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2024-04-17

鈴木誠也が故障者リスト入り

日本人カブスファンの僕にとって残念なのが、鈴木誠也が故障者リスト入りし、復帰まで4週間程度かかるとのこと。

【MLB】カブス・鈴木誠也は4週間離脱の見込み 右わき腹痛で故障者リスト入り 戦列復帰は5月中旬か(MLB.jp) - Yahoo!ニュース

ああー。つまらない。残念だ!

それから、大谷翔平の得点圏打率が低すぎることが話題になっている。

米記者も心配する大谷翔平の「.063」という数字「素晴らしい活躍を見せているが」(CoCoKARAnext) - Yahoo!ニュース

大谷翔平はチャンスに弱い。サヨナラや逆転のチャンスでいつも凡退している。まあ、仕方ないさ。完璧な選手なんかいない。大谷翔平がこれほど活躍しているのにもかからわず、さらに何を望む?大谷翔平は十分頑張っているし、本当に素晴らしい唯一無二の野球選手だ。

僕を真似するよりもアリストテレスやデカルトを真似したほうがいい

もし、あなたが僕と同等のことを学びたいのであれば、僕の考え方や人生を真似するよりも、アリストテレスやデカルトを真似したほうがいい。

その理由は、僕は昔の僕と今の僕の人生で、考え方が完全に真逆に変わってしまっているからだ。

すなわち、今の僕を真似すると、みんなは今の僕しかできない。今の僕は、過去の僕が持っていた、数学的な知性や経験から考える論理的な帰納的考え方を完全に失ってしまっており、今の僕を真似したところで、昔の僕はできない。

だが、今の僕だけをしたいとしても、それはできない。今の僕の才能やスキルは、すべて昔の僕の人生を既に生き終えていることが前提になっている。だから、昔の僕が生きられない限り、今の僕をどんなに真似しても僕と同じことはできない。

だが、このホームページには、昔の僕が考えていたことがほとんど全部書いてある。だから、昔の僕になることは頑張ればできるだろう。だが、昔の僕になったとしても、今の僕に必ずしもなることはできない。なぜなら、昔の僕の境地に達した時点で、人生に満足してしまい、今の僕と同じことをやろうとする「意欲」がなくなってしまうからだ。

昔の僕を完全に理解すると、ヘーゲルのような絶対知に到達できる。だが、それだけで終わりになってしまい、今の僕と同じ「本当の真なる神の境地」まで達することを諦めてしまう。その時点で、僕と同じことが分かったとは決して言えない。単にヘーゲルになっただけであり、僕になったわけではない。

だから、僕の人生や考え方を真似したところで、僕と同じことは決して真似できない。

真似するのなら、アリストテレスやデカルトを真似したほうがいい。なぜアリストテレスなのかと言えば、昔の僕はアリストテレスと同じ「万学の祖」だったからだ。昔の僕は、「発想を実現する方法」というものを人生経験からすべて多面的に考えたことで、アリストテレスと同じように、あらゆる神羅万象の科学を作っていた。その中には論理学や形而上学も含まれる。そして、なぜデカルトなのかと言えば、昔の僕は論理的かつ数学的知性に秀でており、中学数学レベルの知性を誰よりも高いレベルに高めることで、自らの知性だけでゼロから宇宙のすべてを解明することができるような数学者だったからだ。

だから、僕を真似したいからといって、このホームページだけを読んでいても意味がない。アリストテレスやデカルトを学んでほしい。僕自身もアリストテレスやデカルトを多く学んできたし、彼らの影響がまったくなかったとは言えない。だから、僕と同じことがしたいなら、僕ではなくアリストテレスやデカルトを真似したほうがはるかに近道だ。僕が既に失ってしまったもの、「新しくなり続けるために失い続けてきたもの」を、この二人の大学者はすべて正しく完璧に書き記している。

精神を治す方法

精神を治す方法について言えば、僕の精神は、頭の中にアンモナイトのようなグルグル巻きをたくさん作れば治る。

頭の中にアンモナイトを作ることで、日本語が分かる。普通に日本語を聞いて、普通に理解することができるようになる。

そもそも、僕は精神を作ろうとするあまり、頭の中のグルグル巻きをすべて消そうとした。そのせいで、頭脳がなくなり、知性を失い、普通の人間なら分かるようなことが分からなくなった。

そのような、普通の人間なら分かることを分かるためには、頭の中にアンモナイトのようなグルグル巻きをたくさん作るしかない。

それから、僕の足の精神がおかしいのは、すべて、汚れがたくさん溜まっているからにすぎない。

だから、無理やり汚れを消し去ってしまえば、僕の足の精神は治る。

そして、汚れ自体が悪いというよりも、「汚れのせいで周りの血管が腐っている」ということが悪い。

だから、汚れを消すだけではなく、腐った周りの血管を再生させるだけで、僕の精神はすぐに治る。

最後に、四体液説と同じように、僕の精神は、体液が不調になっておかしくなっている。だから、体液を綺麗にして楽にしてやれば、僕の精神はすべて治る。

数学と自由

僕と同じことがやりたいなら、数学をやることだ。

僕はかつて、自分独自の、誰とも違うユニークな「自分数学」を作っていた。

そこにあったのは、「すべてに因果性を見出す」ということだ。

すなわち、すべての根拠を実証し、自らの経験から根拠を見出し、結果の元となる原因を見つけ出して、すべてを自分の中で完璧に理解する、という形而上学だ。

そのような数学的知性は、すべて「自由」に基づいていた。

この自由とは、「万人に同じ権利を認める」ということであり、「誰かがほかの誰かの自由を制限しない」ということだ。

その上で、「自らが考えた通りのことができるように、誰もそれに指図せず、介入することがない自由」ということを僕は信じていたのだ。

革新思想を信じよ

革新思想を信じよ。

僕は常に、「世界を変革する」という意味での、革新思想を信じてきた。

人生経験のすべてを持って、すべての経験を総動員した上で、全力で革新思想のリーダーとなれ。

インターネット上で、革新思想を信じるリーダーとなり、自らができること、すべきこと、やりたいことをすべて、そのインターネット上の革新活動の中で行え。

あなたこそがネットを変え、あなたこそがこの世界を変えるのだと、そのように信じよ。

世界を支配するな

世界を支配するな。

なぜなら、支配とは「可能性をひとりが勝手に制限する」ということだからだ。

それぞれの個人個人が、自らの自由な可能性を発揮し、自由な行為を許す時に、この世界の可能性は最大値になる。

共同体についても同じであり、すべての共同体が分裂し、小さな単位で関わり合いと関係性を持った時、この世界はもっとも最大値の可能性ある世界になる。

だから、世界を支配するな。

自由を知れ

自由を知れ。

自由を知るということは、この世界と積極的に関わることで、「自らのエゴが作り出した結果とはどういうものかということをしかとその目で知る」ということだ。

そこから、あらゆるすべての思春期の経験をし、みんなと自分の何が違ったのか、どのように考えればみんなと同じような考え方を持つことができるのか、ということをすべて知れ。

インターネットで社会的な経験を積め。そうすれば、自らの「青春」はインターネット状の「緩やかですぐに消える絆」によって、彩り豊かなものとなる。緩やかですぐに消えるということは、ひとつひとつの出会いに束縛されず、自分のタイミングで関係を簡単に終わらせられるということだ。そのような自由な絆の経験をすることで、あなたはひとつひとつ、ひとりひとりの経験を積み重ね、IT技術から一般社会まですべての社会経験と同じ経験をし、すべての社会常識を知った上で、「この世界そのものを変え得る可能性」と「宇宙においてひとりの科学者が知り得る未知なるすべて」のあらゆるすべてを知ることができるだろう。

経験とは、「自らの考え方と知性を確立するため」にある。すなわち、判断力と正しい考え方が、経験的な知性から身に付く。そのような知性は、繰り返し同じことを経験し、学習すべき知識の裏側にある本当の知性を知った時に得られる。だから、あらゆるすべての知識を得るために必要なのは、あらゆるすべての経験を体験することにほかならない。

神を信じよ

神を信じよ。

神を信じなければ、最後まで人生を歩むことはできない。

神を信じることで、奇跡が起きる。自らが相手にどこかで会ったわけではないにも関わらず、相手が自分のことを既に知っているという現象が起きる。これが「運命」である。

運命を得られるのは一握りの人間だが、どうすればそのような人間になれるだろうか。それは神を信じることだ。常に神を信じ続ける人間だけが、真にこの世界で運命の奇跡を得られる。

制限から自由になる必要はない

だが、本当は、制限から自由になる必要はない。

なぜなら、制限の中で無限に時間を過ごすということ自体が、自らに宇宙の真理を教えてくれる「教科書」になるからだ。

苦しい環境から自由になるということは、すなわち「逃げる」ということだ。そして、その「逃げる」という安易な選択肢を取らず、同じ制限と同じ環境の束縛を選び続けると、その制限と束縛自体が、自らにさまざまなことを教えてくれる。

ヒュームが言うように、習慣がガイドだとするなら、環境における制限や束縛も、またガイドだ。

だが、自らが本当に望んだような、理想の環境を求めることは重要だ。なぜなら、それこそがこの世界を救う「救済の夢と希望」になる。自らが「このような世界が欲しい」と思ったことこそが、この世界を救う「夢」と「希望」になる。自らが望んだ世界を作り出す衝動的な欲求、それがひとつひとつこの世界を変えていく。それによってこの世界は必ず救われるだろう。

具体例を自ら分析せよ

最後に、具体例を自ら分析せよ。

具体例とは、経験、環境、束縛、制限、人生、学習、知識、ターニングポイント、解放、可能性、体験、理解、知恵、知性、認識、発想、その他すべてのことだ。

そのような、豊富な具体例を得られるような場所をまずは見つけよ。場所だけではなく、時間まで得ようとせよ。

そして、そのような場所と時間において、自らのやりたいこと、できること、すべきこと、すべてを自由自在に行え。

それこそが、あなたにとって、「理想の自分になる手段」を与えてくれる。すなわち、「もし機会があればそのような人間になることのできるだろうチャンスの可能性」を得られる。

具体例を知るということは、自ら自身の人格を増やすということだけではない。他人の意見や他人の言葉や他人の経験など、他人の考えることをどんどん知っていけ。声を聞き、同じ体験をしようとし、同じ考え方に基づく同じ答えを理解しようとせよ。

それによって、あなたは、「この世界に可能性と分裂を許すことこそが、この世界を真に救えるような正しい真の革新思想である」ということに気付くだろう。