こいぬ座の三等星ゴメイサは、生物の設計やデザインを行った星である。
こいぬ座のプロキオンは、生物の発生の起源となる「生物の母なる星」だが、同じこいぬ座のゴメイサは、そのような生物がどのような形でどのように働くかという「生物の設計とデザイン」を担当した。
すなわち、人間を含む宇宙のすべての生物は、ゴメイサによって、そのような生物の形になるようにデザインされたのである。
ゴメイサにおいては、さまざまなおかしな生物が存在する。生物をデザインするために、さまざまなおかしな生物が、そのための実験台として必要だった。そのため、プロキオンは「原始生物の楽園」と言われるが、ゴメイサは「おかしな生物の楽園」と言われる。「本当にこれが地球と同じ生物なのか」と思えるぐらい、ゴメイサの生物はおかしくて、奇妙で、そして特殊である。だが、好き好む人間ならばのめり込んで中毒になるぐらい、ゴメイサの生物は多様で、面白い。
オリオン座の二等星ベラトリクスは、ほかの多くの星との交流を行う星である。
ベラトリクスは、ほかの多くの星に「使者」を派遣し、ほかの多くの星から「使者」がやってくることを、星として歓迎している。
そのため、ベラトリクスにおいては、たくさんの星の文化が集合しており、いわば「銀河系の文化のるつぼ」のような状態になっている。
ベラトリクスが面白いのは、古今東西の宇宙のあらゆる文化が一堂に集結していることだ。そのため、まるで「銀河系の博覧会」のような状態になっている。
また、単なる星の文化の流入だけではなく、ものや芸術の交流や交易も盛んであり、宇宙に存在する面白くて興味深いものを、ベラトリクスだけで十分にすべて知ることができる。
オリオン座の二等星ミンタカは、目と耳が極めて発達した生物の星である。
普通、地上を含む多くの星では、目と耳は周りの状況を観察するために存在する。目は周りの場所を、耳は周りから発生した音を知覚するために存在する。
だが、ミンタカの生物は、目と耳が極めて高度な発達を遂げており、宇宙のさまざまな星の、ありとあらゆるすべての場所を見たり聞いたりすることができる。
ミンタカの生物は、宇宙のあらゆる場所を望遠鏡のように知ることができる。透視も可能であり、どのような場所であってもミンタカの生物はその中の空間を確かめることができる。
そのため、ミンタカの生物たちは、宇宙の多くの場所を自らの星ミンタカと同じように知っているのである。
オリオン座の二等星アルニラムは、気象現象のユニークな星である。
アルニラムは、一見すると地球と同じような、豊かな自然が栄えている星に見えるが、実際はさまざまな独自で異なる点がある。
まず、アルニラムにおいては、気象現象が異なる。地球では、晴れの日、雨の日、曇りの日、そして雪の日やたまに雷が起きるぐらいしか、気象で起きることは少ない。
だが、アルニラムにおいては、ほかにもさまざまな気象現象が起きる。
それから、地球においては、川には水が流れている。だが、アルニラムにおいてはそうではない。川には水分自体は存在するものの、まるでカレーのようにたくさんの栄養分が含まれており、どろどろとした茶色の液体が流れている。
川だけではなく、雨も同じであり、水の雨が降るのではなく、栄養分のたくさん含まれた、カレーのような茶色の液体が空から降ってくる。
また、ほかにも異なる点がある。まず、雲が地球よりも複雑で、白ではなく黄色や青のような色を含むことがあり、雲の形も多様で、面白い雲が見える。太陽の周りを惑星が回る関係から、地球と同じように太陽はひとつだけだが、月の数は異なる。地球には月はひとつしかないが、アルニラムには月が10個ある。それぞれの月の大きさや表情が違い、また日によって見える月も違うため、「今日はこのような月が見えた」ということを愉しむことができる。
オリオン座の二等星アルニタクは、科学技術が進歩しすぎたせいで自由を失った悲しい星である。
アルニタクにおいては、科学上の新発見が二つある。それは科学上の新発見であると同時に、軍事兵器上の新発見でもある。
アルニタクにおいては、小型のドローンに小型のミサイルを搭載した、「ドローンミサイル」という新兵器が生まれてしまった。
ドローンミサイルに爆弾を搭載することで、まるでイスラム教原理主義者が自爆テロを行うのを、遠隔地からドローンを飛ばせて行うことができる。
もうひとつの発見は、ワープとテレポーテーションであり、ほかの星でも発見されているように、アルニタクにおいてもテレポーテーション技術が発見された。
だが、そのせいで、アルニタクの国民は自由を失った。
アルニタクでは、人々の生活と平和を守るために、国民が絶対にドローンミサイルのような兵器を持ってはならないように禁止令が出た。そして、そのようなドローンミサイルを所有するものは逮捕され、処罰される。そして、人々がドローンミサイルを絶対に持つことがないように、常に国中のあらゆる場所を監視する。そのような「強権的治安維持政策」が実施された。
テレポーテーション技術については、テレポーテーションで自由にどこにも移動できないように、もしテレポーテーションによってどこかに移動しようと思っても、目的の転送場所に転送されることはなく、国家の定める特殊な場所に必ず転送される。そのため、テレポーテーションは実質無意味な発明であり、テレポーテーションを使ってもどこかに自由にワープすることはできない。
だが、それでも、そのような兵器を完全に無くすことはできない。なぜなら、国家の軍隊がそのような技術を保有するからだ。テロリストがそのような技術を非合法に持っていた場合に備えて、そのようなテロ勢力に対抗できるだけの「抑止力」として、国家の軍隊だけは特別にそのような技術を保有することが許される。
だが、そのせいで、結局、平和というものそれ自体、維持することができない。結局はテロリストと国家はそのような高度な軍事力を保有せざるを得ないのであり、戦場においてはドローンミサイルとテレポーテーション技術によって、人々の平和な生活は常に脅かされているのである。
オリオン座の二等星サイフは、妖精たちの星である。
サイフにおいて、生物は、哺乳類でも爬虫類でもない、「新しい類」へと進化を遂げた。それが、「妖精類」と呼ばれる生物である。
妖精類という生物は、とてもユニークな生物であり、面白い特徴を持つ。
まず、妖精類は、生物の遺伝子的特徴として、空間原子論による空間魔法を使うことができる。空間原子論とは、空間にも物体と同じような原子構造が存在するという仮説であり、空間魔法とは、その原子構造を操作することで空間の物理法則を書き換え、魔法のような奇跡のようなことを現象として起こすことができるという魔法の力である。妖精類は、そのような空間魔法を使うことができる。
妖精類は、子供のまま歳を取ることがない。17~18歳ぐらいの年齢で成長が止まり、永遠に子供のまま、大人になることなく生きることができる。そして、寿命は人間よりもはるかに長く、10万年ほど生きられる。
妖精類には、それぞれ細かな種類があり、大きく分けて「地」「水」「火」「風」に分けられ、それぞれの集団(民族のようなもの)に対する長(王のようなもの)がいて、地の妖精の長をノーム、水の妖精の長をウンディーネ、火の妖精の長をサラマンダー、そして風の妖精の長をシルフと呼ぶ。
妖精は人間よりも小さく、羽根が生えていて飛ぶことができるが、人間と同じように言葉を話すことができる。「地」に属する妖精は神話上のドワーフのような他とは異なる形をしており、「小人」と呼ばれることもある。
何のために何が必要かを考えなさい。何かをするために何をする必要があるかを考えなさい。
自らの実体験を知り、経験することで何が分かるかを考えなさい。普通の人間と同じ経験をするのではなく、普通の人間にはできないような、自分独自の経験をしなさい。あるいは、人々のしている経験を自分もすることで、逆に自分自身の人生とみんなの人生を比較し、その人生と人生の比較分析から、自ら自身の人生が過去にどうであったのかを捉え直し、どのようにすればよかったのかを考え直しなさい。
認識の捉え方を変え、認識そのものの見方を変えなさい。認識を捉え直すことで、認識それ自体を一種の「存在」であると考えなさい。その上で、矛盾する認識はどのような経験に基づいて意見するかという個人の信じる考え方が異なるだけであり、経験に基づく信じ方を変えれば矛盾はなくなり、正しい考え方の下ではどのような認識も矛盾しないと気付きなさい。
世界を変える方法を、「人々の生きている環境を変えること」に求めなさい。人々に対して外部から訴えかけ、相互理解を果たすためにどうすればいいか、客観的に場と環境を捉えて、集団において秩序ある自由な社会を実現するためにどうすればいいかを考え、環境の客体化によって世界そのものを変える方法や、世界の別の可能性を実現する方法を考えなさい。
世界を変える方法を、「論理的かつ具体的に発想の実現手段を考えること」に求めなさい。国家のモデルと社会制度、そして指導者を支援するための政党の作り方と、自由な決まりの決定される単位を考え、議論し、導き手となって世界を救済へと促すことで、この世界を変えるような方法を、具体的に考えなさい。
世界を変える方法を、「自分自身を変えること」に求めなさい。人々を変えるのには限界があるが、自分自身を変えるのには限界がない。そして、自分自身の分かったことは、他人であっても分かるはずだと確信し、その分かったことを分かるためには何が必要かを考えなさい。
世界には多くの可能性がある。常にこの世界は可能性を発揮し、世界を生み出し続けている。だからこそ、そのような可能性の原動力を、どのようにしたら効果的に活かせるのか、ということを考えなさい。すなわち、可能性を制限せず、拡大し、変化の先にある確かな未来の実現性を向上させる方法を考えなさい。
可能性と留保によって、自由を考えなさい。
可能性と留保とは、「それがまだ起きていないが、もしかしたら起きるかもしれない状況」、あるいは「まだそれは起きていないが、いつでも自由に起こすことができる状況」と、「それが必ず起きる状況」や「それが既に起きている状況」を比較することだ。
可能性と留保を考えることで、この世界を抽象的な「実現のチャンス」から考えられる。
その場と視点は、まだ世界には起きていないかもしれない。だが、論理的に起こそうとすれば、その場と視点において、正しい可能性を起こすことができる。その可能性を最初から起きなくすると、その可能性は失われてしまう。だから、未来の可能性において何が起きるかを深く洞察せずに、社会制度を最初から決めすぎるのはよいことではない。
未来においては、過去の人類が誰も予想したり予期したりできなかったことが起きることもある。そのような可能性の種を潰すことはいいことではないし、可能性の芽を摘むこともいいことではない。可能性がきちんと育つように、そのような未来において起きるかもしれない予測不可能なことも、きちんと事前の段階で起きても構わないように柔軟かつ臨機応変に対応できるような、そのような柔和ですべてを最初から決め付けないような社会制度こそ、真に作るべき「自由な社会の基盤となる正しいルール」である。
だが、未来において予期できないからといって、予測を諦めてはいけない。過去の時点で予期できなかったのは怠慢だ。どのような未来が訪れるとしても、事前にそれなりの、特に具体的な予測を立てるべきであり、そのために、「環境の生起」ということを理解すべきだ。環境の生起とは「環境が生み出される」ということであり、具体的な社会が実現される前の段階で具体的に可能性を予測することだ。そして、そのような具体的な予測から、現在のこの世界を救う「救済の可能性」や「世界を救う選択肢」も発見できるのである。
最後に、世界の人々がそれぞれどのような力と権限を持っているか、ということを知れ。そうすれば、子供時代に「たぶん大人がやっている」と思っていたことは、実際は大人たちには何もできることはなく、特定の誰かひとりが支配しているような状況、あるいは誰かが支配しているように見えて本当は誰も支配しておらず、誰かがそれをやるまでそれが全員に委ねられている状況などに気付くことができる。そこから逆算することで、歴史そのものがそもそも人類全員に委ねられており、過去の歴史は社会的な発明や変革の作用がそのまま適用されているだけだということを理解できる。
そのように考えることで、この世界をすべて変えるための方法が見えてくる。
必要なのは、物理的に考えることだ。物理的に考えるとは、簡単に言えばニュートン力学のように、作用の原因とその働きから考えることだ。そうすれば、世界すべてのことを、すべての「理由」と「根拠」を理解した上で、文明的な社会の制度や歴史的な社会環境の生起のことから、人間の心が本能的にいつどのように何をしたくなるかということまで、完璧に解明することができる。
そして、人間が経験的に成長すると考えた上で、もしその人間が経験的に成長したとしたら、その成長をした後であればどのようなことが可能になるか、ということを捉えよ。すなわち、どのような経験を獲得すれば、将来的にどのような能力を獲得し、その能力からどのようなことができて、その人間はどのような人間になるか、ということまで考えよ。
そこまで考えた結果、まさしく「アイデンティティの確立」という第一原則が見えてくる。経験を獲得して能力を得て、何かしらの存在になったとして、そのことがまさしくその人間をある確立した存在に作り上げるということ、それが僕の考えた「アイデンティティ理論」の最終的到達地点だ。僕の言う「アイデンティティ」という言葉とはそういう意味である。
そして、そこまで分かった人間が、まさしく、菩提樹の下で悟りを啓くことのできた覚者、ブッダである。仏の悟りとはそのようなものである。仏教を信じるとはそのように悟りを啓くということである。
最後に、その人間の自由を尊重しなさい。
子供に、知識や常識を詰め込むような、今の教育は間違っている。
子供のやりたいことをやらせ、子供に情報と経験を与え、自らの力で考えることができる能力を与え、思考に先立つ自由な経験ができる場を与え、自分の手で世界を分析できるような賢い大人を育てるべきだ。
だから、全体主義は間違っている。国民に自由を与えるべきだ。すなわち、自らのやりたいと思った「きっかけ」と、自らがそれをしたいと思い続けるような「モチベーション」から、子供たちが子供たちの力で自ら賢くなっていくような、そのような教育をすべきだ。
子供は奴隷でもなければロボットでもない。子供たちの自由を尊重せよ。それがひいては未来の日本社会全体のために繋がる。支配や戦争や革命をしなくても、自由なままでもこの世界を救済することはできる。支配者による独裁では何もよくならない。自由こそ、この世界を救う唯一の夢と希望である。
自由を信じて生きよ。
認識を捉え直せ。
文明の起源を知れ。
考え方を自ら作り、自らの科学を作れ。
経験せよ。
ありのままの実体験から知れ。
感受性を高めよ。
受容性を高めよ。
発想法を考えよ。
道徳を信じよ。
独立性を高めよ。
啓蒙せよ。
世界を変えるための方法を見つけ出せ。
自由という単位を小さくせよ。
可能性を与えよ。
可能性を許せ。
多様性を高めよ。
自然な共有を信じよ。
可能性を制限せず、全員の自由を共有するような社会を信じよ。
全員のことを愛せ。
あらゆるすべての人間を救うために、ダイレクトに語り掛けよ。
世界にはひとりとして間違った人間はいないと信じて、全員の考え方を尊重した上で、全員の考え方のメタ的な根源となるような、真に正しい愛を信じよ。
愛に基づいて、世界を変えよ。
意識という考え方から、地球の生物と環境の歴史を根源的に信じよ。
そのように生きれば、ブッダと同じ悟りを啓くことができるだろう。
あらゆるすべてが分かったひとりの指導者として、世界を救済せよ。
実地的に知った現実世界と人々の経験から、この世界の真の姿をを書き記せ。
自由と環境に基づいて、世界観のすべてを作り、文章を書き続けよ。
人生のすべてを書き記しながら、世界そのものと戦え。
世界に負けることも世界を滅ぼすこともできない、極限の戦い、すなわち「限界状態」の中で、自分以外の唯一の味方である「神」を信じよ。
神とともに宇宙を導き、地獄を乗り越え、治るはずのない病気を諦めることなく治るはずだと信じて、最後まで格闘し続けよ。
神はあなたのことを必ず救う。なぜなら、神は間違ったものには厳しいが、正しいものには優しいからである。
この世界に存在するもの、それは唯一「意識」だけである。
この世界には、意識しか存在しない。
意識とは何か。意識とは経験的な記憶である。すなわち、さまざまな経験をすることで、人々はこの宇宙に存在する「意識」を知り、そこから、歴史、起源、自然、地球、宇宙、そしてあらゆるすべての存在と意味が見えてくる。
この世界はすべて意識だ。自由自在に「意識を発生させられる」ということ、それこそが「環境を変える」という宇宙の第一原則である。意識を発生させることで、人間の心を変えることができ、ひいてはそれが世界全体を変えることに繋がる。意識を変えれば、人間は変わり、人生は変わり、社会は変わり、世界は変わり、そして子供たちの世界は救済されるのである。
大人たちよ、子供たちの世界を思い出せ。大人たちが馬鹿なのは、子供時代の子供たちの世界を覚えていないからだ。子供たちの世界を思い出すことでしか、真の意味で悟りを得る方法はない。だから、自らの子供時代のことを思い出し、子供の世界をどのようにすれば、世界がよいものになるかをもう一度考えよ。もう一度、子供に戻って、この世界を「再考」せよ。