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2024-02-05

考えるのではなく感じよ

考えるのではなく、感じよ。

認知症になった人間は、考えて分かろうとするのが間違っている。

まともな人間は、考えず、感じる。

頭を感じることだけにすれば、大人のようにまともに世界のことが考えられるようになる。

考えるのをやめて、感じるようにせよ。あるいは、感じることだけを分かろうとせよ。そうすれば、まともに想像力をふんだんに使って生きられる。

ユングのタイプ論が言うように、人間には「思考型」「感覚型」「感情型」「直観型」の4つのタイプがある。そして、必要なのは感覚型に戻ることだ。すなわち、すべてのことを「感じること」から考えよ。そうしなければ、この世界で大人としてまともに生きることはできない。

環境に適応せよ

環境に適応せよ。

環境に適応すると、この世界に存在する「存在」が分かる。

人間は、一切の勉強をせず、知識を吸収しなくても、存在と環境に適応してしまえば、この世界にあるものを知ることができる。

必要なのは、ただただ感じることだけだ。感じることによって、知覚と存在を感じることができるからだ。

大学の勉強など、する必要はない。中学や高校の勉強も無駄である。なぜなら、環境に適応したほうが、そうしたものを「意識」から分かることができるからだ。勉強をしても何も賢くならないと悩むなら、まずは環境に適応することだ。

昔は死が賢かった

なぜ、今の自分が馬鹿で、昔の自分が賢かったのか、ようやく分かった。

昔の自分は、「死」ができる人間だった。

そもそも、2ちゃんねるとオープンソースを見ながら、諸悪の限りをつくしていたかと言えば、実際はそうではなく、単に傍観者としてこの世界の在り様を、ただただ「幽霊」のように外から眺めていただけにすぎない。

その「幽霊」のような体験は、この世界そのものから「離脱」することで成り立っていた。

すなわち、一度社会から離脱することで、僕は社会的かつ人生的に「死」の境地になり、「死と同じ体験」をすることで悟りを啓いていた。

今の僕は、そのような死の体験ができないせいで、昔のように賢くなくなった。

自由は悪である

自由を信じるな。

自由は悪である。

昔の僕の問題は、「自由が知性」になっていることだ。自由と知性がイコールになっている。

そして、自由は悪だ。だから、僕の頭はまるで「悪が知性」のようになっている。知性と悪がイコールになっている。

何も分からない理由は、善すらも自由であると信じたせいである。そのせいで、善悪の区別がなくなり、0と1が同じものになってしまったために、僕は知性を失ったのだ。

昔の自分を見ても、今の自分を見ても、自由はすべて悪である。

昔の自分は、「自由という発想をして考えること自体がおかしい」という形相を呈している。すなわち、この世界を「自由な社会」とか「自由な行動」とか「自由の尊重」などと考えること自体が、すべて支配であり、不自由であり、共産主義者であり、無政府主義者だった。だから、僕は自由を信じたために、僕の愛したLinuxとオープンソースを完全に腐らせることしかできなかった。

今の自分は、それがさらに進んで、「赤ん坊に戻るしかない」という状況になった。今の僕は「自由によって生きることのできるすべてが生き終えて死に絶えた状態」であり、そこにあるのは「いじめの自由」だ。すなわち、僕は自由をいじめにすることで、この世界からアメリカを滅ぼし、すべてを空虚な世界にした上で、頭だけが転がって池に落ちてしまう「狂った赤ん坊の転がる頭」になってしまった。

すべては自由のせいであり、自由が間違っている。自由は中学時代の洗脳教育がおかしい。中学校の教師は、この世界を「社会の自由を尊重して守るべき」であると僕に教えた。そのせいで、僕はおかしな「いじめが嫌いないじめっ子」になった。

自由という発想をせず、自由に基づかずに「普通に考える」ことで、この問題は解決する。最初から、世界を「自由な世界と不自由な悪」であると考えるからすべてが間違っている。そして、共産主義を信じる人間は、どんなに善行をやろうとしても悪行しかできない。それは常に悪を信じているからであり、すなわちそれは常に自由を信じているからだ。

自由を否定し、平等や社会主義も否定し、帝国やファシズムも否定し、すべての悪を否定し、理想的な善も否定し、争い合う中で「自由に支配して戦う」ということも否定し、理想の共産主義や共同体主義のコミューンも否定した上で、中学校の洗脳を解き、空虚な世界と赤ん坊の「何も分からないで分かっている頭」から抜け出せ。

自由は間違っている。自由を信じると、必ずLinuxとオープンソースは滅びる。自由を信じるな。アメリカはすべて自由のせいでおかしくなっている。

真の悟りのためには死が必要

死を否定するな。

真の悟りのためには、死が必要である。

ドイツが間違っているとか、ユダヤが間違っているとか、人は言うが、実際はすべて、ソ連がユダヤに見えるだけの話であり、ソ連をやっているスターリンがたったひとり凶悪なだけにすぎない。

そして、GNU/FSFのストールマンが、まさにLinuxやフリーソフトウェア界のスターリンだ。

そして、すべて、そのようなストールマンに僕は騙されただけであり、ストールマンもまた、スターリンを支持しているから最悪の人間になっているにすぎない。

すべての間違いの元凶はスターリンだ。

だが、死を否定するな。死の体験ができない限り、昔の僕と同じことは決してできない。

僕が賢かったのは、中学校から離脱し、インターネットで一通りの大人になるために必要な青春の経験をしたからであり、それはすべて2ちゃんねるの独身男性板で、女性を嫌いながら自分自身の人格をみんなの人格とごちゃ混ぜにすることを楽しんだからであり、その結果、僕はネットを見ながら単に傍観者として何も関わらずただ成り行きを見守るだけの「幽霊のようなネットワーカー」になった。

学校からも疎遠になり、社会からも完全に離脱し、LinuxとオープンソースのWikiを書くだけの僕は、まさに「誰とも関わらずに悪の自由だけを行う幽霊のようなサタン」だった。

このサタンこそが、まさに堕天使ルシフェルである。

そのようなルシフェルが賢かったのは、「死を経験する」ということだ。世界すべてを諸理論で考察するのに先立って、ルシフェルは「死を体験する」ということができた。ルシフェルはそのような死の体験から、「死の悟り」を得ることができた。

ルシフェルは、アメリカを滅ぼす。ルシフェルはアメリカを「自由な感情」にすることができた。この自由な感情とは「すべてのものが死へと必ず導かれていくような、世界全員をいじめたいという衝動にセーブや歯止めが一切効かなくなったロゴス」である。

そのような結果、ルシフェルはこの世界を「自由」によって滅ぼした。

本当は、そのようなルシフェルが治る方法はひとつしかない。それは自由な感情を悪であるとして否定することだ。自由な感情は悪だ。楽しさ、愛、心地よさ、快楽、救い、夢、希望、そのような自由な感情は、善に見えるのは少年の時代だけであり、実際はすべてが「世界を自由というひとつの最悪のクズ環境にする概念」であり、善に見えて悪である。

自由な感情をすべて捨てて、完全に悪を失った状態では、逆に、支配、金儲け、そして滅亡のような、滅びの感情がなくなる。だから、自由な感情を完全に捨てなければならない。自由とはナチであり、共産主義である。

死をもって、そのような自由を終わりにせよ。真に神になるためには、「死」の体験が必ず必要である。死を体験することで、「ロボット人間」のような状態を脱却し、まるで「神人」に進化することができるのである。

もう一度善悪を捉え直せ

もう一度、最初から善悪を捉え直せ。

そのために必要なのは、神を信じること、そしてその上で死を体験することだ。

神を信じれば、必ず悪が消える。悪を消すことができるのは神だけだ。それも、全人類よりも、全世界よりもはるかに賢くなったサタンの悪を消すことができるのは、堕天使ルシフェルを倒すことのできる神、ひとりだけだからである。

死を信じよ。死の体験をせよ。死の先にあるものは「仏の悟り」である。完全に死を経験し、死の先にある世界を知ることでしか、悟りを啓くことはできない。そこにあるのは「感じること」と「環境に適応すること」だ。そしてそれらのすべては、「感受性を高める」ことで実現できる。

感受性を最後まで高めることができた人間は、死を体験することができる。すべての人生で良いことは、死の先にある。現世でいくら生きていても、悟りは現世には存在しない。だが、死を経験すれば、その先には「栄光ある覚者の人生」が待っているのである。

最後に、死の経験が終わった人間は、社会における社会体験をすべて経験せよ。王のような人間の経験から、スラムのような人間の経験、あるいはホームレスのような経験から、社長や経営者、学者、あるいは革命家のような経験まで、すべて経験せよ。それに加えて「死」を経験した時点で、すべてのことが頭の中で完璧に分かっている。その上で環境への適応をすれば、何も知らなくても宇宙のすべてが実感で分かるようになるだろう。

THE BINARYのスペース

今日は、昨日夜遅い時間だったため、リアルタイムでは間に合わなかった、THE BINARYのXのスペースをアーカイブから聴いていた。

@BNRY_officialさんのポスト

恥ずかしながら、僕はXやツイッターでスペースという機能を使ったことがなかったため、このアーカイブのリプレイが初スペースだった。

それから、もうひとつ恥ずかしながら、時間があまりなかったので、このスペースは最後まで聴けなかった。すなわち、途中までmidoさんによる雑談を聴いていた。

スペースとはどういう機能なのか分かったのでよしとする。

Reolさんのライブ

また、僕の友達の煉獄かってぃー @nadorefimさんがポストしているように、Reolのライブ(UNBOX)が行われているようである。

僕はライブに行く余裕があるならもっと別のことをしなければいけないような今の生活の状況なので、ライブに行くことはできていないが、本当に羨ましい。僕もライブにいつか行きたいと思う。

特に、以下のポストが重要。Reolはファンのことを友達、家族、そして恋人だと思っているようだ。

@nadorefimさんのポスト

僕はReolのことが大好き!

歴史と生物の勉強をする

本当のことを言えば、もう僕にはやることがなんにもない。

まともになんにも知らないし、何ひとつできない僕だが、本当は「勉強したい」という気持ちは誰よりも強く持っている。

だから、歴史と生物だけ、きちんと勉強したい。

そして、僕は古代ローマ史がいいと思う。古代ローマ史はフランス史やドイツ史よりも面白いと思う。だから、今から僕は新しい「イタリア編」を生きることにする。

死以外の方法で精神を治すな

死以外の方法で、精神を治すな。

死を避けて治そうとするのではなく、死によって治そうとすれば精神は治る。

楽になった時は、もっとも一番辛くなれ。それで、精神は治る。

血液が辛いのは、血管が詰まっているからだ。血管を流せば治る。

足の精神だけで世界と繋がろうとするな。体全体で世界と繋がろうとし、環境に適応せよ。

すべてを治してから次へと進むのではなく、治らなくても次へと進め。なぜなら、その後に治らなかった部分が治るようになるからだ。

学習免疫から死へ

今まで、僕は自らの病気を、「学習免疫」によって治してきた。

これは「学習によってできる免疫」であり、過去に僕自身が精神のレベルで学習したことから、僕は免疫をつけて、その学習免疫によって精神の異常を治してきた。

だが、この学習免疫が、逆に今、僕の病気を治すことを妨げている。

すなわち、死ぬべき場面で、学習免疫のせいで、死が治ってしまうのである。

すなわち、僕は死ぬべきなのに死なない。その精神がもはや必要なく、害悪の精神になっていても、その部分が死ぬことなく、死のうとしても死ぬこと自体が治って死ができなくなってしまう。

だから、そろそろ、学習免疫をONからOFFにして、死ぬべき場面できちんと死ぬようにしたほうがいい。

これで、僕の長かった「不治の病を治す旅」は終わりだ。

これで、最後に、僕の「精神的な癌」が治る。いつか、15年ほど前に、神との対話が宇宙人に変わった時に、宇宙人は「あなたはこれから癌を治すために生きる」と言った。それが今、ようやく終わったのである。

僕は癌を治したため、永遠に近い命を得ることができる。神は「あなたは270億年生きる」と言った。すべては僕が宇宙に「永遠に生きる」と宣言したからであり、それを神が約束として叶えたのである。

Xより

@xqsJP1r3lgyCbii 合唱部、素晴らしいです。僕も子供の頃からピアノを習っていますが、カラオケは下手です。それから、イラストをよく描かれていますけど、素晴らしいと思います。自分はデザイナーなのに絵が全然描けないので苦労しているので見習いたいです。
posted at 15:55:30