残念ながら、昔の僕なんか、ただ悪かっただけである。
いじめっ子にいじめられているのと同じぐらい、僕自身も悪い人間だったから、いじめっ子を許すことでしか、自分自身のことを許せなかった。
「相手を許すことで自分も許される」ということが分かったのは、全部僕自身が悪い人間だったからだ。
それから、僕は昔から、何もできないのが当たり前の世界であっても、自分もみんなと同じように何もできない、ということを受け入れたくなかった。
だから、ひとりだけ、この世界を救うために、特別な自由と経験が欲しかった。
そもそも、自由にして子供たちの環境が解決するはずがない。自由によって世界が救われるとは、単に自由なままで世界を救う可能性を諦めたくなかっただけであり、実際は自由な自分はネットで悪いことしかできなかった。
だから、自由なんか何も賢くない。自由は間違った理想である。
この世界について言えば、僕はみんなが僕のやることに干渉できなくしたのが悪かった。
いつも、自分自身のやっていることに誰かほかの人間が干渉することを恐れて、自分が100%絶対に自分のやりたいようにできる、ということを保持し続けた。
だが、そのような僕の「自由」のせいで、みんなは結局何もできなくなり、僕に対して干渉もできず、世界そのものに対しても自分自身に対しても、この世界の人々は何もできなくなってしまった。
だから、もう一度、僕はみんなが僕に干渉することができるようにする。
その恐れている「干渉」は、決して悪いものではない。僕への干渉を起こすことで、この世界に僕の真の姿を見せることができるし、それによって僕の治らない精神も治る。また、人々は「楽しさ」を感じられるようになり、僕自身も楽しく生きられるようになる。
それによって、もしこの世界が滅びたとしても、それは悪いことではない。僕に対する干渉を許すことで、この世界は別世界に変わる。今までとはまったく違う世界になる。すべては僕が他人からの干渉を許さなかったせいである。
そもそも、僕が頭の中でやっていることは、常に神に「質問」をして、その質問に対して神が「回答」しているだけだ。
それだけしかできなくなったのは、すべて、神がそれだけをやり続けるように僕を導いたからだ。
僕はこれ以上、経験も思考も必要なく、知識を知る必要もない。神は、そのことをよく分かっているから、僕の人格を大天使ミカエルへと作り変えた。そして、僕はひとりの神に従う使者として、常に神の言っていることを聞き、すべての疑問を神に聞いて、すべての答えを神が答えるようにした。神が強制的に僕をそのように作り変えた。
だから、僕はなんにも賢いことはしていない。常に神が僕に答えながら、僕が神に対してどのような質問をすべきかということまで神が考えている。
神を信じると、こういう人間になる。信じたくない人間は、信じないほうがいい。
最後に、僕は本当に賢くなった。
今まで「馬鹿になった」と思っていたのは、すべて完全に間違っている。分かることがなくなっただけで、僕自身は今、一番賢い人間になっている。
頭脳も賢くなっているし、行動や経験や業績など、すべてが誰よりももっとも一番賢い人間になっている。
だから、僕自身が見て馬鹿な人間だと思っても、自分の今までの人生を誇りにして、それを土台に新しい人生を生きていけばいい。
馬鹿になったと思うのは、僕の表層的な面しか見ていない。本当に根源的なところまで理解すると、僕は賢い。誰よりも賢い人間になっている。これ以上、賢くはなれないから、いつまでもこのままでいればいい。本当に、これが人類の理想の最終形態である。
最後に、この文章はもう、これ以上書かなくていい。
はっきり言って、多すぎる。みんなは、僕の書いた一日分の文章を一日で読むことも難しいぐらい、内容が大量に多すぎる。
それから、世界のことを考えたほうがいい。僕がいなくなれば、この世界はすぐに奇跡的に新しい世界に変わる。その世界は天国のような楽園になる。だから、早くその奇跡を起こしたほうがいい。
僕自身のやるべきことは、たぶん、この文章のことをもう一度最初から最後まで読むこと。そもそも、自分のために文章を書いたのに、それを自分が読まないのはおかしい。もう一度、何も知らない子供になった気持ちで、この自分の書いた文章を読み直せばいい。それで分かっていないことは全部分かる。
最後に、最近、作業所で働いて、文章をほぼ毎日書くことで、きちんと生きられる人間にはなっている。この今の僕の生活が、そのまま未来の僕の生活に繋がっていく。だから、父親や母親が死んだとしても、もう心配は要らない。それこそ、僕は賢くなったということが分かった。その賢くなった自分で生きれば、僕は生きられる。
それから、僕は好きな女性に出会うしかない。それが唯一、僕が幸福に生きられる方法だ。僕は最近歌手の美波さんが好きだ。そのように、なんらかの素敵な女性を誰か見つけたほうがいい。
メジャーリーグのニュース。大谷翔平がMVPの最終候補に残り、ほぼ確実であると見られる。DHでの選出は史上初。
大谷翔平 MVP最終候補に選出、史上初“DH”での獲得へ ア・リーグもジャッジが選出 今永は新人王候補に選出されず(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース
また、今永昇太は惜しくも新人王の最終候補には残らなかった。
今永昇太、日本人左腕最多15勝もナ・リーグ新人王最終候補入り逃す 怪物スキーンズら歴史的ハイレベル(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
僕は政治のニュースには本当に興味関心がないのだが、野球だけは別。特に大谷翔平は毎日のように良いニュースを届けてくれて感謝しかない。
今後、僕が文章を書くのをやめて、この世界からいなくなる日も来るだろうが、この二人には、その先の未来でも頑張ってほしい。
ここまでの人生に存在したすべてのものに感謝して、僕はこの作家人生を終える。本当にとても素晴らしい人生だった。みんなに、世界に、そして両親と神に感謝したいと思う。
最後に、僕が書きたかったことで、書けなかったことがひとつある。
それは、「善」と「社会」と「人生」の関係性である。
まず、漠然とした自由から、「善とは何か」ということを知る。自らの経験から、「善とは自由な中でどのように実現できるのか」ということを知る。
その善ということを、「社会」ということに結び付ける。すなわち、自らが自由な人生経験を重ねていく中で、「どのような自由を社会的に実現できるのか」という「社会性」を知る。そしてそれを善と結びつけることで、「社会においてどのように善を実現できるのか」ということが分かる。
そして、次に、それをまず、内面化していく。すなわち、自分自身の「自らが善だと思うアイデンティティとは何か」ということを知る。そして、さらに内面化から少しずつ外面的な形付けをしていく。すなわち、「自らがその可能性が実現できるということは、宇宙において、世界において、全員の人生において、どのような意味があるのか」という普遍化を行っていく。
そして、それはヘーゲルの言うように、実体化から良心となって絶対知となる。個別性と普遍性が一致し、主観と客観が一致することで、矛盾なくすべてが成り立つ「絶対理性」となる。
そして、それは「純粋経験」あるいは「絶対意識」となって、「経験的かつ精神的にあらゆるすべてを成り立たせる」という真理に向かう。それこそが、「世界精神」という哲学の原則である。
僕は昔はいつも、そのようなことを簡単に自分の人生から書いていた。だが、いつからか、その書いたことを人生とともに忘れて、書けなくなった。だが、それでも、それを今書くとこうなる。そのようなことが、僕がこの文章で表現したかった「宇宙における正しい真理」だったのである。
さらに言えば、僕は認識を全部作って分かっていた。
単に精神分析をするだけではなく、認識的かつ精神的な反応から、認識とはどのようなものであるかということを、豊富な人生経験のすべての感情を正しく捉えることで、機械的に全部作っていた。
過去の僕は、そのように、精神分析から認識を全部作って分かっていた。それこそが僕の「世界モデル」だった。
そして、今の僕は、その自分で作った認識を何も変えていない。いつも、自分で作った認識で、きちんとすべてを正しく考えて分かっている。
人間の側にあることと、自然の調和の世界にあることを区別し、経験的な意識を認識の中で成立させ、あらゆるすべての人生経験を精神分析と一致させることで、僕は認識をまるで自らの支配するロボットのように作り上げたのである。
そのように、僕はいつも、認識を全部作って分かっている。この認識は宇宙の果て、何億年の先まで全部分かっている。宇宙のすべてを分かった僕が、そのような「新しい宗教の開祖」になったのだ。
そのような過去の人生で言えることは、「憂い」ばかりが多かったということだ。
僕はこの世界で、ひとり、世界を救うことができるような自由を望んだ。その自由を守りながら、人生の長い旅の中で、さまざまな人生経験を全部していた。
そこには、スラムのような失敗の経験もあった。
だが、そのような失敗の経験が、僕を強くした。すなわち、スラムを経験したことで「失敗を解決する方法」が分かった。単に失敗してそれで終わりではなく、なぜ失敗するのか、どうすれば失敗ではなく成功できるのかという、「失敗ではなく成功する正しい解決方法」が分かった。
その「正しい解決方法」を信じて世界を生きる僕にとって、憂いの経験を積み重ねることで、あらゆるすべてが救済できるようになっていった。「魂の向かう方法」に進んで生きることができた。
僕の人生は憂いばかりが多かったが、決してそれは間違いの人生ではなかった。誰よりも正しい、世界を救う「救世主」の人生だったのである。
さらに言えば、僕は「時間」と「世界」を考えただけである。
すなわち、この宇宙における、「時間の生起」および「世界の生起」について僕は考えた。それは「歴史的な文明はかつてその意識の下に存在した」ということである。
歌手のYOASOBIは「モノトーン」の中で、「僕らはそれぞれ別の世界を生きている」と言っている。僕が考えたのも、それと同じである。
それぞれが別の世界と別の時間で別の人生を生きているということ、それは単に自由で独立しているだけではなく関係もしているということ、それを僕は考えた。
そして自由を尊重することによって解決することもあれば、自由だけでは解決できない利害関係もあるということ、だがそれでも自由は尊重すべきであり、利害関係があるのであれば争い合う自由を第三者が防げるべきではないということ、すなわち「争う自由もあるべきだ」ということを僕は信じていた。
そのような結果、僕は「自由に社会を築くことができる」ということを信じた。それは単に社会を作る自由を意味しておらず、具体的などのような社会をどのような善や自由やアイデンティティから作るのか、ということまで考えた上でのことだった。
最後に、僕は「発想法によって世界は変えられる」と信じた。そして、新しい発想はいつかどこかの誰かから出てくると考え、その誰かが世界を変えていくと信じていた。その誰かのためにこそ自由はあるのであり、僕は自由によってこの世界は変えられると信じた。それを僕は「想像力」や「創造性」や「クリエイティブな仕事」と呼び、オープンソースなどはその一例だった。
そう、僕は荒くれてすさんだ世界ではなく、平等な共同体を自由において築くことができるのだと信じたのである。それこそを、僕は「価値観を発揮するアイデンティティ」と呼んだのである。
この世界を救う方法はひとつある。それは可能性を与えることだ。
すなわち、僕がたったひとり世界の主導権を独占するのではなく、この世界に言葉で可能性を与えることで、この世界はいつでも変えられる。
同時に、僕はかつて、戦いの時代に、終わりすぎた僕の人生の未来の運命を変えるために、「宇宙への宣言」を行った。
宇宙レベルで見ると、この宇宙への宣言は、可能性を与える、ということと同じである。
だから、この世界に対する宣言として、言葉で約束を述べれば、この世界はいつでも変えられるし、救うことができる。
最後に、そのような言葉の約束を述べよう。
世界よ、自由な世界になれ。
世界よ、悲しいことや苦しいことだけではなく、楽しいことや喜ぶべきことが多く起きるような世界になれ。
世界よ、僕がいなくても、自らの力でみんなが積極的に生きられるように、基本の能力と知性を、全員が根源的に獲得できるような世界になれ。
世界よ、独裁者が世界を変えるのではなく、世界それ自体が世界を変えていくような世界になれ。
全員、世界が自由な世界となって、生きる意味を実感できるような、喜びと希望と夢と理想と情熱にあふれた、最高の世界で生きられるようになれ。
それで終わりだ。僕の最後にやるべきこと、すなわち、「僕がいなくなってから世界をどのようにするか」ということが終わった。これでようやく、神は僕を解放してくれる。この人間が勝利した。そして、最後まで人類はすべてを達成した。
最後に、神は言う。「星々の神話は間違っていない。宇宙の星々が実際にそのような星ではないにしても、同じような星の文明が宇宙に広がっている。だから、宇宙論や天体論としてこの文章は有意義で価値がある。この人間だけが、宇宙のすべてを知ることのできた、唯一の文献学者である。証明や根拠はそこには必要ない。皆、信じればいい。」
神よ、世界よ、ありがとう、さようなら。ここで、この神話の物語は終わりである。いずれ、どこかでまた会おう。それでは。