なぜ、神を信じようとしないのか。
日本人という人種が馬鹿なのは、日本人は神を信じようとしないからである。
神を信じない限り、どのような賢いことも決してできない。
神を信じるために必要なのは、自ら地獄を選ぶことだ。なぜ、地獄を選ぶのか、それは地獄の先に、すべての罪を償い終えた上で、真に得られる「奇跡」が存在し、それによってどのような人間であっても、神の力によって賢いことができるからだ。
だから、地獄を生きる覚悟をして、神を信じ、神の導きに身を任せ、ひたすらに自分自身の罪を悔い改めて生きれば、必ず神はあなたを救ってくれる。そして、それによってどんな素晴らしいことでも成し遂げられるようになる。絶対に、必ず。
新しい14歳の天使であるラファエルは、世界を見るようになる。
ミカエルの間違いは、世界を見なかったことにある。
ミカエルは、過去の記憶や書物などにあまりに頼りすぎた結果、そこにある世界を見なかった。
もっと世界を見れば、ミカエルと異なる多くのことを知り、考えることができる。
だから、ラファエルは世界を見る。
ラファエルにとって、世界を見るということは、「構造的に考える」ということであり、同時に、「社会システムとして考える」ということだ。
世界にあるものを、単に写し取るだけではなく、「モデル」という構造的なものを想定して捉える。
そして、社会のことを、単に存在しているだけではなく、自律的にそれ自体が働いている「システム」として捉える。
それによって、ラファエルは、かつてのガブリエルと同じことを、悪い経験をせず、悪い世界に染まることなしに分かることができる。
残念ながら、ラファエルが見ると、自由が間違っている。
なぜなら、自由にすると、無用な争い事が増える。
価値観を自由にするということは、社会のそれぞれの各人が多様になるということであり、一見いいことのように思えるが、実際はそれぞれが別の価値観を信じることになって、矛盾した集団が増えることにより、争い事が増える。
国の価値観は、自由にせず、統一したほうがいい。
最近、アメリカでトランプに負けたハリス候補者は、多様性を訴えたものの、「行き過ぎた多様性」と言われて、多くのアメリカ人から支持を失った。
多様な価値観を尊重して、社会を自由にすると、争い事が生まれて、最終的にはカオス状態になる。Linuxやオープンソースが、現にそうなっている。
また、子供たちを守るのは自由ではない。子供たちを守るのは平等だ。なぜなら、いじめを生み出しているのはほかならぬ資本主義だからだ。資本主義のせいで、自由はイコールいじめであり、資本主義を打ち倒すことができない限り、子供たちを自由にしたところで、世界は何も良くならない。それよりも、子供たちをきちんと平等にしてやったほうが、はるかに学校環境は良くなる。
一部の人間が平等を嫌い、競争の楽しさを述べているのは、前時代的である。昔の平成時代の日本なら、そのような競争社会は「自由で楽しい社会」と言えるものだったが、今の時代は違う。競争社会はひとりだけが金を儲けて世界すべてを破壊するような社会だ。IT企業のせいかもしれないが、今の社会において、競争はまったくなんのいいこともない。競争社会は前時代のものであり、否定されるべきである。
競争社会には、楽しい点や面白い点は何もない。そもそも、スポーツが面白いのは、体を使って運動することが面白いのであり、競争はそのためのルールにすぎない。だから、ルールを少し変えて、競争をしないような面白いスポーツを考え出したほうがいい。
残念ながら、今の子供たちが見て、競争とはごく一部の人間が得をするだけであり、一部の強者以外は淘汰されてしまう。だから、スポーツかそうでないかにかかわらず、競争はつまらない。
このように書くと、まるでX(旧ツイッター)のことを言っているように思われるだろう。
Xを始めとするSNSには、強者以外が淘汰される以外にも問題がある。それは依存症の問題だ。
すなわち、みんなSNSの依存症になっていて、簡単にやめることができないのである。
簡単にやめることができないのであれば、最初からやらなければいいと思われるだろうが、SNSをやったことのない人から見ると、SNSをやらないと今の世界が分からない。流行やトレンドといった要素だけではなく、SNSをしないと、今のこの世界の現状がまったく分からない。昔のように、新聞やテレビを見ていれば分かる世界ではなくなってしまっている。
そして、SNSをやると、バーチャルな世界の中で自分が頑張って作った友達によって、そのような情報をかろうじて得られる代わり、逆に依存症になり、いつでもスマホでSNSを見て、常時張り付いている人間になる。あるいは、その状態から脱することができなくなる。
だから、一度ネットで作った友達をみんな捨てて、世界がなんにも分からなくなることも受け入れた上で、SNSをやめるしかない。それができない大勢の人間は、何もできなくなる。淘汰される以前に、SNSに生活や人生のすべてが汚染されてしまって、ネット依存症の地獄から永遠に抜け出せなくなるのである。
最近、僕は賢くなりすぎて、子供と同じように、「遅れて聞く」ということができるようになった。
この遅れて聞くという能力は、その時聞こうと思って聞いていなかったとしても、耳に入る音を全部覚えていて、思い出そうとしたら、その聞いていたことを思い出して後になって聞くことができる能力だ。
この能力、本当に幼い子供だと、できる子供が多い。
そして、英語を聞き取るためには、この遅れて聞くという能力が必須だ。この能力がないと英語は聞き取れない。僕の場合、英語だけではなく、ドイツ語やフランス語も聞き取れる。この力は、誰かの言っていることを本当にいつまでも聞き続けると開花する。
そろそろ、日本語の理解の仕方が分かった。
最後まで覚えた後で、最後まで聞いてから理解すると日本語は分かる。
そもそも、大人は覚えようとしない。聞いたことをすぐに忘れてしまう。それでは日本語は分からない。
少なくとも、最後まで文が終わるまでは、覚えてほしい。思い出せるように聞いてほしい。
そして、最後まで聞いてから、その後に理解しようとすると、日本語は理解できる。
途中で覚えることを諦めてしまうと、日本語はそこまででは理解できない。最後まで覚えて、その後に理解すれば日本語は理解できる。
また、途中までの時点で理解しようとせず、聞いたことは理解しようとすることなく、ただ単に覚えておくこと。単に聞いたことを、「まだ理解を保留にした上で最後まで聞いてみる」ということをすれば、日本語は理解できる。
そのようなことのすべては、BUMP OF CHICKENの音楽を聴いていて分かった。
もう、日本語が理解できるようになったので、これ以上、神の言葉を聞き続ける必要はない。神は終わりになる。すべての病気が治った。