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2024-11-20

社会には年齢的な問題が多い

僕が思うに、社会には、年齢的な問題が多い。

今の時代、20年ぐらいの歳月はすぐに経つ。そして、20年の歳月が経つと、自分が何も変わっていなくても、世界が変わってしまい、当時自分と同じ10代ぐらいだった少年少女は、みんな30代以上の大人になってしまう。

今、若者であるとされるのは、20年前には生まれていなかったか、あるいは小さな子供だった人たちだ。

そして、僕よりも上の年代はさらにたくさんいる。すなわち、社会のほとんどは大人であり、高齢者がその多くを占めている。自分と同じような人間たちによって社会が構成されていると思うのは幻想であり、実際は少しぐらい若者がいるだけで、ほとんどは大人ばかりだ。

そして、30代も半ばを過ぎると、かつての若い時代のように無茶苦茶に人生を生きてガムシャラに頑張るということはできなくなってしまう。一般的な学校に入ろうにも入るのに適した年齢ではなくなり、新しい挑戦ができなくなってしまう。

すなわち、人間の人生なんざ、20年~30年ぐらいで、重要な時代は終わってしまう。そして、社会に存在するのは、一部の最近生まれた若者や少年少女を除けば、ほとんどが大人で、その多くが何もできない高齢者だ。

だから、10代の青春時代を今生きている少年少女たちは、今の時代を大切にしたほうがいい。20代以上になると、そのような少年少女の時代に分かっていた知性が衰えていき、どんどん普通に分かるはずのことが分からなくなってしまう。なんでも分かってなんでもできるのは、30代ぐらいまでだ。そして、その中でももっとも賢いのは18歳ぐらいであり、それ以降は何もない人生を生きている大人が多い。

僕はそのような人生を身をもって体験した人間だ。

大人になって年齢を重ねていくと、社会にあるものは自分よりも若い若者向けのコンテンツばかりになってしまい、世界そのものが自分のための世界ではなくなってしまう。過去の自分を成り立たせていた作品や環境がなくなっていき、若者の世界のことが理解できなくなっていく。

だから、若者は今の自分の恵まれた環境が、いつまでも永遠には続かないということを知っておいたほうがいい。そして、その上で、若者は夢と希望を信じて、今の自分の青春時代を大切にしてほしい。大人になると、そのようなことができなくなってしまうからだ。

何もできない自分を肯定したほうがいい

そして、何もできない自分を肯定してやったほうがいい。

僕の問題は、口だけで、ハリボテと偽りを作ることしか能がなく、できるように見えて実際は何もできない。

だが、そもそも、そんなに何もかも全部できるような天才は、世界にはそもそも存在しない。

普通の人間には何もできない。音楽家や芸術家やスポーツ選手が天才すぎるだけで、普通の人間は普通は何もできない。

だから、逆に、そのような何もできない自分を肯定し、ありのままの自分を受け入れてやったほうが、楽に生きられるようになる。

絵を描きたいのであれば、いきなり上手い絵を描こうとするから描けないだけで、何度も失敗してそれを修正し、何度もそれを繰り返していけば誰でも絵は描ける。何も考えず繰り返すだけで上達する。

そのような天才は、できないのであれば無理に目指さないほうがいい。何もできない自分を肯定することで、楽に生きられるようになる。

賢い人間のフリなどしないほうがいい。自分が何もできない人間であることを受け入れるだけで、真に自分がやりたいことがなんであるかに気付くことができる。

歴史が嫌い

僕のこの執筆した文章を読んでいると、まるで歴史の勉強に向いているかのように人々は思うだろう。

だが、実際、僕は歴史の勉強には向いていない。

それは、僕が歴史が嫌いだからだ。

歴史の教科書を読んでいると、通史が書かれた教科書には無味乾燥な説明だけで、何も内容のない教科書が多い。

そして、歴史の専門家の書いた本を読むと、その専門家にしか分からないような、「その専門家が単に言っているだけ」のような意見を書いた本が多い。

そのような本を読んでいると、僕は歴史を積極的に学びたいと思えない。

僕が好きなのは、歴史ではなく哲学だ。すなわち、僕は哲学や宗教のような思想が好きなだけにすぎない。王の歴史も、一般庶民の歴史も、まったく分かっていないような賢くない人物のことを学んでいる。僕はそういう分かっていない人物には興味がない。だから、僕は歴史は学ばない。

もっと馬鹿になったほうがいい

本当は、僕はもっと馬鹿になったほうがいい。

すべてのことを、最初から完璧に成功して行う必要はない。さまざまな失敗をしなければ、成功する方法は分からないのが普通だからだ。

いつも戦争していたせいで、常に王として振る舞うせいで、僕はすべてのことを常に絶対に失敗しないように行っているが、それがもっとも間違っている。

失敗を許せ。もっと失敗していいし、もっと馬鹿でいい。

そもそも、僕が最近の経験から学んだこと、それは「賢い人間は馬鹿になる」ということであり、「馬鹿な人間のほうが賢い」ということだった。

だから、これ以上、賢い人間になろうとしないほうがいい。

歴史なんか誰でも分かる。分かったところで、何も賢いことは分からない。自分の好きなことをやったほうがいい。そのほうがさらにみんなよりも賢いことが分かる。

ただし、みんなよりも賢くなる必要などない。なぜなら、みんなよりも賢くなるためには、みんなと同じことを秀でて行うよりも、みんなと違うことを適当に行ったほうが楽だ。だから、みんなよりも賢くなどなる必要はない。

もし、それがまずいと言うのであれば、それなら、何もしないのが正しい。なぜなら、何もしない人間こそがみんなと同じだということを過去に僕は知っているからだ。

僕は情報と哲学と生物を学ぶし、それがみんなと違う道を歩むのであればそれが正しい。それが賢い人間だ。

歴史を勉強すると馬鹿になる

そもそも、今までの経験から明らかに分かりきっているのが、「歴史を勉強すると馬鹿になる」ということだ。

知性がなくなって、分かることが何もない、普通のことが何も分からない人間になって、生きる意味がなくなる。

歴史を学べば馬鹿になると言っても、僕は既にあらゆるすべてのことを学んだせいで、馬鹿になっている。すなわち、既に馬鹿になっているからこそ、歴史を学ぶとさらに馬鹿になるということが分かるのだ。

昔の僕が賢かったのは、何も知らずIT技術だけを知ったこと。それが、一番、何も馬鹿になることなく、知性だけを高めることができる。だから、情報は悪くない。

その当時は哲学少年だった。だから、哲学も悪くない。

生物について言えば、生物は単に「今僕が学びたい科目」にすぎない。生涯に渡って学び続けたいわけではなく、今、生物をもっと知りたいから学んでいる。

僕はその生物の勉強を続ける。情報と哲学以外は学ばないほうがいい。そもそも、高校数学が一番馬鹿だった。高校数学を学ぶと馬鹿な人間になる。だから、数学も僕は学ばない。

分かるレベルが高すぎる

そもそも、僕が分からない理由は、「分かるレベルが高すぎる」からだ。

すなわち、それで「分かった」というレベルが、みんなと違うから、僕は何も分からない。

分かるレベルを下げると、昔の僕が分かっていたことが分かるようになる。

昔の僕が分かっていたこと、それはLinuxやオープンソースの活動をしながら、「ダイナミックかつリアルタイムに世界が変わっていく」という体験をしただけにすぎない。

ロックやヒュームのような独自の経験主義的な哲学を考え出したのは、すべて、そのような「世界が今この瞬間に変わっていく」ということから、心理学的に自らの心と理性と経験と精神を考えただけだ。

だから、分かるレベルを昔のように下げるだけで、僕は哲学がきちんと分かるようになる。

なぜ、分からなくなったのか、それは世界を救った時点で昔は終わったからだ。世界を変え、救うことができたから、そこまでのすべてが消え、もっと高いレベルですべてのことを分かり直そうとしただけにすぎない。

だから、早い話、分かるレベルを昔に戻すだけで、この世界は自然に、そして必然的に再び救われる。救われた状態の日本社会がそのまま再生するだろう。

そもそも、あまりに分かるレベルが高すぎて、そして深すぎる。あまりに、宇宙のことを完璧に分かろうとしている。それが間違いだ。

単に、普通に分かればいい。普通の人間が分かるように、ただ分かって、そしてただ忘れればいい。普段分かることができれば、それで「分かった」ということにすればいい。それだけで、知性がつき、相対的かつ論理的に考えることができるようになる。レベルの低い「分かった」を思い出せば、すぐに知性がつく。神のように分かろうとすると、知性がなくなってしまう。