結局、僕が賢くなるためには、もう一度、子供からやり直すしかない。
よく、悪い教師などが「幼稚園からやり直せ」という暴言を吐いたりするが、それはこのような人間のことを言っている。
大人になって馬鹿になった人間は、子供からやり直さなければ賢くならないし、まともに生きられるようにならない。
僕が馬鹿なのは、僕はいつもよく分かっていないし、きちんとも分かっていない。もっと、よく分かるようになって、きちんと分かるようになれば、こういう馬鹿はきちんと賢くなる。
僕は子供からやり直すのは得意だ。ガブリエルからミカエルになった時のように、もう一度新しいラファエルになる。
今回のやり直しは、0歳から始まったミカエルの時と異なり、弟であるラファエルは14歳から(4歳上の姉のミカエルが18歳になった時点から)始まる。
僕が今思っているのは、子供のように漢字練習がしたい。
僕はさまざまなことを学んでいるように見えて、ひとつ盲点があるのが国語だ。僕は国語の勉強が一番できていない。
パソコンばかり操作していると、漢字を忘れてしまう。読めるのに書けなくなってしまうだけではなく、それを放っておくと本当に読めなくなってしまう。国語の勉強を一切しないでいると、みんなが話す日本語を忘れてしまい、日本語の理解の仕方が分からなくなってしまう。すべて、パソコンのせいである。
だから、パソコンではなく、きちんと国語の勉強をしたほうがいい。
それこそ、僕は国語以外は幅広くさまざまなことを知っている。足りないのは国語だけだ。これで漢字練習をすると、日本のことがよく分かるようになる。僕が日本のことが分からないのは、漢字と国語と日本語が分からないせいだ。
はっきり言って、英語なんか学ばないほうがいい。僕は国語の勉強をせず英語の勉強をしたせいで、頭の中がアメリカ人になっている。こんな人間にならないほうがいい。日本人にならないと賢くない。
哲学をするために必要なのは、物事の本質を考えることだ。
哲学の最初のスタートラインとなるのは、もっとも高い知性で、宇宙すべてのことを、まるでユークリッドの原論のように、すべてを統一されたルールの下に考えるような、そのような最初に判断すべき命題を作り出すことだ。
それができれば、あとは、単に経験して認識を疑うだけで、哲学はできる。
方法とは、実験と観察だ。そして、関係と作用だ。実験と観察、そして関係と作用から、この世界のすべてを「存在の可能性」ということから考えるとともに、そこにある本質を見出せ。
同時に、人間を救うものとは何か、あるいは自ら自身の絶望を救うものとは何かを考えよ。キルケゴールによれば、それは「可能性」だ。
そして、世界そのものを作り出すものとは何か、世界そのものがどのような世界になるかということを必然的に規定するものは何かを考えた上で、その世界がどのように取り替え可能であるかを考えよ。
その上で、そのような世界を作り出す方法は何か、そこにある可能性はいかにして「創造的になるか」「倫理的かつ善良になるか」「多様性を許すか」ということを考えることで、世界を救うことができる。
そして、「世界は確かに変えられる」と信じた上で、「自らと同じように人々も分かることができる」と考えよ。
その上で、あらゆるすべての科学を作るとともに、あらゆるすべての科学的方法を疑え。それこそが、まさに「すべてを疑う」ということであり、まさに哲学である。