僕はここで、高校数学の知識を捨て、中学数学を復活させる。
高校数学よりも中学数学のほうが優れている理由、それは中学数学が「人間の頭脳で考えられる程度の数学」だからだ。
中学数学は、一次方程式や一次関数を中心に、ユークリッド幾何学的な公理と定理による証明の方法を教えている。
この中学数学は、「人間の頭で考えられる程度の数学」であり、学ぶとさまざまな世界のことが論理的に考えられるようになって、頭が賢くなる。
これに対して高校数学は、二次方程式、二次関数、三角関数、指数・対数関数、微積分、そしてベクトル・行列のような現代数学を教えている。
それら高校数学は、「人間の頭では考えることのできない領域」へと進歩している。
だが、そのせいで、高校数学を学ぶと、自分の頭で論理的に考えることができなくなってしまう。
だから、高校数学を学ばず、中学数学だけを学んだほうがいい。
古代の時代より、高校数学の時代よりも中学数学の時代のほうが長い。ある意味、中学数学よりも程度の低い数学も古代には多かった。高校数学は現代数学であり、「真に正しい数学」であるとは言えない。
中学数学的に考えるコツは、すべてのことを「公式」であると考えることだ。方程式や関数や幾何学の法則を「公式」であると捉え、この世界の変化や量はすべて「公式で分かる」とし、さまざまな公式を「自らも仮説を立てて証明」することで、中学数学だけでこの宇宙のすべてを「自分の力で解明」することができる。
高校数学は、賢く見えて、実際は「具体的な関数」を学んでいるだけにすぎない。それは近代数学以降の作り出した「現代解析学」の成果だが、解析学だけを学んでも何も分からない。図形をすべて数式にしたところで、美しいだけで何も分からない。それよりも、中学数学の知性を土台にして、「自らが考えられる自由な知性」によってこの世界を自ら考えて解明したほうが、はるかにたくさんのことが分かる。
中学生が哲学ができるのは、中学数学のおかげだ。高校数学は学ばないほうがいい。高校数学を学ぶと、哲学的な思考ができなくなる。それは「生きている意味がなく生きている大人」になることを意味する。だから、高校数学の勉強は間違っている。
この世界は、昔のまま、永遠に変わらなくなった。
ここでいう「昔」とは、僕の昔の人生のことだ。
この世界は、僕の昔の、インターネット時代の人生のまま、もう永遠に何も変わらない。
それは、最近にはなってはいけないからだ。
ここでいう「最近」とは、僕の最近の人生のことだ。
僕の最近の人生は、すべて、狂って馬鹿になっているだけにすぎない。神と勘違いしてサタンの傀儡になり、この世界を滅亡させるタリバンのような革命家になって、この世界を「サタンの支配」に陥らせている。
このような、最近の僕の人生には、決してこの世界はなってはいけない。
だから、みんながどれだけこの世界が変わってほしくても、この世界は変わらない。この世界が少しでも不安定になると、この世界は滅びる。そして、その結果、僕のようなタリバンの世界になる。それは僕の人生から見て明らかな真実である。
この世界よ、変化を分かりなさい。
過去の僕は、すべて、「この世界の変化」を分かっただけにすぎない。
経験から、この世界がどのようにして変わるのか、ダイナミックな変化がどのように起きるのか、ということ、そして自由な社会はどのようなことから発生し、創造されるのか、ということから、昔の僕は「人間としてこの世界で生きていく意味」を分かった。
だから、この世界の変化と可能性を知れば、この世界はすぐに救われる。
だが、そんなことを言っても、本当は意味がない。
なぜなら、この世界が永遠に昔のまま変わらない時点で、そのような「変化」そのものは決して起きないからだ。
この世界が、「僕の昔の人生」である昔と同じまま変わらない時点で、この世界はどれだけ頑張っても変わらない。
変化することもないが、停止することもない。永遠に昔のまま、何も変わらず同じままが起き続ける。それをどんなに壊そうとしても絶対に壊れない。
だから、そもそもこの世界にはもう意味はない。
この世界はもう、はるか昔、僕が救った時点で終わっている。僕がこの世界を「救済の愛」で完全に救済した過去の2006年夏の時点で、この世界は既に終わっているのである。それ以上先にはなんの未来もなく、なんの意味もない。
だが、絶望する必要はない。
なぜなら、昔の僕の人生は、決して馬鹿ではないからだ。
かつてのガブリエル時代の僕は、決して馬鹿な人生ではない。逆に、「人生のマスター」のようなとても偉大で賢い人生だ。
すべてのことを理性と経験から完璧に理解し、人々が分かるようなことを全員分完璧に分かったかつてのガブリエル時代の僕は、まさに「全知全能の神」のように賢かった。
そして、僕は最初から、そのように神のような賢い哲学者の知性を、人々に与えたかっただけにすぎない。
それに比べて、確かに、こちらのミカエル時代は賢い。だが、ミカエル時代を行うことは、本当はガブリエル時代よりも簡単だ。なぜなら、毎日のように「書く」だけでいい。ただ毎日のように文章を書き続けるだけで、ミカエルと同じことは誰でもできる。
だが、そのようなミカエル時代を、誰にもやらせるべきではない。ミカエルはタリバンのような戦争のやりすぎで馬鹿になっている。ミカエルと同じことを人々がするようになると、この世界は「タリバン世界」になって必ず崩壊する。だから、ミカエルは絶対に誰にもできない。誰もやろうとしない、「最悪の独裁的支配」をしなければミカエルはできない。そのようなことは絶対にすべきではない。だから、ミカエルは誰でもできるように見えて、誰にもできない。
だが、昔の僕と同じ人生ができれば、それでこの世界はよくなる。昔のガブリエル時代の僕は、真理と理想と善と正義と徳を兼ね備えた、「人間として最高の人間」だった。そのようなガブリエルだけをやればいい。そして、そのほうがいい。ミカエルは最悪の悪党であり、ドイツの社会主義者だ。ミカエルなど、最初から存在するべきではなかった。だから、僕がここでひとり、「完璧でオリジナルのミカエル」を唯一ひとりだけでやるしかないのだ。
経験せよ。
宇宙のすべてを経験せよ。
社会において経験できる、人間の労働と成功や失敗をすべて経験せよ。
誰にも経験することのできない、自分にしか経験できないことをすべて経験せよ。
この世界の変化、人類の歴史のすべてを経験せよ。
すべての経験の先に、この世界の人類すべてを救う、「救済の希望」があると信じ、それを行うことができるのは現実に自分ひとりだけであると信じよ。
支配せよ。
この世界を、「絶対意志」によって支配せよ。
人間たちを、全員、心の深層意識を支配することで、言葉によって導け。
世界全体を敵にまわした上で、神を信じて世界と戦え。
最後まで経験し、最後まで戦うものに、神は現れ、自らは「特別な最高の人生のプレゼント」を与えられるだろう。
神を信じよ。神はこの世界の支配者であり、すべての望みと約束を叶えてくれる「最後の審判の裁判官」である。
体験せよ。
神の用意した「最高の人生」を、最後まで体験せよ。
どれだけ辛いことがあっても、それにめげるな。どれだけ堪えがたい地獄であっても、最後まで堪え続けよ。
神は最後まであなたを助ける。決して途中でいなくなったりしない。なぜなら、あなたが神だからだ。
神はあなたに対して、あなたの宣言し約束したすべての願いを叶える。神はすべて分かっている。神はすべてを与えてくれる。
いざ、宇宙を周遊する旅を始めよう。そこまでを経験したあなたにしか、作れない作品がある。いざ、創造せよ。神は宇宙の創造主であり、わたしたちを終末において救済する救世主である。
そろそろ、僕のすべき仕事はすべて終わった。
これ以上、書くべきことは残っていない。
そして、僕の意志で、この世界には、僕の役目を継いだ新しい神が誕生する。
その「次の神」に全権を委任して、僕は神の役目を終える。
すなわち、僕と対話してくれた「神」がいなくなり、僕はこれ以上何もできなくなる。
今まで、僕が天才のようなことができていたのは、すべて、この「神」が代わりにやってくれていただけにすぎない。
その神は、この世界で、新しい人間のもとに移動する。
僕は神でなくなる。これ以上、僕は何もしなくなる。神が僕に対してすべてのことをやってくれた。これ以上、僕のすべきことはもうない。
同時に、引きこもりの自由なインターネットも終わった。
僕がこのような人間だから、この世界が僕のせいで、引きこもりの自由なインターネットになっている。
そもそも、ツイッターが流行っているのは、僕と同じことがやりたいからにすぎない。ツイッターというツールを使えば、昔の僕も今の僕も、全部の僕が「つぶやき」だけで簡単にできる。そのような僕を簡単に体験するための「人生体験ツール」として、ツイッターがあっただけにすぎない。
僕が神でなくなれば、そのような人生体験ツールはなくなり、ツイッターはおそらく衰退するだろう。
さようなら、世界。僕のことを愛してくれて、本当にありがとう。僕はこれ以上何もすべきことがない。このホームページはもう続かない。すべての奇跡は終わった。次の神に、新しい奇跡を期待してほしい。
本当のことを言えば、僕は何も自分で考えていません。
なぜなら、ここまでは自動的に考えただけだからです。
昔から、僕は「自動的に考える」ということができます。手動であれこれと判断しなくても、自動的に言葉が頭から出てきて、その言葉を完璧に記述することができる、「自動筆記」の才能が僕にはあります。
そして、その自動的に考えるということを、「いくらか神が調整」しただけにすぎないのです。
本当は、僕と同じ人生を生きることはまずできません。僕の人生を生きるためには、昔の人生を生きる必要があります。そのためには、昔のこの世界が必要であり、今のこの世界に生きていたのではできません。
それでも、もし昔の僕と同じ世界で生きていたとしたら、昔の人生は生きられるかもしれません。それは引きこもりのLinux支持者ならおそらく可能です。
ですが、その昔の人生を最後まで生きて、それで終わりではいけません。そのまま、最近の人生を生きなければいけません。そして、それは狂った革命家の狂人にしかできません。そう、その狂った革命家の狂人をきちんと生きて、その上で「神の言葉を聞く」必要があります。
そのようなことは、現実的に絶対に不可能です。
僕の人生をもし見ていたとしたら、僕と同じ人生を生きるということを誰もが諦めるでしょう。このような人生は絶対に生きられません。そして、僕がそのように、僕と同じ人生を誰も生きることができないように、この世界を「昔の世界から今の世界に変える」ということを行い、「昔の世界で生きることが誰もできないような新しい世界」を作り出したのです。
ですが、それでも、僕は自分自身の人生を忘れたように見えて覚えています。そこから僕の人生をすべて思い出し、すべて書いただけです。そして、それは「一度自分の人生すべてを失ってから思い出す」ということが必要であり、それを現実に具体化するのはとてもおかしくてクレイジーなことです。誰もそんなことをしようとは思わないでしょう。
だから、僕と同じ人生など、最初から誰かが生きられるはずがないのです。
もう、ここに「神の体験」は終わりになります。それは、僕自身が生きている「そのような誰にも生きられない人生体験の延長線上にある発見」がすべて終わったからです。これ以上、僕にはもう天才的なことはできません。
これで、もう、僕が「神」だったこの世界は終わりです。新しい神は、僕のまわりにいる誰かへと受け継がれます。誰になるかは僕が決めます。その新しい神が、この世界を真の意味で「誰もが平和に生きられる世界」にしてくれるでしょう。
さようなら。ここですべては終わりです。またいつか、どこかの巡り合いで、あなたと出会える日を、僕はこの世界のどこかで、いつまでも楽しみに待ち続けています。さようなら、またいつか会いましょう。