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2024-07-31

中学時代

そもそも、僕の人生のルーツは、すべて中学時代にある。

小学生の頃、僕はとても仲のよかった友達がいた。互いの家に行ってゲームをしたり、学校でもウマの合う、僕にとっては「自分のライバル的存在」だった。

僕は小学生の頃、友達がたくさんいた。子供たちの面倒を見るのが得意な「長的な存在」であり、自分の家にたくさんの友達を呼んで、ゲームをしたり野外探検をしたりするさまざまな友達がいて、僕自身、とても明るくて活発だった。

だが、僕が中学校に行った時、先に書いた仲のよかった友達を含む、多くの友達が、僕とは別の中学校に通うなどして、中学時代、僕はいきなり多くの友達を失った。そう、小学校から中学校に学校が変わったことで、友達が激減してしまったのである。

僕の中学校は、多くの小学校が合流した学校だった。そして、僕の小学校ではないほかの小学校から来た子供たちは、なんだかすれた子供たちが多かった。

その結果、僕が予期していなかったこととして、「中学校のクラスメイトに今までの友達がほとんどいない」という状況が生まれた。

僕は、そのようなクラスメイトの中で、次第に引っ込み思案になっていく。今までの小学生時代は活発な子供だったのに、まるで今までの自分を隠すように、今までも根暗だったかのような、根暗な子供として振る舞うようになる。

そのような中でも、僕と付き合ってくれる友達はいた。今でもその友達のことを夢に見るし、彼が僕の人生で最高の親友だったと信じている。だが、その親友も、僕のことをスクールカーストの下の階級にいることを前提に付き合ってくれるような友達であり、言ってしまえばあまりに気の毒だった。

僕はそのクラスの中で、代議員に任命された。そもそも、そのクラス自体が、あまりよいクラスではなかった。すれた子供たちが多く、反抗的で、教師たちに逆らったり、従順に従わないことの一番多いクラスだった。

代議員になった僕は、そのクラスで、友達を作ることよりも、教師に従順に従う「犬」のような存在になってしまった。僕自身はそうは思わなかったが、クラスメイトからしてみれば面白い存在ではなかった。

それもあってか知らずか、僕はそのクラスの中で、孤立したわけではないが、自然とスクールカーストの下の階層として扱われるようになった。自らの挙動不審な言動や世間知らずな発言もあって、みんなからからかわれたり、恥をかくことが増え、普段は友達であっても嫌がらせ行為を受けたり、そもそも友達の範囲から外れた存在として無視されることも日常的だった。

かつてはいじめとまでは認識しなかったが、今思えば十分にいじめだったと思う。

そのような僕も、友達はいたのだが、先にも書いたように、小学生時代と違って、みんなから外れた隅っこのほうで付き合うような友達ばかりになってしまい、僕は中学校の現実の人間関係が嫌いになった。

そのような僕がはまり込んだのが、ネットゲームである。僕は子供時代にゲームをしていた関係から、その延長線上として、中学生になるとパソコンを使ってネットゲームをするようになった。中学校のみんなにもこのネットゲームを広めた。僕にとって現実の人間関係は頭痛の種であり、そこから逃れたいという想いからネットゲームにのめり込んだ。ネットゲームしか自分が自分らしくいられる居場所がなかった。

そのような僕は、いじめに打ち勝って強い人間になるため(当時の僕はそうは考えなかったが、今思えばそうかもしれないと思う)に、剣道部に入った。

物分かりがよく、子供時代に駅伝の大会に出ていたため、持久力のあった僕は、持久走で三年生を抜いて一年生でありながら一位になったりして、剣道部では最初は天才のような扱いを受けていた。だが、僕には剣道そのもののセンスがなく、相手に勝つ方法が分からなかったため、次第に落ちこぼれになっていった。そもそも、剣道部は中学校の中でもっとも帰るのが遅くて、練習を夕方遅くまで行い、帰る時は辺りは真っ暗だった。それから、重たい防具をもって長い距離を登下校するのは、僕にとって苦痛でしかなかった。

そのような剣道部で、僕は昇段試験に落ちてしまう。今思えば、あれが不登校になった一番の原因だと思う。みんなが楽々と剣道初段に合格するのに、僕は剣道初段に合格できなかった。そして、その後に、僕は剣道部に行きたくなくなり、剣道部を幽霊部員となる。今まで支えてもらった先輩には裏切る形になってしまい、いつも僕に教えてくれて試合にも連れて行ってくれていた先輩には本当に申し訳なかった。

そのように、僕の中学時代は、人間関係と剣道部だけを見れば燦燦たるものだった。それでも、僕は中学校時代、授業を真面目に聞き、テストのよくできる優等生だった。僕の成績表はオールAだった。その成績表の理由は、テスト前に勉強する量が違っていた。僕は一週間ぐらいの間、何時間もノートに教科書の単語を書いて、しっかりとすべてを覚えて、必ず答案に答えを書けるように頑張ってテストに向かっていたから、テストではほとんどの教科で80点~90点以上を取っていた。

だが、不登校になる直前の定期テストで、僕はそのような勉強をせずにテストに向かった。そして、実際、そのような勉強をしなくても、ある程度の今までと変わらない点数を取ることができた。そう、僕の勉強は、最初からそんなにする意味のない勉強であり、勉強をしなくてもテストで好成績が取れることが分かってしまった。僕はそこで、「今までの勉強には意味がなかった」ということに気付いたのである。

そもそも、僕は学校の勉強が嫌いだった。授業でノートに書いたことを、テストの前だけ覚えこんで、テストが終わったらすべて忘れてしまうという勉強が、誰よりも勉強をしていた優等生だったからこそ、意味のないものであると思っていた。

だから、僕はネットゲームにのめり込みながら、ネットゲームを成り立たせている、Perl/CGIやUNIXのような勉強をしたいと思った。学校の勉強や剣道部の練習に時間を使い果たすのではなく、自らの好きなことに時間を使って、いつかはネットゲームを自分でも開発できるようになりたいと思って、既にネットゲームの一部分のCGIのようなものを作っていた。

そういう経緯で、僕は中学校に行くことを拒否するようになり、中学三年になって、三年生の新しいクラスがどのようなものか分かった時点で、中学校を不登校になった。

だが、中学校を不登校になると、僕はネットゲームから興味関心を失う。それでも、インターネットとIT技術に対する興味関心はあったため、Delphiを使ってWindowsのフリーソフトを作る方法を学ぼうとしたりした。その後はLinuxとオープンソースへと道は通じていく。

僕が最近間違っているのは、僕はそのような中学時代のことを、今では何も覚えていない。だが、この世界には、そのような中学時代の僕と同じようなことを、今でも経験して生きている人が多い。子供だけではなく、大人にも、そのままを生きている人が多い。それ以降さまざまなことをした僕の人生があまりに異端すぎるだけであり、人々は今でもそのような不遇な人生を生きている。そこが分かると、この世界が今、どのような憂鬱に陥っているかが分かる。

不登校以後

不登校以後の僕は、むしろ、みんなよりも賢かった。なぜなら、時間に余裕ができて、インターネットを自由に経験できるような機会を与えられたことで、人々の知らないことを知ることができ、人々の経験しないことを経験することができたからだ。

僕はいつでも、インターネットと一緒に引きこもり生活をしていた。当時はSNSやツイッターなどというものはまだなかったが、匿名掲示板やブログやネットのニュース記事などを中心に、僕はインターネットのさまざまなことを知った。

僕は、UNIXを学びたかった関係から、Linuxが大好きだった。エリック・レイモンドの「伽藍とバザール」に感動し、いつかLinuxカーネルの開発者になることが僕の夢だった。

だが、大学の勉強もしていない僕にとって、Linuxやオープンソースに貢献するという目標は、難易度が高すぎた。

結局、Gentoo Linuxをインストールするために、手動でLinuxの設定をして、ある程度UNIXの仕組みを分かっただけだった。それでも、僕はまるで「オープンソース戦士」のように、Linuxとオープンソースのために戦う、ネット上の戦士のような存在になった。それはある意味で会社で部署が研究開発をするのとよく似ていた。僕は独自のオープンソースの研究を行ったが、今思えば、それが今の僕の基礎や基本を作ってくれた。

かつての僕について言えるのは、あまりに精神を分裂させすぎたということだ。僕はまるで「悪魔の相対主義者の環境主義者」のように、環境を悪魔的に相対的論理から分かる人間だった。

だが、分裂して作り上げた知性は、決して本当の知性とは言えない。そのような知性は一時的なものであり、狂って賢くなっているにすぎない。本当に賢くなるためには、融和的な知性を持つ必要がある。そのことが、「自由」を信じるかつての僕には分からなかった。

分裂と融和

人間の精神は、分裂すると、知性がつく代わり、思い出せなくなる。そして、融和すると、知性がなくなる代わり、思い出せるようになる。

たとえば、心の傷を負ったり、学校の勉強をしたりすると、精神は分裂する。だが、記憶を思い出したり、文章を書いたりすると、精神は融和する。

そもそも、僕は中学生時代にあまりに辛かったせいで、小学生と中学生の精神が分裂している。これが僕の精神異常の原因である。僕の小学生と中学生はまるで多重人格のように分裂している。だから、それを融和させるだけでも僕は治る。

ほかに言えば、そのような分裂の人生が始まった理由は、幼少期に子供英会話に通っていたのがおそらくは原因である。覚えてはいないが、おそらく、子供英会話教室のせいで、僕は日本語ではなく英語の知性がつき、早い段階で日本語ではない英語の精神が分裂した。僕の考え方にアメリカ人的なところがあるのは、それが理由である。

精神は、分裂させても賢くはならない。なぜなら、分裂すると、それまでの自分自身がどこかに行ってしまい、思い出せなくなってしまう。多くの子供たちが、中学生になると小学生の頃のことを思い出せなくなる。どんなに楽しくて面白かった記憶でも思い出せなくなる。それはすべて、精神が分裂しているせいである。

僕は最近、世界を支配するような戦いをして、世界を分裂によって治すようになった。あるいは、僕の足の異常な精神についても、分裂させることで治そうとした。だが、分裂させようとしている時点で、そのような精神は治らない。真に治すためには、世界を融和し、精神を融和する必要があるのである。

融和させるための方法

精神を融和させるための方法として言えるのは、殺すのではなく、新しい精神を作って、その精神と自らを融和させることだ。

一見、融和させるのであれば、新しく精神が分裂しないように、新しい精神を殺したほうがいいと勘違いするかもしれないが、実際は、殺した時点で精神は破壊され、分裂してしまう。

そうではなく、新しい精神を作り出して、その精神と自分を融和させることで、精神の「壊れていた部分」や「欠けていた部分」が作られ、再生する。

それによって、はじめて精神は融和する。

また、たくさんの言葉や知性を、すべて追いかけて集めて網羅しようとすることには無理がある。それは、分裂を信じているからだ。

すなわち、分裂した言葉や知性をいくら追いかけて集めて網羅しようとしても、分裂した知性は一時的であり、必ずどこかで分からなくなってしまう。

すなわち、きちんと正しく書き記すために必要なのは、分裂ではなく融和をすることだ。

常に融和した精神を保ち続けることで、何も忘れず、忘れないままでいることができる。その振る舞いは堂々としていて絶対的であり、分裂による一時的な相対主義とは逆である。

最後に、神を信じてすべてを神に委ねること。

なぜなら、そもそも、僕の精神を治しているのは僕自身ではなく、神だからだ。

すなわち、僕を治しているのは神であり、僕の精神が治ったのは、僕が凄かったからでも賢かったからでもなく、神が賢かったからである。

だから、このような考え方を信じた上で、神の導きに委ねれば、精神は最後まで治る。

何度も言うようだが、世界を治すためには、いくら世界を分裂させても世界は治らない。真に世界を治すのであれば、分裂ではなく融和によって治すべきだ。それで初めて、この世界は救われるだろう。

新しい人生は微分

そして、僕はその後に、新しい人生を生きるようになったが、その人生は昔の人生と何も変わっていない。

なぜなら、僕の新しい人生は、昔の人生を微分したものだからだ。

微分とは、数学における微分である。僕は新しい人生を生きているが、それはまったく新しい人生ではなく、過去の僕の人生を数学的に微分したものなのである。

だから、僕自身は何も変わっていない。多重人格者のようになるのも昔と同じである。

よく分からないものと上手く付き合え

また、この宇宙には、神でも悪魔でも仏でもない「よく分からないもの」という存在が存在する。

この「よく分からないもの」について、簡単に物理的に分かると信じるのも間違っているが、絶対に不可知で分からないとするのも間違っている。

よく分からないものは確かにあって、それが自分を導いている。自分と対話し、自分を支配し、そして自分を救っている。

このよく分からないものについて、簡単に分かるのでもなく、絶対に分からないのでもなく、ある程度距離を保って騙し騙し付き合っていくという姿勢が、人生においてはどうしても必要となるのである。

勉強しないと分からない

結局、僕が最近高校や大学の勉強をするようになったのは、勉強しなかったせいで何もできなかったからだ。

上に書いたように、僕はLinuxについての研究が満足にできなかった。Gentoo Linuxのインストールぐらいしか、実のある経験はなかった。

Gentoo Linuxのインストールは簡単だと、人々は思うだろう。だが、Gentoo Linuxのインストールは意外と難しい。なぜなら、インストーラというものがなく、手動でコマンドからインストールしなければならないため、Handbookというマニュアル書を読み解いてインストールしなければならない。そして、このHandbookは、UNIXのシステム管理に必要なことが網羅的にきちんと書かれている。だから、僕はそのHandbookに出会ったことで、Linuxハッカーとして最低限の常識を身に着けることができた。

だが、実際、僕ができたのはその程度だった。

本当にきちんとIT技術をやりたいなら、勉強しないといけない。大学の情報の専門知識は必要だし、そのためには本をたくさん読まないといけない。

だが、実際のところ、そのような勉強をするのに、年齢は関係ない。年齢が遅すぎても、勉強は必ずできる。

僕は大学の情報工学だけではなく、哲学や歴史などもよく知っているが、それは年齢が遅いからといって諦めずに、ゼロから本を読んで研究した結果である。

だから、不登校で引きこもりになったからといって、勉強を諦める必要はない。逆に言えば、勉強をしなくていい身分の人間など存在せず、不登校や引きこもりであっても、なんらかの手段で勉強しなければ、この世界できちんと人生を生きることは決してできないだろう。

パソコンから歴史を知る人間だった

僕の文章を読んでいると、「文章を書き続けるなら歴史をやったほうがいい」とか「パソコンより歴史に向いている」と思う人は多いだろう。

だが、実際のところ、昔の僕は、パソコンから歴史を知る人間だった。

たとえば、匿名掲示板のログやアーカイブを見たり、あるいはLinux関連のニュース記事やオープンソース関連のエンジニアのブログを見ながら、ネット上でオープンソース戦士のように活動する僕は、まるで「ネットの実際の姿を知って歴史が分かる人間」だったのである。

事実、僕はさまざまな議論をネットでした。議論だけではなく、ネットの利用者がネットの掲示板のルールなどを管理する「自治」などにも関わった。そのような経験をネットですることで、僕は人類の文明そのものの在り方が分かった。人間の歴史の先にある未来のことや、人間の文明の実像のようなことが、僕はネットから分かったのである。

世界を変える練習台

また、さらに言えば、僕はネット上の議論から、「世界の変え方」というものが分かった。単に方法や手段というだけではなく、世界をどのように変えればこの世界はよくなるのか、ということを、ネット上の議論や自治の経験から分かっていた。僕にとってネットとは「世界を変える練習台」であり、僕はネットでさまざまなことを経験したことで、「世界を救済できる革命家」になることができたのである。

そもそも、僕は最初から、子供たちをいじめのような抑圧から救いたかった。そのために、自分が実際に世界を救済する、などといったことは最初から考えずに、ただただ純粋に子供たちが救われるということはどういうことか、ということを考えた。ネットでの経験がその思考を行うための助けとなった。

僕のネット上の経験はあまりに大量に増えていき、実際、ひとつひとつの経験を思い出さなくても、経験の全体像を意識で回想するだけで、世界の変革の方法が分かるようになった。僕は一度経験したことから応用的に成り立つ別のことを推論することが得意で、その経験だけを見るのではなく、その経験がもたらすそれ以外の別の経験へのとっかかりを得るということが得意だった。だから、ネット上で社会をひとつ経験すると、その社会の経験から別のさまざまな社会も類推して分かることができた。

そのような結果、僕は人間の文明のすべてが分かるようになった。そして、子供たちが何を考えているのが間違いなのか、誤りは何で正解は何なのか、という答えも自分で導き出せるようになった。それこそが、僕の目指した「啓蒙主義の救世主」だった。だが、それは実際に実現するために考えたものではなく、「もしそのような答えがあるとしたらそれはなんだろうか」ということを純粋に疑問に思い、その答えを自分なりに導きだそうとした結果だったのである。