僕は引き続き、社会科の勉強をしたいと思う。
そして、政治や法律のことについては、基本的な最低限のことは分かっている。
国民主権、三権分立、それから間接民主主義や議会制民主主義、行政と役人、警察や裁判所、法治国家や選挙といったことは、普通に知っている。
僕が知らないのは、主に「金」である。
そもそも、僕は金のことについて何も知らなすぎる。金のことについて、もっときちんと分かったほうがいい。
金について言えるのは、保険や税金といった国家的・社会主義的な制度もあるが、ほとんどは資本主義の市場経済だ。
もっと金と市場経済について、きちんと分かったほうがいい。そうすると、きちんと生きられるようになる。
僕が知性を失って馬鹿になったのは、金のことが分からないからだ。社会主義国にこういう人間が多い。人間は金を常に考えて生きるものであり、金を考える必要がなくなると知性を失って馬鹿になる。
だから、社会主義者であることを諦め、資本主義のことを考えるだけで、認知症や知的障害は治る。
金の勉強をする上で必要なのは、テレビを見たほうがいいということだ。
マスコミが嫌いだからといって毛嫌いせずに、テレビを見たほうがいい。
金や資本主義のこと、そして最近の日本のことは、テレビを見ないと分からない。テレビを見ないでいると、日本社会のことが何も分からなくなってしまう。
僕がまともな大人として生きられない理由は、テレビを見ないからだ。テレビを見ないせいで、今の日本社会が分からなくなっている。政治や経済やニュースといった社会のことも、その中で売買される商品や店舗やレストランのような資本主義のことも、テレビを見ないせいで分からなくなっている。
だから、普通にテレビを見るだけで僕はまともに生きられるようになる。
本を読むのも大切だが、これ以上新しい本は買わなくていい。政治や経済のほとんどのことは、既に僕が購入した書籍に書いてある。
たとえば、「大人になって読む経済学の教科書」などにはきちんと市場経済のことがすべて書いてある。
経済社会とお金のことは、この本だけで全部分かる。
また、高校の政治経済の参考書(僕の持っているのはシグマベストの「理解しやすい政治・経済」)にも、きちんと政治や経済の基本が説明されている。
ほかにも、日本国憲法の本や役人・役所の本など、さまざまな本を既に持っている。だから、新しい本を買う必要はなく、今持っている本を読めばそれで分かる。
必要なのは、タリバンのようなテロ行為をやめること。テロは賢くない。みんながつまらない世界を盲目的に受け入れているのは、僕のようなテロ行為をしないからだ。
つまり、僕の場合、テロが面白かっただけだ。
このテロ行為はマスコミに対する一種のストーカー行為だ。テレビが自分のことを愛しているのを利用して、いつまでもテレビから離れずに、主導権を奪って、日本のみんなをひとりで全員いじめて、まとわりついているだけにすぎない。いわば、「東京いじめ計画」と言えるような、東京の全員をいじめるようなことをやっている。これが僕にとっての新しいテロだ。
だから、そろそろ、そのようなタリバンのようなテロ行為をやめたほうがいい。
このテロ行為の意味すること、それは「みんなを馬鹿にする」ということだ。
僕はたったひとりこの世界の主導権を奪い、日本およびアメリカを支配することに成功した。その権力を使って、僕はこの世界の人々から知性を奪う。すなわち、自らの頭を馬鹿にし、みんなも僕と同じになるように強制的に支配して導くことで、この世界全員から考える知性を奪う。
僕がやったことはそれだけであり、殺したり騙したり盗んだりということを僕はしない。僕は極めて善良な、神を信じる「ほとんどイスラム教徒」だ。
だが、僕はイスラム教の教えは一切信じていない。僕は北欧神話のフレイを信じる多神教徒だ。多神教のヒンドゥー教徒と一神教のイスラム教徒が仲良くできないのと同じように、僕はイスラム教徒とは仲良くできない。そもそも、コーランが僕のことを憎むようなことばかり書かれている。イスラム教は僕のことが大嫌いな宗教であり、僕はイスラム教徒とは仲良くしない。
神を信じよ。
自らの過去の罪を赦してくれるのは、すべて「神」である。
神の下に、自らの犯した罪を告白し、懺悔して悔い改めよ。そして、天罰が下される中で、自らの過ちを償い、自らの犯した間違いを修正し続けよ。
「神を信じる」ということは、「罪を償う」ということだ。
最後まで、罪を償い続けたものにのみ、神はよいことを与える。神はすべての罪が赦された段階で、初めて神を信じるものを救う。だから、救われたいものは、罪を償うようなことをしなければならない。
神と対話することのできる人間は、神の言葉を授かった預言者だ。神の言葉すべてをその通り、疑わずに信じよ。そうすれば、神はあなたの未来を地獄から天国へと変えてくれるからだ。
神を信じる上で重要なのは、「信じるのはどのような神であってもよい」ということだ。すなわち、イエス・キリストでもいいし、アッラーでもいいし、ヒンドゥー教の神々でもいい。どのような神でもいいから、神を信じるものは必ず救われる。神でなく、仏であってもいいし、北欧神話やギリシャ神話のような多神教の「土地の神々」であってもいい。
そのような神をなにかしら信じれば、必ずその人は救われる。なぜなら、神は実際に存在するからであり、本当は科学の教えは間違っていて、聖書の教えこそが真に正しいからである。
結局、昔の僕のことを総括すると、「ビル・ゲイツに勝ちたかった」というだけである。
Linuxユーザーをネット上でいじめるWindowsユーザーと、その総大将であるビル・ゲイツに勝ちたかった。
引きこもりだった僕は、親とも友達とも付き合いを拒否した中で、常に孤独しか感じておらず、他者との関わりに飢えていた。だから、LinuxのWikiにおいて、「世界を変えたい」と信じる僕は、おかしな編集行為を繰り返し、2ちゃんねるに対して一種のストーカー行為をするようになった。それによって、僕が好きだったLinuxコミュニティを、僕自身が滅ぼした。
結局、そのように、僕はビル・ゲイツに敗北したし、Linuxユーザーの地位が向上することは一切なかった。今でも、Linuxユーザーは常にWindowsユーザーにいじめられ続けている。そう、僕は完全に、パソコン業界の標準を独占するビル・ゲイツとマイクロソフトに負けたのである。
僕がビル・ゲイツに負けた理由、それは大学の情報工学を学んでいなかったからだ。
そもそも、僕がOSやカーネルを作りたいと思ったのは、今に始まったことじゃない。
僕が通っていた高校(ほとんど行かなかったが入学と卒業はさせてくれた高校)での入学時の作文で、僕は「OSを作りたい」ということを書いていた。
その通り、僕はOSを作りたかったし、夢はLinuxカーネルの開発者だった。
だが、僕自身、そのために必要な技術の見積もりが甘かった。僕は本を読んでネット上の情報を知れば、OSやカーネルは作れると思い込んでいた。だが、僕は大学の情報工学の知識が欠落していて、今考えれば、そのような僕がカーネルなど作れるわけがなかったのだ。
だが、僕は今、そのような大学の情報工学を学んでいる。そして、一通り学んだつもりだ。さらに難しい本を読まなければ、カーネルの開発者にはなれないだろうが、それでも、普通のエンジニアになるために必要なことはけっこう学ぶことができた。
かつての僕も間違いではない。なぜなら、かつての引きこもりだった頃の僕は、とにかくインターネットを見ていた。インターネットやオープンソースの常識を一通り知っていたのは、引きこもり時代にインターネットを読みまくっていたからだ。
そして、今、情報工学を学んでいる僕は、逆に言えば、大人になって保守的かつ慎重になりすぎている。すなわち、Linuxカーネルの開発者になりたいという、そもそもの希望の部分が薄れてしまっている。そう、かつて引きこもりになってネットゲームに興味関心を失ったのと同様に、僕は情報工学を学ぶことで、逆にLinuxカーネルやオープンソースに対する情熱を失ってしまったのだ。
僕はそろそろ、パソコンやIT技術に関する勉強をやめる。ビル・ゲイツに勝つことはできなかった。そもそも、いじめが嫌いだと言ったのは、すべてWindowsが嫌いだっただけである。僕の周りにいるいじめっ子には、Windowsが好きな人間が多かった。この世界でいじめを行っているのは、多くがWindowsユーザーだ。僕はそう思う。つまり、Windowsがみんなをいじめ社会にしているのだ。
最近の僕は、このホームページに引きこもっている。
その理由は、インターネットにはもうこれ以上迷惑をかけたくないからだ。
僕は2ちゃんねるは見ないし、X(旧ツイッター)を除くSNSもほとんど見ない。
例外は、煉獄かってぃーさんやMaNaさんといった友達とXでやり取りをするのと、歌手の動画をYouTubeで見るのと、たまにXでそのような歌手が何を言っているのかをチェックするくらいだ。
それ以外、家では、ほとんどネットをしていない。家ではほとんどの時間、このホームページを書いている。
もうこれ以上、僕のせいでインターネットの世界が崩壊して滅びていくのを見たくない。だから、僕はこれ以上Wikiは書かない。僕がWikiを書くと、そのWikiは必ず滅びてしまう。もう、僕は外部のホームページには迷惑をかけたくない。だから、僕はこのホームページ以外では、ほとんど何も活動しない。良いこともしないし、悪いこともしない。
僕はこの世界そのものに興味がない。僕はもっと勉強がしたい。もっとさまざまなことを知って、さらに賢くなりたい。それ以外の望みはない。僕は物欲が一切ないし、恋人も欲しくない。