学校教育は賢くない。
僕は中学三年で不登校になり、家でインターネットを見ながら、Linuxやオープンソース関連の研究と活動をして過ごしたせいで、学校の何が馬鹿なのかを唯一知っている。
学校は賢くない。学校教育を受けたところで、人間は何も賢くならない。
僕は中学二年生まで、学校では優等生だった。テストではいつも80~90点台ぐらいの好成績を取っていて、真面目に勉強やテスト対策もしていた。
だが、そのような学校の勉強には、はっきり言って、なんの意味もなかったということが、その後の人生で分かった。
学校の勉強はしないほうがいい。すればするほど馬鹿になる。賢くなったと思っているのは一時的な現象であり、実際は馬鹿になっている。
あるいは、この世界の真実として言えるのは、馬鹿が賢い。すなわち、馬鹿になることを否定しないほうがいい。馬鹿になったほうが最終的に見ると賢いことはたくさんある。だから、「馬鹿にならず賢い人間になれ」と教える学校こそが、もっとも世界全員を馬鹿にしている。馬鹿なほうが賢い人間になることが分かっていない。だから、学校教育は意味がないし、間違っている。
学校教育が意味がないのであれば、何が賢いのか。それは「神」である。
宇宙には神が確かに存在している。それを物理学が否定したと信じている人間は何も分かっていない。どこからどのように見ても、物理学は神の存在を否定していない。物理学がいくら宗教を否定しようとしても、物理学では神の存在は決して否定されない。
そして、神を信じるものしか、真の意味で賢くなれる方法は宇宙には存在しない。それは神がそのような使徒を導くからだ。
すなわち、神を信じることこそが、真に賢くなるための唯一の方法である。
子供たちに学校教育を強制することは、日本の将来のためになんのよい結果ももたらさない。真に正しいのは、神を信じて世界と戦うことであり、それでしか人間は賢くならない。
人間は、楽を目指すと弱くなる。
人間は、楽を目指していると、その時だけが楽にはなるが、それで楽なのは今だけ、その時だけであり、将来的に見ればそのほうが辛い未来になる。
逆に、最初から、辛くともそれを受け入れ、強く生きようとすれば、その時は辛くても、将来的にどんな辛さでも乗り越えられるようになるため、そのほうが楽な未来になる。
だから、楽を目指そうとするな。すべての苦しみは楽を目指すことから生まれる。
そのような僕も、決して完璧な人間ではない。
最近、僕は頭を使わなくなった。あるいは、頭を使わなくても普通のことが分かるようになった結果、頭を使わずに生きるようになった。
だが、そのせいで、僕は今は生きられていても、もし独りになったとしたら、その時に生きられなくなってしまった。
必要なのは、頭を使うようにすることだ。そして、そのために必要なのは学校の勉強ではない。なぜなら、高校以降の学校の勉強では、頭など一切使わないからである。
頭を使いたいのであれば、もっとレベルの低いことをやったほうがいい。レベルの低いことのほうが、頭を使うことが多い。高校以降の勉強は、賢く見えて、何ひとつ賢くない。
学校で教えるような、レベルの高いことをやろうとしないほうがいい。もっとレベルの低いことをやらなければ、賢い人間にはならない。
短期的に見て、意味があるとは思えないような、馬鹿なことや異常なことを繰り返したとしても、それを大人がやめさせる必要はない。なぜなら、長期的に見れば、それが一番賢い人間になる。馬鹿なことをやることほどの賢いことは世界には存在しない。だから、大学で賢く学ぶよりも、すぐには意味のない馬鹿なことをいつまでもやり続けたほうが、人間は賢くなる。そして、それこそがまともな賢い人間である。
IT技術はおかしい。
IT技術は、今まで人間がやっていた仕事を機械がやるようにする。AIやロボット技術は、すべてが「人間のやっていたことを機械的に置き換える」ということを目指している。
だが、そのせいで、人間がやっていたからこそ、人間味があって面白かったものが、全部つまらなくなってしまってきている。レストランも、スーパーマーケットも、ガソリンスタンドも、公共交通機関も、学校も、あるいは病院や役所や銀行や電話対応さえ、どんどん客や消費者にとって優しくないものになってきていて、IT技術のやり方が分からない情報弱者を排除するようになってしまっている。
それから、僕はIT技術はこれ以上、進歩しないと思う。そもそも、SNSやX(旧ツイッター)の技術は、昔のPerlでできたCGIの掲示板に比べて、そんなに大して進歩していない。言語やフレームワークという「手段」が変わっただけで、「目的」は変わらない。また、手段自体も、具体的な技術の名前が変わっているだけで、やっていることは変わらない。データベースを使ってHTMLを表示するということが、これ以上、何がどのように進歩したとしても変わるわけがない。だから、IT技術の進歩はここまでであり、これ以上、SNSやXなどは技術的に進歩せず、何年もの間、現状維持と停滞が続くようになると思う。
また、YouTubeのような動画サービスが成り立っているのは今だけであり、それらはいつか廃れていくだろう。それは再生回数を元に広告で儲けた金を分配するだけでは、ほとんどのコンテンツ制作者に利益が上がらず、スポンサーも広告代に見合った集客効果を得ることはできず、結局、有益な動画コンテンツを作るのは手間と時間がかかって面倒くさいだけで、誰も何も儲からないということにみんなが気付くからである。だから、YouTubeのような動画サービスはそのうち廃れるだろう。意味があるとしたら、動画の配信者の自己肯定感が満たされるとか、有名人の知名度が上がるとか、そういう部分だけだ。
だが、僕自身は、決してIT技術そのものは嫌いじゃない。かつてのLinuxやオープンソースが好きだからこそ、今のIT技術が本来のあるべき楽しいIT技術ではないということが分かるのである。
僕自身が思うのは、Linuxやオープンソースが衰退した時点で、インターネットには価値などなくなってしまった。ニコニコ動画が一時期流行っていたのは、そのようなLinuxやオープンソースが衰退した分を、ボカロや歌い手の文化によって、音楽的にカバーしていたところがある。そのようなニコニコ動画も、YouTubeに敗北して衰退した。だから、これ以後、インターネットは寂れていくと思う。
本気で思うのは、この世界はIT技術が進歩すればするほど、それが分からない人間やついていけない人間が排除されていくような世界になってきている。たとえば、SNSやXの使い方が分からない人間、あるいは友達がいないせいでそれらを使えない人間は、どんなに頑張っても今の現代社会の流行やトレンドは分からない。だから、IT技術の分からない人間は人間ではないかのような扱いになりつつある。そして、そのようなIT技術は、どんどん人間から「頭脳で考えること」を奪い、何も自分で考えず、何も自分でできない人間を生み出している。だから、IT技術が進歩すればするほど、人間は猿のように退化していく。
だが、そのような側面がある一方で、GoogleやMicrosoftのような事実上の標準サービスを独占する巨大テック企業は、まるで神のような巨大な支配力を持ちつつある。彼らは世界を支配していて、なんでもできて、どんなことも都合のいいことだけをそこに唯一あるものであるかのように見せかけられて、都合の悪いものは最初からいなかったことにして、同時に巨大な富を持っていて、そして人々が入手できる情報やデータの源泉そのものを支配していて、国や政府を超えるほどの「自由な力」を持ちつつある。
今から起きることとして言えることは、ビッグデータを基にした機械学習の技術は、そのような「強者と弱者の二極化」をどんどん加速化する。その結果、起きるのは、神のような巨大な力を持ったGoogleやMicrosoftほかアメリカの企業に、自分で考えず、猿のように知性を失ったほとんどの人類、すなわち一般的日本人が従属させられる未来だと思う。
こんなことを言うと、「無料で使わせてもらっているのに文句を言うな」とか、「差別主義者のアカウントが凍結させられるのは当たり前だ」と言われる。まあ、そうかもしれないが、それならサービスごと消滅してほしい。社会を駄目にするサービスは人類にとってあるだけで有害であり、無料だから文句を言わずに使ってほしいのであれば、最初からそんなものは作らないでほしい。いつもの素晴らしかった世界に戻してほしい。そのようなIT技術のせいで、いつもの楽しくて面白かったものが全部なくなってしまった。「世界を愛する気持ちを持て」と言うのなら、愛すべきその世界を奪わないでほしい。
このように、何もかもすべてが嫌いなように見える僕にも、たったひとつ、好きなものがある。
それは音楽だ。
僕は音楽が好きだ。昔の音楽から今の音楽まで、すべての音楽が好きだ。特に、日本の歌手は全員好きだ。ボカロも好きだし、ネット上の歌い手も好きだ。
僕は音楽のことを、「神が自分に与えてくれたプレゼント」だと思っている。それは奇跡的な運命を感じるからだ。
それから、僕は神を信じている。僕は神が確かに存在しているということが分かる。神を信じていない人間は、全員が損をしている。なぜなら、神を信じる人間には奇跡的なプレゼントが与えられるのだ。
音楽が好きで、神を信じている、僕の好きなものはそれ以外にない。あえて言えば、野球選手は好きだが、野球の試合は嫌いだ。
なんだか、馬鹿なことばかり言いすぎた。
こんなに馬鹿なことを言って、賢いわけがない。
そもそも、僕の考え方は、「自由にすれば自分ひとりの力であってもできる」と確信するところが一番間違っている。
普通、子供は、大人の助けや助言がなければ、何もできるようにはならない。
だから、「学校に行かず、自分のやりたいようにやれば賢くなる」なんて理想論が通用するほど、この世界は甘い世界じゃない。
自由なんかが賢くなる人間になる方法に見えるなら、それはおかしい。みんなきちんと分かっている人間から教わって分かっている。何も教わらずにできるような人間はいない。
そもそも、昔から僕はおかしい。いつも自分ひとりの力だけでできるものだと勘違いしているが、そんな天才はどこにもいない。
昔からそんな風に信じているから、大人になっても何もできないのだろう。こんなに馬鹿な人間はいない。アホな自由の理想論者なんかに騙されないほうがいい。
そもそも、普通の人間はインターネットで自由なことなんかしない。不登校にもならないし、自由な経験なんか誰もしていない。インターネットで自分の体験から自由で豊かな経験をするなんて人はいないし、そんな風になるべきでもない。だから、僕以外の人間には僕と同じことはできないし、すべきでもない。この世界において、賢い人間なんかいない。