わたしたちひとりひとりは、決して無力じゃない。
わたしたちにだって、力はある。
わたしたちは、世界を変えられるような力を持っている。わたしたちには、世界を変える力がある。
決して、わたしたちは無力じゃない。
わたしたちひとりひとりの力で、必ずこの世界は変えられる。
自ら敵対し、自ら敵を作ろうとするな。
なぜ、自ら敵を作り出そうとするのか。
敵を作るから、憎しみが生まれる。憎しみから、争いが生まれる。
どんなに相手が憎くても、自ら敵対しようとするな。
世界の全員が、自分から敵を作ろうとするのをやめれば、世界は平和になる。
嘘と洗脳と驕りと欺瞞に満ちた、絶対的な悪の支配者は、この世界に必要ない。
この世界に、絶対的な支配者など、必要ない。
独裁者は嘘つきだ。独裁者は世界を洗脳し、みんなのことを騙す。
そのような独裁者の嘘を暴き出せば、失ったまともに分かる知性を取り戻すことができる。
世界が知性を失い、分からなくなっているのは、すべて悪の支配者と、それに従う者たちのせいだ。
はっきり言って、僕は金儲けが嫌いだ。
普通に金儲けをしている多くの人々を否定するわけではなく、自分自身が「金」というもののために生きようと思いたくない。
金儲けをして、得られるのは単に金だけだ。そして、そのために生涯のすべてを捧げなければならない。それでは、自分のやりたいことができないし、「世界を救う」という理想も叶わない。
だから、僕は金儲けの世界に参加したくない。
「金儲け」と呼ばれる生涯をかけたゲームに、僕は参加したくない。僕にはもっと別にやりたいことがある。
また、僕は宗教も嫌いだ。
宗教は、人々のことを決して幸福にしない。宗教は人々のことを必ず不幸にする。
僕が神を信じているのは、宗教が好きだから信じているわけではない。
僕は神は好きだが、宗教は嫌いだ。
「世界を救う」という理想の実現は、宗教とは別個に存在する。宗教で世界を救うことは決してできない。
必要なのは、理解し合うことだ。
この世界の全員の精神は、「世界精神」となって繋がっている。
そして、相手に自分が理解されると、その相手の理解を通じて、自分自身が自分のことをきちんと理解することができるようになる。
誰からも理解されない人間は、いつまでも何も分からない。
相手に世界精神を通じて自らが理解された時に、始めてその相手の理解を通じて、自分自身がなんであるかを知ることができる。
学校教育を変える方法を考えよ。
科学が間違っているのは、学校の教え方が間違っているからだ。
学校の教え方とは別に、「もっと正しい科学のあり方」というのが確かに存在する。
そして、その正しい考え方で科学を教えるようにしなければ、子供たちは学校で科学を教わっても、何も分からない。
正しい科学の教え方は、もっと別にある。大学中心の科学教育は、絶対に間違っている。
賢くなるために重要なこと、それは「無意識」について考えることだ。
普段、人間が理性を使って経験的に生きている中で、無意識として行っていることを疑うことで、さまざまな普通は気付かないことを気付くことができる。
学校の勉強は、そのような「無意識を疑うトレーニング」だと思えばいい。実際、思春期や青春時代に、子供たちは無意識を疑うことで、大人が普通分からないこと(大人になるともう覚えていないこと)に気付くことができる。
だが、大人にとって重要なこと、それは無意識を疑いすぎず、無意識を信じることだ。
大人には、「やらなくちゃいけないこと」「分からないと生きられないこと」が多い。だから、無意識をできるだけ疑って、「もしこれができなかったらどうしよう」と心配事を増やし、目的や結果に囚われて、いつも目標のことができなくなるかもしれない恐れと戦い、そのために無意識を限界まで疑おうとする。
だが、それは正しくない。もっと、無意識を信じるようにしてやったほうがいい。
無意識を信じて生きることで、楽に生きられるようになる。心配事の90%は杞憂であり、どんなに心配したところで、無意識を信じた結果、楽に生きられるようになる。
無意識を信じることで、精神の異常も治る。精神は、「もしいつまでもこの病気が治らなかったらどうしよう」という心配事から、さらに異常になってさらに狂う。必要なのは、「いつかその時に治るだろう」と信じて、無意識を信じることだ。無意識を信じるだけで、精神の異常はほとんど治る。
自分ばかり思い出そうとせず、他人に目を向けよう。
過去の自分に囚われる原因は、「失ってはならないものを失ってしまうトラウマ」のせいである。
失ったもの、かつて自分が持っていたのになくなってしまったものを、どうしても取り戻そうとするせいで、過去の自分の記憶にいつまでも囚われてしまい、世界のことをまったく見ようとしなくなる。
だが、かつて持っていた失ったものは、決して、自分だけを思い出して手に入れたものではない。みんなと一緒に生きた人生の中で、世界のみんなから貰ったものである。
だから、自分ばかり思い出そうとせず、他人に目を向けよ。世界のみんなが今、持っているものを見ようとせよ。それだけで、すぐに「失ってしまった大切なもの」を取り戻すことができる。
無意識を信じることは、単に狂いが治るという、精神病理的なメリットだけがあるわけではない。
なぜなら、無意識を信じるのは楽しいからだ。
すなわち、無意識を信じるということは、楽しい。子供には、無意識を信じることを楽しむ子供が多い。だから、無意識を信じることを楽しむと、子供に戻れる。
何かのきっかけで、幼児に退行してしまい、大人になることができなくなった人間は、無意識を信じればいい。無意識を信じることで、子供と同じ体験ができる。それによって成長し、いつか大人になれる。
そのような経験を全部したのは、地球上において僕ひとりだけである。それが、僕が誰にも知らないことを全部知っている理由だ。
無意識を楽しむコツ、それは恐れないことだ。恐れからできなかったこと、したくなかったことを、あえてしてみること。それが「無意識を楽しむ」という行為だ。それができるようになると、精神のどんなことであっても治る。絶対にできないと思わず、やってみると、意外とそのようなリスクを自ら選ぶことが、人生にとってもっとも価値ある選択や決断である、ということが分かるようになる。
精神を治すためのコツは、範囲を制限しないことだ。
精神が、治る状態をいつまでも保ち続けているにかかわらず、いつまでも治らない理由は、精神が動く範囲を制限しているからだ。
そして、何もできなくなっている理由は、一度もしたことがないからだ。
だからといって、「一度だけする」ということを全部したとしても治らない。
範囲が狭くなっている理由は、何かしらこだわりやしなければならないと思っていることに囚われているからだ。
範囲を広げるために必要なのは、無条件に、すべてのことを受け入れることだ。何かしらの「勝つための手段」を放棄し、無条件で降伏し、敗北宣言をすることだ。
歴史を真に知るために必要なのは、過ぎ去ってしまった宇宙の歴史を思い出すことだ。
学校で歴史を学ぶと、書物に書かれていることが人類の歴史であると勘違いしてしまう。
だが、実際の歴史は、学校で学ぶ歴史ではない。
実際の歴史は、ものや場所に遺っている歴史であり、過ぎ去ってなくなったにもかかわらず、それが確かにあったという痕跡が残っているような、社会のものだったり、記憶の中の場所だったり、あるいはそれ以外の意識や記録だったりする。文書に遺る記憶だけではなく、ものや人に遺る記憶もある。
そのように考えることで、本当にあったことを、自らの記憶の中の思い出から思い出せる。それこそが、学校で学ぶ歴史ではない、真に知るべき正しい歴史である。そして、そのような歴史を捉えられる人間だけが、哲学者になれる。
だから、宇宙の歴史を思い出せ。そして、宇宙の歴史を考えよ。歴史書ではなく、実際の世界を見て歴史を考える人間であれ。