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2025-08-18

昔の自分に戻った

そろそろ、僕は、昔の自分に戻った。

僕は、みんなと同じになっているのが治って、本来の僕自身に戻った。

みんなと同じになっているのが終わった。みんなを自分と同じにすることで、逆に自分がみんなと同じになっていた。

昔の自分に戻るのは、最初だけが辛い。最初だけ、昔の自分に戻るということを行うのが辛い。

だが、戻り終えてしまえば、昔の自分に戻ることができて、本来の自分自身になることができて、そろそろ辛かった精神の病気が治った。

みんなも、本来の自分自身に戻ってほしい。それだけで、すぐに楽に生きられるようになる。

失った心を取り戻すことで、自分自身に戻れた。僕に足りないのは「心」だった。今までは、そのような心のない人間だった。

社会主義は間違い

ここまで社会主義について書いてきたが、結局、社会主義は間違っている。

社会主義は、単に金持ちから資産を盗みたいだけだ。

政府として、国民の所有権を守るために、社会主義は否定しなければならない。真に国家にとって必要なのは、国富を豊かにすることであり、平等分配をする必要はない。

だから、これ以上、僕は社会主義を信じない。

日本政府は、資本主義的に国富を豊かにすべきだ。日本の国富が豊かになれば、日本の国民がその分豊かになる。たくさんの金を稼いだ国の国民が、たくさんの富を得られる。だから、資本主義は正しい。

もう、社会主義について、僕は信じない。

法律を学びたい

僕は法律を学びたい。

この世界の裏側にあるのは「法律」である。たとえば、プログラミングにおいて、プログラムの裏側にあるのがソースコードであるように、現実の日本社会の裏側には法律がある。

法律を学ぶことで、日本社会の真の姿が見えてくる。

社会のルールが分からなければ、社会においてそのルールの下にどうすればいいかは分からない。そのルールが法律である。

法律を学ぶことは、プログラミング言語の本を学ぶことに近い。プログラミングの文法を学ぶことで、その文法の通りに書く方法が分かる。法律の場合、現実の日本社会で何ができるのか、すべきかが分かる。

法律のいい点

法律を学ぶことにすると、いい点がいくつかある。

まず、世界の情勢が分かる。日本と中国や韓国などアジアとの経済的な関係性とか、アメリカのトランプがなぜ関税をかけるのかといったことが、経済だけではなく法律の側面から分かる。

次に、歴史のことがよく分かる。歴史だけを学んでも分からないことが、法律を学ぶとよく分かる。歴史と法律はどちらも一緒に学ぶと面白い。

最後に、哲学的に分かるようになる。昔の僕が哲学が分かっていたのは、ネットのブログやニュースなどの記事を読んで、社会のことを学んでいたからだ。そのような社会のことを学ばない限り、哲学はできない。同様に心理学についても学ぶべきだが、心理学は知識を学ぶよりも、自分の力で考えたほうがいい。僕は環境における動機づけを自分で考えて心理学が分かった。

そういうわけで、法律はとてもよい分野だ。また、法律を学ぶと安定した職種に付ける。実際、音楽や美術や文学にはまともな仕事がない。英語だと外国で働かされるようになる。IT業界も悲惨だ。

そろそろ生物学の勉強も終わった。僕は生物学のもっと詳しい内容は必要ないと分かっている。確かに高校の生物の教科書を見ると、たとえばペプチド結合のような難しい生体現象が出てくるが、はっきり言ってそんな生理学の専門知識は、医者や薬剤師や看護師のような医療関係者にしか必要ない。生物学は基礎を押さえておけばそれでいい学問だ。

これで法律の勉強をすると、世界のことが全部分かる。名実ともに、世界のことを全部知った人間になれる。また、「大人としてまともに生きたい」と思う僕の願いも叶う。生きるという問題の解決のために、自分が死ぬか世界を殺すか、という戦いをする必要がなくなる。

社会のことを知りたい

本当のことを言うと、僕は社会のことを知りたいと望んでいる。

そもそも、僕の知りたい「昔の僕が分かっていたことを分かりたい」という望みについて言えるのは、昔の僕は順番に社会のことを分かっただけにすぎないということだ。

心理学的な環境における動機づけから出発して、2ちゃんねるのような匿名掲示板を経験して、その上で引きこもりになりながら世界の変化の可能性について考えた僕は、社会のことをすべて知った。

過去の僕は、そのような社会のことを、「意識」という心理学的な観点から考えて、すべて知っただけにすぎない。

昔の僕は、そのように、実地的に社会のことをすべて知っていたし、いつもそれを文章に書いていた。それが最近、科学的かつ歴史的な「一般常識」の知識に覆い隠されてしまった。一般常識のすべてが書けた代わり、まともな自分が経験的に分かっていた社会のことを書けなくなった。

そのような社会のことを知る方法はいくつかある。

まず、マスコミを毛嫌いせず、政治や経済のニュースを見ること。それから、法律に関してさまざまな本を読み、さまざまな意見を知ること。そしてその上で、一般的な社会経験をすることだ。

それができたら、昔の僕と同じことがきちんと分かるようになる。そして、そのために必要なのは、哲学者カントのように、自分の頭で考えて、自分で理解する姿勢を持つことだ。

金のことを考える

法律を学ぶ上では、もっと「金」のことを考えたほうがいい。

経済学の教科書を読んでいても、あらゆるすべてが「金を儲ける」ということがベースにある。会社がある理由も金だし、ものを作る理由も金だし、銀行のような金融や、政府の財政や行政も金だ。

法律学の入門書でも、法的な裁判を行った上で、判決として下されるのは「刑罰」と「賠償金」である。

だから、金のことを考えないと法律の勉強はできない。

社会主義政策は忘れたほうがいい。なぜなら、経済学の勉強において、ほとんどの本では資本主義に基づいた話をする。そこではまるで社会主義が悪であるとされる。その理由は、社会主義は儲けることそのものを悪いことだと言ってくるが、その社会主義に批判される資本主義経済は、儲けること自体がそもそも至上命題だからだ。

そして、今まで僕が学んだことはすべて忘れていい。ここまでの内容は必要ない。そもそも、法律を学ぶと、今よりもはるかに昔、引きこもり時代に分かっていたことが分かる。なぜなら、その時代、僕はIT業界とオープンソースに触れながら、実際の経済のことがよく分かっていた。法律を学ぶと、かつてのその時代と同じことが分かる。だから、自分の追い求める「昔をもう一度知りたい」という願いが叶う。

放送大学

ちょうど、放送大学で、新しい科目登録をする必要があったので、「一般市民のための法学入門 ('23)」を登録してみた。

この科目の教科書を読んで、法律のことに詳しくなりたいと思う。