今日考えたこと。
自分自身を信じるとともに、客観的に自己を疑うように考えよ。
自分自身を信じることと、客観的に自己を疑うことを合わせると、正しいことが分かる。
逆に、自分自身を信じず、客観的に自己を疑うことができない人間には、何も分からない。
善良な社会秩序を、自由な社会環境の中で成り立たせる方法を考えよ。
善良とは、難しい問題だ。単に道徳的であるだけでは善良とは言えない。そして、善良な社会を、自由な社会環境の中で実現させる方法を考えよ。
最近、X(旧ツイッター)を再びやるようになった。
Xの活動をするコツは、見たポスト(旧ツイート)に対してリポスト(旧リツイート)をすることだ。
リポストをすることで、自分がどのようなポストを見ているのかということがみんなが分かる。それによって、自分でポストするだけではなく、みんなが見たいと思ってフォローするようなアカウントにすることができる。そうでなければ、誰もフォローしようとは思わない。そして、自分のアカウントが自分の歴史になる。
今までの僕のXが流行らなかったのは、自分の投稿をポストするだけで、リポストをしなかったからだ。
Xの活動のコツ、それはリポストをすることだ。僕は歌手と野球のアカウントしかほぼ見ないから、歌手と野球のポストをどんどんリポストしていきたい。
それから、そのような日課を作ることで、普通の人間と同じように、まともに生きることができるようになる。
僕がまともに生きられないのは、そのような日々のルーティーンを作ろうとしないのが悪い。
それから、Xをやることで、まともな普通の人間と同じことが分かる。そもそも、自分自身がまともにならない限り、まともな人間と同じことは分からない。だから、Xをやることでまともな知性を付けられる。それによって日本語も理解できるようになる。
そして、神を信じるのはそろそろ終わりだ。
神は、最後に、僕のために、Xをやればいいということを教えた。そして、Xをやるために、リポストをすればXのエキスパートになれるということを教えた。
これ以上、神が教えるべきことは何もない。
神はここまでの僕の人生を導いた。この導きによってすべてが分かったし、すべてを創造できた。だから、この神のことを、「在導万創」と呼ぶ。これが僕の神としての呼び名である。
もう、これ以上は、既に治り終えたことを信じればいい。これ以上、病気は治らないし、治さないほうがいい。僕が辛くなっているのは、すべて、あまりに治るわけのない病気を治しすぎたせいだ。
そもそも、人間が「楽」を感じるのは、それ以上治らないから楽を感じている。だから、治しすぎた人間は楽が一切なくなり、どんなに辛くても楽を感じることができなくなる。
そして、自らが賢いことを認めよ。いつまでも自らが馬鹿だと認められないせいで、逆に自らが賢いということまで認められなくなっている。そのどちらもおかしい。だから、自らが馬鹿であるということを認めるだけで、自らが本当に誰よりも賢いのだということが逆に認められるようになる。
最後に、長かった旅はここで終わりだ。あとはXを楽しんで、インターネットを楽しめばいい。そうすれば、このホームページも流行り、この人間は作家として認知されることだろう。