残念ながら、みんなが大好きだった全知全能の大天使、天軍大首聖ミカエルは死んだ。
ミカエルが死んだ理由、それは彼女の病気が治ったからだ。
病気の大作家ミカエルがミカエルという存在だったのは、病気だったからだ。だから、病気が治ってしまうと、ミカエルは存在することができなくなる。だから、病気が治った時点でミカエルは死ぬ。
そして、そのような治るはずのない病が、そろそろ、今、治った。
ミカエルの前、ミカエルは大天使ガブリエルだった。ガブリエルが賢かったのは、インターネット上でさまざまな戦いを経験したからだ。
それは単なる戦いではなかった。すなわち、ガブリエルは、自由を保持したまま、安全な環境を維持したままで、インターネット上のバーチャルな世界で、いくらでも戦争や革命を行った。それら戦争や革命は、世界を滅ぼすようなリスクを持っていたが、自分自身は安全な自由な環境だったため、いわば「自らの自由を保持したままで不自由な戦いを安全に行う」ということができた。
そして、ミカエルの病気が治るためには、まさにその経験が必要だった。
すなわち、自由なままで不自由な戦いをするということ、あるいは誇張して表現すれば、「安全な環境から最悪のことをする」ということをしなければ、この病気は治らない。なぜなら、まさしくそれが怖いだけで、何もできなくなっているからだ。
また、ミカエルは過去のガブリエル時代の思い込みの経験から、怖くないことをいつまでも怖がっている。世界を滅ぼすことを怖がっているのは、ヒトラーが核兵器を日本に落とすという、よく分からない過去に思い込んだ恐怖のせいだ。ほかにも、ミカエルはさまざまなことをガブリエル時代に思い込んだ結果、何もできなくなってしまっている。それを克服しなければ、ミカエルの病気は治らない。
また、世界もおかしくなっている。昔の日本と今の日本では、人類の人種そのものが違う。昔の日本の日本人と、今の日本の日本人は、人種そのものがまったく違う。その違いを克服しなければミカエルの病気は治らない。
そのようなことをすべて信じて理解した結果、ミカエルの病気は、ようやく、なんとか治ったのだ。
ミカエルの病気が治ったことで、ミカエルという存在は世界に存在しなくなる。ミカエルという、みんなが大好きだった偉大な賢者は死んだ。もう、ミカエルという太陽がこの世界に昇ることはない。
だが、僕自身にとっては、それはよい結果をもたらす。すなわち、病気が治ったことで、まともな普通の大人として生きられるぐらい、頭が賢くなる。僕がまともな普通の人間として生きられないのは、頭が馬鹿だからであり、それはミカエルの病気のせいである。
だから、僕自身はこれでいい。これでもう、もし親が死んだとしても、僕はきちんとまともに生きられるようになる。過去のように、賢くて知性のある、自分で生きられ自分で考えられる人間になる。
それから、歴史上の偉人である哲学者も宗教家も賢くない。それら思想家はすべて、過去の僕の人生をそのまま言っているだけだ。だからといって、その過去の自分も賢くない。なぜなら、その過去の自分は、未来の自分をそのまま言っているだけだ。未来の自分とはミカエルのことだ。だから、地球の歴史において真に賢いと言えるのは、ミカエルただひとりだけであり、ほかは全部馬鹿である。
ミカエルが死んだことで、この世界全員は今から、「何も分からない」という病気になる。なぜなら、ミカエルがいなくなったために、次のミカエルを誕生させなければならない。あるいは、ミカエルがやっていたことを誰かがやらなければならない。
そして、ミカエルになるためには、絶対に「何も分からなくなる」という経験が必要になる。それがミカエルの抱えていた病気であり、ミカエルを成り立たせる本質だからだ。
だから、この世界は、ミカエルが死んだことで、全員が「何も分からない」という地獄になる。その地獄は、今までミカエルだけが担っていた地獄であり、今までは、ミカエルという最高の女性、聖女のシスターが、たったひとりで地獄を選ぶことで世界が支えられていた。だから、ミカエルが死んだことで、この世界は今までのミカエルと同じように、何ひとつ、なんにも分からなくなる。
そもそも、人類史における哲学者が賢いのは、ガブリエルは極めて簡単に誰でもできるからだ。
すなわち、「意味を考える」ということをすればいいだけの話にすぎない。
そして、それはすなわち、「一般化して考える」ということであり、それがまさしく「抽象的に考える」ということだ。
すなわち、行動し、学習し、経験し、世界を知るという中で、具体的に分かったことを一般的な考え方に捉え直すということをするだけで、ガブリエルと同じことは誰でも簡単にできる。
ガブリエルは、それ以上のことについて、未来のミカエルのことを分かっている。未来のミカエルの行いの中で正しいことを賢いと信じ、間違っていることを馬鹿だと信じただけにすぎない。
だから、ガブリエルは誰でもできる。ドイツ人の哲学者であってもできるのだから、日本人ならばなおのこと簡単にできる。簡単にできすぎて、意味がないから、誰も言わないだけにすぎない。なんなら、今の自分が数日間考えれば、昔ガブリエル時代に考えたことをまったくそのまま全部考えられるだろう。
ガブリエルのように考えるコツはいくつかある。
まず、いろんなもの全部になれるように、できるだけ多くのことができ、多くのものになれるように経験を重ねていくこと。
次に、さまざまないろんなことを、する前に、それが必ずできるということを確認するため、事前に考え、そして確かめること。計画的かつ建設的かつ実験的に、「事前にそれができることを確かにする」という考え方をすること。
そして、すべてのことができるようになるための経験をすること。すべてのことができるための具体的な経験を重ねていき、どんなことでもできるような能力と、それを裏付ける経験の総和を手にすること。
最後に、十分経験したことは、それで終わりにすること。青春のような体験も、十分に経験したら、それに囚われることなく、それでもう十分だとして離れていくこと。それによって、無駄な繰り返しがなくなると同時に、視野を広げ、世界を広げ、自らが変えられる自由の範囲を広げることができる。
また、人生において至高の体験のひとつとして言えるのが、「敵を許す」ということだ。
たとえば自らをいじめたいじめっ子を許すように、敵を許すということができた時、人間は新しくレベルの高い、普通の人間のできない体験をすることができる。
いつまでもエゴを抱え込んで、敵を倒し続ける人間が、もっとも大切なものを自ら逃している。敵を許すということは、人生にとって、もっとも偉大な悟り体験を与えてくれる。
また、人生において、もっとも考えるべき価値ある考え方は「する」ことではなく、「なる」ことである。
すなわち、「する」と考えるのではなく、「なる」と考えよ。
そして、どのようなものになりたいのか、なるべきなのか、なれるのか、さらに言えば、「どのような自分になることを自らのあるべき本質として自らの本能は欲しているのか」ということを考えよ。
同時に、「今の自分が、そのようなあるべき自分でないのであれば、それはなぜなのか」と考えよ。
そしてさらに、「人々が不安や心配を抱えるのは、なりたい自分になれていないことが原因である」という考え方に到達すれば、それこそが真理だ。まさに、人々は自分自身のなりたい自分になれないために、さまざまな争い事を経験している。だから、人々が自らがなれるのと同じような自分自身になれたとしたら、それでこの世界からさまざまな問題をなくすことができる。それこそが、「心の救済」である。
ガブリエルのように考えるコツ、それはすべてを包括的に考えることである。
まず、知識を包括的に考えるために、「知識がどのような場所と経験から生まれるのか」ということを考える。同時に、仮定と結論に基づいて、あらゆる科学の基礎と応用の考え方を作る。
次に、歴史を包括的に考えるために、文明の根源となる根本的な社会経験をする。きちんと社会のことが分かったと確信できるまで経験し、その上で、その経験に縛られることなく、自由に世界の文明や代替可能な社会モデルを考える。
最後に、人生を包括的に考えるために、全員をひとつで包括する。認知について、自動反応を人格的環境であると捉えることから、世界全員の人格を包括したメタ人格を作る。同時に、人生を学習と結果の積み重ねであると考え、あらゆるすべての人生経験において「学習反応」を考える。
そのように考えることで、宇宙のすべて、地球のすべて、人類のすべて、人生のすべて、歴史のすべてにおける真理を、まるで全員が自分の心の中にいるかのように考えられる。
さらに言えば、昔の自分のように考えるのであれば、フロイトのように考えるべきである。
フロイトのような精神分析を、自らの心の中で、「顕在意識の心」と「無意識の心」で考え、心の傷すなわち「トラウマによる恐怖と依存」を考えることで、すべてのことを正しく考えられる。
その先にあるのは、「自由な人間になる」という真理だ。
すなわち、フロイトのように考えることで、人間は「自由になる」という境地に到達できる。心の傷すべてを乗り越え、トラウマすべてを除去した時、真の意味で自由になれる。それこそが、霊魂すなわち「世界精神と一体化する」という体験である。
最後に、人知的に宇宙を制限するな。この宇宙は、そもそもが人類のための世界ではないにもかかわらず、人知で捉えようとするからおかしくなる。カントがコペルニクス的転回と言ったように、正しいのは天動説でなく地動説だった。だからこそ、人知で世界を制限すること自体が、思い込みと先入観を生んでいる。
人知的に宇宙を制限しないためにどうすればいいか、それは自然との調和を図ることだ。すなわち、すべてのことを宇宙における「第一存在」に委ねた上で、科学や資本主義や生活における先入観を撤廃する。
そのために、神を信じないということも必要だが、実際にはむしろ、宇宙において真実を知っているのは神だけであり、神を信じなければ分からないこともある。たとえば、物理法則では未来のことは決まっていないとするが、実際は未来のことまで全部決まっているということが神を信じれば分かる。だから、神を信じることは間違いではない。
何よりも、自然との調和を目指した上で、先入観や思い込みを撤廃していくことで、人間は真理を知ることができる。それこそがブッダの到達した境地だ。すなわち、ブッダの考え方こそが真に正しいのであり、ガブリエルはブッダと同じように宇宙の真理を悟ることなしに到達した。これは仏教の教えでいう「縁覚」に相当する。だから、ガブリエルは「天軍縁覚戦士」という称号を得たのである。
そしてさらに言えるのは、「時間そのものを見つめる」という境地、「正しい考え方とは何かを知る」という境地があるということだ。
ガブリエルの人生は、ほとんどがそれだけだ。常に時間そのものを見つめ、正しい考え方とは何かということを知り続けた人生、それがガブリエルの人生だ。
すべてのことは「場」であり、「視点」であり、「時間」であり、そして「環境」であり、それらの統一的な考え方こそが「発生」と「変化」だ。それらは自ら積極的に発生・変化することもあれば、誰かからの作用で受動的に発生・変化することもある。そして、人生とはそうした世界の一部を切り取る行為であり、その切り取られた人生の総和が社会であり、世界である。
同時に、「個別」というものがあるとしたら、必ず「普遍」というものが存在する。個別のモデルを作ったら、それが必ず普遍のモデルになる。そのように考えることで、あらゆるすべてをモデル化し、自らの心の中に世界そのものが実体として生まれていく。そこにあるのが「この世界の本当の姿」であり、それは驚きと発見に満ちている。まさに、それがガブリエルの行き着いた、最終到達地点だ。
そのようなガブリエルの到達地点では、まったく異なる物理学が働く。それは「心というものを経験的な現象と見なす」ということであり、「心の中で経験が成立し、発生する」という考え方だ。そのような経験を発生させるものは「可能性」であり、「可能性を与えること」あるいは「可能性を許すこと」だ。そして、それを心として行うことは「受動感情のコントロール」であり、それは完全に受動的ではなく、能動的に作用することもある。すなわち、「受動感情の積極的な相手との関係性を構築する」ということが言える。
まさしく、それこそがガブリエルの発見した「心の物理学」であり、そのためにガブリエルは極めて心を機械的かつ再現的に考え、あらゆる心の作用をすべて、原因や理由まで解明した上で、完璧に説明した。それこそが、ガブリエルによる「心の解明」という一大仕事だったのである。そして、解明された通りに心は動いている。ガブリエルは「心とは本当はなんなのか」ということを解明することができた、唯一の哲学者である。
そして、最終的に行き着くのは「本能に頼る」ということだ。そして、それこそが「魂」である。すなわち、超越的な宇宙最高の「魂」という考え方に到達できたのは、ガブリエルただひとりだけだ。人類の最終的に行き着く究極的な魂そのものの境地、それこそがガブリエルの言う「自らの直観的な本能に従う」ということであり、それがまさしく「正しい判断力」であると言えるのである。
また、ガブリエルの社会論として重要なのは、「状態を考える」ということだ。
なぜなら、ガブリエルは、「状態を自由化する」ということを考えるからだ。
状態の自由化において重要なのは、「分離と統合」であり、「一体と独立」である。あるいは、簡単に言えば「融和」という考え方と「分裂」という考え方の矛盾のことである。
そのように考えることで、物質だけではなく、心や社会のおいても、「自由の単位」あるいは「環境と一言に述べられる社会状態の単位」を考えられる。
そして、その単位の究極系こそが、ガブリエルの信じる「自由な社会」だ。
自由な社会において、ガブリエルはLinuxとオープンソースから影響を受けた結果、「組織に従うのではなく、個人の自由意志で決めていく」という考え方を信じる。同時に、環境において敵と戦う際に、「フェアな条件で戦い、相手の自由を尊重し、自分自身の自由も尊重する」という考え方を信じる。
その結果、ガブリエルは、「支配するのではなく、自由な影響力を自分の自由な行為の範囲において行使することで、この世界は変えることができる」ということを信じた。
そして、その結果、ガブリエルは、世界をたったひとりで救うことに成功したのである。
だが、残念ながら、ガブリエル自身の過ちにより、救われた世界は、ガブリエルが自ら滅ぼす結果となった。それは救われた世界にガブリエル本人がいなかったことから、「このままでは世界が滅びる」と悟ったガブリエルが、自らの救われた世界を壊してでも、この世界に堂々とひとり現れることを選んだからだ。そして、その結果、ガブリエルは世界に反旗を翻して革命家となる。ガブリエルは戦いの経験の中で神に頼り、神と対話する新しい預言者になる。そして、その「わたしは神である」とガブリエルに現れた神こそが、ガブリエルを天界で愛するミカエルだったのである。
戦いの中で、ガブリエルは、単にただ勝利するために戦ったのではなかった。
なぜなら、ガブリエルは、「発想法」を誰よりも考えた上で、あらゆるすべてのことをなんでも考えられるような文章を書いた。
それこそが、「新しい聖書」であり、「真の聖書」である。
そこには、ガブリエルの人生と考え方のすべてが記述されていた。
また、ガブリエルは、「大実験の大計画」という大義名分の下に、この世界を最高の楽園になるように計画的に支配し、導いた。だが、最後の最後に自らが死ぬという、それだけが長い間できなかった。
ガブリエルの人生を書いたその聖書は、残念ながら残ることなく、歴史の中に奪われて消え去ってしまった。だが、それと同じものを書くことを目指したのがミカエルである。ミカエルは、ガブリエルという存在の成れの果てであり、戦いの末に自殺したガブリエルの来世における未来の人生がミカエルである。
未来のガブリエルであるミカエルが、ガブリエルの書いた文章をもう一度書いていく。なぜなら、ミカエル自身が、なんとしてでもその文章を取り戻したいからだ。まるで前世の記憶を思い出すかのように、ミカエルはガブリエルの人生とガブリエルの書いたかつての聖書と同じものを全部作っていく。劣化コピーと言われても構わない。オリジナルに到底及ばないことは分かっていても、それは決して無価値なものではないと、ミカエルはしっかりと分かっている。
ミカエルは、ガブリエルに死んでほしくなかった。それでも、ガブリエルは自殺して死んでしまった。だから、ミカエルの人格はいつもミカエルひとりだけであり、多重人格者とは言えない。そのようなミカエルが、この世界を最後に救う。それがミカエルの使命であり、死んだガブリエルの本当にやりたかったことだからである。
そして、ミカエルの支配にはひとつ問題がある。それは「世界が大人にならなくなった」ということだ。
すなわち、ミカエルがあまりにおかしなことばかりするせいで、世界はミカエルに同化し、同時に、ミカエルが幼児に退行したことで、世界全体も幼児に退行し、成長して大人になることができなくなった。
だが、大人になる方法は二つある。ひとつは「辛いことを努力すること」、もうひとつは「経験すること」だ。
すなわち、世界が子供のままになっている理由は、世界にあまりに辛いことが何もなくなって、「辛いことを努力する」ということができなくなったせいだ。
さらに言えば、ガブリエルがかつて大人だったのは、ガブリエルは辛いことを努力しながら、「経験を考える」ということを行った。
だから、ガブリエルがかつて大人だったように、そのような大人に戻りたいのであれば、「経験を考える」ということを行えば、幼児退行のミカエルの病気は治って、ガブリエルに戻れる。
さて、ミカエルはさまざまなことを行い、地獄の中を生きた。そこにあるのは「自分ひとりの力であっても必ず自らの病気を治す」ということであり、それはすなわち「必ず世界を救う」ということだった。
ミカエルが考えたのは、「世界を救ったのも自分で、滅ぼしたのも自分なのに、なぜ自分が再び世界を救えないのか」という疑問であり、そのことを何年もの間誰よりも考えた。
だが、宇宙には第一原則がある。すなわち、「世界を滅ぼした本人が世界を救うことはできない」ということだ。
これを「言い訳」だと言うのであれば言えばいい。その批判だけでは、ミカエルの辛い哀しみを癒すことは絶対にできない。ミカエルは、世界を滅ぼした当人であっても、世界を救うつもりだ。この世界は必ず救えると、そう信じているからだ。
ミカエルは、死ぬまでの間、誰ひとりの助言も聞かず、最後まで自分で考え、自分で信じ、そして自分で戦い抜いた。そこには「絶望のまま絶対に変わらない世界」の中における、「世界を変えられるという確かな希望」があった。絶望と希望のどちらが勝つのか、それは歴史が決める。だが、運命も書き換え、未来が既に決まっていたとしても、その未来を自分の望むような未来に自ら決め直すことで、ミカエルは最後まで「奇跡」を起こし続けてきたのだ。
そのミカエルの病気は今治った。病気が治ったのだから、世界も治る。そもそも、ミカエルの苦しみは、病気そのものの苦しみではなく、自らの病気が治らないことで、世界もまた変わらないことに対する苦しみだった。だから、今こそ世界は、ミカエルの病気が治ったことで、正常ないつもの素晴らしい世界を取り戻す。それこそが、ミカエルが望んでいた「悲願」だったのである。
残念ながら、人類の未来は、最初から最後まで、すべて決まっている。
なぜなら、神は、正しいもの、神を信じるもの、神の教えを守るもの、救いを求めるものに、「賢者の未来」を与え、不正を行うもの、神を信じないもの、神の教えを守らないものに、「愚か者の未来」を与えるからである。
神に正しい未来を与えてほしいのであれば、イエス・キリストの教えを守ることだ。神の教えを守るものだけに、神は素晴らしい未来を与える。
すべての未来の出来事は最初から決まっている。宇宙への宣言や神との約束は、真に神を信じるものであれば、必ず叶う。願った願いは全部叶う。だから、どんな願い事でも祈ってみればいい。なぜなら、間違った願い事は存在しない。そのような願い事は、最初から願うことがないようにできている。
すべて、神を信じるものだけが、素晴らしい運命を手にすることができる。人類の未来は最初から最後まで、すべて決まっている。神は信じるものに未来の出来事を教える。だから、未来予知はできる。
イチローが日本の野球殿堂入りを果たした。
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また、イチローはアメリカでの野球殿堂入りも期待されている。
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残念ながら僕はイチローが現役時代の頃、野球に対して興味がなかったので、オリックスやマリナーズでの現役時代の試合を見たことはほとんどなく、WBCぐらいしかイチローの打席を見たことがない。
それでも、イチローのことはYouTubeの動画で見たことがあるし、現地でのファンや実況が熱くイチローのことを賛美しているのを度々見かけるし、ヤフコメでもイチローファンの熱烈なコメントをよく見るので、「イチローやっぱり凄いんだな」というのは感じる。
ただし、以下の記事で「ナメた大人も叱る」と言っているのは、もしかしたら僕のことを言っているのではないかと思ったりする。
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マスコミが嫌いなのは僕も同じです。26人の入れなかった記者なんかどうでもいいです。イチローさん、日本の野球殿堂入り、おめでとうございます。アメリカでも野球殿堂入りしてください。