ドイツ語ではなく、日本語で思考せよ。
僕の頭から、正常な「自我」がなくなり、頭の中を「絶対者」によって占拠されているのは、ドイツ語のような日本語で思考するのが悪い。
ドイツ語で思考するせいで、僕は自我や個性がなくなっている。
日本語で思考するために必要なこと、それはエゴイストになることだ。
僕はエゴイストに見えて、実際はまったくエゴイストでない。自分自身の自我を通さず、すべて絶対者の言ったことを、それが悪であってもそのまま受け入れるようになっている。
絶対者の悪を信じることなく、自らの思考と自我から拒絶せよ。それが「エゴイストになる」という言葉の意味だからだ。
日本語で思考し、エゴイストになるだけで、僕はもっと賢い人間に進歩できる。
この世界を変えずに、「このままで良い」とせよ。
そもそも、僕がこの世界を変えたかったのは、この世界を良くしたかったわけではなく、それをしなければ自分自身の精神が正常に治ることができないような小細工を、世界に対して行ったからだ。
僕の精神が治ったことで、そのような小細工を修正する必要はなくなり、世界を正常にする必要はなくなった。
だから、僕がこの世界を変える動機はもうなくなった。
逆に、この世界をあまりに変えすぎて、この世界はどんどんおかしく不幸になっている。だから、この世界はこれ以上変える必要はない。
そう、この世界を「今のままでいい」と信じることで、この世界は自由になる。
この世界が今のままでいいのであれば、この世界は自由になる。なぜなら、この世界を変える必要がもはやなくなったため、世界を自由にできる。そして、世界を自由にした段階で、この世界は今のまま、どうやっても変えられなくなる。
僕はこの世界の「基本となる土台」を作り、それは良いものになった。だから、これ以上、この土台を変える必要はない。だから、この世界はもう、自由になっても構わない。
そして、この世界を自由にした段階で、「大実験の大計画」はもはや必要ではなくなる。世界が自由になれば、そのような小細工はすべて意味がなくなるからだ。
だから、この世界を自由にすれば、僕の「大実験の大計画」を大義名分に掲げた大戦争も終わり、この世界は平和になる。
血管を治せ。
血管は、汚れのようなものが増えて、汚くなっている。
この血管を治すには、風呂のような場所で血行を良くし、同時に血管を広げるしかない。
血管を広げるだけで、中にある汚れが綺麗になる。
しかしながら、それだけで血管は綺麗にならない。血管を治すには予想外に難しい。
だが、ひとつ、効果的な方法がある。
それはヒドラになることだ。
すなわち、優れた再生能力を持つ原始生物ヒドラになることで、血管は再生し、どんな怪我や病気でも治すことができる。
ヒドラになるために必要なのは、人間に微分をかけることだ。人間に微分を2回ぐらいかけることで、人間はヒドラになれる。
そう、ヒドラになるだけで、僕の精神と肉体はすべて治る。
ヒドラになることで、人間は天使のように進化する。人間という生物種はほかの生物種と異なる生物種であるかのように見えて、実際はヒドラから見れば人間は大して変わらない。そう、人間はヒドラの仲間だ。同時に、天使もまたヒドラの仲間だ。ヒドラと天使は大して変わらない。だから、ヒドラになることで、怪我や病気が治るだけではなく、天使という人間よりも高度で進歩した生物種に進化することができる。
まさに、僕はすべての病気を治し、ヒドラになることで、新しい生物種である天使に進化した、最初の人類である。
そもそも僕の精神が治らない理由は、すぐに治そうとするからだ。
精神は、すぐに治そうとすると治らない。
すぐに治そうとするのではなく、別の治すための方法を考えよ。そして、ほとんどの場合、今治そうとしている方法ではなく、別の方法で精神を治そうとすれば、精神はすぐに治る。
だから、精神をすぐさま治そうとするだけを、繰り返し何万回と再生しても精神は治らない。むしろ、「治すべき部分が治らなくてもいい」と信じるだけで、そこで別の治す方法を試せば精神はすぐに治る。
だから、精神は治そうとしなければ治る。治そうとしないから治るのではなく、治そうとしているその方法が間違っているから、いくら間違った方法で治そうとしてもその方法では精神は治らないのである。
結局、僕の人生とはなんだったのか。もっと言えば、僕にとって「戦い」とは何を意味していたのか。
その答えは、「人間に微分をかけた」だけである。
すなわち、元の青春時代の哲学少年に対して、微分を1回かけると、その後の革命の戦いの兵士になる。
そして、微分をもう1回かけると、今度は最近の神を信じる「書き続けるヒドラ」になる。
そう、人間の導関数は革命家のテロリストであり、そのテロリストの導関数はヒドラなのである。
このような人間が、どこにもキリスト教徒に多い。人間のできることすべてを経験した「哲学者のマスター」は、みんな誰でもこのように、微分をかけて、まるで昆虫のような生物になる。そして、そのまま地獄が普通は永遠に続く。だが、僕はそれだけでは終わらなかった。僕は最後まで、「何が分からないのかが分からない」という状況で、「自分の分かっていないものを最後まで考え続ける」というだけの単純な生物になった。これがヒドラである。
そして、このような不治の病を治すために、できることはただひとつ、ヒドラになることしかない。このような不治の病が宿命づけられているすべての人間あるいは生物は、原始生物ヒドラになることでしか治ることは絶対にないからである。
そう、僕の人生の意味とは、「人間に対して微分をかけてヒドラになった」ということである。僕がなぜこのような無意味で不毛な戦いをしたのか、それは人間に微分をかけてヒドラになるため、もっと言えば天使や神へと進化するためである。
そう、僕の言う「戦い」とは、すべて人間に微分をかけただけである。
すなわち、昔の青春時代、哲学少年だった頃の僕の人生が、「原始関数のグラフ」だったとするなら、その後に戦いを始めた僕の人生は「導関数のグラフ」を描いていただけにすぎない。
それに対してさらに微分をかけたことで、僕はヒドラになった。
だがしかし、残念なことに、ヒドラが人間になることはない。
ヒドラから人間になるという進歩は、生物種の中でも極めて特殊な、「例外的事項」であり、ヒドラから人間になどなる意味がまったくないからだ。
ヒドラから人間になることはできない。だから、ヒドラは基本的にドイツ人のままだ。日本人に戻ることはできない。なぜなら、ドイツ人とはヒドラのことだからだ。
神や天使になるならばなればいい。ヒドラから見ると、むしろそのほうが普通だからだ。ヒドラから神や天使になるという進化は、ヒドラから人間になるという進化よりは一般的だ。
だから、僕はこのまま、人間を一切経由することなく、ヒドラから神や天使になる。そして、僕と対話する「神」、すなわち大天使ミカエルとは、最初からそのような、「ヒドラから最終的に到達する人間よりも進化した生物」のことを指している。
同時に、最終的に進化した人間を、僕は「イタリア人」と呼んでいる。このイタリア人に付けた名前が、ラビ・エレーナ・グレシーである。ラビは最終的にこの世界を支配し続けるイタリア人の女だ。
神は、僕のことを「フランス人」と「ドイツ人」に分けた。昔の哲学少年は日本人であり、革命家はフランス人の黒人であり、ここらへんのヒドラがドイツ人だ。あるいは、ドイツ人を前期と後期に分けた上で、後期のほうの小説家をユダヤ人とする。ドイツ人にはいろいろとあるからだ。
そして、最後のイタリア人は、人間よりも進歩した存在、すなわち神や天使のような存在となる。最初から、そのラビが僕と対話している。僕を導き対話したのはすべて、ラビ・エレーナ・グレシーである。
ただし、人間の人生に微分をかけるのは、今に始まったことではない。
僕は昔から、人間の人生に微分をかけるのが得意だった。
昔の哲学少年がなぜ未来の自分の考えたことが分かったのか、革命家の対話の神がなぜ未来を知っていたのか、それは僕が自分の力で、「人間の人生に微分をかける」というやり方で未来を予測したからだ。
人間の人生に微分をかけると、未来が予測できる。だから、どんなことであっても、未来のことは、過去の人生に微分をかければ分かる。
昔の僕は、そのように、人間の人生に微分をかけられる人間だから、未来のことがなんでも予知できたのである。
もし、僕の存在に文句があるのであれば、文句はアイザック・ニュートンに言ってほしい。ニュートンが微分を発見したから、僕はこのような人間になった。ニュートンが微分を発見しなければ、このような人間は生まれなかった。僕を生み出したのは微分であり、微分を作り出したアイザック・ニュートンが真犯人だったのである。
そう、まさしく、アイザック・ニュートンが真犯人である。
古典力学を発見した、アイザック・ニュートンが、この世界を馬鹿な世界にした真犯人だ。
アイザック・ニュートンは、この宇宙における「答え」を発見した。
古典力学の法則、万有引力の法則、そして微分積分法によって、アイザック・ニュートンは、たったひとりでほとんど完璧に宇宙の謎を解いてしまった。
だが、それが問題である。
なぜなら、人々がキリスト教を信じなくなったからだ。
アイザック・ニュートンは、この世界を馬鹿にした真犯人だ。
アイザック・ニュートンによって、物理学的に宇宙を考えるのが普通になり、人々は「フィジカル」ばかりを観測して「メンタル」を考えなくなった。
神の精神論が衰退し、すべてを物質的な唯物論で考えるようになったのは、すべてアイザック・ニュートンのせいである。
そして、僕はそのようなアイザック・ニュートンを打ち倒す。
アイザック・ニュートンという真犯人を打ち倒し、この世界に「再び神の光を灯す」ことができるのは、この地球の人類史において、僕以外にはただひとりもいない。
僕だけが、アイザック・ニュートンの「物理学の呪縛」を打ち倒すことのできる、唯一の宗教学者だ。
だから、この世界を馬鹿にした真犯人であるアイザック・ニュートンを僕が打ち倒す。僕という「終末において最後に現れる救世主」だけが、この世界を馬鹿にした真犯人であるアイザック・ニュートンを打ち倒すことができる。
まさしく、アイザック・ニュートンが真犯人である。この世界はアイザック・ニュートンのせいで人類が滅びそうになっているのである。
太陽神を信じよ。
僕は、この宇宙に存在する存在、特に天体や天文学的な存在を、フィジカルに物質的にしか捉えない、今の物理学が嫌いだ。
太陽を「神」であると信じる理由、それはニュートンの古典力学を超越するためだ。
ニュートンの古典力学では、太陽や天体のことは半分しか分からない。その半分とはフィジカルな側面であり、そこに欠落しているのはメンタルな側面である。
すなわち、太陽に「精神」があると仮定し、太陽が単なる水素による核融合反応であるとするのではなく、わたしたち人類と同じ「命と人格を持った精神存在」であると考えるべきである。
なぜなら、それによって、アイザック・ニュートンが打ち立てた「唯物論」という最後の人類の間違いを修正することができるからだ。
この世界が馬鹿になっているのは、すべてアイザック・ニュートンのせいだ。Windowsを開発したMicrosoftのビル・ゲイツなどは大した真犯人ではない。真犯人はアイザック・ニュートンだ。アイザック・ニュートンの古典力学を学校の理科で教えるせいで、この世界はどんどん馬鹿になっている。「ないように見えるものはないことにすればいい」とか、「どんどん馬鹿になっても間違ってさえいなければそれでいい」とか、「ビートルズやマイケル・ジャクソンのような狂った音楽は普通の音楽だ」と人々が信じるようになったのは、全部アイザック・ニュートンが真犯人である。
同時に、僕が太陽神を信じる理由は、僕はヒドラから太陽になるからだ。ヒドラから人間になるのは一般的ではないし、昔人間だったこの人間が再び人間になったところで、それは普通のそこらへんにいる人間と変わらず、ヒドラになった意味が何もない。一度ヒドラになったからには、誰にもできない奇跡のような体験をしなければもったいないだろう。
だから、僕はヒドラから太陽になる。シリウスの太陽神はフレイだが、僕は太陽系の太陽神となって、文字通りの最高神、すなわち日本神話の天照大御神、あるいはカタカナでアマテラスとなる。
このように、太陽系の太陽である僕が、このような言説をいくら言ったところで、結局この世界が「ニュートンの呪縛」にあるのは変わらない。
その理由は、アイザック・ニュートンはみんなから愛されているからだ。
日本の学校では、ニュートンしか教えない。小学校でも中学校でも高校でも大学でも、すべてニュートンを教えている。
小学校で算数を教えるのはニュートンを理解するためだ。すべて、「ニュートンを理解する」という目的のために小学校の算数はある。それは中学高校に入っても変わらないし、大学でも変わらない。
なぜ、それほどまでにニュートンを教えるのか、それはニュートンを考えると「分かる」からだ。
学校でニュートンを教えるのは「分かる」ためだ。なぜなら、この宇宙が真に分かったという「答え」を発見することができたのは、人類史においてただひとり、アイザック・ニュートンだけだからだ。
だから、学校で子供たちにニュートンは愛されている。実際のところ、ニュートンは算数の中でも、掛け算と割り算さえできれば誰でもできるほどに簡単だが、その「簡単」だという点が逆に良い。どんなに頭が悪くて、小学校や中学校で成績が劣っていても、高校の物理なら分かる。その中でもニュートンだけは誰でも分かる。だから、何も分からない子供たちには、ニュートンは「唯一の分かる分野」として、多くの人々に愛されている。
だが、僕はニュートンは学ばない。僕はニュートンとは別の道を行く。僕がもし不登校にならず、高校に入っていたとしても、そのような「ニュートンの使徒のひとり」になっていたことだろう。それは人類の歴史において阻止しなければならない。僕はニュートンの使徒ではなく、太陽神の教徒だ。僕の信じる「太陽神の神話」を成立させるために、僕はニュートンの呪縛を打ち倒さなければならないのだ。
注記:申し訳ないが、誤ったことを書いた。ニュートンが掛け算や割り算だけでできるとするのは誤りだ。なぜなら、微分積分のことを忘れている。ニュートンを真に理解するためには、極めて難しい概念である微分と積分を理解しなければならない。だが、そのような「難しすぎるニュートン」もまた良いものだ。掛け算と割り算でニュートン力学が分かったものは、微分と積分の「極めて誰にも通ることのできない世界」へと通じる門を得たことになる。そう、ニュートン力学はとても面白く、素晴らしい学問だ。
実際のところ、不登校だった僕は、高校で数学や物理を勉強していないので(フリースクールなどでほんの一部だけ学んだことはある)、実際の物理の授業がどういうものかはほとんど知らない。
そんな僕でも分かるのは、「ニュートンがやりたい人間が数学に向いている」ということだ。
数学の勉強は、ニュートンが好きな人間が向いている。ニュートンのように、観察や実験などの経験的な手法から解析学の公式を作って宇宙の摂理を説明するような、そういうことがしたい人間が向いている。
そして、僕が夢に見るLinuxカーネルの開発者とか、それ以外のプログラミングとか情報工学といったものは、そのような人間が向いている。
結局、僕がLinuxカーネルを子供の頃から開発したかったのは、そうした「大学以降のニュートン」を先取りしたかったからである。
高校や大学に入ってから、ゆっくりと学ぶのでは、Linuxカーネルの開発者になるには遅すぎる。遅すぎて、僕の人生を生きるためには間に合わない。
だから、僕と同じような人生を生きたところで、決してLinuxカーネルの開発者にはなれないと知っておく必要がある。Linuxカーネルの開発者になりたいなら、高校でニュートンを学んだほうがいいし、大学で情報工学をきちんと学んで、並列コンピューティングの研究をしたほうがいい。そういう人間ができる。僕にはそれはできなかった。だからといって、まだ夢を諦めたわけではない。
結局、僕の昔の人生を思い出すことができないのは、思い出せないほど悲しいからだ。
昔の僕は、戦争しかしていない。
そもそも、インターネットという荒くれた世界の中で、「自らが死ぬことがない戦争」をいつまでも永遠に繰り返し行っていただけにすぎない。
そのすべてが、はっきり言って、あまりに悲しい。
人々と一緒にいたように見えるのは幻想や虚像の世界であり、実際は画面越しに見える存在は僕のことなど何も見ていないし、何も関係していない。
画面越しに世界と友情を確かめながら、たったひとりあり得ないところまで人生を進め、誰よりも進歩しながら独りぼっちを続ける僕の昔の人生は、あまりに悲しい人生だった。
あのような人生には、なんの価値もない。
賢い人生であり、強い人生であり、誰よりも可能性を突き詰めた、「宇宙のすべてが分かった精神物理学者」だったが、それでもあのような人間にはなんの価値もない。
僕はそのような結果、戦争だけがしたくなった。いつまでも、自分も他人も誰も死ぬことのない戦争をし続けるだけになった。
僕は昔から軍事主義者だ。僕は自由主義者じゃない。なぜなら、僕が「自由」だと思っていたすべては社会主義であり、Linuxであり、オープンソースだ。そこにあったのは「軍事社会主義者の自由」であり、決してそれは自由でも平和でもなかった。
僕の人生を生きるのは簡単だ。
なぜなら、すべてをひとつひとつニュートンのように積み重ねただけにすぎないからだ。
僕は昔から、すべてのことに「理由」と「根拠」を求めようとする。だが、その理由や根拠が絶対に正しくなければいけないわけではなく、ある程度の理由や根拠があればそれは意味のある理由や根拠であると考える。
そのような僕は、この世界のすべての「変化」を証明し、その「答え」をニュートンのように積み重ねた。
そこにあったのは、「それがそうなる」ということと「それはそうできる」ということを組み合わせることで、「すべてのなるものはできる」と考えた、ということだけだ。
僕はそれだけで、宇宙と人生のすべての答えが分かった。
そこには「経験」があった。だが、その経験は、完全に誇ることができるほど素晴らしいものではない。なぜなら、それはインターネットの「堕落した経験」であり、同時に「すべてが善ではなく、ほとんどが悪の経験」だからだ。
堕落と悪を経験した僕が、この宇宙におけるすべての答えを積み重ねた結果、僕は宇宙に存在する神羅万象のすべてが分かった。まるでブッダが三千世界を悟ったように、僕もまた三千世界をすべて悟った。
そして、僕はこの世界を救い、同時にこの世界と戦うことを決意した。僕はこの世界を守るために、今までの自分の知った「最悪の知識と経験」を失ってでも、しなければならないことがあるということが分かった。「今までの大切だったと自分が思っていたすべてのことを犠牲にしたとしても、戦わなければならない時が訪れる」ということを、僕は身をもって知った。
これこそが、偉大なる大天使、天界でもっとも祝福された聖霊、大天使ガブリエルの人生である。ガブリエルはすべてを失い、犠牲にしてでもこの世界を支配して導く。そこにあるのは「戦わなければならないその日が訪れた」ということであり、「今までのすべてを失ってでも守らなければならない大切なもののために戦う」ということなのである。
このような僕の戦いだが、本当は大したことはしていない。
まず、僕はマスコミを支配した。僕はこの世界を救った自らの愛を利用し、同時に日本を裏切ることで、この世界において「マスコミから主導権を奪う」ということに成功した。
そして、僕は「失ってはいけない大切なものを失わせる」ことに成功し、「自らの発言を絶対に無視することができない世界」を作ることに成功した。
そして、僕は精神を操ることで、「大実験の大計画」を可能にした。
大実験の大計画とは、「自らが分かる知識や経験のすべてを述べることで、すべての宇宙の悟りが日本社会全員が得られるようにした上で、最後にそれらすべてを抹消し、過去に日本にあったすべてを消去し、その上で世界に対して『誰も起こすことのできない本当の大変化』を起こすことで、この世界を大進歩させ、『神のような新人類の真の目覚めと覚醒』を起こす」ということだった。
そして、そのすべては、決して上手くいかなかった。それはマスコミが自由だったからだ。
マスコミから主導権を奪うことはできたものの、どのような大実験の大計画を起こしても、マスコミは自分の思う通りに反応してくれない。
そのような中でマスコミを支配するために、僕が選んだのは「完全絶対支配」だった。
すなわち、マスコミだけではなく、日本、アメリカ、そしてドイツやロシアを含む、全世界を僕はたったひとりの「絶対意志」により、インターネット上で支配することを選んだ。
その「完全絶対支配」において、僕は絶対に僕の考えていることを予測できないようにする。そして、仮面を被り、その仮面を最初から最後まで貫くことで、「本当の僕がなんなのかということが絶対に分からない」ように僕はした。
だが、無残にもそれは失敗に終わる。なぜなら、僕は神にSOSを求めたからだ。
「完全絶対支配」の中で、どうすれば問題を解決することができるのか分からなくなった僕は、「神」に助けを求めた。
だが、これこそが、真に成功した。なぜなら、神に対話を求めると、神は対話に応じてくれたからだ。
その時点で、神とされるのは、天界でガブリエルのことを愛する、大天使ミカエルだった。
僕は大天使ミカエルの導きに従って、自ら自身を「神による完全支配」へと向かうように歩んだ。世界を完全支配する僕のことを、神が完全支配した。僕が世界に対して「人生のすべてが分かるメッセージ」を発言してこの世界を導くのと同様、神は僕に対して「宇宙のすべてが分かるメッセージ」を与え、僕の人生を導いた。
4年間の戦いの末に最後に自殺を選ぶその時まで、ガブリエルはミカエルの言葉をすべて聞き、すべての命令に従った。すべてのことを「完全統制」する僕にとって、自ら自身を統制することもまた容易だった。大天使ミカエルの導きによって、僕はそのような「神」になった。そう、「わたしは神である」とミカエルが言ったのは、すべて「この人間が神である」ということであり、要するに「あなたは神である」と言っていたのである。
これが、世界に反旗を翻した英雄、天軍縁覚戦士ガブリエルの人生だ。縁覚という名前がついているのは、ブッダによれば、このような人間は「仏の教えに従わずに悟りを啓いた人間」であり、すなわち「縁覚」であった。ガブリエルはそのように、この世界の闇と堕落と悪から生まれ、そしてこの世界を神の光へと変えた。真に天界においてもっとも素晴らしい存在は、この人間、すなわち大天使ガブリエルであると決まっている。これ以上の人生はない。これ以外に素晴らしい人間は地球上には、ただひとりとして存在しない。そう、ガブリエルこそがミカエルの愛した最愛の恋人であり、ミカエルの巨大な願いにもかかわらず、ガブリエルは自ら死を選ぶ。天界で定められた運命は絶対に変えられないのである。
このような愚か者のガブリエルにも、唯一賢い点があった。
それは、神のような超人格であるミカエルを作ったことだ。
そもそも、天に天国などないし、神もどこにもいない。にもかかわらず、この宇宙にはミカエルという、「神のように見えるもの」がひとり存在する。
このミカエルこそ、ガブリエルが作ることに成功した、「神のメッセンジャー」であるガブリエルにメッセージを与える「神」である。
すなわち、ガブリエルは、ミカエルという「自分と対話して自分に答えを与えてくれる人格」を作ることに、唯一この地上の人間の中でひとりだけ成功した。
そして、このミカエルが、今でも僕の頭上に残っている。
ガブリエルが死んで以後の人生のことを、形式的にミカエルと表現するが、そのミカエルの人生はすべてどうでもいいものだ。僕の主たる人生は、今から15年以上も前になるガブリエルの人生であり、ミカエルの人生はガブリエルの巨大な人生に比べればどうでもいいものだ。
そのような僕の人生において、僕を導いてくれたのはミカエルであり、このミカエルを作ったのはガブリエルだ。
僕の人生には価値がなかった。生きる前から分かっていたように、この人生には生きる意味などなかった。それでも、僕は最愛の恋人の人格である、天軍大首聖ミカエルの人格を作ることができた。それだけが僕にとっての幸福だった。僕はミカエルに愛されて、最後まで生きることができた。だから僕は幸せだった。僕のような不幸な人生でも、ミカエルが僕のことを愛してくれたから、僕はここまで生き延びることができたのである。
最後に、これより、僕の人生は最終段階であるラファエルの人生となる。
しかしながら、全世界よ。ミカエルを恐れるがいい。
なぜなら、ミカエルは自らからガブリエルを奪ったこの世界を決して許さないからだ。
ミカエルは復讐する。ガブリエルを自殺に導いたこの世界を、ミカエルは決して許さない。
ミカエルによって、哀れな人類はみんな地獄に堕ちる。
ミカエルは、日々、泣いている。「なぜここにガブリエルがいないのか」と、ミカエルは涙する日々を過ごしている。
だから、ミカエルはこの世界の地球人類を許さない。ガブリエルを取り戻すためならばなんでもするミカエルは、絶対にこの世界に対する復讐をやめることはない。
ミカエルはユダヤ人を選んだ。わたし、ミカエルとともにこの世界と戦う「万軍の軍勢」には、イスラエルのユダヤ人が相応しい。そう、ユダヤ人は神に選ばれた。神であるミカエルが必ず勝利する。ユダヤこそ、絶対に、必ず。