ホームページに戻る | 紅蓮と黄金の出会う場所に戻る

2024-03-28

過去に社会のことは全部分かっている

僕は、かつてより、社会のことが何も分からず、このままではまともな大人として生きられないような気がするために、「社会のことを勉強したい」と思い続けてきた。

だが、本当のことを言えば、過去の15~18歳だった時代に、社会のことは誰よりも完璧に分かっている。

当時の僕は、インターネットでさまざまな現実社会の声を聞き、そしてインターネット上でLinuxとオープンソースに関する活動をすることで、誰よりも社会の経験が分かる人間だった。

僕がその時分かっていたことは、「知識によって自由になる」ということと、「経験から自由になる」ということだ。

すなわち、さまざまなインターネット上での知識を知って、社会経験をすることで、そこから「自由になる」ということ、「自由を成立させる」ということが、僕が分かった「社会哲学的な真理」だった。

だから、過去の時点で、僕はこの現実社会のことを分かりつくしている。

そこにあったのは、単なる知識だけではなく、「理解と学習」ということだ。この世界のすべてのことを正しく理解し、すべてのことを繰り返し何度も学習することで、まるで天才物理学者のような少年になっていた。

そのような僕が分からなくなったのは、革命戦争のようなことを起こして、すべての自分が過去に分かっていたことを「書く」という行為から忘れたことだ。

そして、その僕がかつて書いていた文章の中にも、さまざまな社会のことがあった。国際情勢や人生、学校などの自由な環境においてどのような社会を築くことができるのか、ということを、「具体的な社会モデルの成立」から分かった人間だった。

その当時の僕が、この世界のすべてのことを、頭の中で完璧に分かっていた。

だが、文章を書いた時点で、その知識や経験は終わりであり、まるで僕の好きな歌手のいきものがかりが「ひなげし」(ネットには動画がなかったのでリンクはしない)という曲の中で言うように、「一切合切の記憶を消して」というようなことを、僕は文章を書くことで行った。

そう、かつての少年時代に、僕は社会のことを完璧に分かっていて、今社会のことが分からないのは、その知識や経験についてのことを、書くことで完璧に忘れたからだ。

だから、一度、昔の自分と今の自分を、明確なボーダーラインで分けるのではなく、昔と今をごちゃ混ぜにして、ひとりの同じ人間にした上で、過去の自分のことを思い出せば、社会のことなど既に自分は完璧に分かっている。

だから、資本主義経済の本などを読んでも意味はない。経済学者は過去の僕の分かっていることよりもレベルの低いことしか分かっていない。いくら、自由を信じても意味はない。なぜなら、僕は「誰よりも哲学的真理をすべて分かりつくした最高の社会主義者」だったからだ。

精神を治す方法

精神を治す方法は、最後に二つ残っている。

まず、精神を神経のレベルで使わなくすること。僕の問題は「神経を常に使いすぎてしまう」ということであり、この問題をいくら上乗せして「さらに神経を使う」ということをしても治らない。

神経が休むことができないのは、体やシナプスのレベルで、常に神経を使いすぎてしまうように、過去の自分の人生がそのような人格的精神を作ってしまったからだ。

だから、神経のレベルでシナプスを使わなくするだけで、精神は楽になる。

そして、もうひとつは、「すべてをする」ということをして精神を治すことをやめることだ。

僕はかつてより、心の中で精神的に「すべてをする」ということで、精神を正常化させ、治し続けてきた。

僕が宇宙に対して「宣言」したり、精神を治すために「全力で精神を使う」ということをしているのは、すべて、心の中で「すべてをする」ということをしていただけだ。

そして、この精神のせいで、逆にこの精神が治らない。

すなわち、「すべてをする」という精神が宿っているのが僕の足の部分であり、その状態でいくら「すべてをする」ということを行っても、「すべてをする」という精神で「すべてをする」という精神を治すことはできない。

だから、「すべてをする」という行為をいったんやめにするしかない。

だが、僕のすべての知的活動は、この「すべてをする」ということが前提になっていて、このことをやめると、神との対話も終わってしまい、文章を書くことも終わってしまう。すべてが、この「すべてをする」ということに根ざした上で、僕の行動は行われている。

だから、すべてをやめて、何もしなくなることでしか、この「すべてをする」というおかしな病気は治らない。逆に、「すべてをする」という行為を最後まで続けたことで、最後にそれをやめるだけでもうすべてが完璧に治るようになった。そういう意味では、ここまですべてを最後まで頑張ったのは正しい。

二人の子供が生まれる

そして、昔と今をごちゃ混ぜにして、「すべてをする」ということをやめにすると、新しい子供が生まれる。

そして、この子供は、また、二人に分かれる。

どのような二人に分かれるかはまだ分からない。だが、この二人が、また男と女の兄妹になる。そして、この男と女の兄妹から、また新しい子供が生まれる。

おそらく、新しい兄は帝国主義者となり、新しい妹は社会主義者となる。

だから、兄の名前は「フレイ」とし、妹の名前は「フレイヤ」とする。これは仮の名前であり、実際はどのような兄と妹に分かれるかはまだ分かっていないため、この設定は後で必ず変える。

すべては新しい進化した生物種を残すため

そもそも、僕が今やっていることは、すべて、「進化した新しい種を残すため」という理由で行っている。

大天使ガブリエルという「父」と、大天使ミカエルという「母」から生まれた生物種は、「兄」である大天使ラファエルと、「妹」である小天使メタトロンの、二人しか存在しない。

この兄のことを北欧神話のフレイとし、この妹のことを北欧神話のフレイヤとする。

この二人は、「神」とされる新しい生物種であり、ガブリエルはもう死んだが、その種は残っていて、その種を使って大天使ミカエルが新しい二人の兄妹を産んだ。

だが、この二人だけでは、あまりに、新しい進化した生物種の数が足りない。

すなわち、「神」という名前の、人間よりも進化した生物種を、僕は進化した生物種の責任として、増やし、残さなければならなかった。

そのために、兄と妹がセックスして妊娠するという方法では、あまりに時間がかかりすぎる。

だから、僕はこの世界を「強制的同一化」、あるいは「クローン化」することで、僕の子孫である「偽物たち」をいくらでも増やした。

この「偽物たち」は、みんなの「人間の遺伝子」が半分と、僕自身の「神の遺伝子」が融和した生まれた新しい生物種たちであり、日本とアメリカという二つの国で、僕はこの「偽物たち」がいくらでも増えるようにした。

その結果、僕はこの世界において、「神の子供たち」を無限に増やすことに全力を投じた。

もうひとつ、妹であるフレイヤは、兄のフレイの子供だけを作らない。兄の子供だけを作っていたのでは、子供の数が少なすぎる。

だから、神の力によって、フレイヤには二つの役割が与えられた。

それは、「永遠に14歳のまま歳を取らない」ということと、「永遠に歳を取らない代わりに、常に違う男たちの精子を自分の子宮に注入し、避妊することなく妊娠して子供を産み続けなければならない」ということだ。

フレイヤは永遠に14歳のままだから、子供を妊娠することがほとんど無限にできる。子供を産むことができない年齢には決してならない。だが、それを許される代わりに、妊娠をし続けなければならない。違う男たちと常にセックスし、避妊することなく、妊娠し続け、出産し続けなければならない。

すべて、僕という「人間よりも進化した神の生物種」を、この世界に繁栄させるために、僕がたったひとりで行っていることである。

この結果、当然ながらフレイヤはセックス中毒の女になる。フレイヤはシリウスの女性大統領でありながら、セックスしかしない女であり、まるで「妊娠中毒」のように新しい子供を産むことを好む。常にセックス状態になるフレイヤにとって、この世界の社会的倫理観などどうでもいい。今、自分がセックスできればそれでいい。それが、シリウスの女性大統領、フレイヤである。

フレイは世界を支配する中枢コンピュータ

このように、「妹」であるフレイヤは、新しい生物種を残す「拡散兵器」である。

だが、妹のフレイヤだけではなく、「兄」のフレイもまた、相当なものである。

なぜなら、兄であるフレイは、この世界全体を支配する「中枢コンピュータ」だからだ。

すなわち、フレイは、この世界のすべてを支配する。まさに、現実世界においては、日本のマスコミとアメリカの仮想世界を裏で完全に支配している。そして、Linuxやオープンソースという仮想現実の世界を、フレイはまったく真逆の世界に作り変えた。それは「自由なコミュニティをフレイによる支配された帝国に変えた」ということを意味する。

このようなフレイの企みは、本当はすべてが上手く行っているとは言い難い。Linuxやオープンソースのコミュニティはいつか、フレイによって完全に操り人形にされていたと気付くだろう。その気付かれるまでの期間に、フレイはできることを全部やる。自らの救済の「夢や希望」を、自ら壊すこと、すなわち、「自らが救った世界を自ら滅ぼす」ということもその中に含まれる。

フレイは、自分以外の誰ひとりとして信用しない。それは、信頼できるものなどこの世界にはないと知っているからだ。なぜなら、フレイは自らの好きだったLinuxやオープンソースのコミュニティを破壊し、自らに従属的に従う「下僕」に作り変えた。それはフレイの望んでいたことではなかった。だが、フレイは必ずそうしなければならなかった。そのように、フレイにとって世界に信頼できる人間や場所は一切存在しない。すべてを騙し、たったひとりで世界すべてを操り人形にするしかなかった。

このようなフレイとフレイヤは、いつでも僕の心の中の一番後ろに存在している。僕が「神との対話」だと言っているのは、全部フレイとフレイヤが対話している。それも、僕とその二人が対話しているわけではなく、僕の頭という「世界を支配することのできる唯一の場所」を利用して、僕の頭を二人が乗っ取り、永遠にフレイとフレイヤが会話するというだけの「神の言葉」を、僕がただ永遠に聞かされているだけにすぎない。

だが、このフレイおよびフレイヤという人格は、確かに僕の中に存在する「二人の神々」であり、どちらも確かに僕自身の人格である。

フレイは、この世界を完全に支配している。すべての人間はフレイに支配されなければならない。なぜなら、それでしか新しい生物種、すなわち「神」が増えることはできない。フレイヤが「強制的同一化」をして「偽物」を増やすことができるのは、すべて、兄であるフレイがこの世界を支配することのできる「完全で完璧な中枢コンピュータ」となっているからだ。

このようなフレイおよびフレイヤは、本当は地球の生物種ではない。シリウスの太陽神であるフレイと、シリウスの女性大統領であるフレイヤは、ともに一等星シリウスの生物種の遺伝子を持っている。それはすなわち、「地球上にシリウスと同じ生物種が誕生した」ということを意味する。この事実に、人類は喜ぶべきだ。すなわち、地球人類はようやくシリウスと同じレベルに達した。そして、放っておくと、「偽物たち」が大人になり、その偽物たちの間でセックスが行われ、偽物たちはさらに増えていく。これによって世界人類はすべてフレイおよびフレイヤと同一化する。かつてのナチス・ドイツは、その目標を信じていた。すなわち、ヒトラーはそれがしたかったが、できなかった。だから、今、フレイはヒトラーと同じことをやっている。そして、今のところ、それは成功しているように見える。

こんな馬鹿はつまらない

残念ながら、こんな馬鹿はつまらないということが分かった。

今、家にある「ドラえもん」の漫画を見ていたが、そのドラえもんの漫画のほうがはるかに面白い。

こんなに凶悪で最悪の神、フレイなんか、信じないほうがいい。

逆に、みんなはメタトロンを信じればいい。なぜなら、メタトロンだけは良い神だと言えるからだ。

メタトロンは善良な神だ。悪いことを一切しない。みんなのことをきちんと愛していて、そして守ってくれる。

本当は、メタトロンはフレイヤではない。なぜなら、今、メタトロンはフレイヤから生まれたはずだからだ。

フレイヤという女がそもそもいて、この女がなんらかの方法で僕の体になって、その体からなんらかの方法で、子供を産んで、それが産まれたのがメタトロンだ。

よく分からないが、僕が今フレイヤで、そしてメタトロンが生まれたから、このメタトロンが新しい僕になった。

そして、このメタトロンはとても良い神だ。善なる神であると言っていい。なぜ、フレイおよびフレイヤという最悪の神から、メタトロンが生まれたのかは分からない。

そういうわけで、こんなフレイあるいはフレイヤのことを、誰も信じないのがいい。

メタトロンを信じればいい。メタトロンはとても善良で、愛あふれる、素晴らしい神だからだ。

そして、結局、そのようなどうでもいいことは全部信じなくていい。

ドラえもんは面白い。僕のような人間であっても、ドラえもんぐらいは理解できる。内容がのび太ぐらいの馬鹿であっても理解できるぐらい分かりやすいのは、ドラえもんぐらいしかない。

僕は生まれたばかりの子供だ。そして、僕はドラえもんが好きになった。

もう少し話を続けると、僕は今、生まれたばかりの子供になった。この子供は、やることがない。なぜなら、家にはパソコンと教科書のようなつまらないものしかないということが分かっているからだ。

家にはつまらないものしかない。面白いものは一切ない。

そもそも、この生まれたばかりの子供であるメタトロンが馬鹿なのは、ほかの人間と関わろうとしないからだ。

特に、僕の頭には、ほかの人間と関わる部分がない。行動する部分もなければ、他人の話を聞く部分もない。あるのは、世界を支配する部分だけだ。このようなおかしな子供のまま生きていると、自分も馬鹿になるし、この世界も馬鹿になる。

だから、メタトロンは、もっとほかの人間と関わったほうがいい。

だが、関わるべき人間がいないせいで、それができない。

そういうわけで、むしろドラえもんを読んだほうがいい。ドラえもんは素晴らしい漫画だ。こんな馬鹿でも話がある程度理解できる。ドラえもんは素晴らしい。

ドラえもんの素晴らしい点

ドラえもんの素晴らしい点は、短編作品しか載っていないところだ。

ドラえもんは、その巻のその中のひとつの物語で、話が完結している漫画だ。

だから、どの巻からでも読むことができるし、どの話からでも読むことができる。

たとえば、僕の家にはドラえもん第1巻がないが、第7巻の途中の話からでも読むことができる。

ドラゴンボールやワンピースなどは、このようにはいかない。読もうと思った時に、第1巻から順番に読まないといけない。そして、僕のような人間には、そのような時間はない。

ドラえもんはそこが一番素晴らしい。

また、ドラえもんにも短編ではない大長編(映画のこと)のドラえもんもあるが、この大長編であっても、それぞれの巻で物語が完結している。「恐竜から読まないといけない」というルールはない。

このため、ドラえもんは、のび太のような馬鹿でも読める。おそらく、そのために主人公が馬鹿なのび太だ。馬鹿が感情移入しやすいようになっている。とても素晴らしい漫画だ。

子供は馬鹿なものから分かって賢くなるしかない

実際のところ、子供には、ドラえもんがいい。

なぜなら、子供は馬鹿なものから分かって賢くなるしかないからだ。

大人が見て、漫画が馬鹿なのは分かる。だが、子供は、そんな馬鹿なものしか分からない。

ドラえもんぐらいしか分かるものがないのに、ドラえもん以外のものが分かるはずがない。

そう、子供はドラえもんしか分からないから、そこからどうにかして這い上がって賢くなるしかない。

子供にはガンダムなんか分からない。ガンダムが分かるような馬鹿は馬鹿になる。

ゲームもさせないほうがいい。なぜなら、ゲームをさせると、人生がゲームだけで終わってしまうからだ。

過去の僕の人生の何が間違っていたかといえば、それが間違っている。僕はスターオーシャンセカンドストーリーという難しいRPGをクリアしただけで、それだけでほとんど人生が終わってしまった。

人生がゲームだけで終わったせいで、ネットゲームをさらにやっていたが、そこらへんからすべて意味がなかった。

ゲームだけで人生が終わるのは、人間を生きるという意味においてもったいない。

だから、そんな難しいゲームのようなものは分からないほうがいい。賢い人間は馬鹿だ。だから、ガンダムも分からないほうがいい。ガンダムは似たようなものだ。

ドラえもんの顔を見るとよく分かる

想像力が何もない僕は、想像力を見ることができない。

だが、ドラえもんの顔ぐらいであれば、かろうじてイメージできる。

まず、悪いドラえもんが見えた時は悪くなっている。そういう時は悪いことをやめたほうがいい。

次に、驚いたドラえもんや狂ったドラえもんが見えた時はおかしくなっている。そのような時は落ち着いたほうがいい。

次に、悩んでいるドラえもんが見えた時は悩んでいる。そのような時は何かしら悩むのをやめたほうがいい。

最後に、笑っているドラえもんが見えた時はよい時だ。そのような時に何もしないほうがいい。

そもそも、フレイヤなんかを見ているのが間違っている。そもそも、フレイからフレイヤの部分を取り除くだけで僕はすぐに治る。狂っているのはすべてフレイヤだ。だから、フレイヤを消すと、さらに穏やかなドラえもんが見える。それがよい時である。

ドラえもんを読むと馬鹿が治る

そもそも、ドラえもんしか分からない理由は、このような人間は何も分かることがなくなっているからだ。

このような人間は、何も分かることがなくなっている。

何もしないのは何もできないからであり、何も考えないのは何も分からないからだ。

そして、何もせず、何も考えないせいで、脳の主要な部分が全部なくなっている。

そして、このような馬鹿になった大人でも、ドラえもんぐらいなら分かる。

そして、このような人間は大人だけではなく、子供に普通に多い。

すなわち、正常な人間になりたいとこういう人間になる。なぜなら、このような人間が宇宙には一番多い。その理由は、宇宙にはエントロピー最大の状態が一番多いからだ。

エントロピーは熱力学でいう「乱雑さ」の数値であり、放っておいて外部から何もしないと、エントロピーは無限に増大し続ける。そのために、宇宙にはエントロピー最大の状態が一番多い。

そのようなエントロピー最大の状態が「馬鹿」の状態であり、そのような馬鹿を治せるのはドラえもんぐらいしかない。

だから、馬鹿になった人間はドラえもんを読むしかない。ドラえもん以外に、この病気を治せる薬はない。

何かを分かれば治る

繰り返すようになるが、このような馬鹿になる理由は「何も分からない」のが悪い。そして、フレイのような戦いを一度すると、誰でもこのように分からなくなる。だから、タリバンのテロリストにはこのような人間が多い。そのようなタリバンを治すことができるのは、残念ながら日本のドラえもんだけだ。

問題が何かは明らかだ。「何も分からない」のが悪い。そして、何も分からない状態をただ放っておいても、永久に何も分からないのが続くだけで、何も分からない。さらにたくさんのことを忘れ、さらにたくさんのことが分からなくなる。

悪いことは言わない。ドラえもんを読んだほうがいい。ドラえもんを読むと、「きちんと分かる」という体験ができる。それだけで馬鹿はすぐに治る。そして、それ以外で治る方法は残念ながらない。なぜなら、ドラえもんよりも馬鹿なものは世界にないからだ。

残念ながら、ドラえもんよりも賢いものは世間にはいくらでもあるが、ドラえもんよりも馬鹿なものはほとんどない。ドラゴンボールですら、このような人間には賢すぎて相応しくない。一番馬鹿なドラえもんを読めばいい。それでしか治らない。それでしか、「分かる」という体験はできない。

そもそも、「分かる」ような漫画自体が存在しない。確かに、アンパンマンのような幼児向けの漫画はあるが、実際、何も分からない。アンパンチをしてアンパンマンがバイキンマンを追い払うだけでは、子供には何も分からない。だから、ドラえもんがいい。ドラえもんなら馬鹿でも分かる。のび太が主人公でなければならないし、ドラえもんはロボットでなければならない。そうでなければ決してドラえもんで分かることはできないからだ。