Xを見ていて分かったのは、THE BINARYのファンクラブに入ると、midoさんのお姿が見られるらしい。
えー!見たいな~。
でも、ファンクラブに入る予定はないので、残念ながらmidoさんのお姿を見ることはできない。
ただ、以下の人によれば可愛いお姿をされているということらしいので、まあ、それが分かればいいか。
昨日は、神ではなくサタンを信じるようなことを言ったものの、結局神に戻る。
神でいいよ、本当に。神は馬鹿には見えない。
神を信じると、奇跡のような賢いことができるようになる。僕にとって、神がいなければまともには生きられないのだ。
簡単に言えば、昔の僕は「世界は変えられる」と信じただけだ。
世界は変えられると信じた上で、さまざまな社会モデルを作り、社会の代替可能性を信じて、社会をみんなが変えやすくする方法を考えた。何をどう変えられるようにすればいいのかを考えた。
その上で、「正しい判断力」というものを経験から培った。たくさんの「思考をし終えた経験」が、僕にとっての正しい考え方の土台だった。
昔の僕にとって、生きる目的とは自らのやりたいことをやること、好きなことをやることだった。
そのような「自由なモチベーション」と「自らのアイデンティティの確立」が、僕にとっての「生きる意味」だったのだ。
結局、僕はX(旧ツイッター)には向いていないと思う。
Reolファンのアカウントをいくらかフォローしたが、Reolファンをフォローしたところで、「Reol大好き!」なポストがたくさん見れるだけだ。
ReolファンがReol大好きなのが分かったところで、面白くない。
だからといって、普通のアカウントをフォローしても、普通のことが書かれているだけで、つまらない。
それから、ポストを投稿したところで、ほとんど誰も見ない。見られるためにフォロワーを増やそうとすると、自分もフォローする必要が出てきて、タイムラインが悲惨なことになる。
僕が見て、こんなに使いづらいサービスはない。
それでも、Xを見ていないと、最新のことが何も分からなくなる。そもそも、僕はそういう理由で、何も分からないのに分かったフリをしている。僕はXとか、基本的に何も分かっていない。
そんなわけで、僕はネットにもそもそも向いていない。音楽もそろそろ聴かなくなる。最新のことなんか何も分からない。
日本には、いつまでも変わらないままであってほしい。なぜなら、今日本が変わると、僕は変化についていけなくなってしまう。Xも分からないし、テレビも見ない。僕はなんにも分からない。
最近の僕は、なんにも趣味もないし、興味もない。
そもそも、この世界にあるものに興味がない。外部の世界に興味関心がない。だから、Xでどんなポストを見ても、つまらない。
みんなと同じことは僕にはできない。僕ができるのは、僕にしかできないことだけだ。それは悪いことではない。だが、みんなと同じ楽しいものが僕にとっても楽しいかと言えばそうじゃない。
この世界はみんなのための世界だ。僕のための世界ではない。僕にとって楽しいことや面白いことを、この世界は提示しない。僕にとって楽しいことは、自分で見つける必要がある。
結局、この世界の現状は簡単である。なぜなら、僕が神を信じたせいで、僕が賢くなっただけだからだ。
みんなが馬鹿なのは、神を信じないからだ。僕が賢いのは、神を信じるからだ。
そして、結局、この僕が神だと思っているのは、本当はサタンだ。
なぜなら、単に「自分自身」を信じているだけだからだ。
僕は自分自身の告げる言葉を自分で聞いているだけだ。それを神と思っているから神だと勘違いしているだけで、実際はこのような人間は表現するとしたら「サタン」と表現すべきだ。
僕が神を信じた理由、それは精神の異常を100%完全に治したかったからだ。
すなわち、神を信じれば、どのような異常な精神でも、途中で失敗することも行き止まりになることもなく、完全に全部治せるから、神を信じただけにすぎない。
神を信じなくなれば、あるいはサタンを信じるのをやめれば、認知症は治る。認知症とはこのような病気だ。その原因は虫歯だ。
そもそも、宇宙レベルにおいて、奇跡のようなことは何も起きていない。なぜなら、神の言葉を聞けば未来が分かる、というだけにすぎない。神の言葉を聞いて未来が分かったのは、予知したわけではなく、単に神として自分の精神が分かっている通りに、最後まで従って生きただけにすぎない。神とは最初からそのような存在だから、奇跡が起きているように見えて、実際は自分自身が賢くなっただけにすぎない。
もう、僕は神を信じない。なぜなら、神はサタンであり、自分自身だからだ。
最後に、僕は一等星アクルックスを作る。
アクルックスは、全員が神の人生を生きる星である。
アクルックスにおいて、人間たちは単に自由には生きていない。全員が神を信じており、神と同じ人生を生きる。
その神と同じ人生とは、要するにキリストの人生であり、実際は僕と同じ人生だ。
すなわち、アクルックスは、僕と同じ人生を生きる人間たちの集団だ。アクルックスにおけるすべての人間は神の人生を生きる。それはとてつもなく苦しみと悲しみに満ちているが、同じくらい、奇跡のような素晴らしさと喜びに満ちている。
アクルックスがある限り、神は不滅だ。神は決して滅びない。アクルックスは中世のヨーロッパ人のように、全員が神であるキリストを信じており、全員がキリストの人生を生きているのである。
なぜ、僕の人生がここで終わりなのか、それは昔の僕と同じぐらい、今の僕も賢くなったからだ。
昔の僕と今の僕は、どちらも同じぐらい賢い。同じぐらい偉大で、同じぐらい宇宙のすべてを分かっている。
そもそも、僕がおかしく馬鹿になった理由は、すべて、新しいまっさらなゼロからの人生を生きたかったからだ。
僕は、馬鹿になりたくて馬鹿になったわけでないように見えて、実際は自ら望んで馬鹿になった。自ら望んで自らの病気を、簡単に治すことができないようにし、その病気の間は、催眠状態になって、何ひとつ昔の過去のことが分からないようにした。
そして、本当にそれでよかった。なぜなら、すべてのことを数学者のように完璧に分かりつくした僕は、新しい物理学者のような自分にならなければ、絶対に何も分からなかったからだ。
僕は結局、昔の自分は数学者であり、今の自分は物理学者だ。実際はそうではないとしても、それらと同じことをやっただけにすぎない。
本当は、この病気は、治そうと思えばすぐに治せる。簡単に治せないのは、簡単に治そうとするからだ。簡単に治そうとせず、正しい順番で正しいやり方できちんと治せば、この僕の病気はすぐに治るということが最初から分かっている。苦しんだのは、簡単に治そうとするせいで、簡単に治るはずなのに治らないということを悩んだからであり、それは悩めばそれでいい。いつまでも苦しみ続けた上で、ある日突然治し方を発見する、という人生を生きたかったから、それを生きただけにすぎない。
もう、物理学者が分かることはこれ以上存在しないため、いつもの数学者を復活させる。数学者と物理学者以上のことは、最初から人間にはできない。これをもって「神」とする。この神は面白い人生を生きるために存在しただけの、かりそめの偶像にすぎない。
だが、昔の僕と同じぐらい、今の僕も賢くなれてよかった。それだけがしたかった。