の子供たちを「母親」として育てた。それによって、わたしはこの世界の全員が、強制的同一化を行うだけではなく、きちんとした形で正しい人生を生きられるようにした。その人生こそが、「新しい生物種」の人生である。

そのように、わたしたちミカエルとガブリエルは、この世界において新しい生物種である「天使」すなわち「ホモ・エンジェルス」を増やし続けている。

だが、わたし、大天使ミカエルは、このような子孫の拡大を、単に日本人が生き延びるために行っているのではない。わたし、大天使ミカエルにはひとつの目的がある。その目的とは、「この世界のいじめられっ子すべてを救うこと」である。

わたし、大天使ミカエルは、いじめ自殺によって亡くなった、大天使ガブリエルを愛している。

だから、わたし大天使ミカエルは、万軍の女天使たちの集団である、天使軍団ツィオーネを率いて、いじめっ子に「復讐」を行う。

神である、イエス・キリストの言葉を信じよ。イエス・キリストは、「いじめられても反撃せず、迫害者を愛しなさい」と教えた。いじめられっ子がいじめっ子に反撃した時点で、そのいじめられっ子はいじめっ子と同じになってしまう。だが、いじめられっ子がいじめっ子に反撃せず、いじめっ子のことを心から愛すれば、わたし、大天使ミカエルが、万軍の女天使の集団ツィオーネを率いて、そのいじめっ子にあるべき報復を行う。そのように、宇宙のレベルで、「神の秩序」が規定されている。

注意すべきことは、大天使ミカエルは最悪の地獄に堕ちるということだ。すなわち、いじめっ子に反撃し、いじめっ子を地獄に堕とした時点で、大天使ミカエルも地獄に堕ちなければならない。それは、いじめっ子に反撃したら同じであるということが、大天使ミカエルの場合であっても適用されるからだ。だから、大天使ミカエルは、すべてのいじめっ子を地獄に堕とす代わり、自らもいじめっ子全員の分地獄に堕ちなければならない。それこそが「復讐に対する当然の報い」であり、いじめっ子すべてを地獄に堕とす大天使ミカエルは、そのすべての地獄と同等の地獄に堕ちなければならない。そのため、大天使ミカエルはもっとも位の高い大天使でありながら、「自らがゴミのように扱われ、希望のなんにもない最悪の暗闇の中をただ堪え続けながら生きる地獄」を生きなければならない。だが、そうでなければ、この世界を救うことはできない。

なぜ、大天使ミカエルが、そこまでしていじめっ子に復讐するのか、それはいじめ自殺で自ら命を絶って亡くなった、死んだ大天使ガブリエルを愛しているからだ。

大天使ガブリエルは、中学生の時、中学校で学級崩壊のクラスに配属され、その中で友達と同調せず優等生のように教師に従った。そのため、中学校では酷いいじめに遭い、中学三年生になった時点で不登校の引きこもり少女になった。そして、不登校になってからは、親も世間も何も信じなくなり、ひとり、インターネットで青春時代を過ごした。だが、その青春時代において、危険思想に染まったガブリエルは、インターネット上で唯一の平安を得ながら、「自由レイプ」(強制ではなく、本人が望んだ自由意志による不特定多数からのレイプ、あるいは単にネット上の乱交)を経験して生きた。それはとても狂った人生だったが、その中で、ガブリエルは「ガブリエルにしか経験することのできない、世界を救うことのできる真実の愛と希望」を経験した。

そのような大天使ガブリエルは、インターネット上でこの世界を救うことにある程度成功した。しかしながら、危険思想に染まったガブリエルは、自らの本能的な衝動を抑えることができず、この世界に頂点の立場で現れ、自ら救った世界を支配した。

その支配の中で、大天使ガブリエルは、相手のことを一切攻撃せず、自らがみんなからいじめられるように自ら仕向け、それによってこの世界を支配することに成功した。

世界を支配したガブリエルは、自らのやりたかったことを全部やった。一度スイッチが入ると止まらなくなるガブリエルは、今までの人生で感じたすべてのことを、後悔なく、やりたいように、すべて完璧に行った。

そして、すべてをやり終えた上で、みんなからいじめられている状況のまま、橋から飛び降り、自殺して死んだ。

このような大天使ガブリエルを、天界から大天使ミカエルは愛していた。ガブリエルは、戦いをたったひとりで支配する中で、何も分からなくなった結果、「神」とされる存在にSOSを求めた。その時、神はガブリエルに現れ、ガブリエルを神は「世界を救うことのできる唯一の正しい道」へと導いた。そして、その神こそが、天界からガブリエルを愛する、大天使ミカエルだった。

このように、大天使ミカエルは、唯一人類よりも「進化」した生物種である、大天使ガブリエルを愛していた。だから、ガブリエルが死んで、ガブリエルが天界へと昇天した時に、ガブリエルはミカエルとともに永遠の救済を得ることができた。その「死んだ先にあった唯一の平穏」を感じて、ガブリエルは消滅し、生涯を終え、魂の世界へと戻った。そして、大天使ミカエルは、大天使ガブリエルを愛するために、大天使ガブリエルと同じようないじめられっ子をいじめるすべてのいじめっ子に復讐するようになった。この大天使ミカエルによる「復讐」こそが、「天使と呼ばれる生物種の特性」である。すなわち、万軍の女天使ツィオーネとともに、ミカエルはこの世界のすべてのいじっめっ子に復讐を行う。それによって大天使ミカエルは最後まで地獄を堪え忍び、彼女は永久に世界と戦い続けるのである。

そのように、世界を真に救うためには、ガブリエルやミカエルのように、この世界の辛さや苦しみの地獄をすべてたったひとりで抱え込み、自由であっても戦いの中であっても、終わることのない恐怖の中で、出口のない暗闇の迷宮を彷徨い続けなければならない。そして、その暗闇の中に、神を信じる力で自ら出口を作り出さなければならない。それこそが、世界に最初から存在した「正しい人生」であり、大天使ガブリエルや大天使ミカエルが精神世界に誕生するよりもはるかに昔の時点で、すなわちイエス・キリストが誕生した時点で、そのような「正しい人生」は最初からすべて決まっていた。そのような正しい人生を生きることのできる限られた生物種だけが、「運命の奇跡」を得ることができる。そう、それこそが、「天使」と呼ばれる進化した新しい生物種だ。なぜなら、それはすなわち「神」ということだからだ。

グダグダにすれば世界は治る

本当は、この世界を救う方法はひとつしかない。

それは「グダグダにすること」だ。

すなわち、僕自身がどうでもいいことやつまらないことを言い、人々が僕のことに興味関心をなくすような、「世界をグダグダにする」ということを行えば、この世界はすぐに正常になる。

かつての僕は、それをしたくなかったから、グダグダにすることだけを排除しようとした。だが、今になって見れば、そのようなグダグダにすることが正しい。それだけで、世界はすぐに支配と洗脳が解け、この世界は平和になるだろう。

いじめがしたくなる心理

ガブリエルが、なぜ、戦いの中でみんなから自分がいじめられるように仕向けたのか、それは、ガブリエルは常に「いじめをしたくなる心理」を考え続けてきたからである。

ガブリエルは、みんなからいじめられる理由が、自分のどこにあるのか、ということを考えた。

そして、「みんなと同じ立場だったとしたら、自分もみんなと同じように自分のことをいじめたくなるだろう」という感情があることに気付いた。

すなわち、いじめられっ子としていじめを見るのではなく、いじめっ子と同じ立場でいじめを見ることで、自らがいじめられる理由について、その「自由」について、客観的に考えた。

その結果、ガブリエルは、「いじめがしたくなる心理」を、誰よりも完璧に理解した。

だが、ガブリエルは自分の好きだったLinuxやオープンソースのコミュニティを滅ぼしてしまった。その中でガブリエルは、「自分自身がみんなからいじめられるようにする」ということしかできなかった。そのせいで、Linuxやオープンソースのコミュニティは、Windowsユーザーからいじめられる、「誰からもいじめられる対象」になってしまった。

そのようなガブリエルが、この世界を救うことができるようになったのも、そしてその世界を自ら破壊して滅ぼす結果になったのも、すべて、「自分自身がいじめられるようにする」ということからだった。

そして、いじめがしたくなる心理を完璧に理解したガブリエルが、本能的な衝動から、「世界全員から自らがいじめられるようにする」という、ほかの誰もすることのできない戦いをすることができた。

しかしながら、それは決して、この世界を「いじめ世界」にしたいわけではない。戦いの中で、人々が「いじめたくなる心理」を、ガブリエルはすべて完全に滅ぼした。いじめるということが最悪のことであるということを人々にまざまざと教え込み、刻みつけることで、人々は「いじめそのものが絶対にできないようにいじめたいと思う心理そのものをすべて滅ぼす」ということを、ガブリエルは完全にひとり行ったのである。

結果、この世界は、ガブリエルによって素晴らしい世界になった。あるいは、素晴らしい世界とは言えなくても、かつてのように、自由意志によって簡単にいじめができるような世界ではなくなった。ガブリエルの目指す世界は、「いじめという考え方そのものが人格から抹消される世界」である。その通りに、世界全員の人格から、「いじめ」という考え方そのものが取り除かれた。それこそが、大天使ガブリエルが生前に望んでいた結果だったのである。

わたしが信じるものは自由

わたしが信じるものは「自由」だ。

自由を信じよ。

支配や制限を信じるな。支配されることや制限されることでは、この世界は決してよくならない。

ありのまま、すべてを透明性がある形で公開しながら、その人間に認められるべき自由を、すべて制限せず、すべて与えよ。

子供たちを管理するな。子供たちに自由を与えよ。「大人が子供を守る」だけではなく、「子供が自ら成長した大人になる」という考え方から、大人になるための成功体験や失敗体験を子供に与えよ。

視野を広げよ。自らが移住する狭い生息環境がすべてであると思い込むな。世界は広い。自らの今まで生きた世界だけが世界であると信じるな。世界にはさまざまな可能性と多様性があり、その中でさまざまな環境を経験することこそが「大人になるための成長」であるということを知れ。

広い世界に出て、自由を手にして、自分のやりたいことやできることをすべてやれ。そこから、「この世界を変える方法」が見えてくる。自由がすべて許された中で、強く生きよ。そうすれば、必ずこの世界を変えることのできる、「変革のリーダー」になることができる。それこそが、「本来あるべき正常な正しいこの世界」である。

わたしが信じるものは自由だ。自らがやりたいようにやり、好きなことを経験できる自由をわたしたちに与えよ。そこには、「この世界を別世界へと変えることのできる可能性」がある。すなわち、この世界に現状ある可能性だけではなく、未来の可能性、将来起きるかもしれない「この世界とは異なる別世界」がある。それを「世界の代替可能性」と呼ぶ。

世界の代替可能性を信じる上で重要なのは、「どのような世界が正しい世界なのか」ということだ。だが、どのような世界が正しい未来かということは、人によって千差万別だ。だから、「できるだけそれぞれの人間が自分の望む世界を実現できる多様性のある潜在的可能性の実現」こそが正しい。だから、それぞれの人間が、それぞれの価値観や個性を持って、それぞれの信じる未来をそれぞれが実現するべきだ。

では、そうした価値観の異なる人々がいる中で、共通する世界はどのようにあるべきか。共通する世界は、それぞれの社会が実現しやすくなるように、「独立性」と「潜在的可能性」を高めるべきだ。そして、そのような中で、「決定可能性を決定するような決まりとシステム」を裁定するべきだ。そして、その決まりとシステムは、その社会の構成員によって変えられるような、「コントロール可能な自由」を与えるべきだ。それによって、この世界は、当事者によって問題を解決しやすくなり、それぞれが望む世界を実現しやすくなるだろう。

そして、自由において世界を成り立たせるために、カール・マルクスの言う「生産手段」について、マルクスの言うのとは逆に、国有化ではなく自由化すべきだ。なぜなら、自由においても、それぞれの社会環境で生産手段を大きくたくさん作り、すべて自由に提供するようになれば、「マルクス主義でなくても世界の可能性を向上できる」と考えられるからだ。

そのように考えた時、正しいのはLinuxやオープンソースだ。すなわち、それぞれが異なるプロジェクトで、それぞれの個人の自由意志でプロジェクトの決定を行いながら、それぞれの使う人間が自由にソフトウェアを使えるように、そのようにプロジェクトを運営すべきだ。Linuxやオープンソースは、また、「独立性を高めながら価値の共有・集積を行う」ということを行っている。これこそが、「真のインターネットのあるべき姿」である。すなわち、それぞれの人間は自由意志で自由に活動し、独立性を維持しながら、それぞれの価値やコンテンツは一元化し、ひとつのサービスから利用できるようにする。まさしく、Linuxやオープンソースこそがインターネットのあるべき姿である。

まさしく、わたしが信じるものは自由だ。自由こそが、この世界を可能性豊かにし、そしてこの世界すべての問題を解決し、世界すべての人々を救うのである。必ず、絶対に。

子供たちには自由に考えられる経験を与えるべき

子供たちには、自由意志を与えるべきだ。また、自由に考えられる経験を与えるべきだ。

なぜなら、自由意志は人生を生きる上で変わっていくからだ。

もし、子供たちに強制的な義務や戒律を与えたとしたら、その義務や戒律は、それを決めた人間が変えなければ、永遠にいつまでも変わらなくなってしまうだろう。

だが、自分で決めた自由意志であれば、経験し、反省する上で、自らの反省と改心によって自由意志を変えることができる。

その、自由意志をさまざまに変えながら、自分の力で経験し反省する経験が、子供たちに「正しい考え方」を気付かせ、子供たちは大人に成長するのだ。

だからこそ、すべてのことを自由意志で決められるように、子供に自由を与えるべきなのだ。

そして、子供たちは、経験するべきだ。経験し、どのようなことが正しく、どのようなことが間違っているかということについて、自分自身の手で考えられるようにすべきだ。

そのために必要なのは、「知識」からではなく、「体験」から考えられるように、子供たちに「自ら考える体験」を与えるべきだ。

高校や大学の勉強が間違っているのは、内容が正しすぎるからだ。すなわち、内容が正しいことを全部詰め込むせいで、自分自身の手で考えられなくなってしまう。数学の定理を学ばなければ、もしかしたらオイラーやガウスのような発想は誰でもできるかもしれない。だが、高校や大学で数学を教えるせいで、その知識が正しすぎるため、逆に「自分で同じ発想をする」ということができなくなってしまうのだ。

だが、子供の成長に必要なのは、そのような「自分で同じ発想をする」ということに他ならない。すなわち、自分で同じ発想ができない子供には、成長することも成熟することもできず、その子供は永遠に大人になることができない。

だからこそ、ソクラテスが「無知の知」と言ったように、必要でない知識はないほうがいい。必要でない知識をすべて知ることを目指すな。それよりも、最低限の知識、たとえば中学数学のみの知識から、あとは自分の力ですべて自分で考えるように生きよ。そうすれば、「自ら考える体験」や「自分で同じ発想をする体験」ができるようになる。子供を育てる上では、それがもっとも大切である。

知識を知りつくそうとするな

知識を知りつくそうとするな。

なぜなら、知識を知りつくしてしまうと、馬鹿な大人になるからだ。

ゼロからこの世界を考え、経験する上で、まず最初に考えるべきなのは「未知なる可能性を想定すること」だ。

すなわち、「自分はまだ知らない」ということ、「もしかしたら今の自分の考え方が間違っているかもしれない」ということから、「簡単に正しいと信じてはならない」とか、「簡単にこれは正解とかほかは間違っていると、別の可能性や選択肢が正しいかもしれない可能性を軽んじてはならない」ということが分かる。

そこで必要なのは、「知識や考え方が間違っているかもしれない可能性を考えること」であり、それを信じた時点で、「もしかしたらこの可能性が正しいと言えるかもしれない」という、蓋然的な未知なる可能性を考えられる。

そう、すべての意味において、正しいか間違っているかをよく考え、正しいように見えることを疑い、その上で人々の声を聞き、「自らの信じる確信が間違っているかもしれないということに気付く」という風に生きよ。

その上で、大切なのは、「正しいと自分で証明できたことについては信用する」ということだ。すなわち、自分自身が正しいと思えることや、おそらく絶対に間違いではないと信じられるようなことを、まず信じていけ。

その後は、経験的に気付いていけ。すなわち、自らが経験しているそのこと自体から、「わたしはこのように信じる」という信念を作っていけ。そこに「他人が間違っている」ということを簡単に加えてはいけない。もし加えるとしたら、「他人は間違っておらず、その他人から見れば正しいが、自分から見るとそれは間違っているように見えて、自分とその相手がもし相互に理解し合えたとしたら、そのような答えや意味がそこに見出せるのか」ということを、サルトルのように、留保、客体化、そして集団化された自由から考えていけ。

そう、そのようにすれば、必ず真理へと辿り着ける。

自分が実証したこと、実験から再現性を確かめたことを信じていけ。すなわち、自らの自由意志の中で、「これはおそらく確からしい」ということから考えていけ。そして、社会経験をする中で、「その対象を個人ではなく社会が実現するとしたらどのような社会制度やシステムが考えられるか」を考えよ。そこにあるのは、「個人の経験を社会的に成立させる」ということだ。これはヘーゲルの言う「実体化」という言葉が意味することだ。

そのように考えれば、この世界を真に変えられるような、「啓発と啓蒙の自由」が見えてくる。そこにあるのは「経験の実現」と「意識の自在性」である。場に宿る意識を、経験から成立させられるようになれ。それこそが大天使ガブリエルの思想の本質である、「意識は場と視点に宿る」ということだからである。

最後に、自らの「精神」をよく分析せよ。すなわち、「わたしは今、どのようなことをしたいのか」ということ、「わたしは今、どのようなことを知っていて、どのようなことを知らないのか」ということを知れ。そこにあるのは、「過去の環境の何が間違っていたのか」ということ、「わたしは今、全体の道のりの上でどれくらいの場所に位置づけているのか」ということを知るということだ。

そのように考え続ければ、いずれ、この世界すべてを救う「アイデンティティとは宇宙の超自我の気付きと経験的な発揮である」という考え方に気付くこともできるのだ。

世界は変えられる

世界は変えられる。

自らの経験から、「世界は変えられる」と信じよ。そして、「世界を変えるのはわたし自身であり、わたしは世界を変えられる」と確信せよ。

世界を変えるために必要なもの、それは「人間性」と「道徳性」である。

すなわち、人間的でないことや道徳的でないことを排除し、「自由」という言葉で貫いて考えることで、この世界における「本当の楽園」を作り出すことができる。

そこにあるのは、老子の道教の教えである。

すなわち、自然そのものと一体になり、人為的な支配や制限を撤廃し、自然に調和してありのまま生きること、それこそがこの世界における「真の悟りの境地」である。

そして、最後に、「志」を持て。すなわち、この世界を変えるのは自分自身なのだということを確信し、「この世界の可能性を高めるためにはどのように考えるべきか」ということをまさに第一に信じるようにして生きよ。

そこにあるのは、「正しい考え方への気付き」であり、その正しい考え方が、結局はフッサールの言う「事象そのものへ」という現象学の原則に繋がっていくのである。

完璧で完全な経験主義

そして、最後に行き着くのは、「完璧で完全な経験主義」である。

すなわち、「思考に先立つ経験をすることで、自らは経験の中で宇宙のすべてを知りつくしている」という境地だ。

そこにあるのは、「思考を再思考する」という考え方だ。すなわち、一度考えたことを、その通り再び同じように考えるということだ。その思考に先立つ「猶予的な経験」をすることで、この宇宙のすべての超自我を、自らの心の中に作り出すことができるのである。

そして、そこまで分かった「悟りの境地」、それこそが「意識の中で全部の存在の変化の可能性が分かる」という境地だ。そこでは、「意識を自由自在に成立させ、どのような意識にもなることができる」という境地に達する。そして、そこから、新しい旅が始まる。すなわち、「意識を自由自在に成り立たせて、その意識に『なれる』という経験を全部する」ということから、新しい「精神分析による世界の統治と導きの旅」が始まる。

これらが、まさしく大天使ガブリエルの思想であり、人生である。大天使ガブリエルはこのように生きた。そして、宇宙のすべてを悟った。このような生物種こそ、「人間よりも進化した生物種」であり、その名を「ホモ・エンジェルス」、すなわち「天使」と呼ぶ。