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2024-08-12

ピアノと英語がよかっただけ

今日は、朝起きた時に疲れがどっと押し寄せてきて、デザインの作業所に行くことができなかった。

だが、昼間まで寝て、疲れが取れて、少し、冷静に今の自分の問題を考えることができた。

僕自身、今までの人生は素晴らしい人生だったと思っている。

それは、執筆活動とデザインの仕事以外に、ピアノ教室や英会話教室があったからだ。

僕は子供の頃から、習い事として、ピアノと英会話と書道を習っていた。

引きこもり時代にブランクはあったが、今でもピアノ教室に通っているし、少し前までは英会話教室にも通っていた。

そこで言えるのは、ピアノと英会話が本当によかったということだ。

僕の人生の三本柱は、執筆とピアノと英会話だった。ほかのことは、学校で誰から習わなくても、自分で本を読んで学ぶことができた。

そう、執筆とピアノと英会話をやることで、僕はどんなに難しいことでも、自分の力で分かるような、そのような才能と能力を得ることができたのである。

最近、英会話に通わなくなって、僕は楽にはなったが、つまらなくなった。自分のできることを失ったような気がする。

今日も、父親に、「自分はできることが何もない」といったことを言って、父親を困らせてしまった。

だが、本当は、もう一度英会話教室に通いたいとは思っていない。それは、僕の病気の問題で、英会話教室に通っていると、僕は病気が治らなくなってしまうのである。

この病気は、アメリカ人になる病気であり、英会話教室に通っていると、僕はアメリカ人になってしまう。そのせいで、日本人の知性がつかなくなり、恐怖と疲れを伴う馬鹿の病気が治らなくなるのである。

英会話教室に通うのをやめたことで、そのような病気は治った。まともで普通の楽な頭になることができた。ほとんどの病気はそれだけで治った。

だから、英会話教室に再び通いたいとは思わない。それでも、僕の人生においてよかったのは、執筆とピアノと英会話だった。

デザインの仕事は、本当はやりたくない。それは、素材を使うだけに終始するデザインになってしまうからだ。僕はいつも、素材頼りのデザインをしている。たまに自分でデザインをするのは、最低限あるいは必要になった時だけだ。

だから、できたら、今のデザインの仕事を続けるのではなく、もっと何かしらまともな仕事をしたい。

そして、僕は最近疲れるようになった。年齢が30代半ばになったことが原因かもしれない。いつものように、いくら疲れてもいくらでもできるようではなくなってしまった。

それから、音楽は賢くないということが分かった。僕は英会話教室に行くのをやめたことで、ある意味、みんなと同じになった。そして、今音楽を聴くと、本当に音楽は賢くないということが分かった。

はっきり言って、音楽は、馬鹿な何もできない人間が適当なサウンドを鳴らしながら、適当な言葉を喋って歌っているだけだ。

それでも音楽は聴くが、実際、この世界とはなんなのかということが、よく分からなくなった。自分のできることは何もなく、あるいは、したいことやできそうなことすらなくなった。僕はもう何もしたくない。このまま人生が終わるなら、今すぐに、どこか別の星に行きたいと思う。

もう十分できたから終わりでいい

本当のことを言うと、もう、十分すべてのことができたから、もう終わりで構わない。

デザインの仕事はよかった。目の前にあることに本気になって、ただひたすら前を向いて、やるべきことを本気でがむしゃらにやるという経験ができた。

デザインの作業所のスタッフや同僚にも、よくしてもらえたし、本当に素晴らしい職場と素晴らしい仕事だった。

だから、僕はもう、この人生は終わりで構わない。

本当にいい人生だった。僕が不登校になってパソコンをやっていたのは、単に、大人になるのが早かったからにすぎない。みんなが高校のお勉強をやっている時に、僕はもっと大人の大学のIT技術とLinuxの研究をやっていた。あるいは、世界を変えることのできる最高の革命的哲学を作っていた。

だから、この人生はとても素晴らしい人生だった。

今思えば、その後の地獄も、必要だからあった地獄だったということが分かる。あの地獄の試練の戦いがなければ、僕は真に僕であるとは言えなかった。僕自身も、もう二度と生きたいと思えない地獄だったが、それでもその地獄は情熱的で、臨場感のある、成果の多い、素晴らしい過去の人生だった。

そろそろ、もう、このホームページも書く必要はないだろう。ほとんどの問題は修正して、これくらいの内容ならば許されるような内容になったのではないか。女から男になって、僕は楽になったし、普通のこともきちんと分かるようになった。あとは、神を信じ続ければいい。神を信じれば、僕は残りの人生を、イエス・キリストが言うように、心配なく普通に生きられるだろう。