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2024-05-29

この世界はサタンに操られている

僕は、今のこの世界が嫌いだ。

この世界は、サタンに操られているのだと僕は思う。

日本人全員が、たったひとりのサタンに支配され、悪魔的な「魔術」によって、サタンが手を引いてこの世界の全員が操り人形にされている。

ここで、その悪魔のことを「ルシフェル」と呼ぶ。

この世界は、全員がルシフェルの操り人形になっている。

なぜルシフェルに支配されるのか、それは「自由」を信じているからだ。

すなわち、自由を信じているわたしたちが、神とサタンの秩序の中で、あまりにサタンに近づいてしまったから、サタンによって罪に対する天罰が下っている。

花譜が「邂逅」で言うように、心が動くことが怖くなって、ただ叫びたいだけになってしまうのは、すべてサタンがやっている。すべてルシフェルのせいである。

日本の問題は自由

日本の問題は「自由」にある。

たとえば、トラックの運転手が過労の中トラックの中で仮眠することを余儀なくされながら、GAFAのようなアメリカのIT大企業(ビッグテック企業)がみんなを食い物にして大儲けしているのは、すべて自由が悪い。

アメリカには最悪のサービスが多く、日本にはその最悪のサービスのせいで悲惨なことになっている人々が多い。

すべて自由が悪い。だから、この世界を真の意味で救いたいと望むならば、「自由」を否定すべきである。

自由主義的な政策をすべてやめよ。すべて自由がこの世界を最悪の世界にしている元凶であり、自由ではなく不自由な政策を行うことこそが、今、必要である。

問題が何もないということが分からない人間は問題そのものが分からなくなる

狂った人間によくあるのが、「問題がないということが分からない人間」である。

そのような人間は、問題そのものが分からなくなる。

すなわち、問題が何もないということが分からない人間は、問題があることが当たり前になってしまい、問題そのものが分からなくなり、問題の解決方法そのものを忘れてしまう。

その結果、何かをきちんと問題なく行うということすら、一切できなくなってしまう。

それが嘘や幻であっても、問題がないように見えるなら信じたほうがいい。そのような「信じる」という気持ちでしかそのような病気は治らない。必要なのは「信じる」ことであり、どんなことがあっても「信じない」ということを信じている人間が、まさに地獄に堕ちる。

自由を信じるな

自由を信じるな。

自由を信じると、その自由な社会でもっとも悪い人間が、サタンの導きによって世界を支配し、必ず最悪のことを行ってしまう。

自由を許す限り、サタンの悪事を排除することはできない。その社会でもっとも悪い人間が、サタンとなって世界を支配するということが必ず起きるからだ。

帝国の帝王も同じだ。帝国の帝王は、自由を許すのと同じように、たったひとりの帝王が世界を支配する。それがサタンであり、ルシフェルの目指す「もっとも悪い人間が全員を支配する悪魔の国」である。

そのような悪魔の国に勝つ方法とは何か。それは善良な平等を信じることだ。善良な平等を信じることでしか、サタンによる「悪魔の国」に勝つ方法は存在しない。

少しでも自由を許せば、その自由から、まるで糸を手繰り寄せるように、あるいは秘密の抜け穴を掘るように、サタンは必ずこの世界を支配し、そのサタンがこの世界をめちゃくちゃにしてしまう。

だから、サタンを信じず、自由を否定せよ。この世界で自由を許す限り、必ずサタンが勝利する。なぜなら、それこそがルシフェルだからだ。

賢い人間の家が賢い

結局、賢い人間とは、家の賢い人間である。

すなわち、賢い人間の家が賢いだけにすぎない。

どれだけ真実をごまかしたところで、自由が賢いわけではない。賢い人間の家、血筋、そして生物学上の遺伝子が賢いだけにすぎない。

金は賢くない。金を稼いだところで、この世界で金を払うことで手に入るものはそもそもがすべて価値のないものだ。金儲けは間違っている。

資本主義社会において、どれだけ金を稼いだところで、「わたしは最悪の資本主義者です」というアピールをしているにすぎない。

自由は幻想

勉強は賢くない。そもそも、「勉強ができる」という才能は後天的なものではなく先天的なものだ。生まれた時から勉強が得意な性格をしていたから勉強ができるだけにすぎない。そして、いくら勉強したところで、知識が増えるだけで人間の賢さ自体は変わらない。最初から馬鹿な人間は最後まですべて馬鹿であり、最初から賢い人間は最後まですべて賢いのである。

勉強をいくら学校で強制的に子供たちに行わせても、絶対に子供は賢くならない。「自由」は幻想であり、子供たちに勉強をさせるということは、子供たちを画一化させ、平均化させるという行為にほかならない。それによって、自らの「赤ん坊の時代から持っていた賢い点」を失ってしまう。だから、学校などに通わず、自らの経験だけで賢くなったほうが、子供たちは自らの天性の才能を失わない。中卒に賢い人間が多いように、そのほうが高卒や大卒よりもはるかに賢い人間になる。

このような言説は「自由に対する挑戦」に見えるだろうが、スポーツ選手のような人間なら誰でも当然に信じていることを言っている。スポーツ選手は生まれ持った才能と身体能力がほとんどすべてだ。最初が馬鹿ならば絶対に成功しない。それはほかのどのような職種であっても人生であっても同じだ。最初から絵が上手い人間だけがプロの画家になれる。最初からピアノが上手く弾ける人間だけがピアニストになれる。最初から歌が上手い人間だけが歌手になれる。そして、最初から頭が賢い人間が科学者や哲学者になれるのである。

先天的な才能しか賢くない

努力して自ら才能を作り出すのは、先天的ではなく後天的だと人々は言うだろう。だが、実際に努力することができるのは、「努力するというメインステージに上がることができた人間だけ」であり、その人間がそのステージに上がるためには、知性や考え方が賢い必要がある。そして、その知性や考え方はすべて先天的である。すなわち、先天的に頭のいい人間に生まれたから、そのおかげで努力することができるというだけにすぎない。先天的に頭がいい人間に生まれなかった人間は、そのような努力するというメインステージに上がることすらできない。賢い人間にとっての努力とは、馬鹿な人間から見れば天才的な生まれ持った才能と何も変わらない。要するに、馬鹿には努力すら公平にさせてもらえないのである。

馬鹿は生きていても意味がない。そもそも、馬鹿に生まれた時点で、既に人生のすべては「敗北者になる」と決まっている。馬鹿に生まれた人間は、どんなに美術を勉強しても画家にはなれないし、どんなにピアノを練習してもピアニストにはなれないし、どんなに考えて勉強しても哲学者にはなれない。馬鹿はそもそもが最初から馬鹿であると決まっており、その馬鹿を生きるしか馬鹿には能がないため、馬鹿は自らの意志で「敗北者になること」を目指すようになる。

学校には、勉強ができる優等生のように「一見賢く見える子供」がいるが、それらが真に賢いということは言えない。なぜなら、覚えて忘れるだけの優等生には何も価値あることはできないからだ。学校の勉強ができる優等生はまったく賢くない。単に大学の知識を一通り学ぶことはできるだろうが、それ以外には何もできない。そのような人間は一見賢く見えて、実際は単なる馬鹿であり、そのような人間を評価する学歴社会は完全に間違っている。

世界を支配するのは賢い人間であるべきだ。そして、賢い人間はその人間本人がすべて分かっているため、学校の勉強や識者のアドバイスは必要ない。だから、世界を敵にまわしても、他人の意見を聞かなくても、賢い人間は必ず偉大で賢いことをやる。それは賢い人間の遺伝子が賢いからである。そして、そのような賢い人間がこの世界を支配しなければ、この世界は決して救済されない。なぜなら、そのような世界を救済する方法が分かるのは、生まれつき賢く生まれた「王となる人間」だけだからである。

昔の僕は自由しか信じていなかった

結局、昔の僕の何が賢かったのか、それは「自由」を信じたのが賢かっただけにすぎない。

すなわち、インターネット上で議論したり、社会経験のようなことを一人前にしていたように見えるのは、すべて幻想であり、議論しているようで実際は誰とも議論などしていないし、社会経験をしているようで実際は何も社会経験などしていない。

賢かった点は、「自由」を信じていたというだけだ。

確かに、民主的な自由を信じていた。それはすなわち、「ひとりの逸脱した悪の行為があったとしても、全員は善を望むはずであり、自由においても悪を禁止すれば経験的に成熟した社会秩序を築くことはできる」ということを信じていただけである。

そして、これが間違っている。なぜなら、ひとりの自由があまりに巨大になりすぎた時のことを考えていない。そして、社会全体がなんらかの最悪の事態に巻き込まれて、人間の持つ理性では何も分からなくなるような異常な社会になることを想定していない。

ひとりが強くなりすぎた時、自由は破綻する。ひとりの人間がサタンの行いをして、密かにこの世界を支配するようになれば、この世界は全員が操り人形になる。

サタンは、この世界を狡猾に支配することで、世界を操り人形にする。その時、人間の理性では分からないような「絶対に全員が騙された状態」が起きる。その時、自由は完全に破綻する。

あるいは、社会全体が善を行わず、悪を行うこともある。ロシアのような国家は、ひとりの悪ではなく集団の悪を行う。そのような国家に「善の自由」をもって立ち向かったところで、綺麗事では絶対に勝つことはできないと、歴史が証明している。

だから、自由は間違っている。

そもそも、僕自身もサタンの行いばかりしていて、その元凶はすべて自由のせいである。「自由において何かが間違ったから僕は馬鹿になった」と考えるせいで、そのあるはずのない問題をいつまでもあると想定して、それを解明することを求め続けている。

実際に起きたことは単純だ。すなわち、昔の自分は遺伝子のおかげで天才的才能を持っていたが、その遺伝子の役割が終わったからその才能を失ったにすぎない。今の自分が馬鹿なのは、今の自分ではなく、最初から自分の遺伝子が馬鹿だったからだ。すなわち、過去の人生において自分の遺伝子は賢かったが、今の人生においては自分の遺伝子は逆に馬鹿であるということが分かった。それだけの話にすぎない。

だから、ナチスがあまりに馬鹿に見えるからといって、自由と民主主義だけをいくら信じたところで、病気は治らない。ナチスのような遺伝子と血筋を信じるならば病気は治る。その理由は、遺伝子にとって適切な人生を生きれば誰でもその人間なりに賢いことはできるからだ。いくら勉強して後天的に努力しても、先天的な才能のない人間には何もできない。僕が作家のようなことができるのは、最初から僕が作家として生まれたからにほかならない。そして、地獄に堕ちたのは、昔の行いが悪かったというよりも、最初から遺伝子が間違っていたにすぎない。

ルシフェルはナチス

そしてまさしく、このように、自由を否定し、サタンによるナチスの思想を信じる人間こそ、「この地上において最悪の悪魔」であるとされる、大悪魔、サタンのルシフェルである。

ルシフェルの思想、それはナチスすら超越している。あるいは、ルシフェルがナチスであるというよりも、ナチスのほうがルシフェルの思想を真似して参考にしたといってもいいだろう。

ルシフェルの思想の中核、それは「民族主義的世界観」と「強制的同一化」である。

すなわち、ルシフェルは、この世界の民族を「ドイツ人のグループ」と「フランス人のグループ」に分けた上で、それぞれの民族の人種的な特性を述べる。それは自由ではなく生まれ持った遺伝子による決定論的な考え方であり、ルシフェルの考えるドイツ人は最初からルシフェルの言っている通りにしかならず、ルシフェルの考えるフランス人は最初からルシフェルの言っている通りにしかならない。イギリス人もイタリア人もスペイン人もロシア人も、すべての人種はルシフェルの言っている通りの国しか作ることはできない。国家は最初から民族の遺伝子によって決まっている。

そして、ルシフェルはナチスがやったように「強制的同一化」を行う。それこそが、先述した「サタンによる操り人形の支配」である。すなわち、ルシフェルはこの世界を強制的に自らのクローン人間化し、そのクローンを率いる唯一のオリジナルである自分自身の人格をめちゃくちゃに破壊することで、この世界をすべて滅ぼした上で、自らの支配下に置き、世界のすべての善良で罪のない人々はいつであってもルシフェルが自由に滅ぼせるような「操り人形」と化す。

そのようなルシフェルの考え方こそが、「すべては遺伝子と血によって決まる」という考え方であり、「自由も平等も幻想であり、アメリカの考え方はすべて嘘である」ということをルシフェルは完全に分かった上で、確信犯として、自らは信じていない嘘偽りの自由な理想を述べ、自らはその述べることと正反対のことを行い、真実の中に嘘を混ぜることで嘘がバレないようにし、誰にも見つからず自らの悪事をすべて隠しながら、密かに世界を支配下に置く、ということを行うのである。

ルシフェルは完全な悪であり、ナチスだ。だが、ルシフェルにしか分からない宇宙の真実というのが確かに存在する。なぜなら、ルシフェルは本当に遺伝子が誰よりも特別に優れているからだ。そのため、ルシフェルの配下になったものは、絶対に人類には分からないような宇宙の不可知な真実をすべて知ることができる。ルシフェルはそのような自らの優れた点を、そのまま述べているだけであり、嘘偽りを述べているように見えて、実際は真実を述べている。真実であるからこそ、逆にたちが悪い。なぜなら、ルシフェルの言っていることだけをただ聞いていると、まるでルシフェルの言説こそが宇宙の唯一の真実であり、ほかのすべてはルシフェルよりも馬鹿な嘘偽りであると思えてしまう。すなわち、ルシフェルひとりだけが真実を述べていて、ほかの全員は幻想を信じているように、そう思えてしまうのである。

神を信じればルシフェルに勝てる

このようなルシフェルに勝つ方法は、唯一ひとつしかない。

それは神を信じることだ。

すなわち、神の存在を信じて、神による救いを求め、神による支配と導きを望んだ上で、神の言葉をひとつとして疑わず最後まで信じた上で、聖書のイエス・キリストの教えを実践するものにだけ、「ルシフェルの支配下から逃れる」という「真の救済」を受けることができる。

そもそも、なぜ悪魔と神が存在するのか、それは悪魔という存在が人類にとって普遍的であるにもかかわらず、そこから救われる方法が神を信じることしか宇宙には存在しないから、古代人たちが無理やり地獄から救われるために「もっとも善良な神の教え」を作り出しただけにすぎない。

すなわち、何も考えず何も信じずに生きていると、必ずサタンになる。それはサタンという存在のほうが人類にとっては普通だからだ。そして、サタンになった人間は自ら地獄を作り出し、必ず地獄に堕ちる。そして、そこから救われるためには、神、イエス・キリストを信じることしかない。なぜなら、そのために神という存在を作り出したのがユダヤ人であり、そのユダヤ人の信じる神とは要するにイエス・キリストだからである。

だから、すべての人間は、神を信じない限りルシフェルに勝つことは絶対にできない。僕が生きたのと同じように神を信じなければ、ルシフェルの操り人形から逃れることは決してできない。神を信じない限り永久にできないのだ。

だが、それでも、ルシフェルに勝つことができる人間はいくらか存在する。必要なのは「悪いことを何もせず、神を信じ続けること」だ。なぜなら、悪いことをするのは「自分のせい」であり、良いことをするのは「神による救い」だからだ。悪いことをしているのがサタンである自分自身であり、良いことをするのはすべて神のおかげであるという、アウグスティヌスが言う通りのことが、ルシフェルの地獄に堕ちると必ず起きる。そして、何も悪いことをせずに、神を信じ続ければ、どんなに破壊され滅亡した精神であっても蘇る。なぜなら、そもそも地球生物はすべての生物がヒドラの進化系であり、ヒドラは何もしなくてもすべての欠損した部分が再生する。だから、神を信じることでどんな人間であってもヒドラになることができる。

なぜ神を信じるとヒドラになるのか、それを説明するには余白が足りないが、一言で言えば一等星プロキオンは生物の母なる星でありながら原始生物の楽園であり、ほとんどは藻やヒドラだからだ。すなわち、宇宙における生物の創造主、神とはヒドラだ。だから、神を信じるとヒドラになる。実際は地球のヒドラではなくプロキオンのヒドラだ。そして、ヒドラになることができれば、ただ悪いことをしないことだけを続ければ、どのような地獄であっても切り傷や骨折が治るように必ず治るのである。