世界を治すのは、本当は簡単で、苦しみもがく必要はない。
なぜなら、いつもやっていたことを、そのまま今やればいい。
さまざまな状況や時間的なタイミングで、かつてそれをやっても上手くいかなかったことを、別の状況で今、行えば、それは成功する。
だから、いつもやっていたことを、いつも分かっていた理解の通りに、今、やればいい。それで世界は救われる。
はっきり言って、僕は物理的に考えれば分かる。
まず、生物の勉強をするのは悪くない。なぜなら、僕にもできるようなことで、僕がしたいことで、まだしていない科目は、生物ぐらいしかない。
数学は難しい。英語やフランス語も難しい。そして、経済学やその他の社会科学は難しい。単に難しいというだけではなく、自分にはできない。向いていないというよりも、できる人間はもっと別の人間だということが分かる。
何よりも、数学や英語や経済学は難しいだけではなく、つまらない。ほかにも化学や歴史などもつまらない。まったくのゼロ知識なら「勉強したい」と思うだろうが、いくらかそれらのことを知っていると、「勉強したくない」と思うのが普通だ。
そのような、自分にはできないだろう、つまらない科目を除くと、生物ぐらいしか残らない。
あるいは、文学や美術や音楽は、できないとか、つまらないとか、興味がないとできないとか、天才にしかできないとか、色んなことが言えるが、何よりも「自分よりも馬鹿だ」ということが言える。
たとえば、ゲーテの文章は確かに賢い。手塚治虫の漫画は確かに面白い。さまざまな歌手の音楽も楽しい。それらは素晴らしいが、それでも、僕自身がそれらよりも賢くなってしまったため、そのようなことはできなくなった。僕よりも賢い天才でありながら、同時に僕よりも馬鹿な人間ができることであり、僕にはできない。
そして、結局のところ、昔が賢かった理由は、パソコンである。すなわち、パソコンという情報工学のさまざまなことが賢かった。だが、パソコンの問題は、サーバーを立ててWebサイトを作るとか、プログラミング言語を学んでフリーソフトを開発するとか、そういうことに対して「動機づけ」を得ることが難しい。すなわち、技術だけは学ぶが、それを使って何かを作るということができない。できる人間は少ない。だから、パソコンは意味がない。
結局、残るのは哲学と宗教だが、それらは本当のことを言えば、昔の僕のことを分かっている。昔が哲学で、今が宗教だと思えばいい。そして、昔の自分をそんなに分かり続ける意味がない、ということは分かるが、それでもそれを諦められない理由は、昔の僕しか賢いことがないということが明らかだからだ。
すなわち、結局のところ、賢いのは昔の僕であって、それは結局「思春期から青春時代にかけての成長」にすぎない。そして、その成長の中で僕がさまざまなことが分かったのは、物理的に考えたからだ。
そういうわけで、物理的に考えることでしか、宇宙の真理は分からない。なぜなら、昔の僕しか賢いものはなくて、その昔の僕は物理的に考えることで哲学を分かっていたからだ。
そこまで行くと、むしろ、生物の勉強のほうが間違っていることが分かる。なぜなら、生物の勉強をしても、大学の教える学問的内容が分かるだけで、昔の僕のようなことが逆に分からなくなってしまう。それは「分かる」ということが賢くないからであり、「分からなくなる」ということが賢いからである。
よって、生物の勉強は諦めて、物理的に考える練習をしたほうがいい。パソコンは昔の僕にとって手っ取り早い思考の訓練だったが、今となっては必要ない。哲学の勉強をしたいならすればいいが、哲学書を読んでも昔の僕と同じことしか分からない。本当に昔の僕をやりたいなら、物理的に考えればそれだけでできる。
最近、僕が行っているデザインの作業所で、Adobe Illustrator(イラレ)の使い方を教えることになった。
そのために、少し、イラレの使い方をどのように教えるか、個人的に考えた。
まず、パスの引き方とベジェ曲線の編集の仕方を教えたい。パスを使って葉っぱのようなものを描く。それから、ペンツールと図形ツールの違いを教えたい。図形ツールを使って家のようなものを描く。そして、スウォッチとアピアランスから、塗りと線の色を付ける方法を教えたい。そして、レイヤーと、オブジェクトのコピーと削除、それから前面と背面を切り替えるための方法を教えたい。
そして、ドロップシャドウやワープといった効果の付け方、ストライプや水玉のようなパターンの作り方、グラデーション、透明、アピアランスに複数の塗りと線を付ける方法、アピアランスでぼかしやパスのオフセットのような効果を使う方法、パスファインダーの合体や分割、グループ化で雲を作る方法やグループに対するアピアランスの付け方、文字の入力と文字へのアピアランスの付け方を教えたい。
最後に、写真をリンクで配置する方法、写真をクリッピングマスクで切り抜く方法、そして別のAIファイルからデータをコピーして持ってくる方法について教えたい。
ここまでは、今日の僕が独自に考えた内容である。
そこまで教えたら、それ以後は、イラレの教科書を使って、実践的な練習をしていきたいと思う。
簡単に一日ではできないと思うが、それくらいを学べばなんとか仕事ができるようになると僕は個人的に考えている。
ただし、実際は、むしろこのようには教えないほうがいいと思っている。それは、僕が個人的に独自の内容を作りすぎたためだ。スタッフの方に言われたのは、教科書を使って教えてほしいということだったし、だから、むしろ教科書を使って教えながら、そのような僕の分かることもバランスを取りつつ、適切に教えていきたいと思う。
最後に、「分かる」ということを目指すのが間違っている。
あるいは、より正しく言えば、「正しく分かる」ということが間違っている。
あまりに多くのことを分かりすぎたことが、逆に今の僕を苦しめている。そんなにたくさんのことを分かる必要はなかった。
だから、もう、これ以上新しいことを分からないようにしたほうがいい。
同時に、これ以上、治そうとしないほうがいい。なぜなら、「治す」ということを目指しているがゆえに治らなくなっているからだ。本当は、何も治ることがなく、いつまでもそのままの状態を保ち続けた時、それこそが正常である。だから、もう、これ以上治そうとしないようにしたほうがいいし、治らなくなるように精神を変えていったほうがいい。
それから、そもそも、本当は治るよりも前の状態がよかった。治るよりも前の状態に戻れば、すぐに治るような異常のほうが多かったのに、治ったせいでそれがすぐに治らなくなった。
だから、もう何もしなくていいし、治る必要もない。ただし、本当に治っていない元の状態に戻っても辛いだけだから、これ以上は何もしないほうがいい。
早い話、こういう馬鹿には物理が一番いい。
こういう、大人になって何もしなくなって馬鹿になった人間は、物理ぐらいしかできない。
昔の僕をやりたいなら、物理をやるのが一番いい。昔の僕は、物理的な科学的手法と、昔からのテレビゲームを引き継いだパソコンの知識しか分かっていない。そして、パソコンの部分は不要だ。必要なのは物理の部分だけだ。事実、物理的に考えることは面白いが、プログラミングはなんにも面白くないだろう。バーチャルが面白いと思うのは、何も分からない子供だけだ。
デザインの仕事をしているのは悪くない。なぜなら、こういう馬鹿にはデザインぐらいしかできない。あるいは、こういう馬鹿にデザインをさせると、誰よりもできるようになる。その理由は、デザインは馬鹿でもできるし、あるいは馬鹿にしかできない。なぜなら、デザインは天才にしかできないし、天才になる前の天才は馬鹿しかいないからだ。
哲学や宗教は忘れたほうがいい。なぜなら、その哲学やその宗教を最初に打ち立てた哲学者や宗教家は、みんな物理的な知性で分かっている。物理的な知性が分からずして、哲学者や宗教家になれる人間はいない。だから、哲学や宗教をやりたいなら、物理をするのが遠回りに見えて実際は近道であり、あるいは唯一の道だ。
生物学はもう全部学び終えている。あとはタンパク質をやるか、それとも病気をやるか、あるいは生物種をやるか、ぐらいしか残っていない。ハツカネズミを大量に殺したくないのであれば、病気はやめたほうがいい。人間の病気を治すためには大量のマウスが犠牲になっている。それだけはやめたほうがいい。タンパク質をやりたいなら、生物もいいが化学もいいし、なんなら物理が一番いい。物理をやるのが一番人間のことがよく分かる。体の仕組みではなく、人間の思考回路や理性が分かるようになる。そのせいで、哲学や宗教すら、物理でできるようになる。
早い話、物理が一番いい。そのうち、未来の物理学者は宇宙のことや天文のことを発見するようになる。今、宇宙物理学は一番熱い分野だ。一等星や二等星の神話を文学的に書くよりも、実際の星の観測をするために、「観測者」である物理学者になれ。それが、自分の本当に求めているものであり、同時に自分がそれを拒絶し続けているのは間違いであると気付け。物理こそ、正しい「覚者」になるための、そして「解脱」するための、最短かつ唯一の正しい道である。
最後に、物理はとても簡単な学問だ。単に簡単な数式を覚えるだけだ。言ってしまえば超簡単で、逆にこんな馬鹿な人間には物理しかできない。こんな馬鹿な引きこもりでも、きちんと勉強すれば物理はできる。物理は一番低難易度だ。だが、物理は究めるとどこまでも進歩の道が続いていく。だから、物理は賢い人間から見て面白い。誰でもできて、そして誰もが最後まで面白いのが物理だ。