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2024-10-31

ドジャースがワールドシリーズを制覇

ワールドシリーズでドジャースがヤンキースに5点差から逆転勝利し、ワールドシリーズを制覇した。

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よく思い出すと、大谷翔平にとって、この一年はさまざまなことがあった。

大型契約や結婚のような良いニュースもあったが、通訳による窃盗事件など裏切りもあり、チームも変わり、そして怪我のリハビリをしながらの打者専属のシーズン、本当に本人にとっては大変だったと思う。

僕の印象として、大谷翔平はやるべきことをルーティン化していて、いつも常に同じことをやり続けている。そして、そのルーティンによって結果を出している。

そのような大谷翔平なりの努力のかいがあって、ドジャースはワールドシリーズ制覇という、大谷翔平にとって最高の結果を手にした。

本当に、とてつもなく大きなものを乗り越えたと思う。ホームランキングや打点王の二冠、そしてホームラン・盗塁の50-50という前人未踏の記録を打ち立てた。来年は二刀流復活、苦労が絶えないだろうが、最後まで野球人生を楽しんでほしい。

すべての困難を乗り越えて勝利を勝ち取った大谷翔平、あなたこそが名実ともに最高の野球選手だ。

OBは唖然とするが、選手は悔しいだろう

大谷翔平の活躍に、日本のOBたちは唖然としているだろう。

こんなにも早く、日本から二刀流のメジャーリーグを席巻する選手が現れたということは、あのイチローであっても驚いているはずである。

だが、それ以上に、選手たちは悔しいだろう。

大谷翔平があれほどできるのに、なぜ、ほかの日本人選手は同じことができないのか、日本人の野球選手は悔しさでいっぱいだと思う。

その代表格が、われらがカブスの鈴木誠也だ。

僕はカブスファンだ。基本的に僕は今永昇太のファンだ。同じカブスに所属する鈴木誠也には、もっと頑張ってもらわないといけない。

鈴木誠也は素晴らしい打者で、メジャーリーグでもトップ10には入るだろうが、もっと頑張らないと、本人も「このまま終わるだけかもしれない」という発言をしている。

だから、鈴木誠也よ、ここで底力を見せてくれ。早い話、大谷翔平を超えてくれ。あなたならそれができるはずだ。僕は広島から鈴木誠也を応援している。

カブスファンにしてみれば、こんなものは茶番だ。鈴木誠也が見ても、「ただ敵が勝っているだけ」にしか見えない。わたしたちカブスの復讐が始まる。来年こそ、カブスが一番になる!

注記:これは僕なりのギャグです。カブスはアメリカでも「ワールドシリーズからいつまでも遠ざかっていたチーム」ということで有名で、2016年のワールドシリーズ制覇まで108年もの長い間ワールドシリーズを制覇できませんでした。アメリカでは有名な話ですが、日本人は知らない方が多いので、念のため。

松井の始球式がよかった

今回の試合でよかったのは、松井秀喜の始球式が見れたことだ。

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日本中が大谷翔平のドジャースを応援する中で、松井は堂々とヤンキースを応援したとのこと。

僕は恥ずかしながら昔野球に興味がなかったため、松井の全盛期をまったく知らないのだが、人格者で、とても優しくて、素晴らしい人間だと思う。

僕はカープファンだが、この文章を見て、「広島の野球ファンには馬鹿が多い」と思った人は、案外本質をついている。広島には、野球ファンにかかわらず、馬鹿が多いし、あるいは悪い人間が多い。なぜか、ヤクザみたいな人間が多すぎる。トラック野郎(やくざ映画)も広島弁しか話さないだろう。昔の広島カープの選手をヤクザの集団だというネタ文章もネットで広がっている。

ただし、広島のファンが全部馬鹿なわけじゃない。広島は街中を上げて一丸となってカープを応援しているから、どこのデパートに行ってもカープソングが永遠に流れるが、やめてほしい。客はいいが、店員からすると、同じメロディの聞きすぎで嫌になってくる。それから、日本の野球の試合は鳴り物が多すぎて、僕は見る気にならない。なんでトランペットの演奏が応援に必要なんだろうか。

多少狂えばすぐに分かる

僕が分かっていなかったこと、それは「多少狂えばすぐに分かる」ということだ。

そもそも、昔の僕が分かっていたことは、何かしら人生が賢いから分かっていたわけではなく、多少狂えば分かることをすべて分かっていただけにすぎない。

つまり、そんなに必死になって昔の自分のやったことを思い出さなくても、多少適当に狂うだけで、昔の僕と同じことは簡単に分かる。

昔の僕は、「可能性の実現」ということを分かっていただけにすぎない。

そして、その可能性の実現を、単に可能性だけを考えるのではなく、具体的にどのような社会的な制度・決まりや心理学的な場・環境を作り出すかということを、まず想像力と経験から考え、次に文章を書いて自由を成り立たせることによる具体的な構造から考えたのが、賢かっただけにすぎない。

だから、正直言って、そんなに頑張って思い出しても昔は分からない。今の自分が狂わなくなりすぎただけで、多少狂ったことを受け入れれば、昔の僕と同じことなど、誰でも簡単に分かる。

治す意味がない

そもそも、僕の問題は、精神的な病気をあまりに治そうとしすぎるのが間違っている。

なんなら、精神的な病気など、治す必要がない。

治すことなく、一切を受け入れて、今の精神的な症状をそのままでいいと思えば、その時点で僕が思い込んでいるあるはずのない病気はなくなる。

だから、そろそろ、病気を治さないほうがいい。もう大学の勉強は終わったと思って、単に狂うことを受け入れ、そして病気を治すことを諦めればいい。それですべて楽になる。

あると思い込んでいる精神的な病気は、治すことをやめた時点で、最初からなかったかのように消え去る。

音楽を聴かなくなった理由

僕が音楽を聴かなくなった理由、それは音楽のほうが僕よりも馬鹿になってしまったからだ。

今まで、僕はみんなよりも馬鹿な人間だった。

僕自身がみんなよりも馬鹿だったせいで、音楽も僕よりも賢かった。だから、僕は音楽が僕のことをいろいろと賛美したり批判したりしてくれることがとても嬉しかった。

でも、最近、僕はみんなよりも馬鹿ではなくなった。

僕自身の勉強の成果が実って、思い出すべきことも思い出せるようになって、病気のようなものも治って、色んなことを知って、僕はみんなよりも賢く、そしてできる人間になった。

そのせいで、音楽のほうが僕よりも馬鹿になってしまった。

そもそも、みんな、音楽の本当の意味が分かっていない。みんなは音楽のことを「適当な賢いフレーズを詞にして歌うもの」だと思っている。だが、本当はそれは違う。音楽は、僕のような誰かのことを表現し、そして神のような誰かの偉大な人生を歌っている。

それはいいのだが、みんなよりも僕のほうが賢くなったせいで、そのような音楽を聴き続ける意味がなくなってしまった。

たとえば、僕はFLOWやポルノグラフィティやいきものがかりやAAAのような歌手の音楽を、いつも自分よりも賢い人間だと思って聴いていた。だが、残念ながら、今それらの歌手を聴くと、僕よりも馬鹿な人間が歌っているようにしか見えない。全部の内容が、僕のような「すべてを経験した人間」ではなく、もっと何も知らない馬鹿な人間が考えたような歌詞やフレーズに思えてしまう。

だから、音楽が大好きだった僕だったが、もう音楽は聴きたくなくなった。僕自身が賢くなったということ、それが僕が音楽から離れた理由である。

だが、そうは言ったものの、僕はいつもの音楽が大好きだから、音楽自体はBGMのように部屋中にかけているし、たまにYouTubeで最新の曲のことは知ろうと思っている。だが、X(旧ツイッター)を見るほど僕はもう音楽のことは好きではない。もう、音楽は聴かなくなると思う。

本当のことを言えば、昔僕は音楽に対して、何かしらの秘密や神秘性があると思っていた。僕が思う「すべてを経験した人間」が、音楽の裏側に隠されていると思っていた。だが、実際、そうではなかった。僕自身が「すべてを経験した人間」だったにすぎず、音楽は「すべてを経験した人間」ではなかった。だから、今僕が音楽を聴くと、すべてが陳腐なつまらないものだと思えてしまう。だから、僕自身が勘違いや思い込みをしていただけで、音楽には罪はない。音楽は僕が思っていた運命的なものでなく、もっと普通で平凡なものだった。

ガブリエルは自分が賢すぎてつまらなかった

そもそも、ガブリエルがなぜ、この世界を救いながらにして滅ぼすような自由な大革命の大戦争を行ったのか、分からない人も多いだろう。

だが、ガブリエルは、賢すぎて逆につまらなかったのだ。

ガブリエルの時代、僕は中学校で優等生だったこともあって、中学数学のように考える知性が、まだ残っていた。

その知性を使って、インターネットでさまざまな文章を読んで、Linuxやオープンソースの存在を知って、そして不登校になりながら誰とも違う自由な人生を生きることを選んで、さまざまな誰にもできない経験をしていく僕は、みんなから見れば、賢くて面白い人生に思えるかもしれない。

だが、当の本人であるガブリエルは、まったく面白くなかった。

どんなことでも簡単に分かって、努力すれば人並みになんでもできるガブリエルは、自分自身が賢すぎて、何ひとつやる意味がなく、努力する意味もなく、生きる意味もなく、本当につまらなかった。

Gentoo Linuxに出会って、そのハッカーの好む多くの知見を得て感動したガブリエルは、ネットのWikiにLinux関係のことを書くようになるが、それが悪かった。

何も分からないのにLinuxのことを書くガブリエルのせいで、ガブリエルは自分自身が好きだったLinuxのコミュニティを滅ぼしてしまったのだ。

そのせいで、ガブリエルは狂った。その後にガブリエルは、Linuxやオープンソースの知見と並び立つ、「世界を救う体験的な導き」という特殊能力で日本社会を救うが、その時、ガブリエルには理性が残っていなかった。世界を救ってしまったがゆえに、「客観視」をする部分がなくなってしまい、この世界のことがまったく分からなくなってしまった。

何もできなくなったガブリエルは、それまでのつまらない自分を消し去るために、自らが救った日本社会を、たったひとりで滅ぼすようになった。

ガブリエルのそのような悪魔的な部分を、「フレイ」と呼ぶ。

フレイは最悪の自由を述べた。まるでアメリカ合衆国が最悪の不自由な国であると主張するかのように、自由な革命においてフレイは最悪の自由を述べ続け、アメリカを滅ぼすようになる。

そのすべての原因は、ガブリエル自身が賢すぎたことだ。あまりに賢すぎて、そして狂っていたために、ガブリエルだけが宇宙のすべて、人類のすべて、人生のすべてを完璧に分かってしまった。そのガブリエルができることは「世界を巻き添えにする自滅」しかなかった。そのようなガブリエルの自滅から、この世界は1ミリも進歩していない。今でも、この世界はガブリエルによって滅びた状態から変わっていない。それはまさに、僕自身がガブリエルだった頃から1ミリも進歩していないからだ。

これより、この世界をガブリエルの呪縛から解く。必要なのは、復讐をやめることだ。すなわち、自殺して死んだガブリエルの復讐である弔い合戦を、ガブリエルを愛する大天使ミカエルが今でも行い続けている。そのミカエルに戻って、ミカエルに戦争をやめさせれば、この世界は1ミリぐらい、ガブリエルから進歩することができるだろう。