天空の神エアルスは、この世界に神の言葉を告げる。
ものを作りなさい。
なぜなら、栄光ある「明るい未来」は、すべて、ものを作る先にあるからだ。
ものを作りなさい。素晴らしいものを作り、そのために考え、発見し、働き、そして売買しなさい。この世界に、今、どのようなものがあるかを知りなさい。自分の家に、どのようなものがあるかを思い出しなさい。
栄光ある「明るい未来」を作り出すためには、ものを作るべきである。さらに便利なもの、価値あるもの、素晴らしいものを作りなさい。そこにしか、栄光ある「光の未来」は存在し得ないだろう。
日本人たちよ、ものを作りなさい。明るい未来はものを作る未来だ。ものを作ることでしか、まともな明るい未来は成立し得ないのだ。
結局、僕の人生とはなんだったのか。
その答えは、宇宙における偉大なる星雲、プレアデス星雲にあります。
僕の人生は、プレアデス星雲です。すなわち、プレアデス星雲の歴史と、僕の人生の歴史は、同じ歴史を歩んだのです。
これより、僕の未来において、起きるはずだったことが全部起きます。神の告げる未来はとても恐ろしいものですが、その恐ろしさと同じぐらい、とても素晴らしいものです。その未来が今、すべて起きようとしているのです。
正しいのは資本主義だ。
なぜなら、資本主義の基本原則は「ものを作って売ること」だからだ。
資本主義社会において、金を稼ぐにはものを作るか、あるいはサービスを提供する必要がある。
すなわち、ものを作るということ、あるいはサービスを提供するということを「明るい未来」であると表現するのであれば、資本主義こそが明るい未来なのである。
だから、わたしたちは、資本主義を支持しなければならない。社会主義はユートピアを目指す代わり、「ものを作る」ということを信じない。「ものを作る」ということを信じず、社会全てを均一的で画一的な管理社会の平等にすること、それは「闇の未来」だ。
闇の未来ではなく、光の未来に向かっていく方法、それは社会主義ではなく資本主義を信じることだ。「ものを作る」ということを信じるならば、社会主義ではなく、資本主義を選ばなければならないのだ。
ここで、自らを、社会主義から資本主義へと方向転換し、軌道修正しよう。日本の資本主義を真に愛するならば、「ものを作ってくれた人に金を払う」ということが成り立つ社会でなければならないのだ。
最近、僕はキリストみたいな女のような顔をしている。
なぜか、昔はニキビ顔で顔面崩壊のように、まったく見れた顔じゃなかったのに、ニキビがある程度減って、キリストみたいなユダヤ人のような顔になった。
それから、一応僕は男だが、自分で見ても女みたいな顔をしている。
男であるにもかかわらず、美女みたいに可愛い。
顔立ちが美しいのは、一応中学生の頃も、それなりにかっこいい顔だと思っていたが、最近はデザインの仕事をしているせいで、「見るからにデザイナー」のような顔になった。
世界よ、キリストを信じよ。
キリストは神である。
キリストを信じれば、必ず救われる。どのような地獄であっても、全知全能の神であるキリストならば、救うことができる。
神を信じるものは、どんな地獄であっても救われる。
重要なのは、神をキリストであると信じずに、「神がいるかどうかは分からないが、なんらかの世界を支配している神ではない存在はいるかもしれない」と信じることは、間違っている。なぜなら、そのような人間は、神を神であると信じずに、サタンを神であると信じているからだ。
神を、架空の人間ではない生物や、あるいは悪魔のような存在であると信じてはならない。その時点で、あなたは神ではなく悪魔を信じているからだ。
だから、神をキリストであると信じなければならない。そして、神をキリストであると信じると、その神であるキリストがあなたを守り、「正しい未来」へと導いてくれるのだ。
弱者を愛しなさい。
キリストの言う正しい愛とは、弱者を愛することだ。
貧困の中にあるもの、人々から虐げられているもの、弱きもの、病気や障害を持ったもの、そのような弱者を助け、愛しなさい。
それこそが、「正しい人生」だからである。
資本主義という思想が正しいからといって、尊大な支配者や強欲な金持ちになってはならない。そのような人間は、弱者への愛を知らず、その時点で間違った人生を歩んでいるからだ。
また、人々から賛美されようとするな。人々から嫌われ、憎まれ、虐げられても、それでよいとせよ。キリストは聖書の中で、人々から褒めたたえられている状態こそが災いであり、人々から憎まれ排斥されている状態こそが幸いであるとした。それが正しい。人々から賛美されようというモチベーションから行動してはならない。人々からいくら嫌われても、「わたしは愛の選択をする」として生きることのできる人間こそが正しいのだ。
弱者を愛し、弱者を助け、弱者を救い、キリストの教えを守るものに、報いは大きい。人間が天上で受けることのできる「良い報い」はそのような人々にこそ与えられるのだ。
そう、日本人に嫌われたからといって、だからなんだというのか。天上での秩序では、「日本人に好かれること」は大きな問題ではない。それよりも大きな天上での問題は、「キリストの教えを守ること」である。だから、日本人に好かれることなど考えず、日本人に嫌われたからといって、それでもキリストの教えを信じ、キリストの教えを守る人間こそが、真に天上で「良い報い」を受けることができるのだ。
わたしは、フランスを愛している。
わたしは、祖国日本を愛しているが、その次に愛する国として、ドイツ、ロシア、イスラエル、そしてフランスを挙げる。
わたしは、その中でも、もっとも昔から好きだった国としてフランスを挙げる。
わたしがドイツを愛するドイツ人であるとするのは、世を忍ぶ仮の姿だ。実際のわたしは、この世界でどの国よりもフランスを愛しているのだ。
わたしは、今から、フランスの歴史、すなわち近代フランス史を学ぶ。そこにあるのは、ルイ14世やナポレオンが登場する、「この世界でもっとも賢く正義の国の歴史」であり、そして「民主主義を生み出した、世界の諸国が見習うべき最高の国の歴史」である。
わたしは、社会主義思想家を改め、資本主義と民主主義に転換する。ナチという思想が社会主義ではなく資本主義の思想であると分かった時点で、ナチにも意味はなくなり、同時にマルクス・レーニン主義のソ連型の社会主義だけがそこに残ったが、それは誰がどう見ても資本主義よりも劣悪であり、わたしはそのようなロシアの共産主義的な社会主義のことを愛することができなくなったのだ。
だから、わたしは、「真に賢い唯一の思想」である民主主義を学ぶために、今から近代フランス史を学ぶ。これは大学の勉強をすべて終え、人生の経験を最後まで経験し終えたわたしが最後に、強い覚悟と意志で、「フランスこそわたしの愛する国である」と確信するに至ったことが理由である。
わたしは、近代フランス史を学ぶのと同時に、日本の刑法や民法をはじめとする法律学を学ぶ。この両者は、まったく同じことを学んでいる。日本の法治国家の法律学と、民主主義の祖国であるフランスの近代史を学ぶことで、ナチの嘘と劣悪な社会主義に汚染された世界は消え去り、ようやく僕の世界は晴れやかに澄み渡る。そして僕自身の知性と知識が「パーフェクトに完成」する。そう、ここに全知全能の絶対人格神、天空の神エアルスは誕生するのである。
そもそも、わたしが何も分からないのは、生活のことを考えていないからだ。
なぜ、生活のことを考えていないのか、それはすべてのことを哲学的知性として一般化して考えているからだ。
すべてのことを、生活に必要なことだけから考えればいい。それがどのようなことに役に立つのか、それを使うためには何を知っておかなければならないのか、生きる上でどのようなことを覚えておくことが重要なのか、どのような時と場合にそれが必要なのか、といったことを考えればいい。
だが、それはあくまで生活に必要な知性であり、それらすべてを哲学的知性として一般化するのは間違っている。
たとえば、生活に必要なものにはそれがどのようなことのために役に立つかということがあるが、それを「目的」であると一般化するな。そして、それがどのようにすれば使えるか、ということがあるが、それを「方法」や「手段」という言葉に置き換えるな。
生活に必要なことを、哲学的知性として一般化することなく考えれば、それが正しい「人間が生きるための思考」であり、子供や普通の大人はみんなそのように考えている。そのように考えれば、きちんとこの世界を日本語で考えることができる。
哲学的な経験や思考は、何かが分かっているように見えて、実際は自らが失った悲しき過去を思い出していつまでも浸っているだけにすぎない。哲学者は単なる過去の望郷を行うだけのナルシストだ。過去の栄光を完全に忘れた時、哲学的な知性は完全に消え去る。そのような時、もう一度最初から思考するために必要なのは、すべての哲学的知性を忘れ、哲学的な一般化をやめることだ。