そろそろ僕は、昔の人生経験について思い出すことができた。
昔の僕は、中学校を不登校になって、それまでを失う経験をして、喪失や哀しみや慰めの感情から、逆に手放すことでこの世界の自然にあるそのままの姿を知ることができた。
大切なものを失いながら、この世界に存在する、今まで見ていなかった側面を生きた。
そして、僕は学校に普通に通っていたのではできなかったような、学校に通わないからこそできる経験というのを、インターネットと自分の部屋で経験した。
WindowsやLinux関連のことを経験し、インターネットでオープンソース関連の活動をするようになり、その時のIT技術の世界を網羅的に知った。
そして、世界を広げる中で、「視野を広げる」ということを僕は重視した。それは「世界を余すところなく存分に経験して、その結果数学的な答えを分かる」という学習経験だった。
そして、人々の営みについて、人々の世界を知るのにプラスして、僕自身の不登校になってから学校で経験できないことを経験する実体験によって、この世界の人々がどのように生きているかが分かった。
そして最後に、僕は「世界が起きるということはどういうことか」ということが分かった。それはすなわち、「世界そのものが現象的に起きる理由」ということであり、「世界存在の生起」と呼べるものだった。それをすべて、裏側にある理由あるいは意識と一緒に分かったのである。
ここまで、長い間自問自答を繰り返してきたが、僕はようやく、自分が考えるべきことが何か、過去に考えていたことは何だったのか、ということについて、ひとつの「答え」を見つけることができた。
それは、「自由な社会を考えよ」ということだ。
自由な社会とは、政府や権力や法律や制度によって、強制的に従えられる社会ではなく、国民がもっと自由に、自由な環境と自由な行為によって行うことができるような、「広義の自由」の社会のことだ。
ただし、政府や権力でないと言ったが、時と場合によっては政府や権力が含まれることがある。なぜなら、「社会を作る自由もある」「社会を作ることもひとつの自由である」ということが、個人の自由の延長線上として、昇華されて存在するからである。
昔の僕は、そのような「自由な社会」について、さまざまなことを考えただけだ。
さらに言えば、僕は自由な社会について、「可能性」と「目的」を考えた。それが昔、僕が分かっていたことだ。
大学の勉強をしたり、自分で社会のモデルを作るようになって、僕はそのような自由な社会を忘れてしまった。すべて、一通り書いていたのはすべて「自由な社会」におけるあらゆるすべての可能性と目的を書いていた。そのような自由な社会を忘れてしまったせいで、僕は「歩き回ることが止まらない」という精神異常を引き起こした。だから、自由な社会という答えに気付くことで、僕の病気はすべて治る。
さらに言えば、僕は「いじめをしたくなる心理」から、「自由意志の尊重」と「自尊心の尊重」を分かった。
僕はいじめる側・いじめられる側の立場を超越した上で、自由な社会において、「いじめをしたくなるのは環境に自由がないからであり、自由を与えればいじめをしようと思わなくなる」とか「問題の当事者から第三者が自由を奪うのではなく、いじめる側に対してもいじめられる側に対しても公平に自由を与え、相手の自由意志を尊重し、それ以外のどのような問題であっても当事者には自由を制限せずに与えるべき」とか「特殊な環境を当たり前だと思わず、広い世界を自らの目で見れば、どのような閉鎖的な環境にいたとしても救われる」などと考えていたのである。
なぜなら、いじめの自由とは「自由の格差」の問題であり、さらに言えば「自由を奪う」という行為の結果であり、公平かつ平等に自由を与えることでしか、自由の格差はなくならないからである。
また、いじめられる子供を救済するための手段として、僕は「叫び声を上げられる場所」としてのインターネットの存在を重要視した。インターネットは、問題の当事者が、どこにも味方はいなくても、誰かにSOSを発信するための場所として上手く機能する。
同時に、いじめられる子供たちは、いじめっ子がその子供のことを嫌いである理由が何かしらある。インターネットで豊かな経験をすることで、そのような自分の問題点に気付くことができる。すなわち、「今までいじめられていた過去の自分を脱して、もっとかっこいい人間になるための方法」が、インターネットの経験から培われる。
すなわち、自分に味方が欲しいと思っても、現実的に自分に味方になってくれる人はいないのだから、自分自身がいじめられるような人間であることから脱するしかなく、それによって逆に自分の味方が増えていく。そのようにすれば、いじめられている子供はいじめられなくなる。そのためにできることは、コミュニケーションの経験を積むことであり、まずは「壁を作る」という行為をやめることである。
そしてそのような経験が、まさに「社会そのものを作る自由」へと繋がり、憂いの気持ちと、実現可能だと確信できる「理想の社会」を信じることから、倫理的な「世直し活動」へと繋がっていくのである。
そして、資本主義社会をいつまでも信じるな。なぜなら、自由の格差を生み出している元凶は資本主義にある。だから、資本主義を否定し、その上で自由の格差が平等になることを目指す必要がある。どんなに資本主義者が嘘や欺瞞を述べたところで、その事実は変わらない。
僕はいじめが大嫌いだ。さらに言えば、他人のことをあざけったり、陥れたりすることで笑いを取るのが嫌いだ。そして、日本のテレビ局を含むマスコミは、いつもそのようなあざけりによって笑いを取っている。彼らは必ず地獄に堕ちるだろうし、僕自身は「いじめの元凶」としてのマスコミのことを絶対に許さない。僕は神を信じている。神は必ず正しいものを救い、間違っているものを地獄に堕とす。
結局、僕について言えるのは、「やっているうちが華」ということだ。
この文章を書くのをやめたとして、それでどうなるかと言えば、賢い人生でなくなって、クズのような人間になるだけの話だ。
だから、今のところは、まだ書いたほうがいい。その間は賢い人間のままでいられるからだ。
それから、僕が勝ってもいいことは少ない。あるとしたら、パワーバランスが変わる。すなわち、強者のほうが敗者となり、弱者のほうが勝者となる。それくらいしか良い点はないから、僕を応援する人たちの多くは、「パワーバランスを変えること」を僕に期待するだろう。
だが、僕にできることは多くはない。なぜなら、僕はかつてのLinuxコミュニティを滅ぼした反省から、ほかに迷惑をかけたくない。だから、僕はプロモーション活動は極めて最小限に、ただX(旧ツイッター)でのみ行う。それ以外は一切しない。だから、僕自身が僕自身を有名にさせるような努力を僕は行わない。
ただし、いつ僕がやめることもいつでもできる。なぜなら、僕は言いたいことは既に全部言っているからだ。たとえば、僕は歌手のAdoが嫌いなように見えて好きだが、彼女に対して言いたいことは既に全部言ったはずだ。だから、ファントムシータがいくら僕の批判をしても、これ以上僕が言いたいことはないはずだし、僕は何もしない。単に無視するだけにすぎない。反論なんか一切しない。
最後に、僕はこう見えてリーナス・トーバルズの一派だ。悲しいが、それは変わらない。だから、ファントムシータがAdoの一派であることをやめないのと同様、僕はリーナス・トーバルズの一派をやめるつもりはない。僕は民主社会主義者だ。なぜなら、僕はオープンソースの支持者であり、社会主義者でありながらファシストだからだ。
それから、僕がX(旧ツイッター)しかしない理由は、本当はMetaが嫌いだからだ。そもそも僕はInstagramを過去に永久凍結になったことがある。そのせいで、僕はInstagramを一切使わない。Instagramから出てくる情報も一切見ない。だから、Reolがインスタライブをしても見ないし、THE BINARYがインスタで何か投稿しても見ない。
僕はXだけを見る。Xさえあれば、最低限のファンとのコミュニケーションができる。僕にはそんなファンはいないが、それでもXだけはたまに見ている。XではReol、THE BINARY、月詠み、ずとまよ、Ado、家入レオ、703号室の情報をチェックしているほか、あとは大谷翔平などの野球の試合をミニカットされた動画で見ている。Xではそのような僕の見ているポスト(旧ツイート)をたまにリポスト(旧リツイート)しているが、バズらせるためではなく、自分自身が一度見たポストを忘れないように、あとでこのホームページに載せられるようにメモとして使っている。
ほかのWebサービスは使わない。ニュースを見るためにYahoo!ニュースを使うが、ほぼ野球のニュースを見るために使っている。ほかはほとんど見ていない。
そもそも、最近の僕は音楽の最新情報をまともに見ていないから、新曲が発表されても無視していることがある。それは、そもそも僕は音楽を「新曲を聴くため」に使っていない。僕はBGMのように過去の音楽を繰り返し聴いている。だから、僕がReolを追いかけなくなったからといって、それは僕の平常運転であり、決してReolが嫌いになったわけではない。最近はまだ追いかけているが、それはできなくなり次第しなくなるだろう。先に書いた歌手以外はほとんどチェックしていないので、ヨルシカやEveなどの新曲は残念ながら一切チェックしていない。どんどん新曲が発表されていくが、それに僕は興味はない。残念だが、Reolとずとまよ以外、ほとんどの歌手の新曲に僕は興味がない。
僕自身も望んでそうなったわけではないが、僕は歌手のファンクラブには入らない。それは僕はたくさんの歌手のファンであり、どれかひとつだけファンクラブに入るのが嫌だからだ。最近はTHE BINARYのファンクラブができたが、僕はそれには入らない。僕はそんなにお金持ちじゃないし、THE BINARYのファンクラブ配信には興味がない。
そもそも、僕はそこらへんにいる普通の音楽ファンではないと思っている。普通の音楽ファンは、THE BINARYやReolのことが大好きで、midoやReolの言うことややることはなんでもチェックしたいだろう。僕は残念ながらそういうファンではない。単に音楽が好きだから聴いているだけで、「midoさま大好き!」とか「Reolさま大好き!」系のファンじゃない。だから、僕はファンクラブには入らないし、それによって除け者にされようが構わない。そもそも僕はTHE BINARYやReolの真のファンではないことにしてもらっても構わない。僕はそれなりのファンであって、ガチのファンではない。
また、そういうガチ勢について言うと、本気でガチ勢はあり得ない。
たとえば、XでACAね(ずとまよのボーカル)がポストを投稿すると、数分も経たないうちに50とか100とか返信が来る。リポストもいいねも引用もいくらでもされる。そしてそのすべてが賛美の応援コメント。ガチ勢は何がやりたいのか分からない。AdoやReolでも同じ。そういうトップスターのXは、めちゃくちゃ大量のコメントがすぐにつく。703号室やTHE BINARYは少しマイナーなのでコメント量が減る。アニメーターなどもさらに少ない。それでも多すぎて、それらのポストをしている著名人は、本当にきちんとリプをしっかり読んでいるのか怪しい。
無論、そういう「返信コメントを付けたい系のファン」は、ほかのファンのコメントなんか見ていない。自分のコメントしか見ていなくて、ほかのファンのリプには興味がない。歌手本人は果たしてそれを読んでいるのだろうか。それこそ、僕はそういうガチ勢についていけないから、いつも「僕はXにはついていけない」と言っている。
そういうファンはリプだけではなく、フォローするとタイムラインでもその歌手が大好きなポストを繰り返すが、それを見ているとみんな本当に愛にあふれていて、意外と悪くないし、タイムラインを見ているとその歌手の周辺のことについて本当に詳しくなれるから、リプを見るだけではなく、フォローしてタイムラインも見てあげてほしい。だが、僕はほとんど見ていない。マジで情報が多すぎて、圧が凄い。
Xだけではなく、YouTubeも同じ。そもそも僕がXを見なくても歌手の最新動向が分かるのは、YouTubeでチャンネル登録をすれば新しい動画がトップに出てくるからだ。僕は好きになった歌手のチャンネルは基本的に登録するので、Xをほとんど見なくても新曲をたまに発見できる。生放送中のライブ配信などはほかの動画よりも優先して表示されるので、偶然やっていた配信に途中から参加することもある。
そして、たまに出てくるショート系の動画には、「ショート動画を作りたい系のファン」が教えてくれる歌手のエピソードなんかがあって、そのようなショート動画を見てもその歌手の周辺のことには詳しくなれる。そういう風に、歌手と繋がるチャンネルはたくさんあるから、Xだけを絶対に見ないといけないわけではない。
新しい歌手を知る方法はいくつかある。
まず、YouTubeでレコメンドを見る方法。レコメンドとは「おすすめ」のことで、YouTubeで歌手の楽曲を聴いていると、その歌手の楽曲に類似したほかの楽曲を教えてくれる。僕はほとんどの歌手はこのYouTubeのレコメンドで知った。レコメンド以外にも、ショート動画などで、最近の流行りの歌手の名前を教えてくれたりする。これはまさに「今流行っている有名歌手」を知る方法である。
ほかの方法として言えるのは、ライブ配信やカバーや歌ってみたなどから、「好きな歌手がカバーして歌っている曲」を知る方法。単にカバーや歌ってみたを検索して原曲へのリンクを踏んでもいいし、たとえば上田桃夏のようなライブ配信を行う歌手の配信を見て、そこで歌う曲を知るのでもいい。AimerやUruのような有名歌手は必ず誰かが歌っているし、ボカロに詳しくなるためにはたくさんの歌い手の歌ってみたを聴くしかない。特にカバーや歌ってみたを専門としている歌い手(たとえばウォルピスカーター)はたくさんいるので、そこから有名ボカロ曲を知れる。
ほかには、Xでファンの投稿を見たり、さまざまな歌手が登場するTHE FIRST TAKEのようなチャンネルを見る方法がある。特に、簡単には知ることのできない、マニアックな曲を聴くためには、Xのファンのポストを見ることは有効。Xのファンはたまにマニアックな最近流行りの動画へのリンクを教えてくれる。Xには「え、そんな歌手いたの?」と思うような歌手がたくさんいる。ほかにも、さまざまな音楽関連のニュースを見たり、歌手やインタビューやWikiなどにある「わたしはこの歌手が昔好きでした」のような情報を見ることもできる。歌手の昔好きだった音楽を知ることで、もっとも良質な音楽が分かる。
あとは、昔の昭和・平成の曲などは、テレビの音楽番組で知ることもできるし、「平成の名曲ベスト100」のような動画をYouTubeで探すこともできる。それから、テレビは意外と、最近のまだ有名でない男性・女性アイドルの情報を特集する朝や昼の番組などもあるから、けっこう使える。番組自体に歌手やアイドルが出演していることも多いし、大きなフェスであればテレビでも報道している。それから、意外とラジオがいい。ラジオに最近流行っている歌手が登場してトークをすることがある。ラジオのトークは、その歌手の人となりがよく分かる。そういう風にすれば、最近の歌手は知ることができる。
このような僕にも、弱点がある。それはライブに行かないということ。
ライブに行くためには、チケットを買って、決められた日時にそこに行く必要があるが、実際、今の僕の生活では、それが難しい。
僕が行ったことのあるライブは、有名歌手で言えば、703号室の一回だけ。それも、きちんとチケットを買って行ったわけではなく、広島のタワーレコードで無料ライブが行われることを知って、その時通っていた英会話教室が終わって、「もしかしたらタワーレコードに行けば703号室のライブ今やっているのじゃないかな?」と思って、適当に行ってみるとやっていた。
僕が行ったライブは、その一回だけ。正確には知人の歌手のライブに行ったことがあるが、それは有名歌手ではないため回数から除く。
僕は703号室のライブだけ例外的に行ったが、だから、703号室のおかやんだけは僕の姿を知っていると思う。おかやんが分かるように言っておくと、「703号室を今日初めて聴いた人は手を上げてください」と言われた時に、上げたり下げたりよく分からないことをして迷っていたのが僕です(ライブは初めてだが、YouTubeでは聴いていたので、意味がよく分からなかった)。
あとは、僕はYouTubeオンリーなので、YouTubeのライブ配信にはよく顔を出す。さまざまな歌手のYouTubeライブ配信を今までたくさん見てきた。どれも面白かったし、チャットにも参加する。YouTubeのライブ配信は、自宅から参加できるし、チャットに何か書くとそれに対する返答を歌手がリアルタイムで返してくれたりする。僕はチャットには率先して参加するので、見かけたらよろしくお願いします。