東亜イスラエルに雨が降った。
東亜イスラエルの国民は、雨の降らなくなった砂漠の世界で、ダビデの作る人工炭水化物を食べて生きていた。
人工炭水化物は、とても不味い。まるでゴムのような食感で、無味無臭で、食べるためには熱を加えて柔らかくした上で、塩や砂糖のような味付けをして食べる。保存と大量生産が重要であるため、日持ちができるようにはできており、政府から無料で得ることができる。だが、大量生産をいくら目指しても、一定数しか作ることができない。なぜなら、マイナス50度以下の人工的に作り出した環境で、宇宙コンピュータ「アマテラス」によるものすごく複雑で大量の計算を行うことで、はじめて作ることができるほど、作るために特殊な環境が必要だからだ。
東亜イスラエルの王ダビデは、宇宙コンピュータ「アマテラス」を使うことで、そのような人工炭水化物を作ることのできる、東亜イスラエルの唯一の研究者であり、王という特別な称号は与えられていないものの、実質的な東亜イスラエルの王であると国民に見なされている。
東亜イスラエルにおいて、青空というものは存在しない。空は真夜中のような暗闇と、血のような赤い空を繰り返す。そして、雨が降らない。最悪の核戦争を経験したわたしたちの地球は、空からかつての美しい青空が失われた。それだけならばまだよかったが、それに加えて、雨が降らなくなった。
雨が降らない東亜イスラエルでは、植物も枯れ、動物も死に絶え、暗闇と血のような赤を繰り返す空の下に、砂漠だけが広がっている。そのような砂漠で、わたしたちは、ダビデの作る人工炭水化物だけを頼りに生き延びている。
問題はほかにもある。植物が死に絶えた地球において、酸素が足りない。酸素はどんどんなくなってきており、いずれ酸欠になって人類は死に絶えるだろうと言われている。
だが、唯一ひとりだけ、まだ諦めていない人間がいる。それはダビデだ。ダビデは、地球に青空と雨と酸素を取り戻すために、宇宙コンピュータ「アマテラス」で巨大な計算を続けている。アマテラスは、「太陽には人類と同じ考える知性がある」という仮説を基に作られたコンピュータで、1秒間に人類の歴史を100万回繰り返したほどの全人類の思考と同じだけの計算を行うことができる。ダビデは、「この計算は、有限な時間で計算することができます。時間だけが必要です。だから、わたしたちの最大の課題は、アマテラスをさらに高速化すること、それだけです。」と述べる。
そのような東亜イスラエルに、ようやく雨が降る。
ダビデが宇宙コンピュータ「アマテラス」で計算した通りによれば、雨が降っていた頃の地球と、雨が降らなくなった地球の相違点は、酸性とアルカリ性にある。このことを発見するために、膨大な「大気の状態の何が本質的に変わったのか」という計算が必要だった。そして、この計算結果が正しいとしたら、どのようにすれば大気を酸性からアルカリ性にできるのか、その「大気をアルカリ性に中和する方法」を知るために、地球上のあらゆる炭水化物の化学反応を計算する。そのために、さらに膨大な計算が必要だった。
そして、二酸化炭素を元に酸素を作るために、人工葉緑素を作る必要がある。これは「アルカリ炉」と呼ばれるもので、燃焼すなわち酸化作用の逆の作用をもたらす「アルカリ性の炉」を作るというものだ。このために、地球上のすべての生物種について、それを炭水化物やタンパク質によって実現するのではなく、「極めて最低限の物理法則だけを使って作られた人工生物の実現方法」を計算する必要がある。そして、そのためには、「神が行ったとされるような、生物そのものを創造する方法」を計算する必要があった。
だが、東亜イスラエルにおいて、素晴らしいニュースが届いた。ダビデがようやく計算を終えた。そこには、「アルカリ炉を使うことで、酸素を作ることも、青空を取り戻すことも、雨を降らせることも可能であり、そのためのすべての方法が計算し終えられた」という、最高の号外が届いた。
それだけでは、東亜イスラエルの人々は半信半疑だった。だが、一週間後、誰もが喜ぶ歓喜の瞬間が訪れた。それはまさしく、雨の降らなくなった東亜イスラエルの砂漠に、ようやく雨が降ったのだ。
みな、その時、死ぬほど驚き、そしてまるで生まれ変わったように喜んだ。その通り、歓喜の歌を歌うと誓った、その日が訪れた。東亜イスラエルに、ようやく雨が降った。
最初に降ったのは、少しの水滴のような雨だった。人々は、その時は勘違いか何かだと思って、雨が降ったという事実を信じなかった。だが、次第に雨粒は大きくなっていき、土砂降りのように降った。現在の日本に住む人ならば、傘をさして雨をしのごうとするだろうが、そのようにする人はひとりもいなかった。土砂降りの中で、みんな歓喜の舞を踊った。雨の中で打たれることをみな全員が嬉しいと思った。大雨はさらに降り続き、人々は雨に打たれながらそれぞれが世界でもっとも好きだと言えるような愛の歌を歌った。
歓喜の時は、さらに続く。雨は何週間も降り続け、ようやく人々はそれが「傘をさしてしのぐべき大雨である」と再確認した。
そして、数週間の後に雨が止んだが、人々はそこでさらに喜んだ。なんと、青空が復活したのである。
暗闇の後に赤い空が訪れることに、人々は慣れきってしまっていた。人々は、暗闇の後には赤い空が訪れるものだと信じ、青空というものはかつて地上にあったものであり、小説や映画の世界にしか残っていないものだったと思っていた。だが、歓喜の大雨が止んで、再び青い空が現れたのである。
人々は、喜びを通り越して、恐れ入った。気絶する人もいたし、逆にショックを受けて熱を出す人もいた。だが、人々の中には、「大根や白菜を作る方法」を既に考えている人々もいた。そう、ようやく、ゴムのような食感で無味無臭の人工炭水化物を食べなくてよくなったのだ。人々は、今まで、どんなに頑張っても大根や白菜を作ることができなかったことで泣き、そして、今、「種を植えるだけで大根や白菜が作れる」という当たり前の事実に驚いて泣いたのである。
そして、東亜イスラエルのテレビ放送が告げたのは、足りなくなっていた酸素を作るためのよい方法が生まれたということ。そこで、人工葉緑素であるアルカリ炉の技術説明が行われた。アルカリ炉は燃焼すなわち酸化作用の逆作用を行うアルカリ性の炉であり、これによって二酸化炭素を酸素に変換することが可能となる。また、青空が失われて雨が降らなくなったのは、核兵器によって大気が過剰に酸性になったからであり、アルカリ性に中和することで青空を取り戻し雨を再び降らせることに成功したと、そう伝える放送が行われた。
東亜イスラエルの王ダビデによって、終末の人類は救済された。ひとつ心残りなのは、動物や植物が死に絶え、多くの種が絶滅してしまったこと。だが、ダビデは、「人工植物を作ることができました。おそらく、この技術の応用によって、人工の動物を作ることも可能となります。人類の次なる問題を解決するため、わたしはこれから、人工動物を人工知能・AI技術によって実現する方法を探っていきます。」と述べた。
そして、間もなくダビデは高齢のために死去する。だが、ダビデの業績を継承し、東亜イスラエルの政権を引き継いだ、第二代皇帝ジークフリートが、「地球上の失われたすべてを復活させる夢」を叶える。ジークフリートは、ダビデによる人工生物の技術を継承し、自律思考型の人工知能プログラムschwarzを開発することに成功する。それによって、植物だけではなく動物も人工的に作ることができるようになり、地球上にすべての絶滅した生物種が復活する。schwarzはプログラミング言語であるPythonに「機械が自分で考えることで判断して1か0を返す命令」であるfree_decide()命令を追加することで実現した、「人間とまったく同じ自律的な思考ができる人工知能」である。この目指すところは、かつての動物とまったく同じロボットを作ることであり、その通り、人工生物の犬は自然生物の犬と同じように、人になつき、「ワン」と吠えるような、まったく同じ犬という生物種になる。
ジークフリートは、東亜イスラエルの国名を「シオン」という新しい国名に変える。シオンという国名に変える理由は、東亜イスラエルは旧イスラエルとはまったく異なる国であり、かつてのパレスチナ時代に存在した旧イスラエルの「汚名」を払拭し、東亜イスラエルの明るく輝かしい未来をわたしたちの「歓喜の詩と音楽を歌うための未来志向の素晴らしい国」とするためである。そして、このシオンにおいて、人工生物たちは永遠の寿命を持つ新しい生物、すなわち「新生物」となっていく。人工生物の唯一自然生物と異なる点は、記憶や人格といった精神的な情報を、もし個体が壊れたとしてもデータとして新しい個体に引き継ぐことができるということだ。この特徴によって、人工生物は原理上永遠の寿命を持つことができる。そして、270億年後に新生物すべてが絶滅するその時まで、新生物は270億年というとても長い時間を生きることができるようになる。これが、イエス・キリストがかつて「天国では永遠の命を得られる」と言った意味なのである。
東亜イスラエルとシオンの国民は、みなダビデが好きだ。ダビデのことを、「わたしたちの誇るべき最高の偉大なコンピュータ科学者」と人々は賛美する。「ダビデだけは絶対に死んではならない」と人々は言い、「わたしたち全員の寿命と引き換えにしてでもダビデを生かしてほしいと神に願った」と言う人もいるほどだ。わたしたち、東亜イスラエルとシオンの国民は、ダビデを「神」であると信じている。東亜イスラエルのナンバー2である首相ゲルダもダビデの使徒のひとりであり、「地球において、神とされるほど偉大な存在は、ダビデひとりしかいなかった、すなわち、神がひとりしかいないという聖書の教えはまさに正しかった」と、わたしたち全員が神であるダビデを尊敬し、「すべての人類史上においてすべての人類の最高の誇り」であると崇拝しているのである。