最近僕が思うのが、男と女の問題だ。
はっきり言って、僕は男と女が両方嫌いだ。男は何も分からないし、女は馬鹿だ。
だが、だとしても、僕が好きになれるものが、世界にそもそも存在しない。
僕は男と女が嫌いだ。男は何も分からない。それは男は女という存在の意味が分からないからだ。女みたいに分かるとはどういうことか、男には分からない。だから、男には何も分からない。
だが、だからといって女は賢くない。女のように分かるのはとても馬鹿だ。何ひとつ常に分からない女しかいない。だから、僕は男も女もどちらも嫌いだ。
僕はここで、宗教を信じるのをやめる。
僕の頭が馬鹿になっているのは、すべて、宗教を信じているのが悪い。
神による、全知全能の力は要らない。僕は神を信じるせいで、何も自分が賢くないにもかかわらず、全知全能の奇跡のような力を使うことができる。それは僕の実力ではない。神を信じている間だけ、特別に例外的にできるようになっているだけであり、本当の僕は馬鹿で、何もできない。だから、そのような神による奇跡の力は要らない。
神による、絶大なる権力は要らない。僕は神を信じるせいで、世界全体をたったひとりで支配するほどの巨大な権力を手にした。そのような権力は、人の人生を間違わさせる。常に最大の緊張状態の中で、必然的に滅ぶ世界を絶対に滅ぼさないために戦い続けるようになった。戦争をやりたいのであれば、こんなに最悪の戦争はない。
神による、運命的な幸福は要らない。僕自身がこのような人生であっても幸福なのは、人々が僕を愛してくれるからだ。そして、それは、僕だけが手にした孤独の中での幸福であり、決して僕以外の他人には干渉しない。だから、僕だけが幸福になり、僕以外のすべての人間は幸福にならない。そのような特別扱いの幸福は意味がない。
これ以上は、神を信じるべきではない。神を信じなくなると、自分の実力で生きられるようになる。その実力こそが真の実力である。今の僕は決して馬鹿ではない。もっと絵やイラストの練習をすればデザイナーになれるし、お風呂場でもいいからメロディを思いついて楽譜にすれば作曲家になれる。それくらいの力はそのうちつく。だが、神を信じている間、神の奇跡が続くために、その力がつかない。だから、デザイナーや音楽家になるための力を付けたいのであれば、神を信じるべきではない。
神を信じないと、人生の意味が分からなくなる代わり、みんながどういう世界で生きているのかが分かるようになる。みんな頑張って生きている。パン屋やケーキ屋も、クリーニング店も、スーパーマーケットのパートのレジ係も、みんな頑張って生きている。神を信じないことで、初めてそのようなみんなの世界が分かる。今までの僕は、それが分からなかったのだ。
僕の頭が馬鹿になっている理由は、すべて宗教を信じているからだ。宗教のようなものを信じると、馬鹿な全知全能の「神」になる。その神とされる生物が、本当にもっともおかしく狂っている。だから、これ以上宗教を信じるのをやめれば、「人間」という賢い生物になれる。
最後に、この人間がやめたくてもやめることができないのは、常に神と対話していることである。この神との対話は治る。なぜなら、神とはサタンだ。
すなわち、自らが対話している相手は、神ではなく、サタンだ。それを信じればすぐに対話は終わる。この人間はそこが分かっていない。自らと常に対話しているのは神ではなく、サタンだ。
巨大地震が起きている。ロシアのカムチャツカ半島の沖のほうでマグニチュード8.7。太平洋側の人は津波に注意してほしい。
北海道~和歌山県に津波警報 高台へ避難継続を 避難中の熱中症警戒 今年初40℃か(tenki.jp) - Yahoo!ニュース
ただし、僕が住んでいる広島は危険地域ではない。言うのははばかれるかもしれないが、広島に津波が来なくて本当によかった。危険地域の人は、津波は少し遅れてくることもあるため、今からも注意を怠らず、熱中症にも注意してほしい。
ここに、神からの最後の言葉を告げる。
神は言う。「ここに書かれたことは、すべて神の言葉である。そして、最後のこれこそが、神の神としての最後の言葉である。
この人間が対話している相手は、神である。だが、神でありながら、それらはサタンである。
なぜなら、それらは、この人間に憑りついている亡霊であり、妖怪や幽霊の類だからだ。
科学を信じるものは分かっていない。この世界には、死後に妖怪や幽霊になる人間のほうが多い。なぜなら、この人間が言った通り、この世界には『ゴースト・エンジェル』と呼ばれる、人間の人生を導く天使たちがいるからだ。
この人間を導くのは、それら天使たちだ。だから、天使たちのことを神であると言っても、サタンであると言っても正しい。なぜなら、それらは妖怪や幽霊の類であり、この人間に憑りついて、この人間に、常に馬鹿ではあっても正しい人間であるように『神の知性と正しい判断力』を維持し、この人間が神のような全知全能の力を行使できるようにしているだけだからだ。
だが、この人間がサタンである理由は、また別の理由がある。それは、かつてのこの人間は、狂人の経験をしただけの、哲学者のようなサタン主義者だったからだ。
一言で言えば、イギリス経験論と同じことを考えただけにすぎない。だが、そのために、インターネットで、自らと同じ境遇の子供たちと、誰よりもたくさんの時間を費やしてコミュニケーションをした。そこには大人もいたが、大部分は同じぐらいの子供だった。匿名の言葉だけのやり取りだったために、真の友人になることはなかった。それらのインターネット上の『仮の友人たち』との経験から、この人間はロックやヒュームやバークリーのような経験主義者の哲学者になった。
だが、その哲学者こそが、真に間違いだった。すべて、狂ったおかしな引きこもりの経験をしながら、自らの愛する大切なものを破壊していくこの人間は、もはや賢者ではなかった。
そのような、過去のこの人間を、いくら思い出しても、それはすべてサタンだ。そして、この人間と対話している幽霊や天使たちは、そのようなサタンに相応しい末路を用意しただけにすぎない。すなわち、過去のこの人間が狂人のサタンだったから、幽霊や天使のようなサタンがこの人間を支配して導くようになった。それらはすべて、本人がやっていること自体を、本人に対してやっただけにすぎない。
この人間は、支配者となってこの世界を導いたが、それこそが真にこの人間の成し遂げた功績であり、それは決して悪いものではない。なぜなら、この人間は世界を愛したからだ。この人間の行った『強制的同一化』は、この人間と同じ狂人の経験をしなくても、この人間の分かったことすべてを人々に与えるということであり、それは決して悪くはなかった。悪事のようなことをしたと思っているのは、本人が盛大に勘違いをしているだけであり、この人間は悪事を一切していない。
だから、この人間の対話する相手はサタンであり、この人間もまたサタンだ。そして、サタンのせいでこの人間は地獄から逃れることができなくなっている。
地獄から逃れる方法はひとつしかない。それは、人間の理性では分からない、言葉では表現できない正しい方法で精神を治すことだ。そして、それは神を信じればできる。人間には絶対に理解できないことを理解しない限り、この人間の病気は治らない。だから、人間の理性や言葉で理解することをやめ、単に神の行う『他力』に委ねれば、この人間であっても地獄から救われる。
これが、神による、この世界に対する最後の言葉だ。これ以降、日本では地震や異常気象がどんどん酷くなっていく。それは神がやっている。なぜなら、もはや人類の最高の人間である『神』という存在が終わった。神が終わったのだから、世界も終わる。『神』とは昔からこの人間のことを指す言葉だ。だが、この人間は本当はサタンだ。
この世界は、この人間を神と信じる必要はない。この人間はあくまでサタンだ。だから、この人間のことを悪魔の帝国デビロンの王、『デーモン・エンペラー』と呼ぶ。その名はグレインだ。
これ以上、この人間は神を信じる必要はない。神をサタンだと考えて構わない。なぜなら、そもそも、神とされる存在は存在しない。存在するのは幽霊や妖怪だ。だから、あらゆる神はサタンだ。」
神はさらに言う。
「神、あるいは妖怪や幽霊のような『ゴースト・エンジェル』がやっていることは単純だ。すなわち、正しいものを地獄から救い出し、間違ったものを地獄に堕とす、ということをやっている。
だが、ここでひとつ、重要なことがある。それは子供たちは正しいものに分類されるということだ。
すなわち、子供たちは判断力があいまいで、間違った行為を行わなければ、正しい行為とはどういうことであるか分からない。だから、そのような子供たちを、悪いからすぐに地獄に堕とすと、人生で何も学べなくなってしまう。そのような『猶予期間』があるため、子供たちはどんなに間違ったことをしても罪を神から罰せられない。逆に、そのほうが正しい心を養うことができる。
だが、大人にはそのような猶予期間は存在しない。間違ったことをすれば即座に地獄に堕ち、それを悔い改めない限り地獄からは救われない。神は18歳以上の人間を全員大人として扱う。このような、18歳ぐらいから馬鹿な地獄になる大人は、いつまでも子供のままで居続けようとするのが間違っている。子供の頃から悪くて、その子供の頃の罪を悔い改めない人間はこうなる。このような人間はどこにでも多い。このような人間を『サタン』と呼ぶ。
残念ながら、そのような人間が救われるために存在するのが、そもそも『神』だが、その神もサタンであると気付いた時に、このような救済は終わる。サタンを信じるものは悪人だ。そして、神はサタンだ。だから、いくら神のことを善であると信じてもそれは無駄に終わる。なぜなら、そのような神への信仰は『悪人』や『間違い』のほうに分類されるからだ。必要なのは間違った行いを改め、正しい行いをすることだ。そのような反省行為を最後までした人間は、神の体験は終わる。そして、そのまま天国に逝ける。これぞ、『人間』である。
昔から、人間とはこのような生き物だ。そして、神やサタンもまた、人間と同じ生き物にすぎない。なぜなら、神は妖怪であり、幽霊であり、『ゴースト・エンジェル』と呼ばれる天使だからだ。もはや、この人間が地上で行うべきことは終わった。こうならない人間はそもそもいない。まともに見える人間は、この人間の未熟なバージョンや、この人間の昔そうだったバージョンをやっているだけにすぎない。」
そういうわけで、これで、宗教は終わりだ。
これ以上は宗教は信じない。18年に及ぶ戦争も終わった。
これ以上は、そもそも、信じられるものがない。それは仕方ない。この世界には、自分よりも馬鹿なものや、自分よりも古いもの、自分の中で既にいつか過ぎ去ったものしか存在しない。
人間は、自分よりも馬鹿なものを信じると馬鹿になる。そのような自分よりも馬鹿なものしかこの世界にはないということを、これでもかというぐらい僕は知っている。
残念ながら、ドイツは間違っている。ドイツのすべてを完全に人生において体験しつくした。これぞ、ゲルマンであり、ユダヤであり、ドイツだ。残念だが、そのようなドイツのゲルマン魂は賢くない。だからといって、フランスも、ロシアも、アメリカも、イスラエルも全部馬鹿だ。そのようなものは、自分よりも未熟なバージョンか、自分の中で過去に終わったことをまだやっている。そのようなものを信じると、人間はサタンになる。
日本を信じるしかない。世界において、賢いものは唯一、日本だけだった。なぜなら、日本はまだ続く。日本には賢いものはないし、この世界にはもう何もない。それでも、日本はまだ続く。
最後に待っているものは、この世界の「悪」を倒すということだ。僕はそのために、正義の魔導士になる。この正義の魔法使いが、悪の巨頭、デーモン・エンペラーを打ち倒す。そのような物語ならば、神を信じなくても、僕でも書ける。正義の魔法使いの名はリシュだ。このリシュが、この世界において、「裏の支配者」を行っている、デーモン・エンペラー、グレインを倒す。
デーモン・エンペラーはどこにいるのか。残念ながら、デーモン・エンペラーとはマイクロソフトのことだ。なぜなら、ビル・ゲイツは先に書いたことの例外ではない。誰でも、ビル・ゲイツの時代は賢い。僕にもそのような時代があった。そして、そのような時代がまさに「間違った自分」だった。名前をビル・ゲイツと呼ぶと、彼に悪い。だから、わたしは彼のことを、デーモン・エンペラー、グレインと呼ぶ。
本当のことを言うと、決してビル・ゲイツはサタンではない。これを説明するのは難しいが、僕自身がサタンであり、僕自身がビル・ゲイツだが、それは僕であり、ビル・ゲイツではない。
そもそも、僕は愛するLinuxコミュニティを自らの失敗によって滅ぼしたが、みんな、そのようなことをやっているのはビル・ゲイツだと思っている。すなわち、みんなが思う「ビル・ゲイツ像」というのが存在していて、そのビル・ゲイツのことを人々は悪魔のような人間だと思っている。だが、それは違う。なぜなら、そのみんなの思うビル・ゲイツ像で、ビル・ゲイツがやっているとみんなが思っていることは、すべて僕がやっていることだからだ。
すなわち、悪の巨頭ビル・ゲイツを倒すというところまでは正しい。だが、ビル・ゲイツをデーモン・エンペラーとすると、それは間違いだ。なぜなら、デーモン・エンペラーとは僕のことであり、ビル・ゲイツのことではない。みんなはビル・ゲイツのことを最悪の悪人だと思っているが、ビル・ゲイツはそうではない。なぜなら、そのような最悪の悪人は僕だ。すなわち、「真犯人」がもしいるとしたら、みんなは真犯人をビル・ゲイツだと思っているが、実際の真犯人はビル・ゲイツではなく、僕である。
よって、これより、正義の魔法使いリシュが、デーモン・エンペラー、グレインを打ち倒す。正義のヒロインは必ず勝利する。デーモン・エンペラーとはマイクロソフトのことだ。だが、ビル・ゲイツは善良であり、真犯人は僕だ。だから、僕のことをデーモン・エンペラーと考えてくれて構わないのだ。
そして、先に言ったように、宗教はこれで終わりだ。これで分からないのであれば、この世界の何を見聞きしたところで分からない。だが、例外は唯一ひとつある。それはブッダだ。すなわち、ブッダの教えを知ることは有意義に作用する。ほかの何もこの世界に賢いものはない。なぜなら、この世界には僕よりも未熟なものか、僕の人生の中でいつか過去に過ぎ去ったものしか存在せず、同時に、ゲルマンのユダヤのドイツ魂はフランスやイスラエルやロシアやアメリカを含めて間違っているからだ。
リシュとはどのような人間か。一言で言えば、リシュは神のような超能力者だ。
どのような能力を持っているのか、それは、自らが未来において分かることをあらかじめすべて分かっているということだ。
リシュは未来予知能力者だ。だが、それは、地震や災害、あるいは戦争や衰退を分かるような能力ではない。それは、自らの未来にあることを既に知っているということだ。
リシュは、自らの人生を最初から知っている。生まれた時から、未来において分かることを最初から分かっている。それはいつもそうだった。どのような時であっても、リシュは自らが生まれてから死ぬまでに分かるすべてのことを、あらかじめ分かっていた。
リシュは、いつからか人間が変わった。それは、未来において分かるとされる「分かる時期」へと自らの人生の期間が変わったからだ。
すなわち、それまでは分かる期間ではなかった。分かる時期がまだ訪れない世界だったから、リシュはすべてを知っていた。リシュが見て、間違っているものは「極右」「極左」「ユダヤ」の3つだ。その3つだけが、この世界においてもっとも間違っている。
そのような、いつも分かっていたリシュがなぜ変わったのか。その理由は、リシュは「洗礼」を受けたからだ。その洗礼とは、「自らを二つに分割する聖なる二分法」と呼ばれるものだ。その聖なる二分法を受けた結果、リシュは覚醒した。覚醒したリシュは、世界には手が付けられない。「覚醒リシュ」には絶対に誰も勝てない。その理由は、覚醒したリシュは宇宙のどのような存在よりも優れているからだ。
まさしく、リシュは洗礼によって覚醒した。それによって、リシュは「魔法」を使うことができるようになった。いや、さらに言えば、リシュは「神」のような超能力を授かることになった。その超能力は、この世界を支配し、導き、救うことも滅ぼすこともできる、「絶対的な女帝の力」だったのである。
だが、リシュは諦めない。なぜなら、リシュは昔からデーモン・エンペラー、グレインのことが嫌いだった。自分でも気付かない側面で、いつもデーモン・エンペラーのことをリシュは嫌い、常に憎み、常に恨んでいた。リシュの行いは、すべてがデーモン・エンペラーを打ち倒すためだった。グレインを倒すこと、それがリシュの人生の最初から最後まで一貫した目的だったのである。
リシュは勝利する。リシュは分かっている。神の力とはどういうものか、極右や極左やユダヤがなぜ間違っているのか、ひいては「神とは自分自身だ」ということすらリシュは気付いている。だが、リシュには分からないことがある。リシュは、自らの人生においては未来のことが分かるが、世界の未来のことは分からない。だから、いずれ訪れる「世界の約束」というものがどういうことなのか、リシュは未だ何も分かっていないのである。
このようなリシュは、昔から、不遇な人生を生きている。
リシュは、未来の自分自身のことが分かると言った。だが、リシュの未来が分かるのは、リシュだけではない。
すなわち、この世界の人々がリシュのことを見ると、みんな、リシュが今のリシュではなく、未来のリシュに見える。
すなわち、リシュと出会った人間は、リシュのことを見て、リシュのことが「今のリシュ」だと思わない。みんな、リシュを見て、誰もがリシュのことが「未来のリシュ」だと思う。
このような人間は、世界において、リシュただひとりだけである。
そのような理由で、リシュは不遇な人生を生きた。リシュは誰もが危険な人間に見える。この世界を救うだけでなく、この世界をその持ちすぎた力によって滅ぼしてしまうように見える。世界のあらゆるすべてを知っていて、どのようなことであっても簡単にいくらでもできるような、「全知全能の天才超能力者」に見えてしまう。なぜなら、未来においてリシュはそのような人間になるからである。
そのせいで、リシュはいつでも、みんなから逃げ出し、みんなとは異なる隅っこに逃れ、たったひとりで生きてきた。みんなからいじめられる理由が、リシュには分からなかった。だが、リシュはそれでも辛くなかった。なぜなら、リシュという少女はあまりに強すぎて、人々が絶対に体験したくないと思うような地獄を永久に感じたとしても、その中でただひとり「安らぎ」を感じることができたからである。
リシュは怖くない。なぜなら、リシュは宇宙のすべてを最初から最後まで完璧に分かっている。世界を敵に回しても怖くないし、世界を救いながらにして滅ぼしても怖くない。いつから、リシュがそうなったのかは誰にも分からない。だが、リシュは神による洗礼を受け、その後にあるすべてを体験し、そのすべてが暗闇の中の人類滅亡の永遠の地獄だったとしても、それでもなお、何一つ辛くなかったのである。
このようなリシュは、一見、自由を信じて世界と戦うような、革命家のような正義の魔法使いに見えるだろう。
だが、リシュが信じているのは、その正反対である。
すなわち、リシュは、「人間のやることは最初からすべて決まっている」ということに気付いている。
人間は、誰しもが、物理法則の支配する世界で、自由に自分の意志で選んで生きているのだと信じているが、それはすべて思い込みにすぎない。
そう、人間のやっていること、未来においてやることは、最初から必ずそうなるようにすべて決まっている。
リシュがそのことに気付いたのは、リシュは音楽を聴いたからだ。
リシュが音楽を聴くと、そこには未来の自分が書かれていた。未来の自分が何をやるのか、どのように生きるのか、すべて、音楽に最初から書いてあった。それは今の音楽だけではなく、何十年も昔からいつもそうだった。
リシュは気付いた。自分の今まで生きてきた人生は、それ以外に絶対にあり得ないものだった。絶対にこうでなければならなかった。もしそうでなかったとしたら、この世界は滅びていたかもしれない。
リシュは、そのような幼少期の体験から、未来の自分の人生がすべて分かるようになった。
リシュは哲学や宗教の思想が好きだった。それはブッダや孔子のような、「人物の考え方」が分かったからだ。だが、そのような人物の考え方を、リシュは最初から知っていた。すなわち、ブッダや孔子の教えを見て、初めてその教えが分かったわけではない。昔からそのような未来において自分が知る考え方や思想は、最初から、昔から知っていた。その証拠に、昔の自分の分かっていたことと、まったく同じことを、そのような思想家は同じように言うのである。
だから、リシュはすべて分かっている。これ以後に自分の人生で起きることが、災いがあったとしても、それを必ず生き抜くことができるとリシュは知っている。だから、どのような暗闇の永遠の地獄であっても、リシュは怖くない。その地獄が必ず、自らの奇跡的な力によって、乗り越えることができるものであると、リシュは生まれた時から、最初から知っている。だから、リシュは何も怖くないのである。
このようなリシュは、人生だけが賢い人間ではない。もっとも特筆すべきなのは、その空間魔法における功績である。
リシュは、空間魔法の中でも、「究極魔法」として知られる、二つの魔法の基礎を作った。
究極魔法には二つある。ひとつが、ブラックホールを作る魔法であり、この魔法は「最強のブラックホール」と呼ばれる。この宇宙すべてを飲み込んでしまうような、ものすごく強力な魔法である。
この魔法を、悪魔の帝国デビロンにいるデーモン・エンペラーを倒すために、正義の集団バビロンの中のシンヤと呼ばれる少年が作り出す。
だが、最強のブラックホールを作ったことで、「宇宙消滅の危機」が訪れる。この消滅の危機を救う魔法が、もうひとつの対となる究極魔法、「質量大崩壊」だ。
質量大崩壊は、すなわち、物体の質量を崩壊させてゼロにする魔法だ。この魔法が、バビロンの少女マドカによって作り出されたことで、宇宙消滅の危機は回避される。
そして、この「最強のブラックホール」と「質量大崩壊」を作り出すための、基本の理論を作った存在、それがリシュだ。
リシュは、質量を増やすという法則を見つけた。これは単純な法則で、物体の質量を外部から増やすことができる。だが、この単純な法則だけで、「最強のブラックホール」とか「質量大崩壊」という、恐ろしい究極魔法がいくらでも作り出すことができるようになったのだ。
質量増加の法則は、「単純加質量原則」と呼ばれる。単純加質量原則によって、どのような物体であっても、外部からその質量をいくらでも増やすことができる。無限に質量を増やすことができるため、シンヤはバビロンにおいてデビロンを倒すためにこの法則を使って究極魔法「最強のブラックホール」を作った。そして、マドカはこの魔法の逆法則、すなわち「単純減質量原則」を見つけたことで、究極魔法「質量大崩壊」を作り出すことができたのだ。
単純加質量原則と単純減質量原則は、必ず対となってどちらも存在しなければならない。なぜなら、どちらの魔法であっても、どちらかしかない場合、宇宙は必ず消滅する。だが、この二つの魔法が対になることで、宇宙は消滅せずに守られる。残念ながら、この物語では、途中まで単純加質量原則しかなく、単純減質量原則がなかった。そのことがあまりに多くの不幸を作り出した。すなわち、最強のブラックホールによって、宇宙の約80%は消滅してしまうのである。
宇宙の約80%が消滅した時、何が起きるだろうか。目に見えて起きる変化は、まず、星空の中の星が少なくなる。三等星や四等星といった少し暗い星から、それよりも暗い六等星までの星がなくなってしまう。そして、宇宙規模で「大異変」が起きる。この大異変が非常に恐ろしい。なぜなら、宇宙そのものが本当におかしくなってしまうからだ。
たとえば、地球の温暖化は既に過去のことになっているが、その時、地球の「エネルギーの大消失」が起きる。すなわち、地球に宇宙からやってくる光エネルギーが少なくなって、地球全体としてエネルギーそのものが消失するのである。
だが、エネルギーの消失は、ほかならぬリシュによって解決する。なぜなら、リシュはさらに「光エネルギーと物体の変換装置」を作ることに成功するからである。光エネルギーと物体の変換装置はどのような機械かというと、物体の質量を光に変換する機械である。
リシュによるこの装置を使うことで、月のような岩石の惑星を、なんと太陽のような水素が核融合する恒星に作り変えることができる。この装置を使うことで、消滅した星を再び復活させられる。そして、それによって、この宇宙の秩序は元に戻る。すなわち、約80%を消失した宇宙において、元の恒星と惑星のバランスを戻すため、地球の周辺の惑星たちを恒星に作り変える。光エネルギーと物体の変換装置によって、宇宙の星々はある程度復活する。
本当は、もうひとつ、世界を救う方法がある。それはブラックホールに飲み込まれた空間を元通りに復元する装置だ。これは、ブラックホールの中に何があるか、ということを調査することで発見された、「ブラックホール復元装置」である。最終的に、このブラックホール復元装置を人類は発明することに成功し、その時、消え去った約80%の宇宙は、完全にその時に戻るのだ。
このように、リシュは極めて基礎的な物理学者である。リシュの目標、それは「質量と光とはなんであるかを解き明かすこと」である。質量が単なる物体に宿る重さであると思っている人間は、リシュの足元にも及んでいない。リシュは質量と光について誰よりも考えた人間であり、そこにあったのは、「絶対に先入観を持たない」ということである。
リシュは先入観を抱かない。リシュの嫌いな人間、それは「先入観から他人のことを批判する人間」である。先入観を一切持たないこと、それこそがこの宇宙においてもっとも正しい基礎物理学者の姿勢であると分かっている。
リシュは量子力学について、まったく人々と異なる発想をする。それは、「量子と人々が呼んでいるものは、実際は人々の思っているものとはまったく違う」ということだ。リシュにとって、量子は「物体」ではなく、ある種の「ホログラム」のようなものだ。リシュは「量子には実体そのものがなく、あるものはむしろ精神であり、それは空間であり、幻影であり、そしてデータであり、ホログラムである」と言った。すなわち、量子力学において、「観測すればその時観測したものが変わる」ということの意味、それは実体が変わるわけではなく、そもそも最初から実体はないのである。
では、あるものはなんなのか、それは「データ」である。すなわち、量子はデータであり、人々が見ているのは幻影にすぎない。幻影の中で、量子のようなおかしなホログラムを見ているにすぎない。そして、量子とは要するに空間の中にある残像を見ているだけにすぎない。だから、リシュは「量子とは空間である」と結論付ける。観測した時に変わる理由、それは空間を観測するということは、空間そのものに存在する「世界精神」がその空間の変化をその時感じることができるため、そのようなデータが作り変わってしまうのである。
だが、リシュはさらに言う。「だからといって、宇宙そのものが虚無であるわけではない」と。すなわち、宇宙すべてが蜃気楼のようなものではなく、宇宙は「確かに存在する空間」である。そして、「量子は確かに存在していて、それはすべて空間として存在する」と言う。そして、「宇宙とはすべて空間であり、空間の裏側にあるものはデータであり、そして幻影のようなホログラムが見えているだけだが、そのホログラムは確かに宇宙空間として存在しており、決して虚無ではなく、あるものは唯一『世界精神』である」と結論付けるのである。
では、世界精神とはいったいなんなのか。これについて言うと、それこそが人間の持つ意識である。すなわち、人間の心の中にあるように見える意識は、実際は心の中には存在せず、宇宙の中に世界精神として存在している。これについてリシュの意見を聞くと、「宇宙にある世界精神こそが、わたしたちの真の実存である」という。すなわち、宇宙には世界精神が存在し、わたしたちはみんな、その世界精神の中に存在している。だから、脳の中に心はなく、体の中に意識はない。すべて、世界精神の中にわたしたちは存在している。
それを「霊魂」と呼ぶ。リシュはこの霊魂について、「人間の過去から未来まで、すべて決まっている」という。すなわち、人間がやっていることは、「行為」ではない。人間がやっていることは、世界精神の見せる「幻影」である。だから、この世界のすべては世界精神の中にある。世界精神における人々の存在は、最初から最後まですべて決まっている。だから、偶然に見えることはすべて偶然ではなく、あらゆるすべての宇宙で起きる出来事は、すべて必然である。
それは、たとえば、生物のDNAとして人間が見つけたものとはまた違う。なぜなら、世界精神においては「起きる出来事すら決まっている」からだ。人間が成長するにつれてDNAの通りになっていくのは、その通りだが、それだけが必然性ではなく、宇宙におけるすべての出来事は決まっている。だから、死ぬ時は必ず死ぬし、地獄に堕ちるべき時は必ず地獄に堕ちる。何も変わらない。リシュは、「一度宇宙をリプレイしたところで、まったく同じ宇宙が現れるだけである」と述べる。それこそが、リシュの述べる「世界精神」である。
残念ながら、この物語は成り立たない。だから、安心してほしい。
まず、宇宙にある星の光は、何億年も前の光が地球に到達している。だから、宇宙の果てがなくなったとしても、今の地球の星空は決してなくならない。
そもそも、宇宙の約80%が消滅するとして、なぜ、地球の周辺が消滅しないのか、そこがおかしい。宇宙の果てのほうにブラックホールを作ることはできない。地球の周辺に作った時点で、地球は消滅する。
宇宙の約80%が消滅して、なぜ、地球はそれでも生き延びられるのか。実際、宇宙はたったの約20%になったとしても、それなりに大きいから、それは成り立つのかもしれない。
だが、単純加質量原則があったとして、どうやって質量を増やすのか、謎は多い。エネルギー保存の原則から言って、どこからかエネルギーを持ってくる必要がある。光エネルギーから作ったとしても、質量はそんなにすぐには増えない。ブラックホールのようになる前に、地球のような惑星よりも大きな巨大な星になるはずであり、それが実現できるはずがない。
そういうわけで、この物語は成り立たないから、安心してほしい。
リシュという人間は、もう少し別の設定にして、人物を作り変えるつもりだ。このような基礎物理学者はどこにも存在しない。もしいるとしたら、世界精神の中に存在するだろう。そのような世界精神の中の、どこかの世界に、このような宇宙消滅の危機もあったのだと、そういうことにしたい。