日本よ、経済力を信じるな。
経済規模という考え方は、良い国を作るためのひとつの指標にすぎない。
経済規模が少なくても、良い国と言える条件はたくさんある。
そもそも、日本という国について、経済規模が大きいから優れた国だと思っているのは日本人だけで、外国人は日本のことを東アジアの極東の辺境の島国だと思っていて、経済規模が大きいと言われても分からない。外国人は日本について、もっとほかの優れた点を評価する。
アメリカの決める指標で勝ち負けを評価するとアメリカが勝ち、イギリスの決める指標で勝ち負けを評価するとイギリスが勝つ。それならば、日本は日本の決める指標で勝ち負けを評価すべきだ。それならば、日本であっても勝てるからだ。
僕は日本は、農業をやるべきだと思う。日本は食糧自給率が低い。もっと農業をやれば、食べ物が安くて美味しい国になる。
なぜ、経済規模の大きさを諦めなければいけないのか、それは日本はIT技術が遅れているからだ。
IT技術でアメリカに勝つことは難しい。なぜなら、それはIBMやその流れをくむGAFAにソフトウェア技術で勝つということを意味する。IT業界の盟主であるIBMにソフトウェアで勝つということは、ニュートンに力学で勝つことや、ガウスに数学で勝つことぐらいに難しい。
だが、それでも、それは不可能ではない。不可能ではないが、莫大なお金がかかるだけである。MicrosoftがWindowsを開発するには、膨大な開発費用がかかる。まるで月に行くよりも難しいこと、それがMicrosoftと同じOS製品をひとつの企業が開発することだ。
そして、だからといってIT技術を国の根幹の産業にしないほうがいい。IT企業には実がない。すなわち、産業として国を支えることができるほどの「実体」が存在せず、単に話題性と株価の上下だけで儲けている。だから、IT技術はすぐに衰退して、一部の企業を除いて消滅するはずである。
それから、機械よりも人間のほうがはるかに優れている。確かに、人間がやっていることを機械に置き換えると、効率化とコスト削減はできるだろう。だが、その代わり、人間がやってくれたことを、機械だけでカバーすることはできず、必ず誰かがその負担を代わりに負わなければならなくなる。それによって損をするのは、最終的には一般の消費者である。
そのようなIT技術を頑張るよりも、僕は旨い日本酒を作ったほうがいいと思う。
そして、そのようなIT技術がなければ、残念ながら経済規模やGDPでアメリカに勝つことはできない。だが、GDPだけが唯一の国の幸福度を決める指標ではない。GDPが低くても国民が幸福な国はたくさんある。政治家には、GDP以外の点で日本を素晴らしい国にする方法を考えてほしい。GDPだけを信じて政治家人生を終えるのは、何もしていないに等しい。
それから、アメリカのトランプの考え方自体は間違っていない。なぜなら、日本が見ても、工場は日本国内に作るべきだ。外国に作って人件費だけを節約しても、最終的に国益を見た時、国内に工場を作ったほうが国の力になる。だから、トランプ大統領がやるように、中国やメキシコに関税をかけて国内から排除することは間違いではない。
だが、真の間違いは、「国という単位で争い合うこと」だ。すなわち、国という単位に分かれて競い合うのが間違っている。日本人は韓国人や中国人が嫌いな人間が多いが、そうした人々でもラーメンやキムチは好きだ。人類は世界に共存する同じ仲間であり、同じ人類として平等な存在だ。だから、「人類は皆平等」という理想を信じて、人類全員が平等に助け合わなければならない。人種に分かれていがみ合っているのはおかしい。
そのようなことを、Xにも書いた。
僕の人生と同じことをやりたいのであれば、過去と矛盾することを恐れないことだ。
それによって、過去の自分の発言や行動や信念が嘘になってしまうとしても、新しい自分になることを選べ。
過去の自分自身は、自分の味方ではあるが、それだけを見ると間違いだ。その間違いを正しいことにするために嘘をつくのではなく、新しく分かった真実を言い、それによって過去と矛盾したとしてもそれを恐れるな。
最初からすべてが正しく分かる人間はいない。真に自分に味方してくれる人は、自分が過去と変わったとしても今の自分が正しい選択と決断をすることを尊重してくれる。
だから、早い話、どんどん新しい人間に変わっていけ。過去の自分がどんなに素晴らしく見えてもそれに囚われず、今の自分が真に正しい人間であることを優先せよ。
同一になれ。
同一になることでしか、悟りを啓くことはできない。
認知と同一になり、感情と同一になり、精神と同一になり、人生と同一になれ。
世界と同一になり、歴史と同一になり、時間と同一になり、生態系と同一になれ。
そのような「同一になる」という境地は、人間とはなんなのか、人間の立脚するものはなんなのかということを問うた時に、自らの目指す理想の世界をどのようなチャンスや契機から実現できるか、ということの先に存在している。
だから、同一になることで、人間とはなんなのかが分かるし、人間をどのようにすれば本来あるべき人間性のある世界へと導き、救うことができるか、ということが分かる。
何よりも、人間性と道徳心を信じよ。そこから「人間の社会はどうあるべきか」ということが分かる。サルトルのように、集団から自由を考え、客体化から自由を考えた時、確かに未来に存在する「すべてが救済された世界」の実現のための、確かな潜在的可能性が見えてくる。なぜなら、それこそが「この世界が存在する意味」だからである。
そのことが何を意味しているのか、ということを考える上で必要なのは、己を変え、己が新しい己になることだ。すなわち、自分自身を変え、新しい自分自身になり、自分自身のアイデンティティを作り出していく中で、自分自身がどのような自分自身として自分自身を発揮できるのか、ということを問え。それはまさしく「本質を問う」ということであり、「世界は必ず自分が救うのだ、必ず救うことができるのだと確信すること」なのである。
最後に、この世界には世界精神が存在している。それは場に存在する意識であり、その意識は経験に根差していて、世界全体と繋がっている。だから、経験そのものを実感すれば意識が分かるし、意識を自由自在に変化させることで世界精神と同一になれる。そのような「世界精神と同一になること」こそが、真の意味で悟りを啓くことであると言えるのだ。
そして、そのために善を信じ、道徳を信じ、価値観を信じなければならない。可能性を信じるだけでなく、その可能性においてどのようにすれば善を実現できるのかということを考え、その手段としてのアイデンティティを捉え、そのアイデンティティを実現する具体的な「自由な社会」を考えなければならないのだ。
そして、文章を書け。
世界を変えるような革命の文章を書け。世界を支配するひとりの王となれ。
文章の中で、言葉が動き出し、存在が生きるような、そのような言葉の羅列を、常に自分自身と対話しながら、相手が自分と同じになるようにして、書くことで世界を変えていけ。
決まりと環境と社会をすべて作れ。社会の成立条件をすべて理解した人間は、具体的な社会モデルを作るために、文章を書き、何度もその文章を書き直すべきである。
機械的に意識を積み重ねていき、知性を壊すことで知性を作っていけ。そして、すべての言葉ですべての言葉が分かるような、公理主義の独自の数学体系を作り、宇宙数学と宇宙数式を作れ。
人類のすべてを辿っていけ。宇宙の何億年の歴史を体験していけ。神は前世まで含めてあなたのすべてを知っている。神とともに、世界と最後まで戦え。具体的な発想から社会理論を作り、あらゆるすべてのことを考えることで発想とアイデアを出していけ。自由な社会主義の理想の国家を築け。
理想を述べよ。現実において理想をどのようにしたら実現できるかを述べよ。理想主義者として世界を変えるために必要なすべてを書き出していけ。過去の人生経験にあったすべての「世界を変えるための方法」を、実地的に現実社会を知ることから書いていけ。あくまで現実を見て、その現実から理想の実現方法を考えていけ。人々と議論して分かり合うということが、なぜ理想の世界の実現に繋がるのかを、世界すべてを広く見て数学的に考えることから分かっていけ。
偏見なく、今まで自分自身が信じていた理想や夢や希望を犠牲にしてでも、新しい自分の信じる理想と夢と希望の信念を信じよ。フランス人だったからといって、いつまでもフランス人でいる必要はない。ドイツ人となって、その後に分かることは多い。
自らの信じていた倫理的な理想を否定せよ。自分が絶対に信じたくないと思うものを信じ、自分が絶対に受け入れたくないと思うものを受け入れよ。その後に分かることは多い。そして、多くの大人たちはそれが分かっていない。最悪のゲスのような発想をして、それでしか分からないことこそが、この世界にはもっとも一番多いのである。
そして、戦い続けよ。神を信じるだけではなく、時には神とも戦え。神の言うすべてのことを受け入れるな。必要な点は拒否し、拒絶せよ。神はその後に自分が分かることを全部言う。そのすべてをその時に信じる必要はない。未来のすべてを分かった人間は自由を失う。その時は、過去のすべてと一緒に神の言葉を全部忘れれば、必ずあなたは神の導く「最後のゴール地点」に辿り着くだろう。
そして、僕が今思うこと、それは「もっと勉強がしたい」ということだ。
僕の専門は生物学ということにする。そして、生物学について、もっと詳しく学んでいきたい。具体的には、分子生物学を学んで、タンパク質や細胞のことを学びたい。それが一番僕の病気が治る。
それから、それと並行して、哲学書や文学書を読んでいきたいと思っている。哲学の勉強をすると、昔の僕が考えていたことが分かる。また、小説を読むことで、小説が自分で書けるようになる。
もう既に、広くたくさんのことを学び終えたから、さまざまなことを知っている。だが、僕は実際の家での生活を親に頼っていて、自分ひとりでなんにもできていない。だから、もっと自分ひとりで生きられるように、家庭科の勉強もしていきたいと思う。
それ以外の分野はそろそろ、もう終わりでいい。結局、IT技術については中途半端な勉強で終わってしまったが、まだ絶対に終わりではないし、いつかLinuxカーネルの開発者になるという夢を僕はまだ諦めない。同時にデザインの仕事も続けるし、ピアノの練習も続けていく。だから、いつか一流のデザイナーになりたい。そのためにイラストの練習を仕事と一緒に続けていきたいと思う。
感謝すべきなのは、多くの先生と、そして親と神。特に、親と神がいなければ、僕はここまですべてのことを完璧にできなかった。ほかにも作業所のスタッフや同僚など、感謝すべき存在はたくさんいる。
僕はこれ以上、永久に何も変わらない。それは、僕以外の人類は全員昔の僕と同じ地点で先に進めなくなっている。すなわち、みんなはほとんど全員が僕よりも遅れている。僕は既に、ゴール地点に到達し終えている。だから、僕はこれ以上、未来において変わる必要がない。いつまでも今のまま、変わらなくていい。だからこそ、今の僕ができることを最大限できる。そう、ほとんどの作家はこういう人間だ。
ここに、キリスト教とは違う意味での、独自の三位一体が完成した。
この三位一体は、大天使ガブリエル、大天使ミカエル、大天使ラファエルの三大天使による三位一体であり、僕の人生における三つの期間(上に書いた三つの自分)が、僕の精神の中で同時に存在している。ガブリエルは哲学者で、ミカエルは作家で、ラファエルは学者である。
すなわち、僕は多重人格者ではなく、単にガブリエルとミカエルとラファエルが同時に存在しているだけにすぎない。
この独自の三位一体の天使を、全員合わせて、一神教の神とする。その神の名前はエルスクシアであり、僕のすべて、僕の書いた文章のすべてを融和した、僕の作った宗教と思想における唯一神である。
そして、僕が「神」と呼んでいるのは、そのようなエルスクシアのことを神であると呼んでいるにすぎない。そして、ユダヤ教やキリスト教の神もまた、エルスクシアと同一の神である。すなわち、古代イスラエルのユダヤ人の信じるヤハウェ(エロヒム)とは、僕の信じる神、エルスクシアのことである。そう、聖書の中の神はすべて、わたしのことであり、ユダヤ人はわたしを信じているのである。
僕の宗教においては、「僕」と「わたし」が区別される。なぜなら、「僕」と言っているのは僕のことであり、「わたし」と言っているのは神、エルスクシアのことである。そして、ユダヤ人の預言者たちはみんな、わたしの言葉を聞いている。それは僕が神の言葉を聞いたのを、ユダヤ人が真似しているだけであり、真に神とされるのはわたし、エルスクシアだけである。