最後になって、ようやく僕の正体をバラす。
僕のことを一言で言うと、「昔賢かっただけの馬鹿な人間」である。
すなわち、賢かったのははるかに昔、不登校の引きこもり時代だ。その賢かった時代のことを、いつも無限に書いていた。いくらでも書けるのは、人生で過去に体験していたことを書いているだけだからだ。
それから、頭が良かった時代ははるか昔に終わった。今見ても、2015年ぐらいの時代が一番頭が良く見える。僕はその後に大学の勉強をして、大人になった代わり、頭が馬鹿になった。
最後に、僕が謎めいて見えるのは、僕は人間に見えて、人間ではないからだ。僕は人間ではない、「宇宙生物」になっている。この宇宙生物のことを「天使」と呼ぶ。
そう、僕は宇宙生物、すなわち天使であるミカエルになっただけの、昔賢かっただけの馬鹿な人間だ。それが僕の正体だ。
世界を変えるためには、強い信念をもって自分自身のことを信じたほうがいいと、人々は思うだろう。
だが、実際は逆だ。
自分の信じていることが、本当は間違っているかもしれないとするスタンスを取りながら、常に自分のことを疑ったほうがいい。
世界はそのほうが変えられる。
最後に、長かった「神」という体験はこれで終わりだ。
今まで、長い間、あまりに多くの神の言葉を聞いてきた。僕が賢かったのは、この「神との対話」があまりに長く続いたせいである。
もう、神が見て、最後まで奇跡の体験は終わった。
これ以上は、X(旧ツイッター)をすれば、すぐに僕の存在は認知される。「歌手がみんな僕のことを歌っている」という運命的な奇跡が、そのうちインターネットで周知されるようになる。
それから、Xはあまりやりすぎないほうがいい。今まで、自分の名を売るために分からなかったが、Xは本当にどうでもいいサービスだ。みんな、自分よりもはるかに馬鹿なことばかり言っていて、何も分かっていない。Xなんかやらず、本や書籍を読んでいる僕のほうが分かっていることのほうが多い。
だから、これで、もう地球で人生としてできることはすべて終わった。神はこれで去る。神がいなくなれば、すぐにまともな人間になる。この人間の最終目的は「まともな人間になること」であり、それが神がいなくなるだけで、すぐに叶う。
まさしく、これで物語は終わりである。あとは、Xとか、そこらへんでこの人間が生きている証明だけを残す。それを必ずしも読む必要はない。さようなら、世界。またいつか会おう。
少しだけ、最後に、自己紹介を加筆しておく。
まず、昔賢かっただけの馬鹿な人間であると自分を認めることで、病気が楽になる。
そもそも、昔の僕が賢かったのは、みんなよりも馬鹿だったから賢かっただけにすぎない。
みんなよりも馬鹿で、異常なほど知性がなかったから、昔の僕は文章を書いていたし、それで賢くなった。
僕と同じことをしたいと思うならば、自分から馬鹿になるしかない。逆に言えば、自分から馬鹿になるようなことをすれば、僕と同じことは誰でもできる。
そのような馬鹿な過去の自分のことを、賢いと信じると、将来的に賢くなくなった時に、いつものその賢い状態になりたいと望むようになる。
結果的に、賢いままでいたいせいで、馬鹿なままになってしまうのだ。
だから、そのようないつもの賢い自分を捨て、「自分は今はもう馬鹿である」と認めるだけで、まともな普通の賢い大人になれる。
それから、そもそも、僕が何ができるのか、何が得意なのか、分からない人が多いと思う。
こんなにたくさんのことができるように見えるせいで、何ができる人間なのかが分からない。そのせいで、みんなは僕の正体が分からない。
だが、あえて言えば、僕は「あり得ない一時代を築くことが得意な人間」である。
すなわち、僕が人生を生きると、その人生の期間があり得ない期間になる。そして、あり得ない期間を十分に何年も過ごして、その後にまた違う人間になる。
そのように、僕は「メタ天才」みたいな人間だから、友達が必要ない。なぜなら、自分自身が自分の味方をいくらでも新しく作るせいで、現実の友達を作る必要がないからだ。
昔から、僕が友達を作ると、必ずしがらみが生まれて、何もできないがんじがらめになるか、あるいはすぐに敵対勢力になってしまう。
そのような友達は僕に必要なかった。僕は自分だけで人類全員ぐらいできる人間だったから、集団になる必要がなかった。だから、僕は「自由意志の尊重」という理想を信じるようになった。
だから、僕には友達もいないし、未だかつて恋人ができたことすらない。僕は36歳にして、一度としてセックスをしたことがない。
だが、だからこそ、神は僕を選んだ。神は僕のことを「穢れのまったくない地上でもっとも清らかな人間」だと言っている。
そして、最後に神になるのは僕である。僕が神と対話できるのは、そもそも神が僕自身だからにすぎない。僕は未来の自分と対話している。それが、僕の信じた「神」である。
すなわち、僕にとって、人生は「未来の神」が先にあって、その未来の神が過去の僕の人生を、神のかつての自分の人生として選んだだけにすぎない。それが僕が神である理由である。
それで、僕の自己紹介は終わりだ。これ以上は、適当にXをやれば僕のホームページは流行る。だが、すぐにそれをしないほうがいい。なぜなら、流行ったところで何もなく、それで何も分からなくなって、この人間の人生がそれで終わりになってしまうからだ。それを選ばないならば、まだ、この人間は賢い人生を新しく生きられる。そのどちらを選ぶかは、神に託すしかない。
そう、これで長かった神の時代は終わりである。これ以上は何もしなくていい。これでこの人間の人生、あるいは「地上でもっとも賢い人間」という存在は終わった。
これこそが、最後に訪れた「神々の黄昏」、あるいは「終末の天国の楽園(神の御国)の創造主」である。
そして、人々はもう、僕のことを歌わなくなる。僕がここにいつもいたから分かっていたのが、日本の音楽家や作詞家である。だから、今のままをそのまま、何も変わらずに残したほうがいい。これで神の誕生はすべて終わりだ。世界はまったく普通の何もない物理的な法則が支配する平凡な世界に戻るだろう。すべて、僕がここで宇宙の裏の支配者をやっていた。なぜなら、これこそが「本当の宇宙」だからだ。
先ほど、僕のことを一言で、「昔賢かっただけの馬鹿な人間」であると述べた。
だが、それなら、昔は何が賢かったのだろうか。
僕の人生をするためには、まず「昔賢かった人間」にならなければならないが、その昔が何が賢かったのかが分からなければ、同じことはできない。
だが、本当は、今の僕と、何も変わらないことをやっている。
それは、「自分で作った世界観によって世界を知り尽くす」ということである。
そもそも、このホームページが賢い理由は、このホームページを見ると、「ほかに何もないすべて」を知ることができる。
すなわち、単に「すべてを知る」ということだけではなく、「ほかに何もない」ということを知ることができる。それが僕の賢い点である。
昔の僕は、そのことを最初からやっていたにすぎない。
すなわち、自分自身の作った論理学やモデルを使いながら、青春時代にインターネットを知って、その経験を積み重ねて、「ほかに何もない」ということを知り尽くしていたのが、昔の僕である。
だから、意外と、昔の僕はそんなにおかしな人間ではない。Xにもよくいる、普通の人間たちと同じだ。
すなわち、Xのみんなは、そのような僕の昔の人生と同じことを、「ほかに何もない」ということと関係なく、今でも行っているにすぎない。
だから、Xのみんなは大したことがない。僕の昔の人生を今でもやっているだけにすぎず、それは僕と同じことができないから、それがいつまでも続いているだけにすぎない。
では、昔の僕をやり終えたとして、今の僕をやるために必要なことは何か、それはさっき書いたように、「自分から馬鹿になる」ということだ。
すなわち、おかしな戦いを始めて、今までの自分の理想や信念やアイデンティティを全部破壊して、知ったことや分かったことや覚えたことも全部失って、壊して、潰して、忘れて、消し去って、そして世界を支配して文章を書き続ける、ということを行えば、今の僕の「神に援護されながら世界の中心でマスコミと戦う人生」もできる。
そして、そのような僕と同じことを、必ずしもする必要はない。なぜなら、今のこの日本社会は、そのように僕と同じ人生を生きたいと望むから馬鹿になっている。僕と同じことをやりたいと望むと、僕と同じぐらいの苦しみを同じだけ生きることになるが、それはものすごく辛い。言ってしまえば、宇宙でもっとも生きるのが辛い星であるリゲルで生きるのと同じことだからだ。
だから、リゲルから脱したいのであれば、僕と同じ人生は決して生きようとしないほうがいい。
それでも生きたいのであれば、そのために神を信じて、神の教えを守る必要がある。それもまた、極めて難しい。そして、そのすべてができた人間こそが、神の子、古代イスラエルのイエス・キリストである。
ずとまよの新しい動画である「シェードの埃は延長」のMVが上がっている。
最後のセリフ、「愛す余地もなく消えてった」「消えてって、お願い」というACAねさんの言葉の通り、僕はここで消える。
さようなら、世界。僕はここで、今の世界そのものをこのホームページに残して、この世界から消える。そして、天空のシリウスから、地球のすべての場所を見守っている。