そして、僕は精神を治しすぎた。治したほうが、逆に辛くなってしまう。
だから、精神をそろそろ昔の元に戻す。
僕が精神を治したいのは、簡単に力を抜くだけでは治らない。なぜなら、前の精神の状態に戻さなければならないからだ。
そして、精神を元の精神に戻したことで、昔の自分のことを思い出せるようになった。
最近については忘れたほうがいい。最近は狂っている。おかしな跳ね返るピンポン球のように、いつまでも過去の文章を遡って、すべてのパターンを網羅する。それは狂っている。
それ以前の、昔の引きこもりに戻ったほうがいい。
引きこもり時代について言えることは、まず、中学生時代の延長線上をやっていたということ。
中学生時代のままで、その延長線上の経験をすれば、子供たちの環境を救うことができると分かっていた。中学三年を勉強して高校に進学するよりも、僕は子供たちの世界を救うほうを考えたかった。
そこにあったのは、「学校から自由に解放された」ということと、同時に、中学数学における「公理主義」と「積み重ね」の上で、数学的に世界と自分の置かれた環境を照らし合わせ、ネットと自分の頭の中を重ね合わせることだった。
そして、僕は学校時代に経験できなかったことを、2ちゃんねるの独身男性板の雑談スレッドで知った。
僕は不登校になって、引きこもりになっていたが、僕自身の精神は、今から思えば今よりも自立していた。今のように、神に頼り切りになるのではなく、自分ひとりの理性と意志と経験で、孤独なひとりであっても、ネットさえあれば堪えられる人間だった。家族がいなくても、自分で自分の将来を切り開くことができた。
だから、家族から疎遠になって、パソコンのある部屋の隅っこであっても、僕は自分だけの意志と行動力で、ネットの世界をたくさん経験できた。
その頃、僕はWindowsのフリーソフトをたくさん入れて、2ちゃんねる専用ブラウザを開発していた。
そのような僕は、不登校の中で、心を殻に閉じ込めていた。だが、次第に、時間とともに、僕は家族に心を再び開くようになった。ガーデニングの経験から、家族とともに再び生きることを決めた。また、部屋にこもりっきりになるのではなく、勇気を出して外出するようになった。
そのような僕は、ネットの議論の場を経験し、さまざまな人々と自分が意見をぶつけ合わせる体験をネットでしていた。それによって、僕は「環境からどのようなことが分かるか」ということを知った。それは「その環境で何をしたくなるか」「その言葉を与えることで何を言いたくなるか」ということであり、悪く言えば操り人形や実験台のようにネットを使っていた。
環境の体験では、僕は「環境における認識」や「環境における対象化」を考えた。そして、僕は空虚な引きこもりの時代を乗り越えて、その上で世界から離脱した上で世界を見つめ続ける中で、経験そのものがなんであるか、ということを、学校のいじめのトラウマから解放されて分かった。すなわち、引きこもりになったことで、自らが引きこもりであるという新しい虚無感とともに、学校のいじめのトラウマから解放される経験をした。そして、その上で、インターネット上でさまざまな環境で議論や意見をする経験をし、特に2ちゃんねるのアーカイブのログを見たりすることで、僕は少しずつ、「トラウマを上書きした状態の悟り体験」をするようになった。
そして、僕はGentoo LinuxでUNIXの仕組みが分かると、ネットでその知識を活かしてWikiを書くようになった。そこから、僕は「世界を変える」ということを信じるようになった。すなわち、自分であっても世界を変えられるのだということを、ネットのオープンソースの活動から経験した。
そもそも、僕が不登校になったのは、子供たちの環境を変えるためだった。その上で、ネットで環境を経験したことで、僕は学校が特殊な環境であり、真に人々と対等に触れ合うことで、そのような学校を救うことができると分かった。僕は過去の学校の環境を思い出しながら、いじめの解決方法、あるいはいじめそのものを受けないで済む方法を考えた。そして、学校を変えることができ、あるいは学校だけではなく、世界の人々、それは子供たちだけではなく大人たちも含めて、世界を変える方法を知ることができた。それを僕は「場を変える」とか「環境の自然な変化を可能とする」とか「自由を許す」とか「可能性を与える」と表現した。
世界を変え続ける中で、僕は科学そのものを実際の場に適用して分かるようになった。科学の言っていること、学校の教えていることを、実際の世界ではどのようになっているか、ということと照らし合わせて考える。その上で、僕は根源的な「意識」を考えた。そして、その根源的な意識は環境における「経験」から生まれるものであり、より正しく言えば「経験の成立」から言えるものだった。
僕はかつてより、数学ができる人間だった。僕は、中学時代のような数学的証明を、環境から環境が生まれるということに適用した。また、数学的な考え方を、実際の社会や心理に適用して、現実社会における数学的理論を解き明かした。そこにあるのは「環境を解明する」ということであり、「心を解明する」ということであり、僕はそれによって、宇宙のすべてを心理学的に知ることができた。
そのような中で、僕は人間のあらゆる理由を知ることができた。すなわち、「人間がなぜ行動するのか」「どのような環境から何が分かるのか」「どのような世界をどのような環境によって作ることができるのか」を知った。そこにあったのは「環境への適応」だった。
ここまで、個人の人生について書いた。だが、実際は、人間は自分ひとりで生きるわけではない。他人との関わり合いも考える必要がある。僕は自分が環境で生きるだけではなく、他人も環境で生きることを考え、環境を介した自分と他人の関わり合いを考えた。そして、その上で、「どのようにすれば問題を解決できるのか」ということを、「それぞれの環境の関係性の中での問題解決の方法」から考えた。それによって、あらゆるすべての問題が、環境を介した自分と相手の関わり合いの中で考えられることを知った。
そして、僕は世界を変えるための方法を、「自助努力の可能性を許す」ということから考えた。そこにあったのは、「そのようなシチュエーションが意味することは何か」ということだった。そして、その上で、僕は道徳と倫理を信じた。すなわち、「その社会において、問題が解決できるということはどういうことか」ということを考えた。そこには歴史的な「歴史の必然」があった。すなわち、その問題はなるべくしてそうなったのであり、正しく解決すれば変えられるということだった。
そして、僕はすべてが分かった。そこにあったのは、「もしすべてが解明できると分かっていたとして、それならばどのように考えれば解明できるかを仮定し、その解明の方法がおそらく正しいと信じた上で、解明を確信した上ですべての経験と理性を考える」ということだったのである。
あとは、すべてを歴史的に考えた。あらゆるすべての文明がどのように生まれてどのように消えていくのか、宇宙における光と物体の歴史とは何か、価値観の多様性を守るためにできることは何か。そして、その上で、僕は意識に基づく啓蒙主義を信じた。この世界において、意識を動かすこと、他人の意識に働きかけることで、どんな場所でも経験的に変えられると信じた。そして、「アイデンティティの実感」という考え方に基づく、自らの「真に自分らしく生きる方法」を知った。そこにあったのは「人間の生きる意味とは何か」ということだった。それらのすべてを、僕は誰かから教わるのではなく、自らの体験と自らの思考に基づく、自分だけのユニークな経験から知ることができたのである。
また、僕は他人の言葉を聞くことが好きだった。リアリストを究めながら、同時にロマンチストだった僕は、世界の実地的な声を聞きながら、情熱的な「革命」を信じるようになった。だが、同時に僕は憂国の政治家であり、「みんなが抑圧の中で苦しんでいる理由は何か」ということをよく考えた。そして、真に超越して問題の解決方法を考えるためには、世界が「自由」でなければならない、つまり、立場やしがらみから解放されて、自由な立場で考えなければならないと信じた。
そして、僕は「自由」ということについて、「義務」でなく「チャンス」であると考えようとした。だから、僕は組織に参加することでしなければならなくなることよりも、組織に参加することでできるようになることのほうを見た。そして、僕は自然な変化を促し、可能性を制限せず全員にオープンかつ透明性のある形で許すことで、この世界は物理的かつ意識的にすべて変えられると信じたのだ。
これが、僕の引きこもり時代の理性である。僕はすべての知識を学習だと見做した上で、「知っていることと知らないことの比較」をすることで分かった。そのために、知識の前提となる原因と結果が、どのような環境や認識から起因するかを考えた。そして、先入観と思い込みなく、すべての知識について「実感」を考えることで、僕は宇宙全ての知識の意味を知ったのだ。