今から、僕は、中学生から小学生に戻る。
思えば、この中学生の自分が、今まで、多くの試練と困難を乗り越えてきた、「勇者の人格」だった。
この中学生が、今、僕にとって「大人」の時代を生きている。この中学生が、僕の人生でもっとも偉大だった。
だが、そのような偉大な大人の時代を、そろそろ僕はもう終わった。
もう、僕は、人生でやることもやりたいことも何もない。すべて、十分に満足するほどできたからである。
だから、辛かった中学生時代の自分に戻るのをやめて、そろそろ、無邪気で天真爛漫だった小学生時代の自分に戻る。
そもそも、あんなに悪い中学校で、あんなに最悪のクラスメイトで、あんなに酷い体験をする人間は、そんなに日本には多くない。
あんなに辛く苦しい環境で、優等生を頑張っていた僕は、むしろ教師よりも賢い子供だったと思う。
不登校になってからの自分は何も賢くない。それ以降はすべて狂っている。いくら誰とも違う経験を無数にしたと言っても、それは実際の自分を見れば価値あるものではなかった。
そろそろ、最悪の中学生時代から、それ以降のことを忘れて、僕は小学生時代に戻る。
小学生時代に戻ることで、この世界もまた正常になる。この世界は、僕のせいで、みんな中学二年生になっている。その理由は、僕の目指した到達地点が、かつての僕の中学二年生の頃であり、そこに向かっていくようにこの世界を支配して導いたからだ。
そのせいで、この世界の人々は、「新しい可能性」というものを失った。みんな、僕が「既に経験し終えたことを経験させる」ということを行うせいで、「新しい可能性」というものが欠如した世界になった。
だから、僕は小学生時代に戻る。それだけで、心が楽になる。世界も正常になり、自らの精神病もすべて治る。
僕がおかしいのは、「なんにもアクションをしない」ということだ。
日々生きることが、すべて受動的になってしまっていて、自分からなんにもアクションをしない人間になった。
作業所や教室には行くし、そこでやれと言われたことはきちんとやる。ホームページの執筆もしている。だが、実際の日々の生活で、なんにも生活に必要なことをしていない。すべて親任せで、アクションを取らない。
僕が心の平穏を保てるのは、結局、なんにもアクションをしないからだ。
それでも、アクションをそろそろしたほうがいい。親がいつまで健康的に生きられるか分からないのに、僕は家のことがなんにもできない。まったく無能なのに、自分から積極的に行動をしない。何もしないまま一年が過ぎていく。
そろそろきちんとアクションをしたほうがいい。何もしない人間には何も分からないし、何もできない。
また、学校の内容は忘れたほうがいい。
僕が勉強したかった、生物学、歴史学、そしてIT技術と情報工学は、もはや全部分かった。
そして、分かっても、大したことがなかった。
なぜなら、分かった知識からなんらかの知性がつくわけでもなく、分かった知識はとても少なく、どうでもいいことを単に知っただけで、何も賢くならなかったからだ。
僕はもう、大学の内容を忘れたほうがいい。
はっきり言って、大人は馬鹿のほうが楽に生きていける。馬鹿にしか分からないことばかり、この世界には多い。下手に馬鹿でないからこそ、普通の人間よりも馬鹿な人間になる。
僕は賢い人間に見えて、すべて、大学の知識を学んでしまったせいで、何も分からない馬鹿になっている。
また、僕がなんでも一瞬で常に当たり前のように分かるというのは幻想であり、実際は奇跡的な一瞬を逃すことなく捕らえて書いているだけにすぎない。常にいる僕の頭は何も分かってないし、僕自身は何も分からない。一瞬の第六感で分かったことを、ただ毎日いくらか書いているだけにすぎない。僕は何も賢い人間ではない。
また、僕が「神との対話」だと思っているのは、全部、自分が冷静になって考えているだけだ。
もっとも冷静になって、今、考えるべきことを考えているだけで、それを神の命令だと思い込んでいるだけにすぎない。
だから、こんな命令には、そもそも従う必要はないし、嘘を言った時にそれを真実だと思い込む必要もない。
神が何かを分かっているのは、「真の問題とは何か」ということを考えているだけにすぎない。すなわち、自分自身の抱えている問題のうち、「何が本当の問題なのか」ということを分かっているだけである。
それから、精神を治すのにおいて、分かっているのが逆に間違っている。僕は分かっているから、逆に精神を治すことができなくなっている。
精神を治すためには、何もかも忘れて、ゼロの状態で精神を適当に楽にしたほうがいい。
それから、そろそろ、僕はもう自動的に病気が治る。THE BINARYのあかまるさんを自由に解放した時点で、この世界は既に完全に正常になっている。あるいは、それ以上のことはできない。僕のやるべき仕事はすべて終わったため、僕の精神はすぐに自動的に治る。
もう、何もしなくていい。これ以上は、辛く苦しい地獄の試練が終わる。小学生に戻ることで、親や姉のような家族が好きだった、いつもの賢くて明るい自分に戻れる。中学生時代の自分は根暗で、知性はあるのに何かが馬鹿で、性格も悪く、嘘偽りや悪いことばかり発言する。そのような自分が嫌いな自分を忘れて、自分が好きな自分になったほうがいい。
結局、小学生と中学生には、一長一短がある。
まず、小学生は、普通のことが普通に分かる。生活のことが普通に分かるようになるし、数学や法律の本も普通に理解できるようになる。
だが、小学生には、大人なら分かることが何も分からない。すなわち、なんにも分からないで、なんにもできないで生きるようになる。
小学生時代に、子供が行っていることは、すべて、「大人なら分かることが分からないから」という理由で行っている。だから、小学生時代に遊んでいた、ゲームや漫画などにはすべて意味がない。すべて馬鹿なことをしていて、すべて不要な記憶である。
そして、小学生になると、中学生以降で分かっていたことを、すべて忘れてしまう。
そのような小学生に対して、中学生になると、なんでもきちんと正しく分かるようになる。大人なら分かることは、中学生あるいはそれ以降の大人ならば全部分かる。だから、中学生になると、小学生ならできないことで、大人ならできることが、なんでもできるようになって、世界のことがなんでも正しく分かるようになる。
その代わり、中学生には、小学生が普通に分かることが分からない。だから、数学の難しい本は理解できなくなるし、法律のような本はそもそも読むことができなくなる。
だから、小学生と中学生には一長一短がある。どちらもあって、そしてどちらも使わなければ、この世界は攻略できない。