ホームページに戻る | 紅蓮と黄金の出会う場所に戻る

2024-04-18

存在、心、環境、社会について

存在、心、環境、社会について、以下のように考えよ。

存在、心、環境、社会について、この世界において、それらがどのように存在しているか、ということから、自らの考え方と世界認識の仕方を改めよ。

存在、心、環境、社会について、どのようにそれが変わっていくか、時間の経過とともに変化していくか、ということを考えよ。

存在、心、環境、社会について、どのようにしたらどのようになるか、どのようにすればどのように作られるのか、ということを想定せよ。

存在、心、環境、社会について、それを作るためにはどのようにするべきなのか、どのようにすれば作ることができるのか、という「実現可能性」を想定せよ。

存在、心、環境、社会について、実現可能性のために、あらかじめ考えるべき、留保されるあらゆる事前の準備と対処策を考えよ。

存在、心、環境、社会について、理由と可能性を考えよ。理由が分かれば、それを変化させる方法が分かる。そこから、可能性が見えてくる。

存在、心、環境、社会について、前提条件と方法を考えよ。前提条件が分かれば、どのように実現させることができるかが見えてくる。

存在、心、環境、社会について、チャンスと潜在的可能性を知り、自分によるものだけではなく、みんなでそれを実現させる方法を考えよ。みんなで実現させやすいような環境や社会を考えよ。

存在、心、環境、社会について、可能性を与え、可能性を許せ。

それらを総合して、「環境を変える」という真理であるとせよ。

環境を変える際に、まず、独立性を高めよ。すなわち、それぞれを個別の独立した自由であるとし、全体はその個別の集合体であるとし、個別についてその個別を単純に当事者が自由に変えやすくするような独立性を高めよ。

全体は個別の集合体であると同時に、個別は全体の現れのひとつに過ぎず、常に全体を見た上で個別を考えるべきであるとせよ。個別と全体は不可分であり、個別だけを見て個別を分かることはできない。

しかしながら、個別は自由に独立しており、全体がなくても個別は働くことができる。このことを示すために、全体は個別と個別の関連性であるとせよ。すなわち、個別と個別が関連性を持って関係することで、集合体である全体は成立するのだとせよ。ただし、その際においても、個別だけを見て個別を考えるのではなく、常に全体と照らし合わせながら個別を捉えるようにせよ。これはたとえば、生物の生態系やLinuxカーネルモジュールなどについて言えることである。

法則と状態、あるいは存在と状態は、明確に区別できないとせよ。すなわち、法則と状態の明確な境界線はなく、存在と状態の明確な境界線もない。

その上で、意識と感情を考え、「すべては自由に別の存在から変えられることを待っている意識そのものである」という真理と、「感情は確固とした自分自身のアイデンティティを望んでいる」という真理を信じよ。そこから、いじめや反抗といった子供たちの社会問題は解決させることができるとせよ。

一度解明し、明らかにした真理は、その前提条件を厳密に明確にした上で、その前提条件を満たす場合であれば、どのような状況や場合においても、また自分以外のどのような人間であっても、常に成り立つとせよ。そして、一度解明した真理を再利用・再適用することで、この宇宙のすべての真理を明らかにすることができると信じ、その上で真実を積み重ねよ。

経験についても同様であり、一度分かった経験は未来においても過去においてもすべて正しい。そして、知識とは経験の様相にすぎない。だから、すべての知識を得るということは、すべての経験をするということだ。そう信じた上で、地上のすべての経験をし、全員の感情と認識を吸収すれば、意識のレベルで自らは宇宙あるいは神や仏すらも自らと合一化し、自らは宇宙のすべてを超越できると確信せよ。

僕のやりたいことは世界を救うこと

人生において重要なこととは何か。

人生において重要なことは、「自分のやりたいことをやること」と「自分の好きなことをやること」である。

すなわち、自分のやりたいこと、好きなことをやることこそが、人生の目的である。

そして、僕にとってそのやりたいこととは、「世界を救うこと」である。

すなわち、単発で、使い捨てのような人生でもいいから、僕はこの世界を救いたかった。

この世界が、子供たちの夢と希望あふれる、心から安心できる「自由な世界」にしたかった。

だから、僕はそのために、この世界を「本当に変え、本当に救う方法」を考え続けた。

僕は、何もかもすべてに絶望して、不登校になったわけじゃない。僕は不登校になった時に、「本当に自分がそれをやりたいから」という、確固とした理由があった。そして、その理由を僕は不登校になってから、ただの一度も忘れることがなかった。「諦めが悪い」とみんなから言われるぐらい、僕は諦めず、自らの夢を信じて追いかけ続けた。

「Linuxカーネルの開発者になりたい」という夢は叶わなかったが、「世界を救いたい」という夢は叶った。だから、僕はその夢のさらに先にある延長線上の未来を開拓し続けた。それが僕にとっての「啓蒙と革命の大戦争」だったにすぎない。そのために、僕は「大実験の大計画」と呼ばれる壮大な計画を実現に移そうとしたのである。

「子供たちが心から安心できる、夢と希望のある自由な世界」、それが僕の理想だ。僕はその理想を実現するために、あらゆる可能性を考え、そして実現可能なあらゆる決定性を確信する。必ずこの世界は救うことができる。そう、今すぐに、そして絶対に、まさしく。

社会モデルという哲学

社会制度や決まり、システムを考えるために、「社会モデル」を作り、そのモデルに基づいて、具体的な社会システムを成立させよ。

社会モデルにおいては、「できるだけ、最大限、自由な可能性を向上させる」ということを中心に考えよ。

スターリンのようなひとりの独裁者が、世界すべてを平等に支配するような、「独裁的変革」は、世界を変える上では必要ない。

他国の自由に干渉せず、他の人間の社会に干渉するな。関係のない人間の自由を尊重し、それぞれの当事者の独立性を高めよ。

世界を変革するための手段は、ひとりの支配者による強制や強要だけではない。同じ立場に基づいて、組織やコミュニティに、自由かつ平等に「参加」をし、インターネット上で伝達される「情報」から世界を変えよ。全員を支配する特別な立場に就任するのではなく、あくまで万人に許された平等な権利の中で、「自由な愛」に基づいて世界を変えよ。きちんと正しく社会を考えれば、それは可能だからだ。

そこにあるのは、ひとりの人間が世界を支配して変えるという方法ではなく、自らの実体験を共有するという、「体験の共有」から世界を変えるという方法である。

あるいは、たったひとりで考えて世界を支配して変えるのではなく、自らは「影響力」に基づいて世界に情報を伝達し、世界の人々がそれぞれの自由意志と判断力から、自らと同じ考え方にそれぞれ自由に達して、「みんなの力でみんながそれぞれ世界を変える」とすることこそが、真に世界を救う。

そのために必要なのは、「自由な愛」を信じることだ。すなわち、自由な愛に基づく行為、自由な愛の行為によって、この世界を救おうとせよ。滅ぼすのではなく救い、硬直するのではなく柔軟に変化させ、そして世界そのものを「愛のムーブメント」とともに変えるようにすれば、この世界は必ず救われる。

だがしかし、場合によっては、自由だけでは変えられないものもある。それは社会制度、決まり、システムといった「社会システム」である。

そのような社会システムにおいて、自由を成立させるために、「社会モデル」あるいは「自由モデル」を考えよ。

社会モデルとは、前提条件と理由を考えることで、この世界がどのような社会を成立させることができるか、ということを経験からすべて理解した上で、具体的な自由な社会を成り立たせるような、経験と理性に基づく自由な社会成立のモデルである。

社会モデルにおいて考えるべきことは、「自由な可能性を最大限向上させる」ということ、「特別な人間の意志だけではなく、万人の意志が尊重されるような社会を築く」ということである。

そのような社会モデルにおいては、自由な可能性がもっとも重要である。なぜなら、ひとりの人間が支配して行うことには限界があるからだ。確かに、強さとか正しさとか、そういうものを度外視して、単純な平等な社会を築くのであれば、ソ連のようなモデルも正しいと言えるだろう。だが、そのような社会は馬鹿になり、遅れた社会になり、そして間違った社会になる。だから、ソ連は自由を許さずひとりでスターリンが支配したための結果、西側諸国よりも遅れた世界になったのである。

まさしく、自由な可能性を最大限向上させるということが、「具体的な社会を作り上げる」ということに繋がる。具体的なあらゆる社会制度を、「自由モデルを成立させる」ということから考えることができる。だから、あらゆる地上の社会のことを理解した上で、そこから社会システムをあらゆるパターンですべて作り上げることができる。これは、「地上のすべての世界を作る」ということに等しい。

そして、そのようなことを実際に行うために必要なのは、頭の中で考えることだけではなく、文章に言葉を紡ぎ、文章を書くことだ。いくら想像力や経験から考えたところで、「社会モデルを具体的な社会から見出す」ということはできても、「具体的な社会モデルをすべて記述する」ということはできない。文章を書くこと、それも緊迫したなんらかの戦いの中で文章を書くことで、そのような地上のすべての社会論を包括した「社会モデルの成立」を考えられる。それが、まさしく、僕にとっての「哲学」である。

理想の国はEU

理想の国とは何か。

僕にとっての理想の国は、EUである。

すなわち、ドイツでも、フランスでも、イタリアでもあるように、それぞれのすべての国の文化を融和した上で、それぞれ自由な国が一緒になり、強者はさらに強くなり、弱者は強者からの支援と手助けを得られるような、そのような「すべての国の文化を融和した世界の共同体」を作ることこそが、真に理想である。

イギリスがEUを脱退した理由は、イギリスはEUでは自分勝手なことができなかったからだ。だが、それならば、イギリスがやりたいことを自由にできるように、制度そのものを改革していけばいい。そのような「改革のための制度」が存在しないことが悪いだけであり、EUの考え方自体が間違っているとは言えない。

僕の理想は、EUにロシアや中央アジア・東アジアの国がみんな加入することだ。すなわち、EUをヨーロッパ連合からユーラシア連合に拡大し、ロシアや日本がEUに加入するようにすべきだ。それこそが真の「世界政府」となり、「自由連邦」となる。そして、温暖化のような環境破壊も、核兵器の拡散状態もそれによって解決する。EUがもっとも強い力ですべてのEUの国民から炭素税を取り、EUの大統領だけが核兵器を抑止力として持つようにすれば、世界の解決困難な課題は解決し、世界は平和になるだろう。

EUは本当に理想なのか

しかしながら、実際のヨーロッパには、そのような「EUが理想の国」という意見には懐疑的な声が多い。

なぜなら、所詮はフランスとドイツのやることであり、それら二か国は世界中の中でもっとも信頼できないからだ。

「EU」という名前が「フランス」という名前になってもおかしくはない。多くのヨーロッパ人が、「みんながEUのことをフランスだと呼ぶようになった時点で名前はフランスになるのでは」と考えている。

だが、実際のところ、第三帝国からソ連まですべての国を考えると、EUこそが理想の国である、という意見は正しい。特に、「自由なまま強者と弱者の助け合いができる」という点、「すべての加盟国の文化を尊重して融和する」という点においては、EUに勝る連合を作ることはできない。だから、僕は堂々と「EUが理想であり、ロシアや日本はEUに加入すべきだ」と述べるのである。

ヨーロッパの右翼は怖い

ただし、流石にすぐには「フランス」という名前にはならないだろう。だが、「ヨーロッパ帝国」という名前にはなるかもしれない。それは、民主主義者ではなく国家主義者がEUの政権を持てばなる。そして、本当は、その時が人類の未来を考える上で、もっとも怖い。なぜなら、「ヨーロッパの国家主義者は世界最悪」であると決まっているからだ。

実際、日本やロシアのような右翼は、右翼というよりは左翼に近い。アメリカやイギリスやフランスなどの資本帝国主義の列強を倒すために、地域ローカルな帝国主義者をやっているだけにすぎず、大日本帝国がファシズムのナチス・ドイツとつるむのもその延長線上にすぎない。

ヨーロッパの右翼は違う。本当にイギリス人やフランス人やスペイン人のような白人よりも、劣った人種(スラブ人やアジア人やインド人や黒人や新大陸の先住民のこと)を奴隷にするために、世界全土を征服し、ロシアやアジア・インド・アフリカを「奴隷貿易」の材料にしようとやってくる。そして、それで植民地の経営を行い、プランテーションの搾取で大儲けして富をむさぼるのだ。

だから、本当は世界で一番危険な集団は、「EUを信じる右翼国家主義者」であると言えるだろう。

同様に、「ソ連を信じる共産主義者」も凶悪だが、ドイツのネオナチほどではない。共産主義者も悪党ではあるが、理想は「平等なユートピアを作るため」であり、今となっては遅れた世界には見えるが、当時は資本帝国主義よりも優れた「近代的かつ平等な政治思想」であると誰もが評価していた。だから、当時のコミュニストにはたとえば実存主義の哲学者サルトルなど、賢い人間が多い。

そう、世界でもっとも凶悪な国は、もしかするとEUかもしれない。だが、世界でもっとも理想的な国も、またEUであると言える。

神を信じよ

何よりも大切なこと、それは神を信じることだ。

宇宙における創造主、歴史を司る絶対者、終末にユダヤ人を救う王、「神」を信じよ。

イエス・キリストの教えを信じることは間違いではない。イエス・キリストは神だからだ。

だが、そのようなイエス・キリストを信じるか信じないか、ということよりも先に、神を信じれば、どのような悪人や愚か者であっても、どのように先の見えない暗闇の地獄であっても、神はあなたのことを必ず救ってくれる。

神を信じれば、出口のない迷宮から出ることができる。神を信じれば、不治の病を治すことができる。神を信じれば、死んだ人間も復活する。狂った人間が正常な理性を取り戻し、何も分からなくなった人間が再び分かるようになる。

神を信じることで、「間違いのない人生」を生きることができる。神を信じなければ絶対にできない奇跡のようなことが、神を信じれば必ずできる。だから、神を信じよ。神を信じるものだけが、真の意味で「使徒」になれる。使徒とはすなわち「天使」のことだ。すなわち、神を信じれば、人類よりも進化した生命体である「天使」になることができる。

フランスはかっこいい

本当のことを言えば、僕は正直、ドイツよりもフランスが好きだ。

その理由は、フランスはかっこいいからだ。

特に、誰も独裁者ヒトラーの支配なんか望んでいない。どう見ても、ドイツ人はヒトラーの上手すぎる演説に騙されている。

だから、そのようなドイツの支配に対抗する、フランスのレジスタンスが僕は大好きだ。

実際、フランスは当時ドイツに負けていた。ヴィシー政権が生まれた時点で、フランスはドイツに屈服するように見えた。

だが、シャルル・ド・ゴール率いるレジスタンスが頑張ったことで、フランスはドイツの支配に抵抗し、その結果、フランスはかろうじて戦勝国になることができた。

そのような、「ドイツの悪の独裁者ヒトラーに抵抗するレジスタンスのフランス」という発想が、昔から僕は大好きだ。

結局、フランスの抵抗は必ずしも正しいとは言えない。ヒトラーはファシズムの民主主義勢力であり、民主主義勢力の仲間として、スターリンではなくヒトラーを支持すべきだという意見は分かるし、そのような意見を持ってドイツ第三帝国に賛同したフランス人も多かったはずだ。

だが、現代人が見て、明らかにヒトラーは嘘をついている。ヒトラーが自由と民主主義を信じていると思っているのはすべて嘘偽りであり、実際は自らの嫌いだったユダヤ人を殺し、スラブ人とロシア人を植民地の奴隷にしたかっただけであると、今の現代人は常識として誰でも知っている。

そのような、世界中を騙すヒトラーに、果敢に抵抗するレジスタンスのド・ゴールはかっこいい。だから、僕は基本的にフランスが好きだし、ドイツに抵抗するフランスこそ、真の正義なる民主主義勢力であると知っている。

ヒトラーは好きになれない

正直、ドイツ帝国を統一したビスマルクはまだ好きになれる。鉄血の宰相がアメとムチ政策をやるのは、ヨーロッパの古典的な騎士道から見て正しいだろう。

その点、ヒトラーはまったく好きになれない。

ヒトラーもまた天才的であり、あのような傑出したリーダーであれば支持率が90%以上になるという理屈は分かる。だが、国会でみんなでハイル・ヒトラーをやっているのを見ていると、日本人から見ても「悪魔のような政治家」であるとしか言えない。

ヒトラーは、自動車以外にも多くの発明をしたが、その中には最悪の兵器であるV2ロケットも含まれる。今でいう、ミサイルだ。ミサイルは悪魔の兵器だと言われたが、ヒトラーが発明したせいで、最悪の現代国家であるロシアやイスラエルはミサイルとロケット弾ばかりを使うようになった。ドイツという帝国は最悪であると言わざるを得ない。

日本人から見ると、「フランスも大して変わらない」とは言えるだろう。特に、「原子力空母を持っているフランスも悪い」という意見も分かる。だが、日本が見て、「あのようなヒトラーの行いは日本人のもっとも嫌うところである」と言わざるを得ない。だから、僕はドイツは本当は嫌いだ。

この世界が馬鹿なのはフランスのせい

先ほど、「僕はフランスが一番好き」であると言った。それは決して嘘ではない。

だが、実際のところ、この世界が馬鹿なのは、すべてフランスのせいである。

そもそも、民主主義などが賢い思想なわけがない。確かに、三権分立を行えば腐敗は少なくなるだろうし、国民主権の法治国家にすれば不正は少なくなる。だから、民主主義は「悪党を排除する手段」としては優れている。

だが、日本を見ていて、おかしいとは思わないか。なぜ、わたしたちは、小中学校に行かなければならないのか。なぜ、算数と国語を教え込まれないといけないのか。なぜ、受験戦争をして大学に入らなければならないのか。なぜ、労働をして金儲けをした上で、給与から天引きされて税金や保険料を払わなければならないのか。なぜ、社長や経営者に従い、労働者は弱い立場を強いられるのか。

これらは、すべて、フランスの民主主義のせいである。

わたしたちは、民主主義に染まりすぎていて、その社会の常識のすべてがフランスあるいはアメリカの作ったものであるということを忘れている。いくら格差が酷くなって失業者が増えても、民主主義を批判しないのは、すべてフランス人に完全に洗脳されているせいだ。

たとえば、ヒトラーやゲッベルスのようなファシストを凶悪であると言う人は多い。だが、ルソーやナポレオンは善良なのか。ルソーやナポレオンも相当な悪人である。

よって、この世界が馬鹿なのはフランスのせいだ。

最近、IT技術が増えたせいで、ビル・ゲイツがすべての元凶であるとする「陰謀論」が増えた。だが、真に悪いのはビル・ゲイツではない。真に悪いのはフランスである。フランスのせいで、日本の現代社会の「大いなる闇」が生み出された。そして、人々はその中で、その元凶がフランスであるということをあまりに忘れすぎているのである。

すべては諸行無常

結局、すべては諸行無常である。

諸行無常とは、「すべての行いや社会は変わっていき、永遠に残るものなどなく、優れた人間や力のある人間もいずれは消え去っていく」ということである。

まさに、日本を含めた地球の歴史は、諸行無常である。

また、このように書くと、「アメリカは良い国である」という人が日本にはとても多くいる。なぜか、日本の戦後民主主義が大成功したせいで、アメリカが素晴らしい国に見える。その理由は、アメリカが民主主義の日本国憲法を作ったからだ。そのせいで、「アメリカは日本を平和にしてくれた」と日本人は勘違いをしている。

だが、アメリカはソ連(今のロシア)と冷戦を行う国だ。真面目に考えて、アメリカが日本を平和になどしていない。日本が平和なのは、日本人が平和主義者だからであり、アメリカと言えばどこでもソ連との冷戦ばかりしている。アメリカは決して日本を平和にする国ではない。

もし、日本が朝鮮戦争に大きく関わっていたとしたら、アメリカとソ連の介入によって日本は戦争を強いられていたはずである。ベトナム戦争も同様である。アメリカが平和な民主主義をもたらすと考えるのは幻想であり、ソ連を打ち倒すためであれば戦場の現地のことなど考えず殺戮をしまくる国がアメリカである。

GDPと貧民のいない社会

そういうわけで、外国に負けないように、日本も力をつける必要がある。

だが、日本が軍事的に強くなると、日本国民が見ても、天皇陛下による辛く苦しい圧政を強いられる。

だから、軍事的ではなく、経済的に勝たないといけない。

そして、経済的に勝つためには、GDPという経済規模を大きくする必要がある。

GDPとは、国内で生み出されたすべての付加価値の総和のことで、国の豊かさや経済規模を示すために使われる。

しかしながら、GDPだけを増やしたのでは、格差が広がり、貧民が増えてしまう。

国がいくら豊かになったところで、国内のほとんどの国民が貧民では意味がない。

それから、国が豊かになるためには、貧民が少なく、みんながある程度の消費活動ができるようであったほうがいい。消費が活発な国が、景気がよい国になり、生産される価値も多くなる。

だから、そのように考えると、国の豊かさだけではなく、格差や貧民のない「平等な社会」にも、価値があるということが分かる。

だから、社会主義経済を行うソ連は間違っていない。本当は僕はプーチンのことを応援している。戦争には反対だし、ウクライナとの戦争はすぐにやめるべきだと信じているが、経済について言えば、社会主義経済による平等な社会は正しいと思う。すべての意味で成り立たなくても、社会主義経済を今まで行ってきた経験や実績から、できることはたくさんあるはずである。

ロシアには頑張ってほしい。ロシアは「国の豊かさだけを追求するのではなく、本当に平等で正しい社会を築き上げる」ということができる。ロシアこそ、真に世界を救う大国である。

日本が正しい

このような結果言えることは、「日本が正しい」ということだ。

すなわち、GDPを拡大して豊かになり、平等な社会とのバランスを保つことのできる、日本こそが、実質的に「もっともよい世界」を作り上げる。

豊かさと平等は、バランスが取れていないと意味がない。国が豊かであっても国民のほとんどが貧民ばかりでは意味がないし、平等であっても国が貧しければ意味がない。

要するに、「実質的によい社会とは何か」ということを重視して考えれば、日本社会が最適解となるのである。

先進国の中で、もっとも国の豊かさと社会の平等のバランスが取れているのは日本だ。確かに、スウェーデンのような北欧の国も福祉国家を作っているが、彼らの国は税金をたくさん取る。税金をたくさん取ると、国民の生活は悪くなる。「実質的なよい社会」を目指すなら、税金はできるだけ取らないほうがいい。だからどう考えても、日本以上の答えはないのである。