わたしの名はヴァルナ。暗黒魔法団の女性団員だ。
わたしたち、暗黒魔法団の使命、それは「戦うこと」と「支配すること」だ。
この世界はわたしたちのものだ。この世界のすべてをわたしたちは支配下に置く。そのためにわたしたちは、魔法を使って戦い続ける。
この世界のすべてを、わたしたち暗黒魔法団のものにするために、わたしたち暗黒魔法団は永久に戦い続ける。
この世界をわたしたちは支配し、そして、世界の人々に「極上の快楽」を与えることと引き換えに、世界のすべてを完全なる「滅亡の廃墟」へと導く。
わたしたち、暗黒魔法団が支配するということは、この世界のすべての人間がわたしたちのものである、ということを意味する。
それはたとえば、男であっても、女であっても、体も心も欲望も愛も憎しみもすべて、わたしたち暗黒魔法団が「魔法の力」によって支配し、永久にわたしたちのものにするということを意味する。
世界よ、わたしたちを恐れよ。この世界のすべてはわたしたちのものだ。
わたしたちは、そのために、わたしたちネオ・ブルグント族にしか使えない「暗黒魔法」を用いることで、この世界に「極上の快楽」を与えると同時に、人々の人生を運命的に「永久の地獄」に堕とす。
わたしヴァルナは、暗黒魔法「永久地獄のニルヴァーナ」を使うことができる。ニルヴァーナとは、「悟り」「涅槃」「解脱」といった意味であり、インド哲学に古くから伝わる「人生で最高の境地」だ。
わたしヴァルナは、暗黒魔法「永久地獄のニルヴァーナ」によって、そのような人生における最高の悟りの境地を人々に与える。だが、それと引き換えに、その人間は「永久に地獄のまま」となる。永久地獄から抜け出すためには、わたしヴァルナに勝利しなければならない。わたしヴァルナが負けることがない間、この世界は永久に「いつまでも地獄のまま絶対に何も変わることのない世界」となる。
だが、ほかの暗黒魔法の例と同様、ヴァルナにおいても、暗黒魔法には副作用がある。
すなわち、世界のすべてが自らのものにできるのと同じように、自ら自身もみんなのものになってしまうのである。
すなわち、ヴァルナがこの世界を自らの道具や奴隷にできるのと同じように、ヴァルナ自身もこの世界のものとなり、この世界から単なる道具や奴隷のように扱われる。
だから、ヴァルナの心と体はいつもこの世界の暴漢たちに支配されている。
ヴァルナはこの世界をわがもののように支配下に置くが、それは決して楽ではない。なぜなら、世界を支配して「極上の快楽」を感じることができることと引き換えに、ヴァルナは常に暴漢に奴隷のようにレイプされ続ける。ヴァルナは常に「極上の快楽」を感じることができるが、それは暴漢によってレイプされることと一緒であり、それは自由意志に基づくのではなく「強制的に常に」である。
それでも常に「極上の快楽」を求めて生きるヴァルナは、もはや人間ではなく、「新しい家畜」である。そのように暗黒魔法の使い手は、まともな人生を生きられなくなってしまうのである。
このように、暗黒魔法団は、最悪の狂った魔法によってこの世界を支配しようとしてくる。
だが、ツァロンは知っている。そのような支配は、まったくの無意味であると。
すなわち、ツァロンはそのように、「世界を支配下に置く」ということを嫌う。ツァロンの大嫌いなもの、それは「間違った支配を行う指導者」である。
ツァロンは知っている。この世界は自由においても必ずよくなる。支配することは世界をよくすることを意味しない。なぜなら、ツァロンは誰よりも、宇宙の第一原則である「悪いことをして世界をよくすることはできない」ということを知っているからだ。
ツァロンは、間違った暗黒魔法団という支配者を好まない。必ず彼らの支配からこの世界を解放してみせる。そのためにツァロンは、「力」は持たなくても「知性」を持っている。そして、そのような「知性」によって、必ず暗黒魔法団を打ち倒すことができるとツァロンは知っている。
ツァロンはまだ少年だ。だが、少年だからこそ宿っている力がある。それは「夢を信じる力」である。すなわち、暗黒魔法団は世界を支配するあまり、「夢がもたらす力」のことを忘れている。ツァロンは自らの信じる夢がある。その夢には希望と愛と情熱と信念が宿り、「この世界は必ずわたしの理想の自由な世界にすることができる」と信じている。その確信を覆すことのできる人間はひとりもいないのだ。
ツァロンは信じている。この世界を救うのは自由であり、夢である。人々と同じ世界から外れ、夢を追い求めるために孤独を選ばざるを得なくなり、世間や世俗から離別し、そして最終的にたったひとりになったとしてもツァロンは恐れない。そのたったひとりの力は、全世界の全員の力を覆すほど大きいということを、ほかならぬツァロン本人が知っているからだ。
この世界は支配することではよくならない。悪いことをして世界をよくすることはできない。夢と自由の理想を信じるツァロンは、その夢と自由の力で、暗黒魔法ではなく「光魔法」をゼロから経験的に作り出す。そこにあるのは「自らの人生そのものが到達する『理解の地点』を魔法(光魔法)と呼ぶ」という境地だ。
この光魔法は「夢と情熱をエネルギーとした、純潔なものだけが操ることのできる魔法」だ。純潔とは、処女や童貞を守り続けるということだ。純潔なものにしか光魔法を使うことはできない。一度なんらかのきっかけでセックスをすると、その時点で光魔法は絶対に使えなくなってしまう。同時に、光魔法には副作用がない。そして、光魔法は暗黒魔法に必ず打ち勝つ。暗黒魔法は光魔法によって必ず負ける。
なぜ、暗黒魔法が光魔法に負けるのか。それは光魔法が「真実」に根差した魔法だからだ。すなわち、真にこの世界を救済するということは、光魔法を使うということであり、決して暗黒魔法を使うということではない。光魔法が「真の救済」であるならば、暗黒魔法は「偽物の救済」である。光魔法によってならば、この世界は真の意味で救うことができる。だが、暗黒魔法がいくら「救済のフリ」をしたところで、それは絶対に救済ではない。だから、同等の光魔法と暗黒魔法がぶつかった時、「真実」が必ず勝ち、「嘘」は必ず負けるのである。
暗黒魔法に光魔法が勝てる理由、それは「光魔法は暗黒魔法の一枚上を行くから」である。
たとえば、ニーベルの唱える暗黒魔法「逆さまの世界」に相対する魔法として、光魔法「あらゆるすべての世界」がある。
暗黒魔法「逆さまの世界」は、逆さまの世界にしているように見えて、実際はたくさんある世界のうち、そのひとつにしているだけにすぎない。
だから、光魔法「あらゆるすべての世界」を唱えれば、そのような逆さまの世界は効力を失って消える。
それから、ルースの唱える暗黒魔法「恐怖の言葉遣い」に相対する魔法として、光魔法「到達地点の最後の言語」がある。
暗黒魔法「恐怖の言葉遣い」は、この世界を滅ぼすような最悪の言葉遣いをしているが、実際はそれも言語の中のひとつにすぎない。
だから、光魔法「到達地点の最後の言語」によって、そのような言葉遣いは効力を失って消える。
最後に、ヴァルナの唱える「永久地獄のニルヴァーナ」に相対する魔法は、光魔法「27つの夢の世界」である。
この世界には、ブッダが言うような三千世界があるように見えて、実際は人間の生きている世界は27つしかなく、その27つのうち1つが現実世界であり、残りの26つは眠る時の夢の世界として、寝ている間に見える。そこにはさまざまな世界があり、ファンタジーや奇跡のような楽園から、絶対に二度と行きたくもなければ見たくもないような地獄までたくさんある。
暗黒魔法「永久地獄のニルヴァーナ」における「極楽浄土」は、その中にあるひとつの、それも大きく間違った世界にすぎない。
だから、光魔法「27つの夢の世界」によって、そのような永久地獄は消え去る。
そのように、本質的に光魔法は、暗黒魔法ひとつひとつに対して「対」のように存在している。そして、どの光魔法も、必ずそれに相対する暗黒魔法に勝つことができる。
だが、本当は、戦いはそんなに楽ではない。なぜなら、光魔法の使い手よりも、暗黒魔法の使い手のほうが多いからだ。
すなわち、光魔法を使えるのは、ツァロンとユリアを含めて、ほんの少ししか存在しない。それに比べて、「暗黒魔法団」を形成する暗黒魔法の使い手は、世界に山のように存在する。
だから、光魔法によって暗黒魔法団を打ち倒すためには、たくさんの雑魚キャラを倒さなければならない。
雑魚キャラだけではない。世界には暗黒魔法の強者たちがたくさん存在する。そのような強者たちをひとりひとり倒していき、最終的に辿り着いた「暗黒魔法団のアジト」に乗り込んで、最後にツァロンとユリアが、「純潔の光魔法」の力で、「間違った支配者」に対抗する「夢と希望の勝利」をもたらす。それがメインストーリーである。
光魔法と暗黒魔法をどちらも同時に唱えた時、どうなるか。
光魔法と暗黒魔法をどちらも同時に唱えると、その両者が互いに空間の中で矛盾してしまう。
そのため、互いの相手の魔法に対して、「わたしの魔法のほうが強い」という、「エネルギーのぶつかり合い」が起きる。
そのようなエネルギーのぶつかり合いは、まるで「気のぶつかり合い」のようなものであり、たとえば暗黒魔法「逆さまの世界」のエネルギーと、光魔法「あらゆるすべての世界」のエネルギーが、両者ぶつかり合い、どちらかが負けて消滅するまで、まるでおしくらまんじゅうのように互いの気を押し込み続ける。
そして、その結果、光魔法が勝つ。
この魔法の物語は、簡単に言えばそのような「魔法と魔法のぶつかり合いの対戦」を行う世界を描いた漫画である。雑魚キャラから強者たちまで、すべての存在する暗黒魔法の使い手を、光魔法を使うツァロンとユリアが倒していく。そして、最終的に、暗黒魔法団のアジトを発見し、そのアジトに侵入して、ニーベルやルース、ヴァルナといった「悪の列強たち」を倒す。そして、ツァロンが勝利すると、最終的に彼らは敵ではなく仲間になり、ユリアに忠誠を誓う「天空魔法団」へと変わる。
ただし、単なるエネルギーのぶつかり合いにすると、低レベルすぎて面白くないため、何かしら魔法の名前的な要素は入れる。
たとえば、暗黒魔法「逆さまの世界」と光魔法「あらゆるすべての世界」は、「世界と世界のぶつかり合い」というテーマがある。だから、世界そのものを逆さまにするような魔法と、それを正常なまともなすべての世界にするような魔法の二つを比較して、「世界をコントロールする支配者はどちらか」という感じの世界観の物語(エピソード、サブストーリー)にする。そして、最終的にはこの世界を支配するニーベルやルースと、この世界を自由で開放的な世界にしようとするツァロンやユリアの思惑が重なって、「自由かそれとも支配か」という感じにシナリオと結末を持っていく。
そのように、確かに賢くして面白いシナリオにはできるだろうが、実際、そのほうがややこしくて難しい理解しにくいものになるし、逆に「単純なほうが面白い」ということも言える。そこらへんのバランスを上手く取りながら、面白い漫画にしていきたいと思う。
そろそろ、僕はようやく、環境に適応できるようになった。
僕が環境に適応できなかった理由は、僕が自らの精神を繋ぐ回路をすべて「反対」に繋いだからだ。
すなわち、ニーベルのような、暗黒魔法「逆さまの世界」によって、僕の精神はすべてが逆向きに繋がれており、そのせいで僕は環境に適応できなかった。
だが、逆に言えば、それが賢かった。なぜなら、僕はそのせいで、最悪の人間でありながら最高の人間になることができたからだ。
これより、僕が環境に適応できるようになったことで、この世界すべてが「馬鹿な何もない状態」を脱して「賢くてたくさんのものがある状態」になる。そう、天軍大将軍ロキが目指した「大実験の大計画」は、ようやくここで最後に成し遂げられるのだ。