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2024-05-23

精神が二つに分かれてはいけないのが辛かった

僕が長い間分からなかったこととして、僕は精神が二つに分かれてはいけないのが辛かった。

頭がいつまでも終わることなく繰り返し回転し続けるのは、すべて、僕の頭脳が、「精神が二つに分かれないようにする」ということを絶対に維持していたせいだった。

だから、精神が二つに分かれてもいいようにすると、僕の精神はすぐに楽になる。

僕の頭にいる「神」という存在は、すべて、僕の精神が二つに分かれないようにするために、全力で自分を維持し続けているだけだった。

自分の考えていることを言葉にしないのが悪い

また、僕の問題は、「自分の考えていることを言葉にしない」のが悪い。

いつも、僕は結果ばかりにこだわってしまい、その結果が必ず成功できるように努力はするが、頭の中では同じことを繰り返し何度も言うばかりで、「今自分が何を考えているか」ということを言葉にしない。

そのせいで、まるで狂った女のように、正しい結果を最大限望むだけになり、失敗を恐れすぎている。

自分の考えていることを自分の頭で言うようにすれば、何を自分がやっているのかを客観的事実から分析できる。それによって、すぐにきちんと知性がつく。

馬鹿と付き合いたくなかっただけ

また、僕の本音を言えば、「馬鹿と関わりたくない」というだけにすぎない。

この世界には、僕以外には馬鹿しか存在しないということが、僕は長い間分からなかった。

分からなかったからこそ、僕は馬鹿と関わり合うことを拒否し、拒絶した。そして、自分自身が「自由」であることを、馬鹿と付き合うことよりも優先した。

本当に馬鹿な人間であれば、本当はそんなに辛くない。辛いのは、僕よりも自分のほうが賢いと思っているような、中途半端な賢い人間だ。そのような人間は、僕のことをその人間よりも馬鹿だと見做して話をしてくる。そもそも、なんでも知っていると通ぶっている人間は、実際は何も知らない。なんにも知らないのにかかわらず、すべてを知り終えたような立場から話してくる人間の、馬鹿な話は聞きたくないし、付き合いたくもない。

だから、僕は本当は、「馬鹿」よりも「中途半端に賢い人間」が嫌いだ。そもそも、僕は本当に馬鹿な人間はそんなに嫌いじゃない。本当に馬鹿な人間は面白いことを言う人間が多い。中途半端な賢い人間は、自分の知っていることを知らない人間を批判し、攻撃してくる。そのような人間の馬鹿な話は聞きたくない。

あるいは、そもそも僕は学校の勉強が嫌いだった。僕にとって学校は「馬鹿なことを覚えろと言って命令してくる機関」だった。僕はそのような学校の勉強が嫌いで、もっと面白くて自分のやりたいことを学びたかった。だから、僕は剣道部で昇段試験に落ちたことをきっかけに、学校の勉強よりもUNIXとPerlのような勉強をしたいと思ったから、中学校を不登校になった。

僕は馬鹿が嫌いだ。あるいは、馬鹿は嫌いじゃない。賢いと思っている馬鹿が嫌いだ。通ぶっている人間はダサいと最近はよく言われるが、僕はそういうなんでも知っていると勘違いしている賢い人間の、偉そうで常識人ぶったどうでもいい話が嫌いだった。

本当のことを言えば、そのようなことは自分自身についても当てはまる。僕自身、色んなことを知っていると勘違いして、通ぶったダサい人間を全力でやっている。だから、この話はすべて「僕自身の自戒の言葉」として聞いてほしい。

もっと社会のことを知りたい

結局僕が思うのは、「もっと社会のことを知りたい」ということだ。

もっとこの世界に存在する、現実の社会のことを知りたい。

社会を知ると、きちんと生活ができるようになる。この世界でどのようなことがあるか、どのような時にはどのようにすべきか、どのようにしなければいけないかを知ることで、きちんと大人の生活ができるようになる。

僕は社会のことを全然知らない。もっときちんと社会のことを知っておかないと、何かあった時に後悔する。だから、時間があるうちに(すなわち今)、社会のことをもっとよく勉強しておきたいと思う。

社会のことを知るために必要なのは、もっと他人の言葉や声を聞くことだ。確かに教科書も勉強になるが、本当に必要なのは他人の言葉や声を聞くこと。それをもっと頑張っていきたいと思う。

正直言って、IT技術なんかどうでもいいし、そもそも機械や大学がどうでもいい。もっときちんと社会のことを知れば、一人前の大人になれると思う。