メジャーリーグのニュースを見ていると、ドジャースのカーショウがチームメイトの山本由伸を褒めている。
山本由伸の“魔球”は「説明がつかない」 大投手カーショウが米解説で日本のエースを激賞「息子に『理想的な投げ方だ』と教えた」(CoCoKARAnext) - Yahoo!ニュース
カーショー、山本由伸の投球フォームはお手本「最も効率的、きれいな投げ方」 大谷は「誰もが球界最高の選手だと知っている」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
カーショー「8歳の息子にも言うんだ『ほら、とにかく山本由伸を見るだけでいい。投手があるべき球の投げ方だ』ってね」由伸を絶賛(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース
カーショウに褒められて、山本由伸もよかったなあ。
僕も今年の山本由伸には期待しているので、ぜひ、サイヤング賞級の活躍をしてほしいと思う。
これくらいで、僕の人生にあったことは、ほとんど全部書いた。
書いていないことがあるとしたら、昔はインターネットでたくさんの文章を読んでいた。
たとえば、X51.ORGとか、はてなブックマークやスラドやブログにあった文章とか、ITmediaやCNETのようなニュースサイトの文章とかを、いくらでもいくらでも読んでいたのが、昔の僕である。
面白かったのは、エンジニアやハッカーに対するインタビュー記事だ。たとえば、もう、どこにあるのか分からなくなってしまったが、リーナス・トーバルズのインタビュー記事などは、たくさんあって何度となく読んだ。ほかにもラリー・ウォールとか、まつもとゆきひろとか、グイド・ヴァンロッサムとか、昔のインターネット上のインタビュー記事はとても面白かった。もう、何をいつどこで読んだのか覚えていないが、それらのエンジニアやハッカーがどんな人間かということはなんとなく覚えている。
なぜ、それらが書けなかったのか、それはもうどこにあるのか分からなくなってしまったからだ。どこのどんな記事を読んだのか、覚えていないし、覚えていたとしても何十年も前のものだから、インターネット上からは既に消え去っているだろう。僕の一番好きだったGentooハッカーのなかのさんのブログなどは、現になくなってしまっている。
逆に言えば、僕と同じことをやりたいならば、インターネット上のさまざまな文章を読むことだ。特に、Netscapeのハッカーだったジェイミー・ザウィンスキー氏が僕は好きだったので、みんなにも読んでほしい。それ以降はネットでさまざまな文章を漁ればいくらでも出てくる。自分の興味のままに好きな文章をいくらでも深掘りしていくのが一番いい。それが昔の僕の唯一のやっていることだったからだ。
あとは、昔の僕は想像力が旺盛だった。
中学時代数学の成績が極めて優秀だった僕は、ネットゲーム時代に培った知性や想像力を使って、高校数学とはまったく違う「独自の数学」を作っていた。
昔の僕は、数学的知性を数学以外のことに拡張するのが得意だった。さまざまな経験から、その経験に基づいて数学的に考える、ということが僕はものすごく得意だった。
だから、僕と同じように、経験や記憶に基づく意識と社会の数学を作れば、昔の僕はできる。
だが、逆に、それはしないほうがいい。なぜなら、僕はあまりにイレギュラーな数学を作りすぎた。その中にはプログラミングも含まれる。そのようなおかしな数学のやりすぎで、逆に僕は厳密なまともな数学ができなくなってしまったのだ。
僕と同じ数学は、僕にしか作れない数学だから、みんなは同じことはしないほうがいい。僕と同じことをすると、論理的な知性がなくなって、他人の日本語すら理解できなくなる。僕は自分の日本語は誰よりも理解できる人間だが、他人の日本語が理解できない。そのような人間にならないために、みんなはきちんと高校数学を学んだほうがいい。
このように、昔の僕はネットの文章をたくさん読んでいたが、僕自身は、今になってもあまり変わっていない。
たとえば、僕は昔2ちゃんねるを見ていた。単なる普通のユーザーを通り越して、2ちゃんねる専用ブラウザをたくさんWindowsにインストールして、自らもDelphi(Windows用のObject Pascal言語の開発環境)を使って2ちゃんねる専用ブラウザの派生版の開発を行うぐらい、2ちゃんねるをやりまくっていた。誰も見ないような2ちゃんねるのログをいくらでも読んで、誰も見ていない2ちゃんねるのスレッドでいくらでも雑談や会話をして、そこからプログラマやハッカー界の一般常識を分かっていた。
だが、そのような2ちゃんねるは、残念ながら衰退してしまった。今は5ちゃんねるという、誰も見向きもしないサイトに変わっている。5ちゃんねるでは専用ブラウザの開発は許可がない限り禁止、ツイッターでもAPIは有料化してツイッタークライアントの開発は禁止されてしまった。それで何が楽しいのかよく分からない。OpenJaneのような専用ブラウザで更新チェックをすることが習慣になってしまった僕は、昔のように今の5ちゃんねるを普通のWebブラウザだけで見ようとはまったく思えない。衰退するのは当たり前である。
その代わり、僕は最近、Yahoo!ニュースのコメント欄(ヤフコメ)を読むようになった。僕は特にメジャーリーグのニュースなどは、ヤフコメを入念にチェックしている。ヤフコメは2ちゃんねると変わらないが、野球に詳しいさまざまな一般人がいて、野球のことがたくさん書いてある。そのせいで僕は野球のこと(特に野球技術のことやメジャーリーグの常識)に詳しくなった。
ただし、世間一般は昔とは様変わりしている。一番大きいのが、動画配信サービスやSNSの普及だ。ツイッター(今ではXという名前に変わった)やニコニコ動画やYouTubeが席巻したぐらいから、ネットは昔から変わってしまった。だが、実際、僕自身も、それくらいからネットをしなくなったので、僕自身、SNSやニコニコ動画は分からない。僕はいつも「僕はツイッターについていけない」と言っているし、「僕はニコニコは分からない」と言っているが、実際、僕は今でもツイッターやニコニコがよく分からない。たくさんのツイートをしたものの、ツイートだけをしてもツイッターの意味や使い方が分からない。ツイッターがなぜ流行っているのか、どこが面白いのか分からない。ニコニコも同様で、なんでみんなニコニコがそんなに大好きなのか僕は全然分からない。
だから、僕自身は昔から何も変わっていないが、僕が好きだったインターネットの世界は別世界のようになってしまった。
ほかに言えるのは、本や書籍を読みたいなら、昔から名著とされている本や昔の定番の本を読んだほうがいい。なぜなら、昔の本や書籍は賢い本が多かった。今の本屋に並んでいる本も悪くはないのだが、たとえばUnityのようなゲームエンジンの本などは、ほとんど使い方の「さわり」しか分からない。昔の本はもっと技術的な高度なことを教えてくれた。そのようなさまざまなことを教えてくれる昔のエンジニアやハッカーが書いた昔の本を読んだほうがいい。たとえばOSの仕組みを教えてくれるMINIX本などは時間が経っても決して内容は色あせていない。
これでは、すべて昔がよくて、今がすべて悪いように見えるが、真実はそうではない。
なぜなら、最近のネットは、まともな人間が増えてよくなっている。
たとえば、昔の2ちゃんねるの野球関連の掲示板は酷かった。法律や人権無視のような最悪のことを言う。たとえば、イチローをゴキブリと言ったり、松井秀喜をイボと言ったりする。そしてアンチイチローがイチローファンを攻撃し、アンチ松井が松井ファンを攻撃し、みんなで最悪のことを互いに言い合う。ほかにも、カープファンがいれば「原爆落とせ」といったことを平気で言う。野球板だけでない。朝鮮人への人種差別も悲惨だし、アスキーアートではしぃという猫を大量に虐殺するような殺戮AAをいくらでも載せるのだ。
今のネットは、それに比べればはるかにマシだ。そもそも、荒らしのように最悪のことを書き流す人間は最近いない。そういう人間はブロックできるような機能がツイッターにはあるし、そもそも見たくない人間は誰でもフォローを解除できる。だから、一定数馬鹿がいても、それらをみんなで無視できるようになっている。自らが好きだと思う人だけを見られるような配慮がされている。逆に言えば、みんなをイエスマンだけで固めることもできるし、SNSいじめのように、みんなでひとりを攻撃することもできるようになってしまったが、2ちゃんねるの無法地帯から比べれば大進歩だ。
だから、今のネットは昔に比べればはるかにまともになっている。2ちゃんねるはアングラで、法律は無視する。バンプの楽曲が勝手にFLASH動画に使われていたり、誰が描いたのか分からないエロ画像を著作権無視で勝手にアップロードしたりと、やりたい放題。その責任は管理者であるひろゆきが全部背負っていて、ひろゆきは何億円という賠償金を裁判で宣告されながら、その支払いを拒否し続けている。
昔のネットなんかが素晴らしいわけがない。昔のネットが好きな馬鹿は、あまりに昔を美化しすぎている。そもそも、プログラミングの技術的に見ても、昔のプログラミング言語はショボい。Javaのオブジェクト指向すらほとんどの人間には理解されていないで、Perlで適当なCGIのゲームを作ってみんな満足している。今のレベルから考えれば赤ん坊のようなものだ。昔のインターネットは酷い場所だった。
最近のネットは、まともな人間が増えてよくなっている。たとえば、YouTubeには、歌手の公式が自分で楽曲をアップロードすることが多い。広告をつけて無料で視聴できるようにすると、運営会社のGoogleから再生回数に応じて金が入る仕組みが確立しているため、歌手はみんな再生回数を伸ばしたい。だから、YouTuberなどは、どうでもいいおふざけ動画であっても何億円もの資産を形成している。
X(旧ツイッター)でも、主たる情報の提供者は公式のアカウントであり、公式が自分で最新情報を教えてくれるから、ファンは絶対にフォローすることが必須。その公式と一緒にファンをフォローすることで、みんなで推しを一緒に応援することができる。昔の2ちゃんねるにいたような、粘着質の荒らしがいないから、とても快適だ。宇多田ヒカルのファンがなぜアンチ宇多田の荒らし投稿を見てまで2ちゃんねるのスレッドを見なければいけないのか?音楽ファンにとってX(旧ツイッター)は救世主のようなものであり、2ちゃんねるに戻りたい人間はひとりとして存在しないのだ。
なぜ、このような最悪の2ちゃんねるをわざわざ見るのか、理解に苦しむ人もいるだろう。
だが、昔は、そもそも、ネット上のコミュニケーションがあまりに目新しかった。
そもそも、上に書いたような問題は、2ちゃんねらー諸君にとっては「些細な問題」であり、「無視すればそれで片付くようなどうでもいい問題」だった。
それこそ、たとえばIT関係の難しい質問をしてそれにベテランが答えたり、みんなでオープンソースなフリーソフトの開発をしたり、あるいは開発されたフリーソフトがバージョンアップしたり、といったことを、同じスレッドでみんなで分かち合うという経験は、昔はネット上の不特定多数であっても、みんなが画面上で一緒にコミュニケーションをするということが面白かったのだ。
IT関係だけではない。AAについて虐殺しぃについて述べたが、そもそも「文字だけで綺麗な絵を表現する」ということをやりだしたのはおそらく2ちゃんねるが発祥であり、AA職人はものすごく高度な絵をWindows付属のギザギザのフォントで表現する。そこから、ギコ猫とかモナーとかジサクジエーンとか、さまざまなキャラクターがどんどん生まれて、「みんなで2ちゃんねるの看板の可愛いキャラクターを作る」という文化があった。単にキャラクターを作るだけでなく、たとえばショボーンやフーンなどを自分の投稿に付け足して投稿する。今では絵文字があるが、昔は絵文字がなかったため、顔文字はとても表現豊かなコミュニケーションの道具だった。一種の「新しい言語」だったのである。
そのような、雑談や会話が面白いのは、X(旧ツイッター)でも継承されている。Xでも2ちゃんねると同じで、適当に200人ぐらいフォローすれば、2ちゃんねるで雑談していたのとほぼ同じ環境を再現できる。劣化したように見えて、本当は変わらずに継承されているところもある。それは正の継承だけではなく負の継承もあり、ネット右翼は夢見がちな左翼活動家のことを昔はブサヨとかプロ市民とか言ったが、今ではパヨクと言う。そういうところが変わらないのが、インターネットである。
今日も、カブスとドジャースのメジャーリーグ第二戦を見ていた。
時間の都合で、佐々木朗希の登板は見れなかったが、大谷翔平の第一号ホームランが見れたので、大満足だ。
今日も9時に寝る準備をするので、今日は試合はほとんど見れなかったが、ちょうど見ていた時に奇跡のように大谷翔平がホームランを打ってくれた。最高だ。