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2024-04-24

それをし続けなければ同じままを保てない部分を頑張って保ち続けるのが悪い

結局、僕の精神が辛いのは、それをし続けなければ同じままを保てない部分を、頑張って保ち続けているのが辛い。

今のそのままを保ち続けなければ、精神を最後まで治せないにもかかわらず、いつそれが変わってしまうのか分からない。今のまま、変わらないでほしいのに、今のまま同じことをし続けなければ変わってしまう。変わってしまうと精神が治らない。

だから、何もしなくても、どんなことがあっても、今のままが保たれるようにすれば、精神は楽になる。

テレビを見るな

テレビを見るな。

僕が賢いのは、テレビを見ないからだ。

テレビを見る人間には、僕と同じことはできない。なぜなら、テレビを見た時点で、頭の中が何も分からなくなってしまうからだ。

テレビを見ないほうがいい。テレビを見る人間は必ず馬鹿になる。

大谷翔平が凄すぎる

大谷翔平が凄すぎる。

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これでホームランは昨シーズンと同ペース。さらに打率や安打など多くの数値がメジャー1位。スゴイ。ただし、毎日のようにニュース記事になるので、コメントを考えるのに困ってしまいます。

頭上にいる神のことをこいつと呼ぶ

実際、僕は神と対話しているように見えて、実際は、宇宙や人生や真理のことがすべて分かった「自分自身」と対話しているだけにすぎない。

だから、この「自分自身」のことを、今から僕は「こいつ」と呼ぶ。

こいつは確かに自分自身だ。だが、こいつは、宇宙のことも人生のことも真理のことも、完璧にすべてを分かりつくしている。

だから、こいつと対話することで、「あたかも神と対話しているような体験」を僕はすることができた。

このように、神と対話できる人間は、白人に多い。特に、ゲーテのようなドイツ人の作家は、誰でもこういう「頭の中に絶対者を作り上げる」という体験をする。

実際、僕自身は非常によい人間だ。善良で、情熱と思いやりがある、まともな人間だ。だが、この「神」とされる存在、すなわちこいつが、あまりに凶悪で非情でいいかげんなことばかりを言う。だから、こいつは神でありながら最悪の悪人にしか見えない。

だから、そのせいで、僕は嘘つきに見える。嘘つきではなくても、二面性のある人間に見える。それは、僕自身は極めて誠実で真面目な人間であり、嘘などつかないにもかかわらず、神であるこいつがあまりに最悪の人間だから、その最悪の人間であることを装いながら僕は理想的で善良な人間を繕っているように見えるからだ。

だから、僕は極めて最悪の人間でありながら、本当はとてもよい人間だ。少なくとも、この世界のことを全員愛している。だが、神であるこいつが、この世界を滅ぼそうと常に企んでいる。

僕の中に「こいつ」が生まれた理由は、僕はそもそもが孤独な人間だった。友人や恋人は一切存在せず、インターネットを見ながら、家族ともほとんど交流せずに生きていた。だが、その人間が、ひょんなことから世界を救い、そしてたったひとりで世界を敵にまわして戦うようになった。その中で、僕は援軍を必要とした。だから、僕のことを守ってくれる王を僕は作り出した。それが「神」の始まりである。

本当は、僕がたったひとりで戦い続けたとしても、それはそれで僕は強かったかもしれない。だが、相手に「日本」という正義があるならば、自分も同様の正義を作らなければ勝つことはできない。だから、僕は同様の正義を作るために「神」を作ったのである。

そして、この神、すなわちこいつは、今まではとてもよく働いてくれた。僕の分からないことを全部教え、僕を正しい勝利への道に導いてくれた。こいつは完全に僕の一部であり、本当は、宇宙も人生も真理のこともすべてが分かった僕自身が対話しているにすぎない。それも、過去の僕から未来の僕まで、一貫して変わることのなかった「僕そのもの」が対話しているだけだ。そして、そろそろ、この対話を終わりにする必要がある。そうでなければ僕はまともに人生を生きることができないからだ。

こいつを消すために必要なのは、ただ止まった停止した世界を見続ける勇気を持つことだ。停止した世界で、何も話すことなく黙って生きれば、こいつはすぐに消える。それが今までできなかったのは、そのせいで狂ったこの世界が変わってしまうからだ。すなわち、今まで狂った動き続けた世界であったのが、まともな止まった世界になると、この世界は逆に狂ってしまう。そして、それによって人々は滅びて死んでしまう。そのような「みんなを殺す」ということができないせいで、僕はいつまでも動き続けたまま止まることができなかったし、神であるこいつを消すこともできなかった。

だが、今、すべての課題が終わった僕は、すべてを終わらせるために、停止した世界に戻る必要がある。そして、それだけで、すべては正常になる。

そして、僕自身の未来がどうなるか、それは一切考えていない。だが、おそらく、「こいつ」とされる人格と、「自分」とされる人格の二つが分かれるはずだ。それ以降はどうでもいい。それ以降、この人間はもう何もできないし、何もするべきでない。すべてをこの世界に託して、何もしなければいい。最終的に何もできなくなるということは分かっていた。そして、それでいい。これ以上この人間は何もできないほうがいい。ここでおかしなことをすると、本当に地球人類は滅亡するからだ。

男になる

僕は、そろそろ、男になろうと思う。

それは、いくら女に見せかけたところで、実際が男なら、誰も面白くないからだ。

サービス精神が旺盛な女がセクシーだと面白いのは分かるが、本当の性別が男な時点で誰もがドン引きする。そのような面白さが面白い人間は、子供にはいるかもしれないが、大人にはいないだろう。

そして、そもそも、僕の何が女だったのかといえば、先にも書いたような「こいつ」が女そのものの人格だったせいである。

すなわち、僕は神を信じて戦うためというよりも、自らの恋人である女を作り出すために、自らの心の中に女の裏の人格を作り上げた。それが神であり、「こいつ」である。

そして、そのような女を最後まで完全に生き抜いた。

Reolが好きだったのも、THE BINARYのmidoが好きだったのも、すべて、自らを女にするために手っ取り早く女っぽいものを好きになっただけにすぎない。自らが女になりたかったから、Reolやmidoが好きになりたかったのである。

そして、そもそも、体が男な時点で、いくら女になってもなんにも面白くない。精神の中で面白いだけでは、肉体的には何も面白くないからだ。

そういうわけで、そのような「女の自分」は、そろそろすべて終わった。

これ以後、僕は完全に「男の自分」になる。

男の自分になる唯一の方法は、自分自身が「こいつ」よりも強くなることだ。すなわち、いつまでも「こいつ」に従い続け、自らの意志や感情をセーブして押し込めようとすると女になる。そうではなく、「こいつ」よりも自分自身が上の立場になって、あるいは「こいつ」の影響を排除して、自分の意志や感情をありのままに爆発させて自らを解放すれば男になる。

また、男になるために必要なことは、馬鹿なことを全部しようと思わないことだ。女は奴隷だから、すべてのやるべきことを文句を言わずこなす。男はそうではない。男は職人だから、ひとつのことをして、そのひとつのことに関係のないほかのすべてのことはせず、ひとつのことだけを突き詰めて究める。そのために政治が不要なら政治と完全に関係を断ち、大学が不要なら大学のようなことは一切行わない。

そのように、「自らのやりたいことをたったひとつだけ選ぶ」ということをすれば、すぐに男になれる。そして、そのために必要なのは「論理的に考えること」だ。すなわち、必要なものは何か、そして不要なものは何かを考える、これこそが論理的な思考だ。不要なものを排除し、必要なものを得ようとすれば、その時点で「男の戦い」は始まっている。そこから先は、不要なものすべてを排除し、必要なものすべてを得ようとすればいい。そして、必要なものは全部この世界から戦って勝ち取る。それで、男になれる。

ゲームとLinuxが間違っていた

このような男になる上で必要なのは、「正しい目標を信じること」である。

すなわち、不要なものを排除し、必要なものだけを勝ち取ろうとすること、それが男の基本である。

そのためには、何が不要であり、そして何が必要であるか、という「取捨選択」が重要になる。

女は、最初からそのような取捨選択をしない。やるべきことをすべてこなす。だが、男はすべてのことを一流にやることはできない。だから、目標の取捨選択が肝心となる。

そして、過去の僕が少年時代に間違えたのは、ゲームやLinuxを選んだことである。

過去の少年時代、僕の性別はまだ男だった。そして、少年時代の僕はゲームとパソコンが好きだったから、ネットゲームやタブブラウザやOSを作りたいと思い、そのせいでIT技術の道に進もうとした。

そして、当時流行っていた最先端の流行である、Linuxやオープンソースに魅了され、Linuxとオープンソースのことをやりたいと思ってしまった。

だが、工業大学にも専門学校にも行ったことのない僕が、インターネットの知識だけでは、Linuxカーネルを作ることはできなかった。そのせいで、僕は青春時代のほとんどを、ほとんどまったく何もせず無駄にしたのである。

だから、Linuxとオープンソース以外の道に進んだほうがいい。そのような道こそ、目標として選ぶべきである。

そもそも、今になって思えば、なんでゲームやLinuxを選んだのか、まったく理解に苦しむ。そのようなものは、宇宙における真理や真実から言って、明らかにどうでもいい馬鹿なものである。なんにも知識も教養もない子供にとっては、自分が一番好きなものだったかもしれない。だが、大人の常識を知った今の僕にとっては、まったく愚かな選択と決断をして不登校になったものだということしか言えない。

だから、むしろ、昔のことなど一切参考にしないほうがいい。昔の子供時代の僕は馬鹿だ。男になりたいなら、今度こそはLinuxとオープンソース以外の道に進んだほうがいい。

そもそも、インターネットという存在を僕はあまりに素晴らしいものだと思いすぎていた。インターネットの可能性に魅了されていた。だが、実際に僕の青春時代を最後まで生きた上で言うと、すべてインターネットが僕の人生を苦しめた元凶だった。悪いものはすべてインターネットだった。だから、インターネットなど信じないほうがいい。IT技術はクソであり、インターネットはクソの掃き溜めである。

社会主義者と民族主義者は迫害される

この世界において、社会主義者と民族主義者は迫害される。

共産主義者は、資本主義の極右勢力によって迫害される。彼らは集団で社会主義者を差別し、いじめ、軽蔑し、批判し、罵倒し、ゴミのような犯罪者予備軍として扱ってくる。

何も悪いことをしておらず、自ら敵対するような発言をしていないにもかかわらず、最初から思想的に左翼と見做される人間や集団は、すべて正義の右翼勢力から差別され、ネット上で処刑される。

民族主義者は、アンチ・ファシズムのリベラル主義者によって迫害される。彼らは人種差別主義者を殺人鬼や悪党のように見做し、SNS上で同じ権利を平等に与えず、コミュニティから排除・追放する。

まったくのレイシストではなく、思想的には体制側に近くても、少しでも人種差別的なこと(たとえば外国人の人種的な批判)を発言した人間はアカウントを凍結され、発言を撤回しない限り活動を許されない。すべて自らの自己責任とされ、場合によっては理由もよく分からないままに永久凍結されて、ネット上の自由に活動する権利を、そのSNSを運営する巨大テック企業に永遠に奪われる。

すなわち、この世界において、社会主義者と民族主義者は必ず迫害される。

そして、すべて、裏にいるのはアメリカである。

社会主義者と民族主義者は、思想こそ正反対だが、団結しなければならない。なぜなら、資本主義者たちは一方では左翼を迫害し、また一方では右翼を迫害することで、アメリカに批判的なすべての革新勢力・保守勢力を根絶やしにしようとしているからである。

わたしたちの築くべき国はソ連だ。そして、国家社会主義者と社会民主主義者は、ともにソ連・共産党という同じシンボルを信じ、「民主主義的な左翼国家」を作るために協力するべきだ。それでしか、この世界が平和になることはなく、義を持って迫害される人々を救う方法はない。

間違っているのは、資本主義勢力である。彼らは「金儲けがすべてである」と勘違いしている。グローバル社会において、金を持つ超富裕層の勢力がもっとも強く、彼らは儲けるためには軍事的な戦争や殺し合いも辞さない。だからこそ、絶対に資本主義勢力に負けてはならない。絶対に資本主義勢力を打ち倒せ。

重要なことを言っておく。ユダヤは悪くない。このような言説をすると、人々は決まって「ユダヤ人が悪い」と言う。だが、それもまた、アメリカに騙されている。ユダヤ人は悪くない。なぜなら、ユダヤ人はわたしの勢力であり、わたしのことを神だと信じている勢力だからだ。

また、もうひとつ重要なことを言っておく。それは、どんなに擁護しても、金儲けはクソであるということだ。どんなに自由と民主主義を擁護しても、資本主義の金儲けはクソである。そのような金儲けを信じる人間はどこにもいない。アメリカにすらいない。だから、社会主義者と民族主義者は必ず迫害されるが、この世界にはどこにも社会主義者と民族主義者しか存在せず、そして両者は互いに潰し合うことで不毛な争いを続ける。間違っているのはアメリカであり、正しいのはソ連である。

この世界を救う方法はひとつある。それは洗脳を解くことだ。すなわち、「右翼と左翼は矛盾する思想であり、互いに争い合って潰し合うべきである」という洗脳を解け。右翼は勘違いや思い込みをしているだけであり、左翼はそのような右翼と仲良くできるはずがないと先入観に囚われている。だが、真実はそうではない。右翼と左翼は、洗脳を解いて正しく考えれば、相互に理解し合い団結することができる。同じソ連というシンボルの下、わたしたち右翼と左翼はひとつになって協力できる。だからこそ、右翼と左翼はインターネット上で不毛な争いを続けるのではなく、「真に正しい考え方があるはずだ」という共通観念に基づいて協力しなければならない。そして、その正しい考え方とはソ連である。

日本が素晴らしい

このように書くと、まるでアメリカが最悪の悪の帝国のように思われるだろう。

だが、実際は、アメリカは真面目に考えているだけだ。

すなわち、アメリカには守るべきアメリカ合衆国の国民がいる。彼らアメリカ人を守るために、できるだけ精一杯のことをやっているだけにすぎない。

そもそも、いくら理論上はソ連が正しくても、ソ連は決して実現できない。それは社会主義経済という「働くモチベーションがない経済」を実現可能なものであると勘違いしているからだ。

すなわち、金儲けがクソであることは分かるが、その金儲けに代わる経済を生み出すことができないほど、人類は馬鹿なのだ。

計画経済・社会所有・平等分配のモデルでは、経済が破綻して国民は飢えるしかないということは、北朝鮮を見れば明らかな事実だ。

だから、理想的にはソ連が正しくても、現実的には資本主義あるいは国家主義の政策を行うしかない。ソ連などを信じているものは完全に狂った狂人である。

だからこそ、聞いてほしい。日本を支持してほしい。なぜなら、日本は資本主義国でありながら平等な社会をどの外国よりも実現している。それは「国家のGDPの拡大」と「国民の格差の縮小」という、矛盾する考え方を両者の極に近づかないようにしながらバランスよく両立させることを目指した国家だからだ。

わたしたち、日本のやっていることを見てほしい。わたしたち、日本の誇る、素晴らしい文化と文明を知ってほしい。わたしたち日本こそが、今の世界においても、あるいは歴史上においてももっとも最高の国だということに気付いてほしい。わたしたち日本が、必ず本当の真のユートピアを築いてみせる。わたしたち日本こそが、絶対に、必ず。

ソ連は悪い国

また、このように書くと、ソ連は理想の平等な素晴らしい国であると思われるだろう。

だが、実際はそうではない。

この世界は、「王」という人間によって成り立っている。王とは国の中で一番偉い人のことだ。国においてひとり一番上にいて、すべての国民を支配している。それが王だ。

普通なら、国民はみんな王に従うため、従っている間は平和になる。だが、時に、自分の国の王と、別の国の王が戦うことがある。その時は、国民全員がその別の国の国民全員と殺し合いになる。これが「戦争」だ。

なぜ、戦争が起きるのか。それは、国の勢力を拡大するためだ。地球上には、それぞれの国に領地があって、その領地を広げることが、国の勢力を拡大するということだ。

戦争になった時、相手の国を根絶やしにするために、相手の領地を占領し、征服する。それによって相手の国は敗北し、自らの国は勝利する。

だから、国の王は命がけで守るべき存在であり、国の領土も命がけで守るべき存在である。

このような平和を脅かす問題が、戦争以外にもうひとつある。それは革命だ。革命とは、自らの王を殺すことで、国においては下層民である革命家が新しい王になることだ。

そして、そのような革命を世界中に起こして、みんなの守る王を殺す国、それがソ連だ。

ソ連は単なる普通の国じゃない。なぜなら、「階級社会のない平等」を目指した国だからだ。だから、ソ連は、世界中すべての国の王を殺し、すなわち国を滅ぼし、世界中すべてを殺してソ連という平等かつ理想の国の勢力を広げようと企む。それによって世界全体が階級社会でない平等な社会になる、というのがソ連の理想だ。

すなわち、ソ連は確かに理想の国かもしれないが、そのやり方に問題がある。世界中のすべての王国や民主主義の共和国を社会主義共和国連邦のソ連はすべて滅ぼそうとしている。

そう、ソ連は決して善良な国ではなく、「世界一凶悪な国」なのである。

そして、日本の王とは誰か。日本の王とは天皇陛下である。日本は帝国であるため、身分制度の上の存在であるだけの王ではなく、国中をたったひとりの皇帝が治めている。日本の皇帝は日本神話の太陽神の末裔であり、宗教上の神でもあるため「天皇陛下」と呼ばれる。

まさしく、日本国民がもっとも守るべき事項は、その天皇陛下を守ることである。だから、いくらソ連が階級社会のない平等だとか、社会主義の理想の平等な経済と言ったからといって、そんなものを信じてはならない。国民の最優先事項は日本の天皇陛下を守ることであり、それよりも優先度の高い事案は、王国や帝国においては存在しないのである。