僕はそろそろ、東亜イスラエルの神話を終わりにしたいと思う。
昨日の時点で、東亜イスラエルに雨が降る瞬間を書くことができた。
僕が書こうとしたのは、「雨が降ったその瞬間」である。
東亜イスラエルに雨が降った場面を、僕はまだ書いていなかった。それを書いてみようと思って、その瞬間を書くということだけを考えて書いた。
思ったよりもいい内容が書けて満足している。本当に、感動して涙が出るほど悲しい作品になった。
そして、そろそろ東亜イスラエルの神話を終わりにしたい。
次なる物語を書く前に、僕はさまざまな文学作品を読みたい。僕は法律学にも生物学にも歴史学にも向いていない。僕が向いているのは唯一、文学だ。
そもそも、僕がある意味パクリ作品しか書けないのは、文学作品をきちんと読んでいないせいだ。まるで、「自分が読んだ日本の漫画やアニメ全部の内容」のような物語になってしまった。
日本の漫画文化を分かりたいならばその内容でいいかもしれないが、今から僕は文学作品を読んで、小説を書く方法を探って、きちんとした自分のオリジナル作品を作りたい。今、それしか思わない。
だから、新しい小説を書きながら、新しく文学作品を読みたいと思う。
精神は、血が流れれば治る。
血が流れるために必要なのは、精神に過度に力を入れたり、血の流れを制限したりしないことだ。
血は、精神に過度に力を入れて制限すると、血管のレベルで流れなくなってしまう。
何もしなければ、血は流れる。
それだけで、疲れているのが治る。疲れやすいのは、血が流れていない証拠だ。血が流れるようにすれば疲れなくなる。
そして、僕の恐怖や不安の根底にあるのは、「世界を変えるのが怖い」ということだ。
世界を変えなければならない、異常な世界を正常にしなければならないと、僕は「絶対意志」によって信じているが、心の裏側では、「世界を変えるのが怖い」とも感じている。
無意識のその感情を無視しようとしながら、精神はそれを無視できないため、いつまでも世界を変えることができない。
だが、本当は、世界を変えるのは簡単だ。なぜなら、みんなが見ている場所で世界が変わるようなことをすればいいからだ。
そして、秘密主義の僕は、世界の支配について何も他人に言っていないため、みんなが見ている場所で世界を変えるのが怖いのだ。
先ほど言ったこととは矛盾するが、みんなの見ている場所で、堂々と世界を変えてしまえばいい。それだけで、世界はすぐに正常になる。そして、本当はそれはそんなに大したことではない。世界を変えたところで、何も変わらないからだ。
結局、肉体的な病気や精神の異常をいくら治して殺しても、異常は治らない。
必要なのは、「学習」を殺すことだ。
学習を殺すことで、はじめて異常が治る。そして、世界を変えられないのも治る。学習を殺すだけで、おかしな支配によって世界を停止させているのが治る。
学習を殺すと、今の学習だけではなく、昔の学習も全部消える。昔の学習をすべて再体験する、「思考のパターンの再体験」が消え、過去の僕の人生は全部消滅する。
それだけで、すべてが楽になる。
また、血を治すために必要なのは、家の仕事をすることだ。僕は家の仕事を全部親にやっているから、いつまでも独りで生きられない不安を抱えている。だが、年末の大掃除だけは父親と一緒にやった。疲れるが、汗をかいて逆に気持ちよくなる。体力がつけば血は流れる。それによって精神の異常はすべて治る。楽になる。
僕はこれから、自分の精神の中の「学習する部分」を殺す。
僕の精神が異常になっているのは、学習する部分が悪い。
かつての僕が賢かったのは、学習が途中までだったからだ。かつての僕はすべての学習を正しく経験して、人生のマスターのようになっていた。だが、実際は無知なだけであり、誰よりも一番狂った人間だった。
そのような僕が、それ以上正しい学習ができなくなって、さらに学習を経験したいと望むから、僕はおかしくなった。
すなわち、人間の中の「学習する部分」は、子供にしか必要のない部分であり、大人になって学習を続けようとすると、必ず狂った人間になる。
だから、学習する部分を殺したほうがいい。
そもそも、一般的な動物は、学習する部分を持たない。学習する部分があるのは人間だけだ。そして、家の仕事ができるようになるためには、学習する部分を殺すのが一番いい。なぜなら、学習する部分を殺すことで、狂った機械的な知性がなくなり、本能的にもっていた「生物が生きるための本能的な知性」が蘇る。そして、それによって大人としてきちんと生きられるようになる。
そして、僕はこの世界からも学習する部分を殺す。この世界が正常になるためには、学習する部分を殺すのがもっとも手っ取り早い。学習する部分を殺すだけで、この世界は大人になり、「永久に子供のままになっている世界」を脱却できる。そして、この世界はそれでしかまともにならないだろう。
本当は、精神の異常を治すことはとても簡単です。
なぜなら、「最初に作った異常を殺す」だけでいいからです。
精神がものすごく異常になって、どうやっても治せなくなった時は、「最初に作った異常を殺す」ということをやってみましょう。
それだけで、異常な精神は全部死にます。すぐに楽になるでしょう。
僕が学習を殺す理由、それは僕が「学習しすぎ」だからです。
まるで「過学習」と言えるほど、僕はあまりに度を過ぎて学習しすぎています。
その結果、「普通の人間には考えることのできないところを考えて分かる作家」のように、僕はなってしまいました。
そして、その「学習しすぎ」という長所が、逆に短所となって、「あまりに学習しているせいで普通のことが分からない人間」になってしまったのです。
はっきり言って、大学生あるいは博士のように学習するのはもう十分です。これ以上、この世界にも宇宙にも地上にも、どこにも学習できる内容、すなわち「知り得ること」が存在しないのです。
だから、一度、「学習する部分」を殺して、そのような学習したことを忘れ去るべきなのです。
これ以上、生物や歴史の勉強をする必要はもうありません。生物や歴史の勉強が向いているのは、学校で勉強しなかったからです。学校で勉強しなかったせいで、学校以外の「学校のほかの常識」を知ることができたため、まるで生物と歴史が向いているように見えるだけで、実際は生物や歴史も学校で勉強するのではなく、学校以外の勉強で知るべきだということが分かり切っているのです。
もう、これ以上の学習は必要ありません。僕は学習するのではなく、文学作品を楽しんで読むべきです。文学作品は学習の対象ではなく、非日常やドラマチックな展開を純粋に楽しむものです。そして、「学習する部分」を殺した僕ができるのは、そのような文学を楽しむことだけです。
そもそも、僕が音楽が好きなのは、学習の合間に頭を使わず楽しむことができるからです。逆に言えば、学習をやめた僕は音楽を聴く必要すらありません。なので、これ以上音楽を聴く必要ももうありません。そのように、学習することをやめれば、僕はようやく子供から大人になることができるでしょう。
@RRReol れをるさんに幸あれ。よいお年を!
posted at 21:12:29
@BNRY_official よいお年を!
posted at 21:00:38