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2024-02-08

大人になるための方法

大人になるための方法は、支配することだ。

すなわち、この世界を支配するようになると、子供は成長して大人になる。

そもそも、僕が恐れている感情は「支配」だ。すなわち、支配することを恐れているから、何もできなくなっている。

そして、支配することを恐れている理由は、子供だからだ。

精神が子供だから、支配することができない。これは単に、成長して大人になれば、きちんと世界を支配することができるようになる。

そして、なぜ子供が支配を恐れるのか、それはエログロを恐れているからだ。

すなわち、エログロを恐れているのをやめ、エログロをいくらか受け入れるようにするだけで、子供は大人になり、この世界を支配することができるようになる。

そもそも、僕がやったことは、この世界を心理学的に「掌握」するということをやったのであり、掌握することが簡単にできるにもかかわらず、いつまでも支配を恐れるせいで、この世界をよい世界にすることができなかった。

だから、支配を恐れないだけで、今すぐに、この世界を完全に掌握し、別のよい世界に作り変えることができるようになる。

精神から悪いものを取り除け

また、精神が辛いからといって、いくら精神を殺しても治らない。

必要なのは、「殺す」ことではなく、「取り除く」ことだ。

すなわち、殺し続けても精神は治らない。殺すのではなく生かして、悪い部分だけを取り除くようにすれば、精神はすぐに治したい部分が治って、穢れを浄化することができる。

裏の人格であるリリスが自動で考えている

僕の真の問題とは、感情がないことだ。

僕の心の中には、感情がない。心は空っぽで、何ひとつ感じない。

しかしながら、感情がないにもかかわらず、僕は心の裏の心で、常に怒りと悲しみを感じている。

その理由は、僕は裏の「隠れた人格」が、怒りや悲しみを僕の代わりに感じているからだ。

この「隠れた人格」のことを、僕は「リリス」と名付ける。

リリスは僕の裏の人格であり、僕の代わりに常に自動で怒りや悲しみの感情を感じている。僕が何も考えることなくすべてのことが分かるのは、裏の人格であるリリスが僕の代わりにいつも思考して僕に「言葉の対話」を与えているからだ。

だから、僕の心には何もないにもかかわらず、僕の心は常に憤りと際限のない哀しみを感じている。それは僕が感じているのではなく、リリスが感じている。そしてリリスは僕がどのようなことを考えるかにかかわらず、自動的に裏で思考し、自動的に答えを出す。だから、僕は何も考えず何も感じなくても、リリスの導きを信じるだけで、どんなことでも自動的に分かるのである。

リリスはすべて分かっているから考える必要がなく正しい答えが分かる

案外、このような僕は、気楽な身分だ。

なぜなら、自分で思い悩んだりしなくても、裏の人格であるリリスが勝手に考えて答えを出してくれる。

なぜ、そのようなことが可能なのか、それはリリスがすべてのことを完璧に分かりつくしているからだ。

すなわち、リリスは考えているように見えて、実際は単に選択肢を比較して正しい答えを自動で導き出しているだけにすぎない。僕が思考するすべてのことについて、リリスは「何を考えれば正しいのか」ということを、考えることなく考えられる。それはリリスが人生のことも世界のことも理性のことも宇宙のこともすべて完璧に分かりつくしているからだ。

だから、僕の女性の人格であるリリスは、なんでもすぐに正しい答えが分かる。どんなことであっても分かっているリリスが存在するおかげで、僕は何も考えなくても自動ですべての問題を解決できるのだ。

エゴイストになればいい

最後に、大人として成長するために必要なのは、「エゴイストになること」だ。

あるいは、エゴイストになりながら、すべてのエゴについて、ひとつずつ、社会経験とともに消していき、残ったエゴだけをまとめると、それがきちんとしたまともな「大人」だ。

だから、世界を支配するのであれば、もっとエゴイスティックに支配したほうがいい。自らが「世界の頂点」であり「王」であると信じ、自らの考え方と言葉を「絶対」であると信じれば、それがまさに「大人になる」ということである。

子供はいつまでも、そのようなエゴを否定し続ける。僕はいつも、エゴを否定することで正しいことを自己批判的に分かっている。だが、それをもうやめるべきだ。自らのエゴを信じてこの世界を支配すれば、それで大人になれる。

自らの経験と自由だけを信じよ

自らの経験と自由を信じよ。

僕はもっと、自らの経験を信じたほうがいい。

あるいは、他人の与える知識などを信じなくていい。そのような与えられた人生は賢くない。

自らの理性と経験だけを信じて、「自由」だけを信じるようになれば、そこから、「あるべき正しい世界」と「あるべき正しい理想」が見えてくる。

そのような目標とする世界を信じるために、もう一度「自由」を信じればいい。

そして、自らの経験だけですべてのことが分かるということに気付け。他人の言っていることをすべて忘れたとしても、それらは無用であり、必要のないものであると知れ。

そのような中で、「エゴとエゴのぶつかり合い」を、自分自身の心の中で経験せよ。

そうすれば、この世界のすべてを経験的な「啓発と啓蒙主義」から知ることができる。そうでなければ、どんなに勉強しても、どんなに思考しても、宇宙の真実と真理には達することはできない。

世界を変えるのは言論の力

言論弾圧をするな。

世界を変えるのは、言論の力だ。

すべての言論が正しいわけではない。間違った言論というのは確かにある。だが、その間違った言論は、弾圧しなくても、正しく議論し、きちんと体験的に理解できるように心を導いてやれば、すべての言論は正しい「矛盾のない解決策」へと向かう。

それから、子供たちを安全な場所で守ろうとするあまり、過保護になりすぎるな。

子供たちは自由を望んでいる。その理由は、自由でしか、この世界を変えるための「経験が得られるような土壌」を得ることはできないからだ。

子供たちが、大人たちの集団の中に参戦して、自らのエゴと言いたいことをすべて言って、それに対して大人が優しく諭してやることで、子供は「この世界を変えることのできる可能性」を理解し、自らの心の中に「確固たる理想と信念」を構築し、この世界を啓発的・啓蒙的に変えることのできる「新世代の指導者」になることができる。

だからこそ、子供たちにはできる限りの自由と経験を与えてやるべきであり、過保護に守りすぎる必要はない。子供が大人と戦いたいならば戦えるようにすべきであり、子供が大人と議論して正しい人生経験を積むことで、子供は悟りを啓いて新しい思想家あるいは革命家のリーダーになることができるのである。

必要なのは、単に経験することだけではなく、経験することによって心の中に「揺るぎないアイデンティティ」を築くことであり、いじめや非行といった「自らの確固たるアイデンティティがなく、不安しか感じないから起きる社会への攻撃」はそれによってなくなるのである。

子供たちに自由な言論を許せ。独裁者や反動体制の権力者による言論の弾圧をするな。同時に、子供たちにただ知識を教え込むだけの教育を行うのをやめ、体験的にこの世界のことを実世界の存在と時間から経験して理解できるような「人生経験の練習の場」を与えよ。それでしか、この世界を真に救うことはできない。

世界を救うために、この世界の「生産手段」を共有せよ。それは社会主義のようにしろというのではない。生産手段は、国有化ではなく自由化するべきだ。なぜなら、真に人々のためのオープンに公開された技術は、独裁者によって独占されるべきではなく、万人に平等に自由化されるべきだからだ。だからこそ、オープンソースとフリーソフトウェアは正しいのだ。

物理的に考えよ

あとは、物理的に考えればいい。

物理的に、「いついかなる時にそうなるか」ということ、「何が原因となってそれが起きるか」ということをよく考えよ。

そのために必要なのは、「たくさんの豊富な実例」と、「具体例の中から法則性を見出すことのできる観測的な知性」である。

そして、すべてを観測者の立場から見つめつつ、どのようにすれば一度起きた現象を再度起こすことができるのか、ということから、「心を解明」することができる。

そこまでできれば、宇宙のすべては何も分からなくても、物理的かつ心理的に説明できる。

そうなった時に考えるべきなのは、「もっとも高い影響力とは何か」ということと、「ダイレクトに世界を変える手段は世界のどこにあるのか」ということだ。

そして、そのように考えれば、あとはすべて機械的に考えればいい。機械的に、「そのような心を成り立たせる方法」や、「社会を成立させるためにいついかなる時に心をそのように導くのか」ということが分かれば、どんな社会であっても実現できるし、どんな苦しみであっても解決できる。

最後に、自由を信じること。すなわち、与えられた仕事を熟すだけではなく、自らが本当にやりたいと思った「好きなことをやる」ということが、それ自体が「アイデンティティの発揮」であり、「自らが望んだ自分になる」ということであり、すなわち「人生を生きる目的」であると信じることだ。

そして、愛を信じること。この世界に存在しているすべての人間が、自らが愛すべき最愛の人であると信じること。そこから、この世界を真に救うことのできる「愛の悟り」を得ることができるだろう。

そして、その愛が、この世界を救う原動力、すなわち「悟りを啓くための真理」となって、世界だけではなく、自ら自身の人生をも救うことだろう。

さまざまな経験をせよ

さまざまな経験をせよ。

僕は一度、中学校を不登校になって、引きこもりになって、どん底のような状況になって、そこから必死に這い上がるというわけではなく、単にその今の自分の生きている先へとただ向かいながら、何も決めず、インターネットの友人たちと「純粋な自分だけの青春」を経験して、そこから自分の心を開く、という経験をした。

その経験の中で、僕は社会経験において必要な「失敗」の経験をすべてした。スラムのようでも、ホームレスのようでもあるその経験は、実際は青春そのものであり、高校で経験することのできない限界を超越した、「本当の自由に人間が大人になる上で経験する成長」をすべて経験した。

インターネットでさまざまな活動をして、僕はバーチャルな世界をただ情報として知るだけではなく、自らが「活動」する場へと変えていった。僕は経営者や会社員になったような気持ちで、Linuxとオープンソースの普及活動をした。そのために、Linuxとオープンソースの技術を学んだ。

そして、僕はこの世界を変える「啓蒙主義者」となりながら、心理学的に世界を物理的に変えることのできる「心理学的物理学者」へと変貌し、ここに「ひとりの哲学者」が完成した。

僕は宇宙のすべてが分かった。その理由は、僕は高校の勉強よりもさらに高いレベルの科学を、中学生時代の「中学生の知性の延長線上」に作り出すことができたからだ。そして、その延長線上に、僕は「インターネットを知るという名前の独自の科学」を作ることができたのだ。

僕の人生は、そのように、すべてが最高で幸福な人生だった。不登校になることで、高校では経験できない、自分にしか生きられない人生を僕は生きた。すべては「子供たちの心を救うため」であり、同時に「オープンソースのためになることをするため」だった。そして、僕の人生には宇宙の銀河系のすべてが詰まっていた。「価値観と経験による創造」というテーマで僕は人生と社会論をすべて貫くような科学を作った。「全員の自由な人生を尊重すべき」であるとするその科学は、僕にしか理解することのできない、「僕以外の人間には誰ひとり理解することも経験することもできない哲学思想」だったのである。

僕はそのような結果、レーニンのようなこの世界を救うリーダーになった。僕の革命はすべて、そのような「引きこもりの汚れた部屋」から生まれた。だが、それこそが真にこの世界を救う「神の誕生」であると、かつての僕はまだ知らなかった。そう、ここに本当の意味で「銀河系の創造」を終えた僕が、最後に、この世界を救う「メシア」となるのだ。

世界を変化可能にする方法

本当のことを言えば、昔の僕と同じことを考えるのは簡単である。

なぜなら、昔の僕は、世界を「変化可能」にする方法を考えただけだからだ。

あるいは、この世界を変化可能にするために、どのようにすれば「可能性を与える」ことができるか、「可能性を許す」ことができるかということを、社会的な手段とチャンス、そして社会システム的な制度設計から考えただけにすぎない。

この世界は、その社会を自律的に変化可能にした上で、視野を広げ、多くの世界に存在する「事実の真実」を知ること、気付くことで解決できる。

多くの問題が、「世界が狭くなる」ことで起きている。その狭い世界しか知らないから、世界は硬直し、特殊な環境のままで変わらなくなる。

社会の問題は、その社会が「自律的に変化可能になること」で解決できる。そして、そのために、多くのチャンスと手段から効果的な制度を考え、そして視野を広げて広い世界を見る必要がある。

また、間違った議論をしている人間は、世界の視野が狭くなっている。だから、広い視野に基づいて「可能性を与える」「可能性を許す」ということを行えば、間違った議論をしている人間も、「正しい考え方とはなんなのか」ということに気付くことができる。それこそが、「救済の始まり」なのである。

最後に、僕が目指したもの、それは「可能性を実現する」ということだ。そして、それを、僕はたったひとり、僕だけの力で実現しようとは思わなかった。すなわち、「世界の自然な変化を許す」ということ、「世界の可能性を向上させる」ということから、僕はこの世界を「多様性のある自由な世界」にすることを目指した。

それこそが僕の理想であり、かけがえのない「確かにあるはずだった救済された未来」だった。そしてそれはたった一度だけ日本で現実になり、そして僕のただ一度の過ち、すなわち「自らのいない世界に支配者として現れた」ということによって、二度と蘇ることのない形で永久に失われたのである。

Xより

@RRReol 自分も遭遇しました!一瞬見間違えかと思いましたが、間違いなくReolさんでした…。
posted at 21:10:28