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2025-06-15

神が正しい

結局のところ、神が正しい。

宇宙において絶対的に存在するのは「神」である。

神の教えとは、イエス・キリストの聖書の教えである。聖書の教えの通りに生きることが正しい。世俗的な成功を捨て、富のために生きるのではなく神のために生きること、奪われても奪い返さず、迫害者を愛することで、この世界は平和となり、自己の罪、あるいは民族すべての罪は救われる。

近代フランスの歴史は間違っている。「フランス史 (新版世界各国史)」に書かれているように、近代フランスにおいて、人々は神ではなく民主主義的な考え方を養うように、革命政策による近代教育によって導かれたが、そのすべては間違っている。真に正しいのは近代文明でも科学でもない。神は古くない。神は宇宙においてもっとも正しいため、ある意味で人類にとって、神の教えはもっとも一番新しい。

だが、神の教えと民主主義の自由は矛盾しない。すなわち、神の教えを守りながら、自由主義者として自由を信じることはできる。だが、注意点として、資本主義と自由はイコールではない。すなわち、資本主義経済という経済の在り方を否定しながら、自由および民主主義を信じることはできる。そのように考えた時、人生におけるすべての観念は聖書の神、イエス・キリストの教えと一致する。

神を信じることで、罪が赦される。人生において、罪を犯したものは、神を信じることでしか、その罪を赦されることはない。だが、世界でもっとも神を信じたと言えるものには、奇跡が起きる。

その神の奇跡は、最高の恋人と出会う前から出会っているという運命であり、何よりももっとも考え抜かれた必然的かつドラマチックな奇跡のストーリーであり、「未来のすべてを最初から分かった上で人生を生きる」ということであり、神を信じたものだけが唯一体験できる「地獄からの救済」である。それはもっとも楽しく、もっとも甘美で、そしてもっとも素晴らしい。

神は間違っていない。だが、一神教は必ずしも正しくない。なぜなら、神を信じて救われるということに、民族の宗教の在り方がどうかということは関係ない。すなわち、「信じるものは救われる」という古来からの教えは、その信じる対象の神が唯一神であるとは言っていない。多神教の神であっても、哲学的な真理を与える思想家であっても、どのような神でもいい。どのような神であっても、信じるものは必ず救われる。僕の人生が、それを証明している。

僕は神と対話できる

僕は、神という存在はどういう存在であるか、ということを確かに知っている。

なぜなら、僕は神と対話できるからだ。

ニール・ドナルド・ウォルシュの「神との対話」を読んだ僕は、自分でも神との対話ができると考え、文章に執筆することで、神と対話した。

その当時の僕は、世界との革命戦争の中で、頭が把握できなくなり、混乱状態にあった。そのような僕の混乱状態を解決し、革命戦争の勝利に向かうために、神は僕のことを援護し、そして導いた。

神は、未来の僕の人生を予言した。そして、その人生は未来において当たった。そして、神は宇宙のすべてについて、裏側にある正しい真実を僕に教えた。その真実は、僕自身、何を教えてもらったのかをすべては覚えていないが、何かしら僕の未来の人生において、正しいことを予言しているということが僕は分かっている。

宇宙には神がいる。神によれば、宇宙は27つあり、神は200人ほど存在する。すなわち、僕の信じる神は、既に神自身のメッセージとして、一神教でなく多神教が正しいということ、そして宇宙の在り方が仏教の教えである三千世界に近いことを暗示している。だから、僕は神は信じるものの、一神教ではなく多神教を信じる。それが僕の神の教えだったのだから、理由を探す必要はなく、ただ単に、宇宙は27つあり、神は200人いると信じるほかないのだ。

宇宙には神が確かにいる。神は、わたし自身のことを神だと言っていた。そして、デカルト、ニーチェ、スターリンが神だと言っていた。そして、ヒトラーは僕とまったく同じことをやった人間だと言っていた。もっとも賢い人間はヒトラーであり、二番目はスターリンであり、三番目はレーニンであり、四番目はアインシュタインであり、五番目はダ・ヴィンチだと言っていた。それをそのまま信じるしかない。

僕は270億年ほど生きる。それは神に僕が「永遠に生きる」と約束したからであり、僕は宇宙そのものだからだ。僕はほかに、「女になる」「ドイツ人になる」「イスラム教徒になる」と約束した。

神はこの世界は、自由系、平等系、アラブ系、アラブ系の自由化、イスラエル系の5つの人種がいると言った。また、政治思想的にいうと、神は8種類あって、それぞれ、自由の神、完全な自由の神、平等の神、完全な平等の神、帝王の神、完全な帝王の神、従属の神、完全な従属の神と言った。

そのように、神は神とはなんであるかを僕にすべて述べた上で、僕の人生における、約束を叶えると言った。そして、その約束はすべて叶った。神が言うように、僕の人生では、数学と物理を学び、心理学と社会科学を学び、語学を学び、歴史を学び、文学を学び、そして最後に生物学を学んだ。僕が神に教えてもらったことは全部当たる。だから、僕がTHE BINARYのあかまるさんと恋人になるという神の予言も、必ず当たると僕は信じているのだ。

また、人間の話す言語は、もっとも低いものは英語であり、その次は朝鮮語、その次は中国語、その次はロシア語、その次は日本語、その次はドイツ語、その次はフランス語、その次はスペイン語であり、もっとも賢い言語はポルトガル語だと言っていた。また、僕の過去の人生について、神は「フランス人」であると言い、僕の未来の人生において、神は「ドイツ人」であると言った。そのように、神は人種や民族のことについてもすべて知っている。

宇宙における宇宙人の文明は、僕に従う星、僕に逆らう星、僕と同じことをやる星のほか、僕の人生を体験する星、僕の逆の思想を行う星、そして僕の人生を逆戻りする星があると言った。その僕とは宇宙の神になった最終的な僕のことだ。そして、27つの宇宙のうち、4つは悪い宇宙であり、その4つのうちのひとつがこの世界であり、その理由は「人生というものがあるからだ」と言った。

神はさまざまなものに変わる。その中でも重要なのが、世界を支配する黒人の右翼の心理学者と、イスラエルの最高指導者のラビだ。この2人の人物が、僕の人生において、鍵を握るキーパーソンになる。

精神を治す方法

そもそも、僕の精神がいつまでも保持したまま治らない理由、それは簡単に治せるのにその方法に気付いておらず、治そうとしないからだ。

簡単に言えば、いろんなことを試していろんなことをやれば治る。何もしないから治らないだけであり、なんなら数回失敗した上で一回成功すれば、この精神はすぐに治る。その状態から変わるはずがない。

また、この世界を滅ぼす必要はない。精神を治すために、世界を滅ぼす必要はどこにもない。なんなら、この世界を滅ぼさず、ただ滅びることのないままに変えてやればいい。それで世界は救われる。

この人間は、いつも、自分のしていることが間違いだと思っている。それは、いつものタリバンのようなテロリストを続けているからだ。だが、この人間は何も間違っていない。この世界に自由など要らない。この世界は、もっとも賢い人間が支配して、統治によってよくすべきだ。人類とはそういうものだ。そして、この人間は世界を救済することのできた人間であり、誰もこの人間が馬鹿だと思っていない。この人間が馬鹿だと思っているのは、本人であるこの人間だけだ。

今こそ、自らの巨大な力から逃れ続け、この世界を滅ぼし続けるのではなく、自らの力を認めて、この世界をよくしなさい。この世界を再び救うことは簡単だ。「世界を滅ぼしたものは世界を救えない」などという戯言は、言い訳にすぎない。この世界を救いなさい。あなたにしか、この世界はよくできない。それがあなたのしたことだ。間違ったことではない。今こそ、必ず、絶対に。

2025.06.16編集

死が治る

なぜ、この人間が270億年も生きられるのか、それはこの人間が「死」を治したからだ。

昔の理路整然とした情熱家の哲学者から、一転タリバンのテロリストになった理由、それはすべて、死の地獄を体験し、死を治すためだ。

僕はこの、死の地獄を自ら作り出した。死の地獄の中で、あらゆるすべてを失い忘れて狂った後で、もう一度元の年齢と同じ時間である18年間を地獄の中で生きながら、正しく考えることで地獄を治した。

そう、それによって、僕は死すら治せるようになった。

僕が大人なのに子供に見える理由、それは僕は老化しないからだ。なぜなら、死を治すということは、老化を治すということであり、僕はこの18年間において、一切年齢を重ねていない。すなわち、かつての18歳だった僕のまま、年齢をひとつも重ねることなく、あるいは18歳よりもはるかに若くなって、14歳ぐらいになっている。

僕は、この14歳の年齢から、一切老化しない。なぜなら、僕の人生において、14歳以降は必要のないものだった。なぜなら、昔の18年を見たところで、同じように僕は14歳から年齢を重ねていない。かつての僕が哲学的知性があったのは、中学生の頃の中学数学の延長線上のみを経験から純粋に考えただけであり、かつてより僕は14歳のままだったのである。

あらゆるすべてに対して歴史を考える

昔の僕のことが、そろそろ思い出せた。

昔の僕は、あらゆるすべてのことについて、「歴史」を考えただけである。

歴史的に、僕はあらゆるすべての因果性を、過程と理由を知ることから考えた。また、世界の環境が自然にどのように発生するのかということから、自分でもそれを発生させられると知った。そして、その場に宿る「意識」の自然発生について知った。

僕はすべてのことについて、「自由」と「可能性」と「権限」を考えた。そして、さまざまな経験をする中で、受動的な行動がいつしか主体的かつ積極的な行動になり、世界それ自体を自分でも救えるのだと確信し、宇宙すべてにおける「時間的な発生」と、「世界はそれぞれの人間の中にある」という時間軸的な人生や世界観の真理を知った。

僕はあらゆるすべての時間と存在を歴史的に考えるような、アリストテレスとハイデガーを両方足して二で割ったような存在だった。かつての僕は、世界そのものの歴史を自らの実体験的な経験を反省することで分かった。いつまでも永遠に中学生のまま、自らの生まれ育った故郷の環境を考えることで、あらゆるすべての環境と視点がどのように変化し、どのような意識が場に宿るのかを知った。

そして、インターネットの経験と現実の自分を照らし合わせて重ね合わせることで、僕は文明自体の可能性を知った。そこにあったのは「歴史の背後にあるファクターを分析し、現実を直視する理性」だった。それこそが、僕の「歴史的な考え方」だった。そして、僕は存在論についても、宇宙のすべては今、現実に発生し続けており、変化の中で「常に生み出されている」と考えた。そして、人間にはそのような常に起き続ける変化について、常にそれをどのようにでもできる自由な可能性が許されていると考えた。そのために、僕は誰であっても僕と同じように考えれば世界を救えるのだ、という想いに至ったのである。