しばらく、このホームページをインターネット上から消すことにした。
その理由は、みんなと同じ世界で生きることだ。
このホームページがあると、僕はみんなと同じ世界で生きられない。ひとりだけ、特別の、おかしな世界で生きてしまい、この世界のことがなんにも分からない。
このホームページがないと、僕はみんなと同じ世界で生きられるということが分かった。
みんなの同じ世界で生きなければ、分からないことがある。特に、大人として生きるための基本は、みんなと同じ世界でなければ分からない。みんなと同じ世界で生きられなかったせいで、僕は大人として生きることができなくなってしまっていた。
そして、僕はこのホームページを消すことで、普通の人間と同じように生きて、同じように死んだとしても、もう、他人には迷惑はかからない。ひとり、静かに去ることができる。
信じることは大切なことだ。
だが、信じるということは、神や他人の言ったことすべてに同意することではない。
すべてに同意するのではなく、いくらか拒否して否定したとして、そのほうが信じていると言えることは、人生にはたくさんある。
だが、昔の僕の人格は賢くないのが分かった。なぜなら、昔の僕は全部否定して全部拒絶して全部に批判し続けているだけだからだ。
そうではなく、信じる時は同意し、疑う時は拒否すること。それが信じるということだ。
また、僕のせいで、この世界は中学生になってしまった。
この世界は、おかしく世界を同一化させる僕のせいで、僕の中学生時代と同じになってしまっている。
それは本当に、明らかに間違っているのに、どうしても治らない。
だが、治らない真の理由は、僕が世界を治すことができないからであり、それは僕がひとりだけおかしな世界で生きているからであり、だから、このホームページを消して、みんなと同じ世界で生きられるようになれば、僕はこの世界をすぐに治せるようになる。
だから、今から、僕はしばらく世界からいなくなる。しばらしくて、きちんとみんなと同じ世界で生きられるようになってから、このホームページを復活させる。それまでの間、お別れだ。
そもそも、あるものをそのまま分かったところで、賢いわけがない。
ものについて考えるのであれば、「関係性」を考えなければならない。
あるのは、ものとものとの関係性、ものと自己との関係性、あるいはものともの自体の関係性だ。
ものを「存在」と呼ぶ。そして、存在を考える上では、ただ存在しているだけではなく、「どのように存在しているか」を考えなければならない。それはすなわち、「どのような関係性によって存在しているか」ということだ。
ハイデガーが言うように、存在と時間は密接な関係にある。なぜなら、存在が存在しているということは、存在が時間として存在しているということであり、すなわち、存在が「時間化」されているということだからだ。
存在を考える上で、それが真に存在しているか、それとも存在しているように見えるだけで存在していないのか、ということは重要ではない。なぜなら、一見存在しているものは、宇宙においては真に存在していても存在していなくても変わりがない。だから、「実質的な効果」を考える必要がある。
人間という存在を考える上で必要なのは、他人との関係性である。すなわち、自分と他人がどのように関係しているか、あるいは他人と他人がどのように関係しているかということ、そして世界とは何か、世界と自分はどのように関係しているかが重要である。
個人と集団についての問題もある。その個人は個人なのか、それとも集団の一部なのか。そこには「自由」の問題がある。すなわち、集団の中でどのように生きればそれは自由であると言えるのか。
そして、重要なのは、「自分とはなんなのか」という問いだ。それは同時に「自分とは誰なのか」「自分とは何者なのか」そして「自分とは何者になれるのか」という問いでもある。それは「どのようにすればなりたい人間になれるのか」といったことや、「能力はどのようにすれば学習可能なのか」「先天的な能力と後天的な能力は何か」という問いへと繋がっていく。
そして、「成長とはなんなのか」という問いが続く。人間が成長することで、何者になれるのか。それは単に、身体の成長を意味していない。すなわち、「どのような知識や経験を得れば人間はどのようなことが分かるのか」ということを、具体的な成長をプロセスによって描いていく。まさしく、それが、「人間は何を望み、何を手に入れるのか」「人間とはなんなのか」という問いの答えとなる。
まさしく、それこそが、哲学である。
中学生をもっと大人にさせるための方法、それは大学生にしてやることだ。
大学生になれば、中学生は終わる。
きちんとした大学生にしてやれば、この世界にいる哀れな中学生は、みんな大人になれるだろう。
結局、僕が失った大切なものとは、「関係性」を考えることだ。
僕はこの世界において、自分の知性や判断力を使って「関係性」を考える」という考え方を忘れてしまった。
それは、僕が失っただけではなく、世界が失った大切なものでもある。
なぜなら、僕はまるで怪盗のように、この世界から「関係性を考える知性」を奪ったからだ。
存在をそのまま考えても、一切何も分からない。仕組みや原理だけでは分からないこともある。必要なのは「関係性」を考えることだ。
昔の僕は、概念的な方法と関係性を考えることが得意だった。その僕が得意だったことを、僕がそのすべてをマスターし終えた上で、僕はこの世界からたったひとり奪ったのだ。
関係性とは何か。関係性とは、モデルと可能性と成立条件を考えることであり、それを社会的に見出すことであり、それを概念的な本質から捉えることだ。
そして、それを決まりから自動的に発生させるような「システム」や「制度」としての枠組みを考え、それを実現できるような具体的な実現可能性を考えることだ。
そして、その可能性の下に、具体的な発想法から、関係性に基づいて実現することだ。